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音がする  作者: M38
神託
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31/38

七

 ガタンッ!


 

 戸の開く音がした。ぼくは振り返った。戸の外に安夫さんがいる!

 いそいでそちらに、駆け出そうとした。

 だが、体を動かすことがまったく出来ない!


「おまえを道連れにしてやる!」


 ぼくの首に、細い女の指が掛かった! 女とは思えないほどの強い力だ! 

 頚動脈が締まりはじめた。目の前がチカチカしてきて、真っ白な世界が拡がりはじめた。息ができない!



――気が遠くなりはじめた、ちょうどそのとき。


「それはやめてくれ。まだ、来てもらっては困る」



 御先祖様の声が、祈祷所に響き渡った。

 安夫さんが居た場所に、いつの間にか御先祖様が立っている!

 腕にニワトリを抱えていた。



『コケコッコー!』



 その鶏が一声(ヒトコエ)、大きく鳴いた。

 ぼくの記憶は、そこで途切れた。




「風間さん! 風間さん! 大丈夫じゃろうか!」

「え? 宮司さん……ケホ、ケホ……ケホ、ケホ……安夫さんは?」

「戸が開いてたんじゃ。今、秦野さんがそてー探しに行った」

「ええ! 大変だ! ぼくも行きます!」


 ぼくは宮司さんと祈祷所の外へ走り出た。夜明け前で、まだ暗かった。


「安夫さーん! 安夫さーん!」

「秦野さん! 秦野安夫さーん!」


 どこにもいない。母屋から安夫の叔父夫婦がやってきた。


「敷地内はすべて探したが、安夫はいねー。あたー屋敷の外じゃ。うちはちかまーりを見てくる」


 安夫の叔父夫婦は近所を見てくると走り去った。


「では、おれは裏山を探するんじゃ。風間さんは、港の方に行ってみてつかあさい」


 宮司が裏山へ向かって走り去った。ぼくは反対方向の海へ向かった。薄暗い中、港へ向かう坂道を駆け足で下った。運動神経の悪いぼくは何度も転びそうになりながら、やっとの思いで港へ到着した。だが、安夫さんらしき姿はどこにもない。

 そのとき沖から、明かりをつけた漁船がやってきた。こんな時間に港に戻ってくるとは、イカ釣りの漁船だろうか? だが、船はそれ一艘しかやってこない。舳先に大柄な男が立っていた。背広を着ている。通勤客が乗っているのか? だが、よく見るとそれは白木の箱を持った塩岡先輩だった!


「先輩! 塩岡先輩! 風間です!」

「……風間くん? 秦野さんが乗ってるんだ! 今、そちらに着けるから!」

「え? 安夫さんが?」


 船は、あっという間にぼくの立つ船着場へ接岸した。小さな古い漁船だった。

 中から、体を毛布にくるんだ安夫さんが出て来た。寒さに震えている。憔悴しきっているが特に怪我はなさそうだ。


「風間くん! すぐに彼の家に連絡してあげて!」

「はい!」


 ぼくはいそいで電話で安夫の叔父と連絡を取った。すぐに安夫の叔父夫婦が、宮司と共にやってきた。


「安夫! よかった! どうしたんだ! 震えとるじゃねーか!」


 安夫の叔父が、うれしそうに安夫さんに飛び付いた!


