杖持たぬ者ワムクライ 8
星空に舞い上がる火の粉と燃え盛る炎。
崩れ落ちる家の中から女性を引き摺りながら四本足の獣が姿を見せる。
「炎に焼かれては折角の肉が不味くなるではないか」
そう言って不気味に笑うとまだ息のあった人の顔に歯を突き立てた。
「やはり人の肉は生きたまま喰らうのが一番美味いの」
老人の顔を持ち獅子の体にサソリの尾のマンティコアは、その顔に浴びた返り血を舌で舐め取る。
「おいお前達、一人も逃がすなよ」
空中を飛び回る使い魔の人の顔を持つ妖鳥達に命じたマンティコアは呻きながら這って逃げようともがく人の身体を前足で押さえ付ける。
「おお、すまんすまん。まだ喰ってる途中だったな」
だらしなく涎を垂らしながら言うとマンティコアは憐れな女性に喰らいついたのだった。
「数百年ぶりに味わう人の肉の何とも美味な事よ」
物陰から幼い子供を脇に抱え逃げ出そうとした親子の背中に向けて蠍の尾から棘を飛ばし、マンティコアは背中から巨大な蝙蝠の翼を生やした。
「いくらでも喰えるわ」
ヤクシャと共に人間界に姿を現したマンティコア。
その出自は遥か昔、古代魔法時代にまで遡る。
かつてはその名を知らぬ者がいないと言われた大魔法使いがいた。名前をソブデリウスという。
いくつもの魔法を生み出し、魔術の父とまで呼ばれ、その名は人間界はおろか神界や魔界にまで知れ渡っていた程であった。
何が彼をそうさせたのかは今となっては定かではないが、ある日ソブデリウスは禁忌とされる領域に踏み込む。
─ 魔法による合成
有機物無機物問わずありとあらゆるものを魔術で合成し、それまでは存在し得なかったモノを次々と生み出していった。
ソブデリウスは新たな生命を作り出す事に取り憑かれ、寝食を惜しむかのように周囲の心配や忠告も無視して合成にのめり込んでいった。
─ 時間がもっと欲しい
年を経て老人となったソブデリウスは思った。
自分は生きても後数年だろう・・・・・・嫌だ、もっと合成の研究や実験をしたい・・・・・・日々そう思うようになったソブデリウスは延命について考えるようになった。
栄華を誇り、都市ごと空に浮かべる事が出来た古代魔法時代においても人々は不老不死ではなかったからである。
そしてある日、ついにソブデリウスは禁忌中の禁忌であった魔族召喚を行い自らの長年の研究資料と引き換えに契約を結び自身を合成対象とした。
数千年を生きる事が出来る高位魔族達との合成・・・・・・その結果生れ落ちたのがマンティコアであった。
「これで思う存分研究の続きが出来るわ」
魔の仲間入りをしたソブデリウスは醜悪な顔を歪ませて喜んだのだった。
「満足されたようで何よりです」
焼け落ちた村の広場に鎮座し、体中に浴びた返り血を一滴も残すものかと執拗に舐め回すマンティコアのソデブリウスの傍らに降り立った小柄な姿は、背中の羽を折り畳むとその場に片膝をつき頭を深々と垂れる。
「まだまだ喰い足りないがこのような小さな村では仕方あるまい」
不満げに答えたソブリデスは傍らに視線を移す。
「ウルアカ、近くにもう少し大きな村か街が無いか調べてくるがいい。我は満腹にはまだ遠いのじゃ」
細い身体に不釣合いな大きな頭、釣り上がったアーモンドのような形の目、一本の毛も生えていないその全身をヌラヌラとした粘液に包まれたウルアカは、ソブデリウスが魔界において生み出した高位に属する魔族である。
「承知しました」
言うが早いか、背中の翼を大きく広げたウルアカはまだ夜が明けきらぬ空へと高く舞い上がっていたのだった。
「人間界において魔族の手によって村が一つ全滅しました」
「ああ、そう」
宝石で装飾された金製のグラスに注がれた葡萄酒を口に含み興味ないように頷くのは神族の一人、下級の神々を統べる監督官と呼ばれる男性であった。
「報告ご苦労。下がっていいぞ」
「あの・・・・・・」
「まだ他に報告があるとでも?」
男性は伝言係りの天使に問い掛ける。
「いえ、ここ最近下位魔族だけではなく中位・高位魔族と思われる者達による被害が増えているようですが、我々は対応しなくてもよろしいのかと思いまして」
「なんだ、そんな事か」
天使の言葉に男性は軽く鼻で笑った。
「我々の糧でもある信仰心を集める絶好の機会じゃないか? 恐怖を味わった人間達が藁にもすがる思いで神殿に集まり一心に祈りを捧げる」
「ですが・・・・・・」
