映画上映会
映画上映会
1990年12月22日、立見席を入れて1000人が入る会場を借りて上映会をする事を決め、案内を出した。
撮影は2台の業務用ビデオカメラで行われた。2台のカメラを中国に入れるのには苦労した。1台は補助的に使われると共にメーキングの撮影をした。本編の編集は上映会の1ヶ月前に終わった。メーキングの編集はお預けとなった。ここまでは何とか資金繰りをして全ての工程の都度、作業別に細かく分けて前金で支払って来た。
しかし、ついに資金繰りに万策尽きた。手持ちの不動産を売って金にする事は出来ない。それは4月1日から分かっていた事だ。不動産の売買は完全に止まっていた。上映会の日までにテレビ用ビデオテープを16ミリのフィルムに変換しないと映画を映す事は出来ない。
私は必死に、初めての後払いをお願いした。
「ここまで来て止める訳にはいかんだろう」といって了解を頂いた。キネコで変換したフィルムは12月22日の上映会当日、上映の数時間前に東京から直接会場に届いた。私の遅刻癖は健在だった。胃が痛くなるほどハラハラドキドキしていたのを自分とF氏以外に知る者はいない。実は、上映の前に挨拶をする場を設けていて、私の挨拶の言葉の最後には<映画の最後にカラオケ画面になります。是非皆さんで大合唱を御願いします>の言葉が用意されていたのだ。胃の痛みが吹っ飛ばしてしまった。それより、中国南京市より6名の来賓を呼び、多くの観客を集め、壇上から「ごめんなさい」と、どんな顔で言おうかと頭を傷めていたのでした。
この大失態はかろうじて直前に免れた。
さて、映画上映会は我が社の宣伝として行われたので、社員によって案内状を出し、出席の申し込みを全て名簿で押さえ、無料招待券を郵送して行った。申込者が1300人を超えてしまったので、その後の申込者を断って行った。私達はイベントの主催には素人であった。蓋を開けると半分の650人程しか入場していなかった。後でモニターすると、忘年会やクリスマス・パーティが急に入ったから等の理由だった。無料で招待したので軽く扱われてしまったのだ。人数は多い方が良い程度の話では有ったが、断って行った事が悔しかった。それにしても2人に1人が軽い申し込みであった。
「なあ~んや、300人が入れなかったらどうしようと悩む必要は無かったんや」




