第9話 「魔法道具生産部門の部門長」
今日も雨だった。
開きかけた目に抗い、瞼が垂れ下がる。
いつもならゲコゲコと鳴くカエルのアラームで起きるのだが、窓ガラスを殴りつける雨粒の音で目が覚めた。このままもう一眠りして、朝の貴重な時間を贅沢に浪費するのも一つの幸せなのだが、今日ばかりはそうもいかなかった。
肝心の寝起きが人生最悪だったからだ。
朝から雨の中を登校しないといけないとなると億劫にもなるし、湿度の高さからくるじめじめ感もたまったもんじゃない。しかし、この瞬間ショウの頭を悩ませ、あまつさえ最悪と思わずにはいられない出来事が他にあった。
昨日、風間翔の命を救った少女、雨宮奏。
「……信じる、しかないよな」
天井の壁をベッドの上で寝そべり眺めていたショウが、ぽつりと漏らした。
改めて頭の上の目覚まし時計を手に取って確認すると、いつもより三十分近く早い目覚めだった。
それでも習慣になっている二度寝を身体が欲しているようで、自然と瞼が重くなっていく。しかし、この湿度の高さに不快感を覚え、目を覚ますためにも熱いシャワーでも浴びようかとベッドを下りた。
「ずいぶんと早い目覚めだな」
一階へ降りようと階段に差しかかったところで、開いたドアの中から小さな顔が飛び出した。
「いつもはもっと遅いけどね。それより、そっちは寝れたの?」
「お陰様でな」
寝癖の一つもついていない直毛を靡かせているのは、結局一晩泊まることになった雨宮のものだ。最初はリビングのソファで寝るつもりだったらしいのだが、帰宅してきた母親に姉の部屋を使えと追い出された。
現在も行方不明の姉だが、どこかで今も生きていると信じている。いつか帰ってきた時のために、普段から掃除は欠かしていない。
家具も当時のまま保存しており、部屋を利用する分には問題なく使える。
「……命の狙われている身分としては、至って冷静なのだな」
「んー、正直実感がわかないんだよな。スケールが大きすぎて現実逃避気味。考えてどうにかなるわけでもないし、何とかできる力もないんだったら、もうなるようになれって感じ」
先に階段を下りきったショウは、振り返ってそう答えた。
「ふむ。それはつまり、もう一度妾の魔法で飛ばされれば受け入れられそうか?」
無慈悲に伸ばされた人差し指を脱兎のごとく身を捻って避ける。
「ち、違うって。魔法は信じたし、雨宮が魔法使いなのもわかったよ! むしろ、あの後起こった出来事をどう受け入れていいのかわからないくらいだよ!」
あの後というのは、母親が帰宅してからのことだ。
母さんも実は魔法使いで、雨宮が昨日見せた指輪を開発している【魔法道具生産部門】に在籍しているというとんでもない事実が明らかになったのだ。それも副主任という肩書付。父さんに至っては最高責任者である部門長と来たらいよいよ脳の処理限界を向かえる。
息子そっちのけで二人してリビングを飛び回れば、人間不信になっても文句ないだろうとグレたくもなる。
「それでは何が問題なのだ?」
最後の一段を踏みしめ、見下ろす側から見上げる側に変わった雨宮の視線が突き刺さる。
「何が問題だって言われても、それがわからないから悩んでいるわけであって、わかってるなら問題も発生してないわけで」
「要領がえんな」
「うっ……」
「まあ、よい。理解するしないに関わらず、襲撃は必ずある。くれぐれも用心だけはしておれよ」
低く押し殺した声音は、相変わらず小学生然とした見た目とは思えない迫力がある。
「わかってるよ」
「わかっておるならばよい。とかく不用意な行動だけは避けろ。魔法使いに対抗できるのは同じ魔法使いでなければならんからな」
「でもさ、なんで狙われるのがオレなんだよ。どこにでもいる中学生だぞ」
前を歩く雨宮が、リビングのドアノブに手をかけたところで、一度動きを止め、顔をショウの方向に向けた。
