第22話 帝都召還 後編 帝国暦243年7月
帝都までの道のりは、その大半が、代わり映えのしない馬車旅だった。宿場ごとに馬を替え、埃っぽい街道を、ただ座って揺られ続ける。国境の駐屯地暮らしが長かったギュンターにとって、これほど何もしない時間を過ごすのは、ひどく間延びした感覚だった。
旅程も終わりに近づいた頃、街道の脇に、見慣れない光景が現れた。数人の男たちが地面を掘り、なんの工事かと思えば、そこから先は二本の鉄の帯が、地面に沿って真っ直ぐ延びている。
「ノヴォグラート駅は、もうすぐです」
御者が振り返って言った。ノヴォグラートは、帝都の北東に位置する衛星都市で、ここから先は、去年開通したばかりの鉄道馬車に乗り継ぐ。
駅と呼ばれる木造の建物の前には、幾両かの箱形の車両が、鉄の帯——軌条というものらしい——の上に停まっていた。数頭立ての馬に牽かれ、なめらかに走るのだと、御者が説明した。
ギュンターは、荷物とともにその車両に乗り込んだ。車輪が軌条を噛む音とともに、動き出す。轍にとられる揺れがなく、これまでの馬車旅とは比べ物にならないほど滑らかだった。窓の外を、帝都の外壁と、その手前に広がる新しい市街が流れていく。
——何年か前、敷設の始まった鉄道馬車に試乗した兵站参謀が騒いでいたのを思い出す。これまでの輜重馬車よりも少ない馬の数で、多くの物資を迅速に運べると。
かつてこの街を離れたときには、こんなものはなかった。なるほど彼が国境に張り付いている間にも、時代は、着実に動いているらしかった。
残り数十キロを、鉄道馬車はものの数時間で踏破した。
七月、帝都は夏の盛りだった。
皇宮の敷居をまたぐのは、少将への昇進以来、六年ぶりのことだった。かつて幾度となく通った回廊も、今はどこか他人の家のように、よそよそしく感じられた。
拝命の儀は、大広間の一角、さほど大仰でもない一室で行われた。列席したのは、陸軍大臣ドミトリー、記録を取る書記官が一人、それに数名の宮廷官吏だけだった。
「あなたを中尉に任じて、二十八年になりますね」
玉座の脇、皇帝エカチェリーナは、儀礼の口上を淡々と述べた。若い頃の記憶にある声より、幾分低く、落ち着いていた。もっとも、記憶自体、もはやおぼろげなものだ。
「陸軍中将に昇進の上、西部軍管区、第二軍団司令に任じます」
書状が差し出される。ギュンターはそれを両手で受け取り、定められた通りの礼を返した。
「謹んで拝命いたします」
皇帝の視線が、一瞬、書状を受け取る彼の手元に留まったような気がした。少将への昇進の折にも、拝謁の列には加わったが、あのときは数人の将官の一人として名を連ねただけだった。こうして直接、名を呼ばれて言葉を賜るのは、ずいぶんと久しぶりだ。
儀の後、応接の間に移された。陸軍大臣ドミトリーが同席した。白髪頭を短く刈り込んだ、初老の男だった。軍服の着こなしにも、身のこなしにも、長年現場を踏んできた者特有の隙のなさが滲んでいる。
「西方は、ここ数年、第二軍団の統率の見直しが急務でな」
前置きもなく、ドミトリーは切り出した。
「前任の書類仕事は、お世辞にも褒められたものではなかった。中将には、まずそこから手をつけてもらう」
「承知しました」
「陛下は、貴官の報告ぶりを買っておられる」ドミトリーは、そう付け加えた。「誇張がない、とな。西方でも、その調子を崩さんことだ」
ギュンターは、その言葉にどう応じたものか分からず、ただ黙って頭を下げた。
エカチェリーナは、その間、ほとんど口を挟まなかった。時折、頷くだけだった。話が実務的な段取りに移ると、彼女は一言だけ付け加えた。
「西部の任、期待しています」
「御意」
退出の際、一礼して顔を上げたとき、ギュンターはふと、皇帝の表情に、何か——うまく言葉にできない、微かな翳りのようなものを見た気がした。だが、それが何なのか、考える手立てはなかった。皇帝の胸の内など、一介の将軍が推し量るものではない。
宮殿を出ると、夏の強い日差しが目を刺した。ギュンターは赴任の準備のため、陸軍省に向かう馬車に乗り込んだ。
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私の元にアナスタシアが飛び込んできたのは、それから三日ほど過ぎた、ある午後のことだった。
「陛下、アナスタ――」
「お姉様!」
侍従の口上を待たず、妹は勢いよく扉を開けた。これほど形式を無視した押し入りは、いつもというわけではない。特に子が生まれてからはずいぶんと落ち着いていたが、今日は例外らしい。
「聞いて。ギュンターに会ったのよ、さっき廊下で」
紅茶のカップを手にしたまま、私は小さく頷いた。
「中将閣下になられたんですって? 軍団長だなんて、ずいぶん立派になって。昔と変わらず、姿勢だけはよくて。ああ、でも背は少し縮んでしまったかしら」
妹の弁舌は止まらない。すれ違いざまに交わした短い挨拶、儀礼の言葉遣いがすっかり板についていたこと、少し白髪が増えたけれど、それがかえって貫禄になっていること——要領を得ない話が、とめどなく続いた。
「お姉様も、拝命の儀ではお会いになったんでしょう。どうだった?」
「型通りの儀式ですよ。それ以上でも、それ以下でもありません」
私はカップを置き、それだけ答えた。噓ではない。少なくとも、言葉にすればそうとしか言いようがない。
だが、あの日のことを思い返すと、まだ少し、指先が落ち着かない。
二十八年になりますね——そう口にしたとき、目の前の男の手元を、私は必要以上に長く見つめていた。書状を受け取る、ただそれだけの所作を。近衛の中尉だった頃の彼と、目の前の中将とを、頭のどこかで、いつまでも重ね合わせようとしていた。
一瞬、彼の目に何かが映ったような気がした。だが、それも一瞬のことだった。彼は深く一礼し、何も気づかぬふうで退出していった。それでいい。それが、正しい。
「お姉様、聞いてる?」
アナスタシアの声に、我に返る。
「聞いていますよ。……ギュンターも、忙しくなるでしょうね。西部軍管区は、色々と立て直しが必要です」
「そうそう、それでね」
妹はまた、聞かれてもいないことを話し始めた。私は微笑みを崩さぬまま、それを聞き流した。
二十八年。
数えてみれば、ずいぶん長い年月だった。少将への昇進のときは、居並ぶ将官たちに向けて型通りの言葉を一度述べただけで、彼一人に向けたものではなかった。今日、初めて、彼一人に——名を呼び、言葉をかけた。それでも、あくまで皇帝としての言葉でしかない。それ以外の言葉は、一度もかけたことがない。それでいて、忘れたことは、一度もなかった。
(困った人ね、あなたは。何十年経っても)
誰に向けた言葉かは、自分でもよく分かっていた。妹の話は、まだ続いている。私は紅茶を、もう一口だけ飲んだ。
了
ストックが尽きましたので、不定期更新に移行します。
ずっと追っていただいていた読者様には申し訳ありませんが、気長にお付き合いいただければと存じます。
還る手帳の方は脱稿済みですので、定期更新を続けてまいります。




