のぞく男
【のぞく男】
郷土史ライター風間圭は、喫茶店で相席した男から奇妙な話を聴いた。
「自分が居た? のぞいた先にですか?」
「ええ。そうです」
ぼくは今、寂れた喫茶店でお茶を飲んでいる。取材の帰りに喉が渇いたので、路地裏にあるこの店にたまたま寄ったのだ。あいにく、席はいっぱいだった。見知らぬ男が相席してくれた。四十前後の白髪頭の男で、特徴のない平凡な容姿をしていた。
男はぼくに不思議な話をはじめた。
3ヶ月前、アパートの隣の部屋に誰かが入居してきた。壁の隙間から覗いてみると、なんと自分が居たというのだ。いまどき隣の部屋との境に隙間があるというのもおかしな話だが、男は大真面目に話している。妄想にとらわれたおかしな人間という感じでもなかった。
「そんなバカな……それで、どうしたんですか?」
「どうもこうも、びっくりしてひっくり返っちゃいましたよ。翌日の朝、男が出勤するところを窓からのぞいてみたら、やはりわたしでした」
「あなたは……双子なんですか?」
「ちがいますよ! 仮に自分の知らないところで兄弟がいたにせよ、あんなに瓜二つなわけがありません。それにその男、わたしと同じ背広を着ていたんですよ!」
「……白昼夢のようなモノではないんですか?」
「いいえ。その証拠に、わたしは彼の恋人と寝たんです」
「ええー! 彼女は恋人とあなたの区別がつかないんですか?」
「みたいです。わたしは隣人の生活をのぞいているうちに、彼の恋人を好きになってしまいました。ですから、彼女が隣人とわたしを間違えたことを幸いに、そういう関係になってしまったのです」
「でも……部屋は違うわけですよね? いくらなんでも、彼女だって部屋を間違えたことには気が付いていたでしょう?」
「それが……彼の部屋とわたしの部屋はまったく同じなんです」
「へえ……」
段々と気味が悪くなってきた。のぞきだけでも罪なのに、部屋まで似せたのか? だとしたら、目の前のこの男は、隣人かその彼女のストーカーかもしれない。
「すみません、急用を思い出したので、すぐに行かないと……」
コーヒーを半分残したまま、席を立った。
「あの……わたしのそっくりさんに会ったら、指輪の注文書はソファの下に落ちていると伝えてくれませんか?」
「指輪? はあ……」
これ以上は関わり合いになりたくないので、お勘定をしてすぐに店を出た。ソファの下? 何を言っているんだか。
ところが後日、ぼくは彼にそっくりな男に出会ったのだ。
仕事で神奈川県のある駅に降り立った。
あの男が駅前でチラシを配っていたのだ! 避けようと方向転換したのだが、それより早く彼が近づいて来てしまった。
「あの……」
ぼくは焦った。
「わたしの恋人が1ヶ月前から行方不明なんです。この女性なんですが、知りませんか? アパートからいなくなってしまって……」
彼はぼくがわからないようだった。手に持ったチラシを1枚、こちらに寄こした。
その印刷物には、長い髪の女性の写真が載っていた。
「あの……あなたと先日、喫茶店で同席しましたよね?」
「え? あなたとですか? それはいつどこで、ですか?」
「えーと……1週間前の金曜日、渋谷で午後の3時ごろです」
「わたしは昼間は仕事をしているので、喫茶店には行きません。それに、職場は神奈川県です」
「そうなんですか? ぼくは、あなたによく似た男とお茶を飲みましたよ」
「なんですって! ちょっと、こっちに来てくださいませんか?」
駅前にあったコンビニの駐車場まで連れて行かれた。
「わたしの話を聴いてもらえますか? 実は……」
男が語りはじめた。
3ヶ月前、あるアパートに引越した。そこは築五十年以上の古い建物で、あちこち隙間だらけだった。そのアパートに住んでから毎日、視線を感じるようになった。それは夜、部屋に帰ってから朝、仕事に出掛けるまでずっと続いた。しまいには、仕事中や電車での移動中も視線を感じるようになった。さすがにおかしいと思い、監視カメラを取り付けた。1週間撮影したが何も映っていなかった。2ヶ月後、恋人が居なくなった。恋人はそのまま行方不明になり、捜索願を出しても見つからなかった。何がなんだかわからなくなり、男はノイローゼのようになっていった。
「ある日わたしは、壁の隙間からのぞく目を発見してしまったのです! 隣の部屋へ行って見ると……わたしをのぞいていたのは、わたし自身だったのです!」
気味が悪くなってきた。彼はもしかしたら、二重人格というヤツなのかもしれない。目の前の彼は、喫茶店で話した男にそっくりだった。彼が彼でないと言うなら、誰だと言うのだろうか。
「ぼくにはよく、わかりません。それと……ぼくが喫茶店で会った人とあなたは……まったくの別人でした。ごめんなさい。人違いでした」
「待って! 何か知っているのなら、教えてくれませんか!」
そのとき、彼が1週間前、去り際に言った言葉を思い出した。
「あの……指輪の注文書は、ソファの下に落ちているそうです」
「え? そうですか……わかりました。見つからなくて困っていたんです」
彼はニッコリと微笑み、ゴミ箱にチラシをぜんぶ捨てると、どこかへ行ってしまった。
ぼくは唖然として、その場に取り残された。
――翌日。
神奈川県の雑木林から、若い女の死体が見つかった。死後1ヵ月が経過していた。死体は土の中に埋められていた。散策中の男性がぐうぜん発見した。
犯人は女と同棲していた40歳の男で、別れ話のもつれから殺したと見られている。殺された女の薬指には、男が宝石店から受け取ったエンゲージリングがはめられていた。男は同じ指輪をはめて自殺していた。
新聞に載っている写真を見た。殺された女性は、ぼくが男にもらったチラシに載っていた女性だ。犯人は、あの男だった。
「それで? 圭、たしかに気味が悪いけど、この話のどこがそんなに不思議なの? ストーカーの妄想話でしょ?」
「この話の不思議なところは、男が宝石店から指輪を受け取った直後にアパートで自殺したってところだよ。男には雑木林に行って女の死体を掘り返し、指輪をはめる時間はなかった」
「そうなの? だったら……誰かが男の代わりに殺された女性に指輪をはめたんじゃない? 共犯者はいたの?」
「単独犯だ。死体は発見されるまで、掘り返された形跡はない」
「じゃあ……女がはめていた指輪と同じ指輪を、男が注文していたってことじゃない?」
「いや、指輪は手作りの特注品で1点物だ。この世に2つとない代物なんだ」
「だったら……指輪が勝手に飛んでいって、恋人の指に収まったんじゃない? 馬鹿馬鹿しい! また、あんたのお得意の幽霊話なの?」
瞳は若干、イライラしながら答えた。
この、歳の離れた弟は一体全体、なんだってこんなおかしな話をわたしに聴かせるのだろう?
