杖持たぬ者ワムクライ 2
「あの女・・・・・・動くか」
カツカツと錫杖の先を床に叩きつけるようにしながら、ゆっくりと瞼を開いたのはスケルトンを思わせるような骨ばった剃髪の男である。
「連れは・・・・・・若い男・・・・・・兵士か」
ニヤリと口元を歪ませると、剃髪の男は錫杖の先で床に素早く古代ルーン文字を描く。
「さて、どうしてやろう?」
「・・・・・・相変わらず厭らしい笑い方をする」
光が一切差し込まない牢獄のような石造りの堅固な部屋の中、粗末なテーブルを挟むようにして座っているのは3人
共背中に同じ紋章の入ったローブを着た魔法使いスタイルの人物達である。
そのうちの一人、腰まで届きそうな長い金髪を指先で弄りながら呟いたのは、エルフと見間違えそうな程の美貌を持つ若い男であった。
「側近の一人から聞いたのだが、あの女は王の病気を治すために”天使の涙”を手に入れに行くらしい」
「”天使の涙”だって? あの万病に効果があると言われる伝説の?」
キセルに火を点しかけながら声を上げたのは、人間族の子供程しか背のない種族ホビット族の若者である。
「しかもその為に”呪われた都市イキ”に向かった・・・・・・馬鹿な話さ」
「イキだと?」
美貌の男の言葉に、剃髪の男は間髪居れず反応する。
「面白いじゃないか・・・・・・大陸の魔法使いの中で唯一人”杖持たぬ者”と言われるあの女、ワムクライ・・・・・・過去何度も我等【13使徒】に苦渋を舐めさせたイキへ行くか・・・・・・」
「どうする、どうするよ?こんな場所で指を咥えて黙って見てるだけか?」
ホビット族の若者は興奮を隠せないように、室内をぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「我等は他の【13使徒】の連中とは違う・・・・・・腰抜けではない・・・・・・そうだろ?」
─ ジャランッ!
床に激しく叩きつけられた錫杖は甲高い金属音を発し、部屋の隅を走り抜けようとしていた鼠の体を四散させた。
「鼠を使って覗きか・・・・・・相変わらず芸のないヤツだな」
美貌の男は軽く肩を竦めると、テーブルの上に置いた足を組み替えた。
「図体はデカイくせによ! 使う魔法は小さい小さい!」
床に散らばった鼠の肉片を、靴底で踏み潰しながらホビット族の若者は愉しそうに叫ぶ。
「では行くか。あの女、ワムクライが実は無能だという事を証明しに」
剃髪の男の言葉に、他の二人は頷くと手にした錫杖を高々と掲げ、
─ ジャランッ!
室内に残ったのは甲高い金属音だけであった。
「ちっ! 気づきやがった」
憎々しげにそう吐き捨てたのは、全身筋肉の塊といった感じの巨漢の男である。
「仲間にお前の魔法がバレない訳があるまい」
杖を握り締める巨漢の男ハウドゥーの態度に、軽く肩を竦めながらお茶の入ったカップに手を伸ばしたのは、黒衣に身を包んだ細身の男である。
”盲目の魔法使い”と言われるゾンホであった。
その名のとおり両目のあった場所には醜い傷跡が走っており、光を失ってから【13使徒】に昇格したという経歴の持ち主である。
噂では魔力を限界まで引き出す為に、自ら両目をくり抜いたと言われる。
「まああの連中の事だ。黙って指を咥えて見てるとは思わなかったが・・・・・・こうもあからさまに行動を起こすとは・・・・・・」
「呑気な事言ってる場合じゃねぇだろ?どうする気だ?」
「・・・・・・どうするとは?」
お茶を喉の奥に流し込むと、ゾンホは静かな口調で聞く。
「俺達はどうするかって聞いてるんだよ。まさか傍観を決め込む腹か?」
「我等まで動いてどうする? それでなくとも【13使徒】は一枚岩ではない・・・・・・それぞれの思惑が複雑に絡み合った組織だ・・・・・・ここで内部分裂をしても仕方あるまい?しばらくは様子を見るのが得策だ」
「ちっ! 黙って城で留守番してろってか!?」
ゾンホの言葉に、壁を拳で殴りつけながらハウドゥーは叫んだ。
「もし奴等がワムクライの邪魔に成功したら、【13使徒】の中の力関係が逆転しちまうぞ?」
「成功したらの話であろう?」
瞳の形をした宝石を埋め込んだ杖を手にしたゾンホは、ゆっくりと音も無く立ち上がるとハウドゥーの方へ顔を向ける。
