5
ミエーレが帰っていった後、ソファに座り込んでぼんやりしていたメルに、マリーが恐る恐る声を掛けた。
「メル様、あの夜の話を、詳しく教えてもらえませんか?」
と。
メルは何故そんな事を聞くのだろう、と首を傾げる。
「……正直私たちもあのグラース様が結婚を申し込むなんて、信じられないのです。だからあの夜、余程の事があったのだろう……と思うのですが」
「余程の事……おっぱい抱き枕……?」
自分の胸元を見ながらそう言うメルに、マリーは、
「そ、それだけじゃないはずです、きっと!」
と慌てたように手を振って否定する。
「それ以外……」
「グラース様は女性に対して『ありのままの自分を受け入れてくれる者など居ない』と決め付けていらっしゃる節があるので恐らくおっぱい抱き枕だけが要因ではない……はずです。いえ、もちろんそのおっぱい抱き枕は魅力的ですが」
そんなマリーの言葉に、なるほどと頷くメル。
女性に対して不信感を露にしていたはずの男が、突然自ら結婚を申し込もうとしているわけだから、それは不自然にも思える行動なのだろう。
と、自分の中で結論付けたメルが顔をあげると、マリーは未だにメルのおっぱい部分を眺めていた。
「触ってみます?」
「いいんですか?」
「どうぞ」
「……柔らかい!」
そんな軽いやりとりを交わした後、メルはぼんやりと語り始めた。
「あの夜、私が飲まされそうになっていた睡眠薬を、侯爵様が飲んだのが全ての始まりでした」
そんな言葉から始まって、メルはあの夜の事を一つずつ思い出し、整理するように事細かに語っていく。
マリーは殆ど口を挟まず、ただただ控え目な相槌を打ちながら聞いていた。
しかしマリーも大体の経緯は知っていたらしく、特に新しい発見もなく話は終盤に差し掛かっていた。
「あの時、私があんまりにも荒みきっていたから、妹が泣いてしまったんですよね。お姉ちゃんのバカ! って言いながら」
それを聞いたマリーは目を丸くして、まぁと言いながら口元を覆った。
ミエーレの取った行動が意外だったのだろう。
「失礼かもしれませんが、ミエーレ様はキリリとしていらっしゃるからそんな事言わない方だと思っていました」
そんなマリーの言葉に、メルはクスクスと笑う。
「公爵夫人になってからのあの子は、色々と必死で取り繕っているんです。でも、私の前ではただの妹になってしまうんですよ」
メルは仕方ない子でしょ、と言いながらふわりと微笑んだ。
「そして、ミエーレ様はその後どうなさったんですか?」
いつの間にミエーレの話に変わったのだろう、と思うメルだったが、マリーが聞きたいのなら、と話を続ける。
「泣いて部屋から飛び出して、その後お菓子を持って戻って来たんです。私の機嫌を取ろうとして。『お姉ちゃん元気だしてええ』って泣きながら」
「あらまぁ可愛らしい!」
メルもマリーも暫しクスクスと笑いあった。
「それから、泣き止ませるために抱きしめて宥めて……。母が病弱だったし、私が母親代わりをしていた時期が長いのでつい甘やかしてしまって」
相手は人妻なのに、と苦笑を漏らすメル。
そんな話をしていると、ドアの外に控えていたアナが突如顔を出した。
「それです! メル様それですよ!」
と、興奮しながら。
あまりにも唐突だったので、メルは目をパチパチと瞬かせる。
「グラース様は、女性に甘えたい願望がある方なのです、メル様」
と、アナは言う。
グラース様の名誉の為、黙っていようとおもったのですが、と言いながらアナに続くようにマリーが喋りだした。
「グラース様に言い寄ってくる女性は数多居りました。最初から全ての女性を跳ね除けていたわけではないのです」
マリーが語ったグラースという男の話を聞いたメルは、ある一つの言葉を思い浮かべていた。
『類は友を呼ぶ』
「グラース様は見ての通り、厳つく強そうで鋭い印象を与えがちでしょう? それなのにいざ近付いてみたら『甘えさせてほしい』なんて言うのだから、イメージはぶち壊しですよね……。私たちは、それがグラース様の魅力だと思っているのですが……令嬢にはウケが悪くて」
と、マリーは言う。
メルはまるで自分を見ているようだ、と思いながらマリーに話の続きを促した。
「女性達は強く頼りになる男……いえ、自分の我侭を何も言わずにただただ全て受け入れてくれる男を求めているのですよ。『甘えたい』だなんて言われても、自分だって甘えたいのだから、と話は噛み合わず……」
「……という事は、妹を甘やかしてる私を見て……」
というメルの言葉に、マリーもアナも深く頷く。
「自分もそういう風にして欲しい、と思ったのでしょう。メル様なら、そうしてくれるんじゃないか、と」