「それに関しては昨日の言葉通りだ。妾とて今回の件に関して詳しいことは聞いておらんのだ。《厄災》の情報を提供する見返りとしてあくまでそなたの護衛を頼まれただけであるからな。ともあれ合流の手筈は整えておる。そうだな……日が沈むまでには今後の方針が固まるはず。それまでは普段通りに徹しておればよい。――それよりも、あまりゆっくりしておると学校に遅れてしまうが、よいのか?」
「あ、そうだった!」
やれやれと肩を上下させ、雨宮はリビングへと消えた。
簡単にシャワーだけ浴びて、脱衣所から廊下へ出ると、リビングの方から甘い香りが漂ってきた。瞬時に卵の匂いだと直感したショウは、制御できない空腹感についつい音を立てた。
ドアを開けてリビングに踏み込むと、昨日と同じ位置に座っていた雨宮と目が合った。右手には箸が握られ、今まさに目玉焼きが口の中に放り込まれた瞬間だった。
「……何、目玉焼き焼いたの?」
ガラステーブルの上には、二人分の食事が用意されていた。
ご飯茶碗とお汁椀は裏返しで伏せられ、ラッピングされた丸皿にはレタスと焼鮭が乗っている。太陽が昇る前には出社する母親が、いつも朝食を用意していくのだが、今日は二人分を調理してくれたようだ。
そして、同じメニューが雨宮の前にもあるのだが、目玉焼きだけが一人分しか用意されていなかった。
「冷蔵庫の中身は、母君から好きに使ってよいと有難いお言葉を頂いたのでな」
ふんっと上機嫌に鼻を鳴らし、もう一口目玉焼きを頬張る。
「まあ、いいけど……」
白米を装い、厚揚げと豆腐の入った味噌汁を持って席につくころには、満足そうな笑顔で最後の一切れとなった目玉焼きを放り込んだところだった。
「話戻すけど、本当にオレはこのまま学校に行けばいいのか?」
「むしろ、その方が都合がよい。普段通りに徹してもらった方が、妾としても動きやすくて助かるのでな」
「……あのさ、ちょっと訊いていい?」
口に運びかけた箸を止め、軽く首を傾げる。
「なんだ?」
「雨宮ってISOの理事長って言ってただろう。国際ってことは魔法使いの国みたいなのがいくつもあるのかなぁって思って。ただ、それだけなんだけどさ」
「ふむ」
そこで一旦箸を置くと、グラスに唇をつけ、一つ息を吐いた。
「そんなことか。お主のいう通り現在魔法国家と呼ばれる国は、十の魔法王国と一つの魔法帝国から成っておる」
そこまで言ってから、雨宮はちらりとガラステーブルの端にちょこんと置かれた、フクロウを模した時計を見た。
「まだ少し時間があるな。では、朝食がてら国に関する話でもしようか」
そう前置きをしてから、雨宮は声音を一段下げて、謹厳な面持ちで話し始めた。
「第一次魔導大戦で妾が勝利したのは昨日説明した通りだ。その後はマジックギルドを始めとした各組織を解体。魔法使いを管理するための新たな試みとして、王を選定し、魔法王国を建国した。それが魔法帝国と魔法王国だ。王には国の運営権及び所属する魔法使いの監視義務を負わせた。逆に権力の集中を省くため、魔法使いに関与する全ての権限を剥奪した」
「独裁政権を防ぐって意味で権力の集中を省くってのはなんとなくわかるけど、魔法使いに関与する全ての権限ってのは具体的にどんなことなんだ?」
「ざっくり言えば魔法使いの昇級であるな。魔法使いの階級は下から順に魔法使い、魔術師、魔導師、大魔導師、賢者の五段階が定められておって、この昇級を取り仕切るのが最高位である【賢者】だ。他には、妾の就くISOの理事長の選任もそうだし、王だって選ぶのは賢者たちの役目だ」
「いきなり小難しい話になってきたぞ……」
辛うじてついていくが、昨日からの情報過多ですでにオーバーヒート気味だ。
「無理もない。政とそれに携わる者たちの関係は得てして複雑になるものだ」
「結局、王と賢者ってどっちが偉いんだ?」
「王であろうな。魔法使いの進退に関与できぬが、一国の長として魔法使いを使役できる権限を持っておるからな。翻って賢者は、乱暴な言い方をすれば、気に喰わぬ者を王から引きずりおろすことも可能だが、それだけだ。王の傘下に組しなければ一人でできることなど限られておるからの。魔法王国相手にたった一人の魔法使いに何ができる」
