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黒と金の玉座  作者: 吉原タシ


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【R15】序 女が継ぐ国、殿方は添え物

本稿は、ある年に刊行された『東方紀行――帝国滞在記』(著者:エドマンド・フェアウェザー)の一部を抜粋したものである。著者は共和国の商家の三男として生まれ、若くして外交随員として帝国に赴任した人物とされる。原著は共和国内で相応の評判を得て版を重ねたが、その筆致には当時から「学術的記述と個人的感懐の境界が曖昧である」との評があったことを付記しておく。


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帝国暦220年、私は共和国よりの外交随員として、帝都の土を踏んだ。時に皇帝は御年二十三。戴冠たいかんより五年が過ぎ、その治世の評判は帝都の隅々にまで行き渡っていた。


弱冠十八にして即位されたというその若き第十二代皇帝について、帝都の官吏たちは皆、不思議な畏敬——女性に対するものというより、ある種の「油断ならぬ手強さ」に対する畏敬——を込めて語った。


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帝国に足を踏み入れて、まず驚かされたのは、家督というものの継がれ方である。


我が共和国においては、当然のごとく男子がこれを継ぐ。長男なくば次男、それもなくば婿を取る。しかるに帝国では、これがまったく逆しまなのである。家は女性の長子が継ぐ。それが基本であり、慣例であり、誰もこれを不自然とは思っていない。皇帝その人が女性であるという事実も、この国では驚くに値しないものらしかった。


しかし、この継承のかたちは、帝国の建国当初から定まっていたわけではないという。私はこれを、帝都の宮廷史料館で写しを許された年代記から知った。以下に記すのは、その年代記と、宮廷の古老から聞き取った話を、私なりに整理したものである。


帝国は、もとは西方の王国と東方の王国、二つの国であった。当時は言葉も異なったというが、累代の努力の末、その名残は人名や地名に残るのみとなっている。

両国は同君連合として二代にわたり同じ君主をいただいたのち、単一の国家として統合された。帝国暦元年、これが正式に「帝国」と称された年である。


初代皇帝の後を継いだ第二代皇帝には、二人の子があった。第一子は長女アンナ、第二子は弟のアレクセイである。当時の継承の慣わしはまだ、我が共和国とさほど変わらぬものであったらしい。すなわち、男子が優先された。アレクセイは若くして皇太子に立てられた。


ところが、立太子の直後、宮廷を揺るがす事態が発覚する。アレクセイが、皇后と、皇帝ならぬ何者かとの間に生まれた子であることが明らかになったのである。


これがどのように露見したか、年代記は多くを語らない。おそらくは意図的に伏せられているのだろう。ただ、この一件が元老院を真っ二つに割ったことだけは、複数の記録が一致して伝えている。アレクセイの血統を問題にせず立太子を既成事実として押し通そうとする一派と、血統の純潔を盾に廃嫡はいちゃくを主張する一派——両者の政争は、帝国暦四十七年から四十八年にかけて、宮廷を上から下まで巻き込んだという。


結末は、廃嫡であった。アレクセイは皇位継承権を剥奪され、姉のアンナが皇太女に立てられた。


この政争が、単なる後継者交代では終わらなかったところに、帝国という国の面白さがある。


アンナが皇太女となったのち、彼女に生まれた子は女児のみであった。これを契機として——あるいは、これを口実として——帝室は継承法そのものを改めた。アンナより先は、女系の女子を優先する、という条文である。後年「女系女子優先法」と呼び習わされることになるこの法は、皇族のみならず、貴族の家督相続にも同様に及ぼされた。


(血の純潔を盾に廃嫡を叫んだはずの一派が、その舌の根も乾かぬうちに、今度は「母が誰であるかさえ明らかならば、父が誰であるかは些事である」という理屈に転じたというのだから、政治とはまこと不可思議なものだ。)


元老院の反対勢力は、この改革に激しく抵抗したという。だが結局のところ、彼らの牙は静かに抜かれた。改革に強く反対した重鎮たちには、後世の歴史家の言葉を借りるならば「名目化」という処置が下された。実務上の権限を一つ、また一つと剥奪され、代わりに儀礼上の栄誉と席次だけが手厚く残された。反対する理由を、静かに奪われていったのである。以来、元老院は帝国のまつりごとにおいて、実権よりも権威の象徴として機能しているのだと、複数の廷臣が私に語った。