「いいか? 人間という種族は傲慢でずる賢い・・・・・・いつ何時も常に我々に対する信仰が揺るがないように躾が必要なのだよ。飴と鞭・・・・・・そんな便利な言葉が人間界にはあるが、飴が我々神ならば鞭の役割を担うのは魔界の者達なのだ。あの大戦の時は振り子が大きく魔界側へ傾きかけたから我々も参戦をした。本来なら勘違いして増長し我ら神々に並ぼうなどと思い上がった人間共など滅ぼしてもよかったのだが、それでは我々の大事な糧を失うことになる。あの参戦は苦渋の選択であったが結果として力を失った人間達は再び我々神に対し畏れや敬う心を取り戻し、こうやって数百年の間均衡が守られているのに、村の一つや二つが消えた程度でまた人間達に手を貸してやれと言うのか?」
そう言うと男性は何もない空中に自分が管轄下に置いている大陸全土の地図を映し出す。
「各地に祭られてる神々には必要以上に人間達に力を貸す事はないように再度伝える必要がある。大神からも人間達が二度と増長することが無いように躾と管理を徹底せよと命じられているからな」
「・・・・・・はい」
「お前が担当している神にも私の言葉をしっかり伝えよ。余計な事はするなとな」
頭を深々と下げながら男性の居る広間から出て行く天使の後姿を一瞥すると、グラスを口へ運び葡萄酒を喉の奥へ流し込んだ。
(確かあの天使の担当は・・・・・・ああ、あのオフェーリアだったか)
男性は何かといえば自分に色々と楯突いてくる厄介者の下級神の名前を思い浮かべると大きく溜息を落とした。
「あの無能のくせに堅物の言いそうな事だ!」
人間界では愛と戦の女神として信仰されているオフェーリアは憤慨し、近くにあったテーブルを持ち上げると大理石の壁に叩き付けて粉砕した。
「オフェーリア様、落ち着いてくださいまし」
天使はおろおろしながら言う。
「先の大戦の時も自らは安全な場所に隠れて震えていただけの小心者のくせに・・・・・・生意気な」
綺麗に磨き上げられた大理石の床を激しく踏みしめながら部屋の壁に掛けられた姿見の前に立つと、オフェーリアは鏡の表面に人間界の状況を映し出した。
「マンティコア・・・・・・あの時の人間の魔法使いの成れの果てか。また厄介なヤツが姿を見せたものだな・・・・・・手下の魔族を偵察に出したのか。行き先は・・・・・・おや?」
鏡の中に映し出された景色の中に、数人の人影を発見したオフェーリアは背後に控える天使に命じた。
「あの者達の動向を探り逐一報告せよ。万が一危険な状況だと判断した場合に限り介入も許可する」
「その若造の具合はどうなんだ?」
「大した怪我ではなかったからな。まあ数日はあちこち痛むだろうが」
地面に無造作に寝転がったままのハウザーに声を掛けられたワムクライは、皮袋に入った葡萄酒を飲みながら答えた。
「まあ不用意に突っ込んだのは無謀だったな。ひょっとして初めてだったのか?」
「運の悪い事にな」
「初めての相手が巨人じゃ仕方ないわな」
「私の完全なミスだった」
ワムクライが火の中に木切れを投げ込むと僅かであるが炎の勢いが増した。
「最初からまとめて始末するべきだった」
「あんな凄い魔法があるんだったら使うべきだったのかもな」
「色々事情があってな」
「俺には魔法の事はわからねぇから事情があるっていうのなら仕方ねぇよな」
土砂降りだった雨足も時間の経過につれ少しずつ弱まってきていた。
「それで?」
「何がだ?」
「何がって・・・・・・どう見たって姐さん、あんたあの時死んでいたじゃねぇか。どうやって生き返ったかって聞いてるんだよ」
「ああ・・・・・・あれか」
ワムクライは分厚い雨雲の隙間から時折顔を覗かせる星を見つめた。
「私は死ぬことが出来ないんだ」
「何だそりゃ?」
ハウザーはからかわれたと思ったのか軽く噴き出した。
「呪いでもかけられたって言うのかよ?」
「それに近いものかも知れないな・・・・・・お前のその大剣でこの首が撥ね飛ばされても私は死なないと思うぞ」
「・・・・・・」
冗談だろと言おうとしたハウザーだったが、ワムクライと目が合った瞬間その言葉はどこかへ掻き消されてしまう。
若い時からサルエルと二人冒険者として大陸各地を旅して歩いてきたが、不死の怪物と恐れられていた吸血鬼やゾンビ・スケルトンなどは一応殺す方法はあり、幾度かそういう怪物と戦った事もある。
「私は・・・・・・化け物なんだよ」
ワムクライは自嘲気味な口調でぼそりと呟いた。