「そうとも言えないんだ……実は、この話には後日談があってね……」
男にチラシをもらった翌週、もう1度仕事で、神奈川県のあの駅へ降り立った。ある家を訪ねてくれと、依頼があったからだ。偶然にもその家の主は、あの男のアパートの大家だった。男のアパートは取り壊し寸前の旧い建物で、住民は自殺した男だけだった。男は仕事にもきちんと通い、かわいい恋人もいた。10年間住んでいたが、家賃が滞ったことは1度もなかった。
ある日、契約の件で話があったのでアパートを訪ねた。彼の部屋の隣のドアが半開きだったので、のぞいてみた。男が壁の隙間から、自分の部屋をのぞいていた。見てはいけないものを見てしまったような気がして、黙ってドアを閉めた。ところがその直後、男の部屋から男が出てきたのだ! 大家はビックリして、もう1度、隣の部屋のドアを開けてみた。果たしてそこには、男がいた! 壁の隙間から隣の部屋をのぞいている。振り返ると、男が階段を降りていくところだった。
それから何度も、そのようなことが続いた。男が2人いるのだ! 男が一方的に、もう1人の男をのぞいていた。大家は好奇心に駆られ、男の部屋をのぞく男を、何度ものぞきに行った。そうこうしているうちに、今回の痛ましい事件が起きてしまったのだ。
「なによ、それ! やっぱり、怪談話じゃない。自分のドッペルゲンガーを見るならわかるけど、どうして大家と圭は、他人の分身を見なくちゃならなかったわけ?」
「姉さんもだいぶ、心霊現象に詳しくなったみたいだね。そうだよ。ぼくは赤の他人のドッペルゲンガーを見てしまったんだ。しかも2人も」
「2人? 今の話の中に、アパートの男のドッペルゲンガーは1人しか出てこないわよ?」
「実は……その大家というのが、男にそっくりなんだ。声から仕草から着ているのものまで全部」
「なんですって! どういうことよ!」
「さっきの事件だけど……女性の死体の第一発見者の男性は、その大家なんだ。彼はアパートの男に指輪を託され、雑木林に行って死体を掘り返し、女に指輪をはめた。その後、警察に通報したと言っていた」
「じゃあ……指輪は第一発見者の大家がはめたのね? でも……なんで? しかも大家は、犯人のドッペルゲンガーだった? ややこしいわね!」
「自分たちの婚約を世間に知らしめたかったと言っていた。現実では、女が男との結婚を嫌がり、別れようとして殺されたらしい」
「自殺した男と大家が同一人物だったのなら、近所の人が気がつくでしょう?」
「いや、気がつかないよ。だって、ぼくが訪ねて行った家は空き家だ。ぼくは遺族の依頼で、亡くなった大家の家へ古文書を探しに行ったんだ。合鍵を持たされてね」
「どういうことなの……」
「大家は死体を発見した翌日、事故で亡くなったんだ」
「それで? そのあと……圭はどうしたの?」
「どうもしないよ。男に、一緒にアパートへ行って隙間から中をのぞきませんかと誘われたけど、断った」
「なんで?」
「ぼくもその男の、ドッペルゲンガーにされては堪らないからね」
「どういうこと?」
「そういう妖怪がいるんだ。相手に付きまとい、自分に興味を持たせる。最終的にこちらをのぞかせて、自分に取り込んでしまうんだ。取り込まれた人間は死んでしまう。だから自分が見られていると感じでも、そのことに興味を持ってはいけないんだ」
「そうなの? でも……本当にストーカーみたいな危険人物だったらどうするのよ。早目に対処すべきじゃない?」
「それとこれとは別だろ? のぞいているのは、自分にそっくりな妖怪なんだから!」
「圭……あんたのうしろから……」
「え! 姉さん、やめろよ!」
「フフ……うそよ! あんたが気味の悪い話をするから、お返し!」
「なんだよ……あ! 電話だ!」
仕事の電話が入り、圭はすぐに出掛けていった。
――だが、すぐに戻ってきた。
「ただいまー!」
「あれ……圭? 今、出掛けたばかりじゃないの?」
「なに、言ってんだよ! 朝早く仕事に行って、今やっと帰ってきたところだぜ。ぼくのドッペルゲンガーでも見た?」
「ドッベル……さっきまで一緒に居た男って……圭じゃなかったの? もしかして……わたしにも霊感ある? ……早く手を洗ってらっしゃい。お茶でもいれるわ」
「うん、ありがと」
「まさか圭……のぞいた?」
「なにを?」
「なんでもない……」
(おわり)