この継承法の成立は、宮廷の勢力図だけでなく、帝国貴族の結婚と男女の関係のありようをも、根底から変えていくことになる。


継承法が「誰が生んだか」のみを問い、「どの男の子として生まれたか」を問わなくなったことの意味は、思いのほか大きかったようである。


私が宮廷の古老から聞いた限りでは、この変化に拍車をかけたのは、もう一つの事情であったという。すなわち、子を成す力を持たぬ男性というものが、稀ならず存在するという事実が、この国ではおぼろげながらも広く認識されていたことである。我が共和国では、婚姻して子に恵まれぬ場合、その責はもっぱら女性の側に帰せられるのが通例だ。しかし帝国では、事情はそう単純ではないと考えられている。血統の父を厳密に定めようとすること自体が、時に空しい試みでしかない——そういう諦観ていかんにも似た知恵が、法の底流にあるように私には思われた。


かくして、帝国貴族の婚姻というものは、我々の目には「あってなきがごとし」に映るものへと、次第に姿を変えていった。政略結婚は今も結ばれる。だがそれは、両家のよしみを通じておく程度の意味しか持たない。夫婦が同居することは稀であり、殊に遠方の家同士であれば、生涯にわたって一度も顔を合わせぬということすら、珍しくないという。私はこれを最初、誇張された俗説であろうと疑っていたが、複数の貴族から同様の証言を得るに至り、疑いを改めざるを得なかった。


家督を継ぐのは女性の長子であるから、貴族の女性たちは若いうちから領地経営の実務に深く携わる。一方、男性たちの向かう先は、おのずと別の道になる。廷臣として宮廷に仕える者、官吏として国政の実務を担う者、軍人として身を立てる者、あるいは商いや事業に精を出す者——家督という一本の道を女性が担う分、男性たちの働き口は、かえって多岐にわたっているようにも見える。これを称して「分業」と呼ぶ貴族もいたが、言い得て妙だと思った。


(学術的記録としての本書の品位に関わるゆえ、これ以上の詳細は慎むべきであろう。……とはいえ、読者諸賢の好奇心を思えば、ごく簡潔に触れておくのも、あながち不誠実とは言えぬかもしれない。)


宮廷や、夜会の催される大きな屋敷には、寝台を備えた休憩室というものがある。求めに応じて、誰もがこれを使ってよいのだという。扉には木札が掛けられ、「くつろぎ中」「寛ぎ済み」の二種で、室の状況を知らせる仕組みになっている。私はある夜会において、実際にこの札が掛け替えられる場面に居合わせたが、周囲の誰一人としてこれに眉一つ動かさぬことに、却って私自身のほうが動揺してしまったことを、正直に告白しておかねばならない。


さらに興味深いのは、意中の相手を誘う際の作法である。相手の身につけている装身具——男であればカフスやタイ、女であればネックレスの類——を褒め、「もっとよく見せて頂けませんか」と問うのが定型なのだという。これに即座に応じる場合は、「ではあちらで」と、二人して連れ立って休憩室へ向かう。都合のつかぬ折には「また後日改めて」と答えるのが礼儀とされ、断るときには「また会う日までお達者で」と応じるのだという。


私はこの一連の作法を、ある夫人から——おそらくは私をからかう意図もあったのだろうが——実演を交えて教わった。学者ぶって聞いていたつもりだが、正直に記せば、聞き終えたときには耳のあたりがいささか熱くなっていたことを、白状しておく。


共和国の読者諸賢には、奇異な、あるいは眉をひそめる話に聞こえるかもしれない。しかし半年ほどこの国に暮らしてみて、私はある一つの感慨に至った。この国の貴族たちは、我々が後生大事に守る建前というものを、いくつも持たない代わりに、驚くほど率直に、そして冷静に、己の家と血の続くことを見つめているのだ、と。


その冷静さの中心に、あの若き皇帝がいる——という話は、また章を改めて記すとしよう。


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お読みいただきありがとうございました。

本作はカクヨムで先行連載中です。続きを気にしていただける方は、そちらもご利用ください。


【カクヨム版】黒と金の玉座

https://kakuyomu.jp/works/2912051604760471681

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