それを聞いたメルはふと考える。
グラースの前ではそれだけじゃなく何度か妹を甘やかしていたな、と。
まさかそれが要因で求婚されたなど、露ほど思っていなかったな、と。
メルが二人にそんな話を聞いた数時間後、またもグラースが大量の手土産を持って玄関先に姿を現していた。
「お久しぶりですメル嬢!」
相変わらず太陽のような笑顔を湛えながらメルを見ている。
「……お、お久しぶりです。応接室に」
「いえ、お話している時間はないのです、申し訳ありません。近くに来たので、メル嬢の顔を見て帰ろうと思いまして」
グラースはそう言っているが、背後で騎士達が絶対に嘘だとぼそぼそ呟いている。
それを一睨みして、グラースは颯爽と帰っていった。
それから暫く、二週間に一度の頻度でグラースが手土産……いや、貢物を持ってくるようになった。
その際、結婚についての返事を急かされることはかった。
そんな穏やかな日々が続いていた時の事。
侯爵家の使用人が血相を変えた様子でビスコット男爵邸に転がり込んできた。
なんでも、グラースが怪我をしたというのだ。
「メル様に、暫く会えないと伝えてくれと……っ、言われたのですが……!」
侯爵家の使用人は全力疾走でこの邸まで来たのだろう、ぜえぜえと肩で息をしている。
「あ、あの、侯爵様は何故怪我を?」
「女が……グラース様に軽くあしらわれた女が腹いせに刃物を振り回したらしく……っ、」
ビスコット男爵家の侍女が持って来た水をごくごくと飲み干した使用人は侍女に軽く会釈をして話を続ける。
「体のあちこちを、切りつけられてしまったのです。それでとても塞ぎこんでしまって……メル様に暫く会えないと伝えて欲しいと言われたのですが……メル様」
侯爵家の使用人の目は、懇願するようにメルを見詰めていた。
侯爵家に来てほしい、ということだろう。
「メル様、どうしましょう?」
メルにそう問い掛けたのはセシルだった。
メルは、セシルの目を見ながら迷わずに頷いた。
「……い、行きます、侯爵様のところへ」
メルのその言葉に、セシルは嬉しそうに頷く。
「馬を飛ばしましょう。私が乗せていきます。メル様、しっかり掴まっていてください!」
言われるがまま馬に乗ると、尋常ではない速さで侯爵家に辿り着いた。
馬を飛ばすとは言ったけど、文字通り飛んだのではないかと疑ってしまう程速かった。
セシルに先導されてグラースの部屋に入ったメルは、そっとグラースの様子を伺う。
グラースは、寝台の上でただただぼんやりと天井を見上げたまま仰向けで転がっていた。顔や腕、体中に包帯が巻かれていて痛々しい。
「あ、あの……侯爵様」
メルが勇気を振り絞ってグラースに声を掛けるとビクリと全身を強張らせた。
そして声だけで解ったのだろう、顔を見る事なく、
「メル嬢……!? 何故来たのですか! 近寄らないでください!」
と、大きな声でメルを拒絶した。
初めて聞いた拒絶の言葉に、メルは衝撃を受けた。
あぁ、拒絶される痛みはこんなにも辛かったのか、と。
「侯爵様……」
「メル嬢に、こんなに醜くなった顔を見られたくはない……だから!」
グラースの悲痛な叫びが響く。
しかし、メルはとことこと寝台へ歩み寄り、寝台の傍らに辿り着いたと思えばそのまま床に座り込んだ。
「こうすれば、お顔は見えません。見られたくないのなら見ません。でも……ごめんなさい、離れたくない」
広い寝台の真ん中に寝ていたため、寝台の傍らからでは手も届かない。
「メ、メル……嬢?」
グラースが顔を動かして、メルの声がする方を伺ってみると、寝台の向こうにメルの旋毛だけが見えていた。メルは寝台の傍らで俯いてしまっているらしい。
近寄ってその旋毛を撫でたい衝動に駆られるが、今の顔を見られたくないという思いが勝る。
ちなみにそれを遠くから見ているセシルは、撫でろよ! と思っている。
「ごめんなさい、あの時も、今も、ずっとずっと……ごめんなさい」
シンと静まり返った部屋に、メルの小さな声が響く。
「何故あなたが謝るのですか?」
というグラースの言葉に、メルは、
「……あの時、あなたに結婚を申し込まれた時、素直に頷いていたらこんな事にはならなかった?」
そう問い掛ける。
「それとこれとは関係ありません。全て自分のせいにしようとして……あなたの悪い癖だ」
と、グラースは言った。
「……ごめんなさい。……ずっと拒絶して、嘘吐いて、信じなくてごめんなさい」
そんなメルの言葉は、どこか懺悔のようだった。
「メル嬢?」
グラースが声を掛けると、旋毛だけが見えていたところから、ひょっこりと顔を出して、目が見えるようになった。