「あの女・・・・・・ワムクライはお前が考えている以上に危険な女だ。伊達に”杖持たぬ者”と呼ばれている訳ではない・・・・・・おそらくは連中との接触で本性を現すだろう・・・・・・我等が動くのはそれからでも遅くはない」
「危険? あの一日中研究室に篭って、書物を読み漁っているような女が・・・・・・危険だと?」
「アギナ翁の口利きがあったとはいえ【13使徒】に抜擢された女だ。お前がどう考えているかは知らんが、舐めて掛かると大怪我をするぞ」
「・・・・・・・・・・・・」
「納得出来ないようだな。だがハウドゥー言っておくぞ・・・・・・勝手な事をするな。何かあっても責任は取れぬぞ」
「わ、分かってる」
静かだが威圧感のあるゾンホの言葉に、ハウドゥーは渋々と頷いた。
「後は中立派の連中に釘を刺しておかねばな・・・・・・それは私が動くとしよう」
顎に手を当てると、ゾンホは口元に意味ありげな笑みを浮かべた。
「・・・・・・一つ質問してもいいですか?」
そう聞いたのは、長槍を手に前を歩く若い兵士であった。
「何だ?」
フードを目深に被った女性が、若い兵士に素っ気無く答えた。
「いえ、大した事じゃないんですが・・・・・・」
照れたように頭を掻きながら言ったのは、ムーアという名前の新米兵士である。
「あなたのような若くて美しい女性が【13使徒】の一人だなんて・・・・・・自分にはまだ信じられません」
「・・・・・・魔法使いには年齢も性別も関係ない。生まれ持った才能が全てを左右するのだ」
頭上に鎮座している太陽を、忌々しげに仰ぎ見ながら呟いたのはワムクライ。稀代の大魔法使いと言われる人物である。
一般的な魔法使いが使用する黒魔法に留まらず、神官や僧侶が使う神聖魔法までも使いこなす事が出来る人物であり、失われた魔法までも唱える事が可能だと噂されている。
肌の色は病的と思われるほどに白く、その比類なき美貌は到底人間族のものとは思えず、一部ではハーフ・エルフではないかと言われている程であった。
「お前は私の事を”若い”と言ったが、決して若くはないぞ?」
「そりゃ自分よりは年上でしょうが・・・・・・」
ワムクライに真っ直ぐ見つめられたムーアは、顔を真っ赤にしながら俯いてしまう。
「・・・・・・面白い奴だ」
ふっと小さく微笑むと、ワムクライは腰にぶら下げてある皮袋に手を伸ばし、形の良い唇へと運んだ。
皮袋の中身は街の酒場で仕入れた酒である。
「ところで今夜の宿はどうします? 一番近い町までは・・・・・・」
ムーアは懐から羊皮紙に描かれた地図を取り出し、指先で紙の上をなぞる。
「ここから二日は歩かないといけませんよ?」
「私は野宿でも構わんぞ」
「そうですか? 自分はどこでも寝れる体質ですからいいんですけど・・・・・・【13使徒】のあなたに野宿させるわけには・・・・・・」
頭を掻きながらムーアは唸った。
「ああ、もう半日も歩けば避難所がありますよ。あそこなら屋根もあるし夜露も凌げます」
「どこでも構わんが・・・・・・そんなに気を使う必要はないぞ。まだ先は長いからな」
「そう言われましても・・・・・・気は使いますよ。何と言ってもあなたは【13使徒】の一人なんですから・・・・・・風邪でも引かれたら大変です」
「別に野宿如きで風邪など引かぬが・・・・・・」
ムーアの真剣な表情に、ワムクライはくすっと小さく笑い、
「そんなに心配なら、私が風邪を引かぬようお前がこの身を温めてくれるのか?」
「は・・・・・・い、いえ・・・・・・そ、そんな・・・・・・ま、まさか・・・・・・」
更に顔を真っ赤にしたムーアは、体の前で手をバタつかせながら慌てふためく。
「冗談だ。さあ、日が暮れる前にその避難所まで行くぞ。闇は厄介なモンスターが好むからな」
「そ、そうですね・・・・・・い、急ぎましょうか」
ワムクライの言葉にギクシャクと頷くと、ムーアは長槍を構え直し歩き出したのだった。
ある程度の距離を置きながら、街道沿いに点在する小さな煉瓦作りの建物がある。通称”避難所”である。
しかしながら通称のとおり避難が目的ではなく、本来は警備兵の詰所として建設されたもので、街道を行き交う人々の情報交換の場所であったり、休憩場所であったりするのだが、この混乱の世にあっては警備兵を配置する余裕も無く、今では無人となった建物だけが残り、簡易宿として利用する者も少なくないという。
