七
大神家へ行った翌日の日曜日、風間はビジネスホテルをチェックアウトして郷土史料館へ行き、館内の資料やあきらの家から持ってきた古文書を見ながら郷土史の編纂作業を行った。夕方近くまで作業を続け、駅の向こう側にある村長が院長を務める総合病院へと向かった。そこは200床ほどの中規模な地元密着型の医療施設で、産婦人科や小児科もあった。日曜日でも急患を受け付けているらしく、子供連れやおなかの大きな女性が何人もロビーで順番待ちをしていた。風間が受付の女性事務員にあいさつをすると、話がついていたようで、すぐに3階の院長室へ案内された。おとといも訪問しているので、顔を覚えてくれていたみたいだ。
トントン。
「院長、ライターの風間さまです。郷土史の件で……」
「ああ、どうぞ」
部屋の奥から返事が聞こえた。風間は事務員にお礼を言うと、一礼して中へ入った。
「村長、失礼いたします。東京に帰る前に細かい打ち合わせをと思いまして」
「ああ! すいませんねえ」
奥の机に座っていた七十絡みの村長兼院長が席を立ってこちらに移動してきた。
「ああ! どうぞお構いなく! ぼくがそちらの机に向かいますから!」
風間は恐縮して院長に着席を促した。
「いいや、いいや! わざわざ東京から来ていただいたのに、ふんぞり返っているわけにはいきませんよ」
院長は快活にそう述べると、軽いフットワークで風間の前までやってきた。ふっくらとした好々爺で、いかにも院長先生という風貌だ。すべてが丸で構成された容貌から繰り出されるその笑顔は、信頼と安らぎを提供してくれている。
トントン。
「お茶をお持ちしました」
「ありがとう。そこに置いといてよ」
「はい」
再びノックをして、さっきの事務員がお茶とお茶菓子を置いていった。
「どうぞ、お座りください。お茶を飲みましょう」
「はい」
風間は勧められて目の前にある長椅子に腰掛けた。向かいのソファに座りながら、院長が茶をすすめてきた。風間は礼を言い、院長と向かい合わせになって茶を啜った。
「どうです? うまくまとまりそうですか?」
「はい。大方の原稿は出来上がりました。見本通りでよろしければ、サンプルを作って今週末にお持ち致します。その際に補足する箇所や削る部分をお教えください」
「予算内であれば、すべて風間さんにお任せしますよ。そんな大げさな本を作ろうとはしていませんので。この村の人たちは、自分たちの歴史にぜんぜん興味がないんです。村役場に史料館を作ったって、人なんぞ来やしませんよ」
「どこもそんなものです。でも、学校の授業や自由研究には使用してもらえますから、のちのち重宝がられると思いますよ」
「わたしは元々は九州の出で、この病院へは婿養子で入ったんです。妻は生まれも育ちもこの村で、この病院のひとり娘で、もう引退していますが看護婦長をやっておりました。わたしは外部から来た人間なので、この村の歴史を詳しく知りたいと思っていますが、妻や子供たちはまったく関心がないんです。いまのうちに形あるものとして残しておかなければ、都市開発が進んでどんどん風化されていってしまいます」
「ええ。ぼくもそれを危惧しています。どんな小さな石の地蔵にも、歴史と背景が備わっていますからね」
「それから……大神家の事件だけは伏せておいてもらいたいのですが」
「はい。最初からそのつもりです。村の歴史とは直接関係がありませんので。こちらに概要をまとめておきました。目だけ通していただけますか?」
風間はノートパソコンを開き、画面を院長に向けて説明をはじめた。大体のイメージをこのように形にして見せておけば、サンプルを持っていったときに細かい文章の指摘だけで済ませてもらえる。風間は文明の利器を大いに活用し、空いた時間は探偵稼業のようなボランティアに頭を突っ込む生活を送っていた。
「よく出来ていますね。さすが、慣れていらっしゃる。そうです、こんな感じの郷土史を作りたかったんです。写真も効果的に使われていますね。この内容で大丈夫です。ずいぶんと細かく調べていただけたようで、助かりました」
「大神さんのお宅にお邪魔して、資料をお借りしたんです」
「大神家に行かれたんですか? あの一族は大昔、神主だったみたいですよ」
「え? 神主?」
「ええ。ここの村人はすべて、大神家の神社の氏子だったそうです」
「大神家は神社だったのですか?」
「ええ、大神家の周囲にあるのは鎮守の森で、前の道は参道だったらしいです。鳥居もあったと聞いています。だからあそこら辺一帯は、森の手入れがされていないんです。へたなことをすると大神家の祟りがうつると村人が恐れて。あのままでは森のためによくないので、村で買い上げて管理していく予定です」
「そうでしたか……」
「それにしても、この資料は本当によく出来ていますね。とてもわかりやすい! 丁寧でいい仕事をなさりますね。しおりや冊子もお願いできますか?」
「それでしたら、地元の学生さんたちに頼んだほうがよろしいかと。村の活性化にもつながりますし、自分のルーツに興味を持たせる良い機会になると思われます。いかがでしょうか?」
「言われてみれば、若者と年寄りが交流できるいいチャンスになりますね。では、さっそく教育委員会に相談してみます」
「優秀な学生に挿絵を描いてもらうのも、いいかもしれませんよ?」
「絵や書ならそれこそ、大神家の息子さんが有名ですよ。あそこは代々出来がものすごく良いんです。容姿も飛び抜けていますし。息子さんは村1番の秀才でもあるんですよ」
「そうでしたか……どおりで、話してみてずいぶんと聡い子だなと思いましたよ」
