何処(1)
目を覚ますと、そこは見知らぬ場所――なんてはずは無く、普通にリビングに置かれたソファの上に寝転んでいた。いつの間にかお父さん(楼肆)も下の部屋に降りてきていた。そして、今から緊急オペでもするのかと言わんばかりに家族が僕を囲んで立っていた。制服姿に着替えて妹に、多分今起きたばかりであろうお父さんに、着替えてはいるけれど眠さを隠しきれない顔をしたお母さん、その三人に囲まれてソファの上で寝転ぶ、魔法を未だに信じられない自分。自分の視界左上に「ここから逃げ出せ」とミッションが追加されても、逃げ出すことは出来ないと思う。と言うより、逃げ出す以前に動く気力がない。
ふと時計を確認すると七時十分だった。自分が失神してからそんなに時間が経っていないことに驚きだ。もうちょい寝たきりなのかと思ってた。
「あともうちょっと寝かせといた方が良いかな」
違った、お母さんに無理矢理寝かされていただけだったみたい。てか、失神ってこんなに心配されるものだっけ?
「ん〜……? あぁ……。……大丈夫じゃないのか? 失神したっていっても、多分一分くらいだっただろ? そんな治癒魔法とかの応急処置で五分も寝かせることはないと僕は思うけれどなぁ」
「そうだよ、単にお母さんの知識が疎いだけだよ。お父さんの言うとうりだと思う」
ダメだ、何言っているとかひとつも分からない。治癒魔法? 何? 失神? 自分の存在意義? 頭が痛くなりそう、というよりもう痛い。ただ、妹がとてつもなく失礼のことをサラッと言っていることだけは分かる。流石にわかる。
「そうかな……。いや、でも、もしかしたらとんでもない病気で、非常事態で命の危機に陥ってたかもしれないでしょ? そう考えたら、まだましな判断だと私は思うけれど……。」
お母さんは知識が疎いんじゃなくて、単に、心配性のようだった。十七年間も同じ屋根の下で過ごして、その上血の繋がりのある親なんだから分かってはいたけれど、でも、こういう時になると心配性過ぎるな、とは僕も思う。妹と同文、とまではいかないけれど、同じだ。
とりあえず、自分はもう大丈夫だと証明しておかないとな。
「お母さん、もう大丈――」
「起き上がってまたそのまま失神して頭打ったりとかっていう万が一の可能性とか場合があるかもしれないから安静にしててお願い起き上がっちゃダメー!!」
心配性を競うグランプリがあれば、ベストエイトには入りそうだな、お母さん。
「いや、ほんとに大丈――」
「寝てて!」
「…………」
「寝てて!」
「」
「お願いだから寝てて!」
まだ何にも言ってない上に無言の隙まで与えてくれないというのは、なんとなく悲しい。もう元気100%通り越して100‰という、上位互換を使うほどの元気なんだけどな。ちなみに、‰(パーミル)を%の上位互換として使っているが、100‰は10%と同じ意味なので、この場合1001‰以上と表記するのが正しい。このままだと激減しているからね。くれぐれも間違わないように。
今日は学校なんだけれどなぁ……。まあ、こうやってサボるのもたまにはいいか。成績不振まっしぐらだけど。
「って! 違う、そうじゃない!」
「だから安静――」
「その前に! まず一つ! 質問があるのですが!!」
「……あ、はい。どうぞ」
僕のあまりの勢いの良さにお母さんは圧倒されていた。それ程に僕は質問したい事があったからだ。
「現実に魔法って存在するの!?」
息を十分に吸い込む気もなく、酸欠寸前の状態で僕は質問した。
この質問で、僕が家族の笑われ物になってもいい。今まで生活した中で見たことも無い現象がこの現実に起きたのだから、直接質問するのが早いと思って僕は聞いた。酸欠状態に陥る寸前で。
「え……? 存在って、道志はこの家で一番魔法が得意で、え? 何言ってるの?」
こっちもお母さんが何言ってるのか分からなくなってきた。え、何? 僕がこの家で一番魔法が得意? いつの時系列だよ。……違うな。どこの世界線だよ。魔法なんて空想上のもので、実現しようなんて言ったら机上の空論になるものだと思っていたのに。
ここで、この現実を確実とさせるような考えが、頭の中を過った。
はは〜ん。分かったぞ、これは夢だな? そうに違いない。魔法なんてやっぱ存在しないもんな、これが夢の世界ならば納得が行くもんな。よし、そうなれば早速。
「梓! 思い切り僕を蹴ってくれ! 力強く思い切り!」
「え? お兄ちゃんってそんな性格だったっけ……?」
うぅ……。僕を見る梓の目がとてつもなく辛いが、所詮ここは夢だ。どんなに変に思われようと、現実の僕には全く関係ない。
「じゃあ、思い切りやるよ! 恨まないでね!!」
ドヤ顔で胸を張っていた僕に妹は思い切り鳩尾を殴ってきた。そんなドヤ顔を保つのもわずか数秒。その後にとてつもない激痛がみぞおちを襲った。
「うおぉぉえぇぇ!!」
吐きかけた。ほんとに危ない。
ただ、これで夢ではなく現実という証明がされた。
ほんとに、どうするんだよこれ。
結果的に僕は学校を休むことになった。
今いる場所は、リビングのソファの上。自分ベッドで寝たいのは山々だが、あそこは日の当たりが強すぎる。そう思ってるのは僕だけなのかもしれないが、こればっかりはほんとに仕方がない。そして、それ以前に大きな問題がある。魔法がこの現実に存在しているということだ。昨日までは無かったはずなのに、その次の日である今日は存在しているという謎の謎。オマケに自分は魔法が得意になってるみたい。したことないのに。