「せーが……気がついたら海で溺れていて。こちらの船の方たちに助けとっただきたんじゃ」


 安夫さんがしっかりと答えた。


「安夫を助けてつかあさった方じゃのー? なんとお礼を言うてええのか……どうもありがとうじゃった」


 安夫の叔父が、塩岡先輩に何度も頭を下げている。


「ありがとうじゃった。おれからも礼を言おるで。秦野さん、はよー戻って安夫さんをぬくめてあげなさい」


 宮司が塩岡先輩にお礼を言うと、安夫の叔父に、安夫さんを連れ帰るように勧めた。


「はい、そうするんじゃ。ほんなら失礼致するんじゃ。みなさん、ほんまにどうもありがとうじゃった。後日、お礼に伺わせてもらうで」


 宮司と安夫の叔父夫婦が、安夫さんを両脇から支えながら、うれしそうに帰っていった。



「いったい……どういうことですか?」

「秦野さんはこの先の、大きな岩の近くで溺れていたんだ。ちょうど通り掛かったから、よかったものの……」

「そうでしたか……先輩、どうもありがとうございました」

「礼なら船長の息子さんに言ってくれ。飛び込んで助けてくれたんだ。岩の上に白木の箱が置いてあったから、持って来た。これが例の……犬の首だよな?」

「え? そうです! この箱に犬の頭蓋骨を入れておいたんです! どうして、ここに……。安夫さんが持ち出したんでしょうか? 全然、気が付きませんでした……」

「陰陽師からもらった札を貼っておいた。このまま四国に戻り、K神社にこの首を納めに行く」

「先輩……折り返しで申し訳ないです……ここまで、どうやって来られたのですか?」

「近所の陰陽師にお札だけもらい、車を飛ばして瀬戸内海の港へ行った。近くの漁師さんの家を訪ね回り、無理を言って船を出してもらったんだ。一刻を争う事態だったから」

「そうでしたか……本当にどうもありがとうございました。先輩にはいつも助けられてばかりで、申し訳ありません」

「暇だから、お節介してるだけだよ。気にしないでくれ。前回、役に立てなかったからずっと気になっていたんだ。また、何かあったら言ってくれ。すぐに飛んで来るから」

「わかりました。そのときはまた、お願い致します」

「そろそろ行くよ。この禍々しい箱を、早く神社に納めたい」

「塩岡先輩、本当にどうもありがとうございました! お気をつけてお帰りください」

「では、また!」


 手を振る塩岡先輩にいつまでも頭を下げ続け、感謝した。


「頭を下げるのはこっちだろ?」

「…………」


 いつの間にか隣に御先祖様が立っていた。


「なんで肝心なときに居てくれないんですか? あなたはニワトリを連れてきただけですよね?」

「この地区は養鶏をやっていないから、探すのが大変だった……隣村まで行ったんだからな! 庭に放しておいたから、返しておいてくれ」

「なんですって! どこから盗んできたんですか?」

「盗んだとは失礼な! とにかく、助けてやったのはわたしだ」

「たしかに……ありがとうございました。でも、すごく危なかったんですよ!」

「我々は人間の世界に関与してはいけないのだ。今回は子孫への特別措置だ」

「そうなんですか……ところで、小夜子の霊は? どうなりましたか?」

「浦上の先祖に懇々と言って聴かせた。当分は悪さをしないだろう」

「そうですか、それはどうも……あれ?」


 御先祖様はもう、目の前から消えていた。勝手な人だ。


 秦野家に戻り、皆と安夫さんの無事を喜んだ。安夫さんは元気で熱も下がっていた。彼は寝込んでいる間中、ずっと小夜子さんの夢を見ていたそうだ。恋人時代や新婚当時の楽しかったころの夢を。最後に海の向こうに彼女の幻を見て、それを目指して泳いでいるうちに溺れたらしい。


「風間さんの御先祖様は『吉備津の釜』を再現してくださったんじゃのー」


 御先祖様が秦野家の庭に置いていったニワトリを抱え、宮司が感慨深げに言葉を発した。


『吉備津の釜』とは、吉備津の釜の神官の娘が嫁いだ先で不幸な結婚生活の末、怨霊と化して夫を取り殺してしまう上田秋成の名作だ。最後に、怨霊がニセの鶏の声で夫を誘(オビ)き出す。それを逆手に取り、御先祖様がぼくを助けてくれたのだ。1回目の鶏の声は宮司たちが言っていたようにニセ物だったが、2度目は御先祖様が隣村から連れてきた本物のニワトリの声だった。


「風間さん、どうもありがとうじゃった。吉備の御先祖様にもよろしゅーお伝えつかあさい。ニワトリは持ち主にきちんとけーするんじゃ。では、おれはけーにて」


 宮司が港へ向かって歩いていく。息子さんが漁船で迎えに来ているのだ。


「隣村の、世話になったんじゃ」

「ほんまにどうもありがとうじゃった」

「なんと感謝してええか……ありがとうじゃった」


 安夫さんとその叔父夫婦が手を振りながら、何度もお礼を言っている。


「ありがとうございました」


 ぼくも深々と頭を下げ、見送った。宮司さんのお蔭で、ぼくは自分の先祖に会うことが出来た。人の命を救うことも出来た。


 皆で家の中で休んでいると、羽鳥麗子の父親から電話が掛かってきた。麗子が見つかったらしい。東京の元カレの家に隠れていたそうだ。

 安夫との結婚がどうしても嫌だった麗子は、皆に寝ると嘘をついて離れから逃げだした。なんとも人騒がせな話である。ただ、『鳴釜神事』で気を失ったのは演技ではないらしい。そのとき巫女の夢を見てうなされたと、恐ろしげに語っていたという。

 安夫さんと麗子の婚約はその場で解消された。結局、安夫さんの会社は従業員ごと麗子の父親の手に渡った。安夫さんが、これを機に神職に付いて神社を継ぐ決心をしたからだ。


「事業は元々、向いていなかったんじゃ。うちにゃー霊能力があらん。父のように立派な神官にゃーなれんかもしれん。釜が鳴らなかったのに、小夜子と強引に結婚したんじゃ。父が亡くなったばーだっちゅうのに……じゃけど、なんぼー神事を行っても、釜は鳴らなかったじゃろう。あのとき結婚しなかったら、小夜子たーぜってーにつれのーてはなれませんじゃった。小夜子の死はかわいそうじゃったが……彼女と結婚したことを後悔したこたーあらん。一生独身を貫いて、小夜子のために祈り続けたいと思うんじゃ」


 安夫さんの決意は固かった。それだけ、小夜子さんのことを愛しているのだ。怨霊となって安夫さんを取り殺そうとまでした女のことを。



 

 その日のうちに、新幹線で家に帰った。

 帰る前に、皆と一緒に秦野家の畑でキビの種を蒔いた。


 指先からこぼれ落ちる、小さなキビの粒。

 黄金色の実が、太陽の光をキラキラと反射させている。

 その向こう側では、瀬戸内海がキラキラと光輝いていた。


 来年はどうか、釜が鳴りますように。

 思いを込めて、ぼくはキビの種を蒔く。



(キビの種を撒くころ釜が鳴る おわり)

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