「……私、あなたが好き」
部屋に沈黙が戻る。
メルがまた俯きそうになったところで、グラースがガバりと勢いよく起き上がる。
あまりに元気良く起き上がったため、メルは、怪我なんて嘘だったんじゃないかと疑いかけた。
しかしグラースが痛そうに悶え始めたのでその疑いは一瞬にして消える。
「こんなところで寝ている場合じゃない……父上に婚約の報告を……しなければ……」
「え、え、痛くないんですか!?」
痛くないわけがない。命に別状はないし、物凄く深い傷があるわけではない。
しかし傷は体のいたるところにあるのだ、確実に痛い。
それでもグラースは言う。
「痛みなど喜びで掻き消されました! あぁ先に母上の墓に報告してからにしましょう。裏庭にあるので付いて来てください」
私は『あなたが好き』と言っただけなのだがいつのまに婚約することになっているんだろう、そう思うメルだったが、ふらふらと歩くグラースが心配で、いつの間にかそんな事どうでも良いと思うようになっていた。
「お、お墓ですか?」
「はい。母上はわたしが幼い頃に亡くなりましてね。……メル嬢を抱きしめて眠ったあの夜、初めて母上の夢を見たのです。あなたという優しい温もりに触れたからでしょうか?」
クスりと笑うグラースに、
「おっぱい……」
と呟くメル。
「そ、そうではなく……!」
グラースは完全に狼狽した。
ふらふらと歩くグラースに連れられて、メルはグラースの母の墓へとやってきた。
「母上、俺にもついに婚約者が出来ました」
包帯やガーゼに隠れてしまってチラチラとしか伺えないが、どこか嬉しそうな顔でそう言うグラースを見上げて、顔を赤く染めてしまうメル。
グラースが自分を見る前に赤みが引かないかと思っていたメルだが、グラースは思いのほか早くメルの方を見る。
「……本当はこんな姿じゃない時に言いたかったのですが、改めて。メル嬢、わたしと結婚してください」
「最初にその言葉を言われたのは玄関先でしたからね、今更です。……えと、その、はい。よろしくおねがいします……?」
隣に立つグラースを見上げ、メルは小首を傾げてそう言った。
グラースは嬉しさからメルを抱きしめようと思ったようだが、怪我が痛かったのだろう、呻きながらメルに圧し掛かり始めた。
「ちょ、ちょっと大丈夫ですか!? おっぱい抱き枕の二の舞ですか!?」
それまでは必死で立ち上がろうとしていたのだが、メルの言葉を聞いて、それもありかもしれない、とグラースは全身の力を抜いたのだった。
「ちょっとしっかりしてください侯爵様! 誰かああ!」
遠くから見ていたセシルたちが、呆れた様子でメルを救出してくれる。
グラースは侍従達に抱えられて寝台へと戻っていった。
傷口が数箇所開いてしまっているではないか!と、医師にしこたま説教をされたグラースは、現在寝台の上でしょんぼりと横になっている。
「あの、侯爵様……大丈夫ですか?」
寝台の傍らに、今度は床ではなく椅子を持ってきて座っているメルが問う。
「こんな傷、どうということではない……あなたが側にいてくれるのだから……」
静かな部屋で、二人の声だけが響く。
「そ、その、怪我もですが……侯爵様の妻が私で大丈夫なのかと……」
メルがぽつりと零した言葉を聞いて、グラースは首を動かしてメルのほうを見た。
「何故そのような事を聞くのですか?」
グラースはそう問い掛けながら、じわじわとメルににじり寄る。
医師に激しく動く事を禁止されたが、微動だにするなとは言われていない。
「だって私、見た目と中身が違うとフられ続けた女なんですよ? ……私で、いいんですか?」
ふとグラースから視線を逸らし、小さな小さな声で言う。
「あなたがいいんですよ、メル嬢。わたしはあなたの全てを愛しています」
グラースは厳つく鋭い顔を綻ばせて、ふわりと微笑んで見せた。
出会いのきっかけはとても残念なものだった二人だけれど、この先はきっとそんな事も気にならなくなるほど幸せな夫婦になれることだろう。
「メル、頭を撫でてくれないだろうか?」
「仕方ない人ね、グラースったら。」
ほら、ね。
これにて完結となります。
沢山のお気に入り登録、評価などありがとうございました。
そしてここまで読んでくださった皆様本当にありがとうございました!
The王道でした。多分。…おっぱい連呼するとこ以外は。
書き手側としてはとても楽しかったです。
新婚生活とか書いたらグラースさんの株が暴落するだけだろうから割愛します。
他作品である紺青ラプソディーの主人公と気が合いそうなので小ネタとしてリンクさせるのもありかなぁ。なんて。