杖持たぬ者ワムクライ 22
右から左から、上から下からと息つく暇も無く襲い掛かるアールガの捻れた腕の攻撃を、手にした槍で必死に受けるムーアであったが、その身体には無数の切り傷を負っており、傷口からは薄っすらと血が流れ落ちている。
「どうしたよ? ほらほら、頑張って避けないとますます傷が増えるぜ」
利き腕ではない左手のみで、まるで無抵抗な小動物を甚振る様にムーアの皮膚だけを切り刻むホビット族のアールガは、その顔に卑屈な笑みを浮かべる。
ソブデリウスの合成により魔の者へとその身を落とした身体は胴体も四肢も針金のように細く、ハウザーよりも遥かに身長が高くなったアールガ。
その手足は異様に長く、槍を構えたムーアの間合いよりもまだ数歩先に立ち、そこから片手だけを振るい攻撃を仕掛けていた。
前に出る事も適わないムーアが下がればその歩数だけ前に詰め、先程から一定の距離を保ちながら執拗にアールガは攻撃を繰り返していた。
元々魔法を使うよりは剣で相手を打ち倒す事に無上の喜びを感じていたアールガは、魔の者となった事に対しても特に抵抗はなかった。
むしろ腕に生えた無数の刃を通じて直接伝わってくる斬り刻む感触に、えも言われぬ興奮すら覚えていた。
「たまんねぇ、たまんねぇぜ! 楽しいな、おい!」
ソブデリウスに合成の素材とされた【13使徒】の三人の中にあって、魔の者に一番適正がある狂った性格の持ち主であるアールガは、涎を垂れ流しながら狂喜していた。
「どうした、どうした? 一緒に愉しもうぜ、おい」
─ こいつ、遊んでる
油断すれば自らの血で濡れ、手から滑り落ちそうになる槍を必死に構え、迫り来る腕を払いながらムーアは歯を食いしばった。
槍の穂も柄もその表面はすでに傷だらけで、長くは持たない事をムーアは知っていた。
槍を失えば残りの手持ちの武器は腰のショートソードだけである。
そうなればリーチ差はどうしようもなくなってしまう。
アールガとの間合いを詰め、せめて一撃当てたいところではあるが、片腕だけの攻撃ですら捌くのが精一杯で、それすら完全ではないために全身をいいように斬り刻まれている状態であった。
(考えろ・・・・・・どうする? どうしたらいい?)
打ち寄せる恐怖の中、ムーアは必死に自問自答を繰り返す。
本音を言えば逃げ出してしまいたいが、目の前の魔の者は簡単には見逃してはくれないだろう。
周りにはワムクライもハウザーもサルエルもおらず、誰もこの状況に手を差し伸べてくれはしない・・・・・・
(ここで死んだらもう二度とワムクライ殿には会えない・・・・・・それだけは絶対に嫌だ)
その思いだけが全身を支配しようとする恐怖に唯一抵抗していた。
「・・・・・・だ。嫌だ!」
絶叫とともに無意識に突き出した槍の穂が、アールガの腕の表面に生えている刃を根元から折り宙に舞わした。
「お、お、お?」
予想だにしていなかった出来事にアールガは目を丸くし、地面に落ちた折れた刃とムーアの顔を交互に見比べる。
「なんだ、お前。やりゃあ出来るじゃねぇか。それだよ、それ。そういうのを俺は待ってたんだよ」
心底嬉しそうに笑ったアールガであったが、急に真顔になり狂喜に満ちた瞳を細めると、それまでとは違った氷を思わせる口調に変わる。
「じゃあちょっとばかり本気出してもいいよな? 頼むから簡単に死ぬなよ・・・・・・」
細く長い捻れた両腕をだらりと垂らし、ムーアを見下ろすような形で呟くようにアールガは言う。
繰り出される両腕の攻撃は激しさを増し、ムーアの手にした槍はその威力に耐えかねて中程から折れてしまう。
咄嗟に腰のショートソードを抜き、必死に捌こうとするムーアであったが掻い潜るように襲い来る攻撃に肉を深く斬り刻まれ、その激痛に悲鳴をあげそうになる。
「どうした、さっきのはマグレかよ? ほらほら」
全身斬り刻まれたムーアはその激痛に耐えかね、立ったまま意識を失ってしまった。