「大神家の息子は、いろんな意味で大人びてますよ。寿命が短いからだと、口さがない連中がうわさしています」
風間は丁寧に礼を述べて病院を辞した。ずいぶんと話し込んでしまったみたいだ。病院の表玄関を出たときには、すでにたそがれどきだった。
風間は大神家が神社だっという事実をどうしても確認したくて、その場であきらに電話を掛けた。
『はい、もしもし? 風間さん?』
「あきらくん? ゆうべはどうもありがとう。お母さまにもよろしくね。昨夜、持ち出した資料は必ず土曜日に返しに行きますから。ところで、今の時間は大丈夫かな? 受験勉強の真最中だった?」
『いいえ。タマと散歩してました。なんでしょうか?』
「ぶしつけで申し訳ないが、あきらくんの家が昔、神社だったというのは本当かい? ぼくの見た資料には記載がなかったから……」
『ええ、そうですよ。江戸時代は祈祷所もあったそうです。だから祠があるんです』
「祠だって? それは、どこに?」
『昨夜、風間さんがおかっぱボブの女を見たところです』
「ああ、あの大きな樹のところ?」
『はい、クスノキの下なんですが……さっき見たら、祠の前の土が堀り返してあったんです』
「土が? そこには、何か埋まっていたのかい?」
『……そういえば! 子供の頃に、石が埋めてあるからここは絶対に掘るなと祖母に言われたことがあります』
「なんの石か、わかるかい?」
『わかりません……でも、そんな石なんてどうするんでしょう? 誰が、何のために? 優子がそんなことするわけないと思いますが……』
「昨日のおかっぱボブの彼女? そうだね。女子高生がそんなことをするわけないか……」
『お役に立てなくて申し訳ありません』
「そんなことないよ! こちらこそ、ごめんね。じゃあ、また土曜日に行かせてもらうね。うちに泊まる準備をしておいてよ!」
『わかりました。母には言い忘れたので、まだ了解を取っていませんが、大丈夫だと思います。よろしくお願いします』
「うん、いろいろどうもありがとう。じゃあ、また週末に!」
『はい、楽しみにしてます!』
風間はなんだか、嫌な予感がした。祠の前に埋まっていた石は、なぜ掘り返されたのだろう? これから1週間は、あきらくんのことを最優先に考えて行動してあげよう。さあ行くかと薄暗がりの中を駅へ向かうと、改札から出て来た人物に声を掛けられた。
「風間さん!」
あきらくんのお母さんだった。強い香水の匂いが漂ってくる。白髪交じりの眼鏡をかけた初老の男性と一緒だった。あれ? あの人はたしか、村長の病院の事務長さんだ。
「先に店へ行ってる」
彼はあきらくんのお母さんにそれだけ言うと、そそくさと宵に紛れて行ってしまった。バツが悪かったのかな?
「大神さん、こんばんは。ゆうべはお留守にお邪魔してどうもすみませんでした。お寿司をごちそうさまでした」
ぼくは昨日の礼を述べた。
「いいえ。あれはいただきものですから! 本当はわたしの手料理をと言いたいところなんですが、あいにくそちらは大の苦手なんです。もう、東京へ帰られるんですか? いつの間にか、こんなに暗いわ。トワイライト。うちのお店が開く時間帯ですものね。すっかり遅くなっちゃった。早くお店を開けないと、お客さんたちが待ってるわ!」
あきらくんの母親は客商売をしているだけあって、明るくて話しやすい女性だった。
「そうですね。たそがれどきです。お宅のお店はなぜこの名前に?」
「ママが黄昏族に憧れてたんですって! 歳を感じるでしょう? あのお店、すっごく古いんですよ。ところで風間さん、今日は病院に寄ってらしたんでしょう?」
「ぼくの行き先をよくご存知ですね?」
「ええ。知り合いから聞いて……ちょっと、ね?」
あきらくんのお母さんが、小首を傾げてかわいらしい仕草をした。まともに目が合ったせいだろうか。幼い頃に見えたあの真っ黒な輪っかが一瞬、彼女の周りに見えたような気がした。おかしい。あの輪は、今はまったく見えないはずだ。そんな、まさか。あきらくんのお母さんの身に何か? 彼女が着ている真っ赤なワンピースのせいだろうか。行者さんの着物と同じ、真っ赤な色。
「どうかされましたか?」
「え? ああ、いえ……さっきの彼に聞いたんですか? 村長の病院の事務長さんですよね」
「ふふ、そうなんです。風間さんのうわさをしてたんですよ? 東京の男性はなんであんなにかっこいいんだろうってね? くしゃみが出て止まらなかったんじゃないかしら?」
「ハハハハ、それはどうも。あ! そうだ! 土曜日にもう1度ここへ来る予定なのですが、あきらくんを東京のぼくの実家に泊めてあげてもよろしいでしょうか? もちろん、法事が終わったあとで」
「まあ! こちらこそ! あきら、喜んでたでしょう? あの子ずっと東京に憧れてたんですよ!」
「お母様のご了承が得られたのなら安心です。ではまた、土曜日に迎えに参りますので」
「たのしみにお待ちしております。よろしければ、お店にも寄っていらしてくださいね」
「はい。ありがとうございます。それでは、失礼いたします」
「おつかれさまでした。あきらがお世話になりました」
あきらくんのお母さんは薄暗闇のなかで、ぼくが改札から見えなくなるまで真っ赤なワンピースの袖を振り続けてくれた。良い人たちのいる村だ。みんなの命を守りたい。
『人の運命にゃーほんまは介入せん方がええんじゃ。運命を変えるこたーできん。たとえ寄り道をしたとしても、時はぜってー元の道を求める。逆ろーてはおえんんじゃ。圧力が増すからな』
風間の脳裏を、行者さんの口癖が一瞬よぎった。