バッサリと切り捨て、白米を頬張る。ショウも止まっていた手を動かし焼鮭を割って口に運ぶ。
「まあ、国相手に喧嘩売る人はいないだろうなぁ……」
「とは言え、王も下手なことをすれば、王の階位を剥奪されるゆえ迂闊なことはできぬ。結局はその辺りも含めパワーバランスだな」
「……うん、政治関係の話はいいや。頭痛くなってきた」
奥歯でレタスを噛みしだき、味噌汁を啜る。
「魔法使いになれば嫌でも覚えなければいけぬがな」
「えっ、まじで」
口に含んだ味噌汁が危うくダダ漏れになりそうになって、飲みこむ。
「うむ。第一次魔導大戦は、魔法を悪用しようとした輩の存在が根底にあるのは説明したな。そのため、魔法を許可なく使えないように、全ての魔法道具には行動を記録する装置と、魔法を使えないようにする制御装置が内蔵されており、原則外すことを禁止しておるのだ」
「それとさっきのが何か関係あるのか? ――てか、原則ってことは、外そうと思えば外せるんじゃ?」
現に雨宮もどこからどうみても魔法道具を身に着けているようには見えない。
ショウの問いかけに雨宮は苦笑いを浮かべながら答える。
「さっきの問いだが、原則禁止としておるだけだからな。外すだけなら簡単だ。だが、もしそんなことをすれば、魔法王国から追放処分を受けることになる」
「追放処分? なんで?」
「考えてもみよ。魔法を私的利用したことで戦争が起こったのだぞ。監視用の意味を含む魔法道具を外した人間を自国に置いておくと思うか?」
「あ、そうか。でも、そこまでして魔法王国に所属する意味ってなさそうなんだけど」
追放されたとしても、監視の目を掻い潜って魔法を使えた方がよさそうなものだ。
それでもそうしないのは、何か別の理由があるのだろうか。
「ふむ。では、逆に問おう。そなたならどうやって魔法使いになる?」
「どうやってって……」
腕を胸の前で組み、軽く唸ってから、
「雨宮から教わるとか?」
「つまりはそういうことだ。魔法使いは例外なく、魔法使いになるために、魔法王国に所属する魔法使いから魔法を教わるのだ。早い話、魔法使いとして生まれた時には、必ずどこかしらの魔法王国の国籍がついて回る。その状態なら問題ないが、無国籍の人間を法務期間であるISOがのさばらせておくと思うか?」
「あ、ああ、なるほど。どこかの国籍は必ず持ってないといけないのか」
納得しかけて、ショウは先ほど思ったこととの矛盾に気づいた。
「いや、待てよ。じゃあ、なんで雨宮は魔法道具を身に着けてないんだよ。それとも、持ってるだけで効果が発揮されるのか?」
そう言って、雨宮の手を見るが綺麗な白い肌が見えるのみ。
「言っておくが、透明化機能で見えないだけで全ての指に装着しておるよ」
「あ、そうなんだ」
「とは言え、妾に関しては実際つけてなくても問題はないのだがな」
それはどういう意味かと問う。
「ISOの職員は、例外なく所有する魔法道具の監視システムを無効化する魔法道具を所持しておるのだ。悪用する魔法使いを即時制圧するには魔法道具の制限を解除しておらねばならんからな」
「ああ……、なんか今ので全部繋がった気がする。雨宮がオレの護衛に来たのって単に《厄災》に対抗できる力があるとか以前に、許可なく魔法を使えるからか。それにさっきの覚えないといけないってのも……」
「魔法の存在を知った以上はどこかの魔法王国に所属してもらう」
「うへぇ……」
嫌な予感が当たり項垂れる。そんな気はしたけど、これでこの事件が解決したあとも平穏な生活は帰ってこないのが確定した。
「自国のことを知るのは魔法使いとしての最低限の義務。魔法使いの階級を知らぬのでは話にもならんしの。ま、今は《厄災》をどうにかするのが先決だがな」
強まる語尾に、ショウは背筋を震えさせた。
ピピピピ、ピピピピ。
そこでフクロウ型の時計のアラームが木霊した。
「げっ、やば、もう時間だ」
「――少々長話が過ぎたな。続きはまたあとで話そう。早く片付けるぞ」
その一言で、残っていた朝食を平らげた。