ベッドだけでなく、家をも占領してしまっている状態でそれを考えるのは余りに憂鬱すぎたので、紛らわすためとしてテレビを付けることにした。
今は朝十時、朝の情報番組の終盤辺りだ。平日のこんな時間に朝の情報番組を見るのは、高校の創立記念日か、祝日ぐらいの日しか見ることがないから、なんか新鮮。興奮と罪悪感が入り交じった感じの気持ちくらい新鮮。
へぇ〜、この番組の最後のコーナー新しく変わってたんだ。
『簡単に出来る魔法練習術! 〜you can magic〜』
……うん、魔法っていう字はもう慣れたな。てか、you can do it感覚でそういうんだな。初耳であり初見だよ。
……待てよ? 簡単に出来るって言うなら、昨日まで、魔法がこの現実に存在するなんて知らなかった自分も出来てしまうということか? いや、せめて何かしらの魔法道具的なものは必要だろ。例えば、杖とか、魔導書的なものとかさ。今朝の自分の部屋を思い出してみても、それらしいものは無かったしな……。よくものを散らかすタイプの僕のことだ。分かりづらいとこに埋蔵されてしまっているんだろ。……結局はこの情報番組自分には役に立たずってとこか。
その考えも束の間。
『魔法というのは、想像力とメンタルが大切なんです。そこで今日は、それを鍛えるトレーニングをしてみましょう。もしかしたら、画面の前の皆さんも出来てしまうかもしれませんよ? それでは行ってみましょう』
……違った。予想と全く違った。杖とか魔導書とか魔法道具的なもの要らないんかい! でも、思い出して見れば、今朝お母さんは無言で布団片付けてた(魔法)しなぁ。そもそも、魔法ってそういうもんなのかな?
とりあえず、百聞は一見にしかず、テレビの指示通りにやってみよう。
『一.対象のものを浮かせる魔法の訓練をするために、消しゴム等の小さくて軽いものを用意しましょう』
偶然にも、近くに消しゴムはない。偶然以前に、そもそもリビングに消しゴムってあるものなのか? むぅ……仕方がない、ここは自分が一肌脱ごう。自分は上に来ていたシャツを脱いで、そして置いた。色を放つテレビに微かに映る上半身全裸の僕に、その前に置かれた少し暖かいシャツ。……心無しか誰かから、冷たい視線を送られてる気がする。なんだか寒く感じてきたから、シャツを着ておこう。やっぱり消しゴム取りに行くしかないか……ってあれ? ソファの下になんか隠れてない? ……もしやG(例のヤツ)!? ……にしても白!
よく見たら、消しゴムだった。なんでこんな所に? 探してたには、探していたけれどさ。消しゴムケースの所をよくよく見てみると、『あずさ♡』と書かれていた。梓のやつ、今朝のドタバタで消しゴム忘れていってしまったんだな。梓には悪いけれど、今だけはこの消しゴムを使わせてもらおう。……名前の後ろにハートマークつけるんだな、あいつ。
『二.自分の前に浮かせる対象のものを置いて、瞼を閉じて浮いている姿を想像してみてください。そして、力強く、心の中で「浮け!」と念じるのです。もしかしたら、いきなり成功する人がいるかもしれませんが、最初は成功しないものです。地道に練習していくことが、魔法を学ぶ上での第一歩です。慣れてくれば、簡単に浮かせることが出来ると思いますし、その頃には他の魔法も使いこなせるようになっているかも知れませんね!』
気持ち的に座禅でした方が成功しやすい(そんな実験結果は未だ得られていない)、と思ったのでこれでしてみることにした。心の中で力強く念じる。
浮かべ……! 浮かべ……! 浮かべ!!
直後、発砲音が鳴り響いて、驚いて辺りを見渡す。ふと見上げると、穴が空いていた。消しゴムの形に綺麗に、天井に。
違うじゃん、これは違うじゃん。想像してるものと丸っきし違うよ。
自分の事前情報と噛み違いが発生してしまっている、緊急事態だ。お母さんは魔法が上手的なことを言っていなかったか? これはもう、上手を乗り越えて下手だぞ。しかも、一番最悪のパターンだよ。暴走タイプ。いっその事、浮かばない方が良かったんじゃないのか?
いや、今心配するべき事はそこじゃない。魔法が上手下手問題で無く、空いた天井をどうするかどうかだ。待てよ? 魔法が存在するならば、この現実に魔法が実物として存在するならば、この破れた天井を直すことも可能なのでは? でも、さっきの事があったからな。さっきの事があったから今があるんだけれど。とりあえず、ものは試しだ。さっきよりも弱く、弱く念じて。
……天井よ、直れ……直れ……!!
結果確認の為、天井を見る。おぉ! 天井直ってる! 直ってるけど……色が違う! しかも重要な所を何故か無駄なコストカットしてしまっているから、品質がダダ下がりしてる! ショボイ! 凄い脆そう!
しかし、これで分かったことがある。
僕は魔法を使える。でも、下手だ。単に下手くそだ。いや、上手過ぎゆえの下手なのかもしれない。……それって普通に下手なんじゃないのか!?
うん、まあ、どうにかなるかな。そう思っておこ、心の重みを軽くするために。そうでもしないと発狂しちゃいそうだからな。
……天井は自力で直しておこ。