「・・・・・・お茶が入りましたよ。どうぞ」
携帯用コンロに乗せられた鍋からカップにお茶を注ぐと、ムーアは壁を背にくつろぐワムクライへ差し出した。
とっぷりと夜は更け、下弦の月がその高い位置から柔らかな光を送り出していた。
「済まんな・・・・・・」
ワムクライは所々崩れた天井から見える星空からカップに視線を戻すと、
「静かだ・・・・・・虫の声ぐらい聞こえても良さそうなものだが」
手の中で湯気を上げるカップに、ふーふーと息を吹きかけながら呟いた。
「本当に静かですね。不気味なぐらいです」
傍らに立て掛けてある長槍を、横目で見ながらムーアは答えた。
「お前はどうして兵士なんかになった? こんな時代だ・・・・・・いつ何時戦地に送られるかも分からないのに・・・・・・」
「そりゃあ」
一気にカップの中身を飲み干したムーアは、その熱さに顔をしかめながら言った。
「男として生まれたからには、誰よりも強くなりたいじゃないですか。例えばあの有名な”狂戦士”のように」
「狂戦士? ああ、あの大陸最強の冒険者とかいう・・・・・・」
「ええ、憧れなんですよ。自分は今はしがない兵士ですが、いずれ大陸中に名を馳せるような男になりたいんですよ」
「・・・・・・ふむ」
拳を握り締めて熱く語るムーアの顔を、まじまじと見つめながらワムクライはカップに口をつける。
「男という生き物は、根本的に皆同じような考え方をするものなのだな」
「そんなものですよ。干し肉しかありませんが食べます?」
ムーアは背負い袋の中から拳大の肉の塊を二つ取り出すと、片方をワムクライに差し出す。
「貰おうか」
そう言うとワムクライは干し肉を受け取り、おもむろに齧りつくとクチャクチャと音を立てて咀嚼する。
「ご・・・・・・豪快ですね・・・・・・」
目の前で若く美しい女性が肉に齧り付く光景など、そうそう見れるものでもなく、ムーアは呆気に取られる。
「どうした? 食べないのか?」
「食べます。食べます」
ワムクライに不思議そうに見つめられたムーアは、視線を逸らすと慌てて肉に齧りついた。
「しかし・・・・・・いい月だ」
口の中の肉をお茶で胃の中へ流し込むと、ワムクライは崩れた天井を見上げ呟く。
「人気の無い場所で、若くいい男と一緒に月を見上げる・・・・・・なかなかいいものだな」
「げほっ・・・・・・げほげほっ」
その言葉にムーアは激しく咳き込む。
「か、からかわないで下さいよ・・・・・・」
「そんなつもりはないが・・・・・・」
くすっと小さく微笑むと、ワムクライは片膝を抱え込む。
「あの・・・・・・一つ質問していいですか?」
「質問の好きな奴だな・・・・・・どんな事を聞きたいんだ?」
月の光に目を細めながらワムクライは聞く。
「皆あなたの事を”杖持たぬ者”と言い恐れていますが・・・・・・何故なんですか? 自分には魔法の事はさっぱり分からないもので」
「ふん。そんな事か・・・・・・」
そう呟くと、ワムクライはどこか寂しげに瞳を伏せる。
「初歩的な事から説明してやろう。まず一般的な魔法使いは、それぞれが必ず一本自分だけの杖を持っている。この杖は普通は師匠から授けられたり、または魔法学院で貰うもの、道具屋で購入したり、遺跡や迷宮内で発見するもの・・・・・・まあ個人によって事情は違うが、大体がそのいずれかだろうと思う。魔法使いにとって杖がどんな役割を持つか?」
「・・・・・・いえ。恥ずかしいですが知りません」
「魔法の制御・・・・・・杖はただそれだけの為に存在する。古代魔法時代ならいざ知らず、今の世界には魔法の根源ともいえる魔力が激減している為に、魔法使い達は杖を通じてしか魔力を集める事が出来なくなった・・・・・・しかも世界に漂う魔力は非常に不安定なものだ。ちょっとでも気を抜けば暴走しかねない程に・・・・・・それを防ぐ為に杖が必要になるわけだ」
「・・・・・・すみません。やっぱり良く分からないです」
「まあ簡単に言うと、あたしは魔力を自在に扱う事が出来る。だから杖に頼る必要がない。そういう事だ」
ゆっくりと目を開き、再び月を見上げるワムクライ。
その瞳が金色に輝き、砂時計のように窄まった事に、ムーアは気づかなかったのだった。