「なんだよ・・もう終わりなのかよ。つまんねぇヤツだな」
大きく溜息をついたアールガは、その細く長い手を器用に曲げて頭を指先で掻きながらムーアに近づいていく。
「じゃあ止めといくか・・・・・・拍子抜けもいいとこだったな」
ムーアへ残り数歩というところで目の前を剣先が走り、思わずアールガは仰け反る。
気を失ったふりで自分を近寄らせたのかと身構えるアールガだったが、ムーアは全身から血を流しながら身動ぎ一つする気配は無い。
「何なんだ? ビビらせやがって」
アールガは一旦距離を置き注意深く観察するが、焦点の定まらない虚ろな目のまま、ムーアは気を失ったまま立ち尽くしている。
血がその表面を伝い刀身から流れ落ち、地面に血溜まりが出来ているが、アールガが動くとその空気の流れに反応するかのようにぴくりと剣先が動く。
「このガキ・・・・・・どうなってやがる? 完全に意識失って虫の息のくせに・・・・・・まだこの俺とやろうってのかよ」
圧倒的優位のはずのアールガであったが、その胸中の一抹の不安を完全に拭えずにいた。
それでも止めを刺そうと一歩踏み出した瞬間、アールガの胴が綺麗に真横に斬り裂かれ、少し遅れてその傷口から血が噴き出す。
「な、何だと!?」
思わず後退りながらアールガは呻き声をあげた。
どう考えてもショートソードが届く間合いではない・・・・・・
しかも自分の目が捕らえる事の出来ぬ程の速さで剣を振るったなどということは、容易に受け入れる事が出来なかった。
しかし斬られた事は紛れも無い事実である。
魔の者となる前においても他者から剣で胴を斬られた事など一度も無かったアールガは、湧き上がる怒りに身体を小刻みに震えさせた。
「ふざけやがって・・・・・・ふざけやがって!!」
激昂したアールガは体内の魔力を一気に高め、呪文を放つべく詠唱を開始しようとした。
だが次の瞬間、側頭部に凄まじい衝撃を受けたアールガはもんどり打って倒れた。
「な・・・・・・」
何が起こったのかと顔を向けると、そこには純白の胸元が大きく開いたドレスに身を包み、長い金髪を後ろで無造作に結んだ女性の姿があった。
見る者の心を魅了する完成された美貌の持ち主である女性は、倒れたアールガを見る事も無くムーアに歩み寄るとその傷付いた身体に手を翳し、凛とした静かで美しい声で囁く様に呟く。
「神の癒し」
その力持つ言葉でムーアの身体を眩く柔らかな優しい光が包み込み、見る間にアールガによって受けた傷が跡形も無く消えていった。
「き、貴様は・・・・・・一体何だ?」
「喋るな。耳が腐る」
その言葉が終わると同時にアールガの口の中から青白い炎が噴き上がりその舌を焼いた。
「あががががが・・・・・・」
声にならない悲鳴をあげ、口元を押さえて転げ回るアールガ。
「オフェーリア様が直接手を下さずとも、命じてくだされば私が処分致しますのに」
女神オフェーリアの背後に控え、崩れ落ちたムーアの身体を抱えたままで背中に四枚の翼を持つ天使が畏まる。
「たまにはよいであろう?」
その顔に微笑を浮かべると、オフェーリアは地面に転がったままのアールガの頭を鷲掴みにする。
「う・・・・・・うがああああ!」
アールガは全面に刃を生やした腕をオフェーリアに叩き込もうとするが、身体に触れた瞬間その刃は全て音も無く砕け散り、そして腕も根元から霧散していった。
「出来損ないの魔族の攻撃がこの女神に通用するとでも思ったのか? 馬鹿にするなよ」
オフェーリアはそう言うと、鷲掴みにした掌から眩い光を放ち、アールガの身体を跡形も無く消し去った。
「さて、残りは・・・・・・例のマンティコアとあの魔法使いだけだな」
「どういたしますか? 私が助勢に向かいましょうか?」
腕組みをしながら周囲を見回すオフェーリアに天使は伺いを立てた。
「いや、あっちはもう少し様子見だ。これ以上私達が暴れるとあの馬鹿に感知されかねん」
オフェーリアは天を指差しながら肩を竦めて見せたのだった。




