第十四話「おばちゃん、まぁいいかと笑う」
宿の一室が開いた音がした。隣で部屋を取っているヴァレリオが起き出したのだ。
なので、私も部屋を出るべくドアを開けた。――ノックしようとした姿勢のヴァレリオが、赤い目を丸くしていた。
「ヴァレリオ! 知っているか?」
「っ! おはようございます……? 何を、ですか?」
挨拶をしてきた彼に、「おっと、すまんな。おはよう、ヴァレリオ」と返す。
(いかんいかん。彼は目覚めたところなのだから、まずは『おはよう』からだな)
自身は寝ていない――なにせ一度寝てしまうと百年くらい眠ってしまう――ものだから、目覚めの感覚がない。つい朝の挨拶が抜け落ちがちになる。
気をつけねば。
「あ、はい。おはようございます、師匠」
ヴァレリオが笑顔を浮かべる。
毎回思うが、彼の笑った顔は晴れ渡った空のようで心地が良い。いい笑顔だ。
彼が首を傾げ、黒髪が揺れた。
「それで……何のお話でしょうか?」
「む?
おおっ! そうだったそうだった」
忘れてた。
「知ってるか、ヴァレリオ! アカデミーには……学食なるものがあるらしいぞ!」
身を乗り出しながら言うと、ヴァレリオはパチパチと数回目を開閉させ、笑う。
「今日の昼食は学食にしますか?」
「うむ。君がいいなら行ってみたいな。食堂のようなところだと聞いたが、学食ならではのものがあると聞いた」
「そうですね。俺も学校には通ってないので聞いた話ですが、若い人が多いので、腹持ちが良かったり、価格が抑えられたメニューがあるんだとか」
「ほお?
腹持ちや価格が大事……そうか。若い個体の方がよく食べるからか。不思議だなぁ。
私達とは逆だ」
世界から魔力を摂取し続けている私達は、一日に摂取できる最大量が個体ごとに決まっている。その量は年を取れば取るほど増えていく。魔力への耐性が強まり、受け止める器が大きくなるからだ。
「年を取ると食べられなくなるというのは、なんだか……残念だな」
年令を重ねるほどに美味しいものが食べられなくなるのは、とても悲しい。
「えっ? いえ、そうとも限りませんよ!
たしかに食べられる量は減りますが、その分少ない量をじっくりと味わえる……と、俺のじいちゃんなんかは言ってました」
私が落ち込んだからか。ヴァレリオは慌てたように手を振って、そう慰めてくれた。
本当に優しい子だ。
「そうか。ありがとうな」
よしよしと頭を撫でると、ヴァレリオの頬が真っ赤になった。
彼は慌てて一歩下がり、私から離れると気を取り直すように咳払いした。
「とにかく!
帝国アカデミーの学食は、貴族も通うため普段は出ないメニューから、庶民的なものまで幅広いそうですよ」
「ほほお。貴族の料理はまた庶民と違うのか。それを味わえるのは楽しみだな」
いい情報を聞いた。
「今日から知らないことも学べるし、知らない料理も食べられるし、良い日だな」
期待に胸を膨らませて、初登校をした。
学校まで一瞬……一歩でたどり着くこともできるが、あえてのんびり歩く。
なにせ初登校だ! 記念すべき日だ。ゆっくり味わわなければ損だ。
「……む? そういえば、ヴァレリオも学校に通うのは初めてなのだな」
「あ、はい……リンドベルには帝国ほどの場所はないので。
基本的な字の読み書きや計算を学ぶ場はありますが、学校というほどきっちりした場所でもありません。
だからこそ、フィンは帝国に留学したわけです」
「りゅうがく……なるほど。なぜわざわざ国を越えて帝国に行ったのかと思っていたが、そういうことか」
学校と一口に言っても色々あるらしい。
ヴァレリオは苦笑した。
「帝国のアカデミーは大陸随一とも言われています。ですから、エルフや人間族以外の種族も、アカデミー入学を目指して門戸を叩くのです。
本来は、俺みたいなのが入れるところではないですよ」
思い返すと、たしかに受験の際にはエルフや人間族以外の姿も多く見かけたし、教師にも他種族がいた。
「しかし、ヴァレリオはたしか戦闘科の試験に受かっていただろう?」
私は総合学科を選んだが、彼は座学は得意でないからと、実技を重んじる戦闘科を受験し、首席で合格していた。
本来なら私と同じ『体験入学』しなくてもいいのだ。
彼は首を振る。
「俺が受験したのは師匠のそばにいるためであって、アカデミーで学ぶためではありませんから」
と、嬉しいような気恥ずかしいような、プレッシャーのような言葉をかけられ、言葉に詰まる。
「しかし、今のところ師匠らしく君に教えられていることがほとんど無い気がするが」
「そんなことありません!
属性に関してのこともそうですが、師匠の世界の見方そのものが、俺にとっては大きな学びとなってます」
世界の見方。
それはたしかに、過ごす時の長さの違いにより、彼と私では『世界の見方』は大きく異なるだろう。
若者の参考になれているのは嬉しいが、やはり納得はしかねた。
腕を組む。
「とはいえ、それはお互い様だ。
私も君から学ぶことが多い。むしろ、私の方が得ているものが多い気がするぞ。
今回、アカデミーで君にもっと具体的な指導ができるように、私も頑張らねばなぁ」
しみじみ呟くと「え? アカデミーって俺のためだったんですか?」とヴァレリオが目を丸くした。
赤い瞳が明るく輝いている。
「む? そうだな。興味を持ったきっかけは、そこだな。
君たち人間という種族について知らなければ、どこまで……もしくは何を教えたら良いのか分からないからな」
特に人間の体の詳しい仕組みや頑強さ、その限界値について学べるところは学びたい。
「そのついでに他にも色々学べたら嬉しいと思って、総合科を選んだのだが……まさか歴史で躓くとは思わなかった」
試験後、もらった問題用紙と街で買った参考書から答え合わせをしたが、いろいろと間違っていた。
実際に見てきたことと、実際に伝わった内容の違いについての認識が甘かった。
情報というものが人を介するごとに変化することを、すっかり失念していた。
「あと、試験後に思い出したが、たしかに当時の人々に私は『風の竜』と誤解されていたのだ。
説明しようとしたが、竜のハーフというのが彼らには上手く伝わらず、伝えようとしている間に滅んでしまった。
だから『風の竜』と呼ばれていたのは間違いない」
しみじみと呟く。
何度か風と土の血を引いていると言ったが、私が訂正した頃には国中に風の竜として広がっており、私と直接接した者たちは私が風と土の竜だと理解してくれたが、国中の誤解は解けなかった。
だから……まぁいいかと放置していたら、いつの間にか国もなくなっていたのだ。
「……師匠は、それでいいのですか? 間違っているのでしょう?」
ヴァレリオが複雑そうな顔で言うが、私は特に気にならない。
「風の竜でもあるのは間違いないから、不正解でもないしな」
たしかに父から受け継いだ土の部分を認めてもらえない寂しさはあるが、母から受け継いだ風の部分を崇めてくれるのは、それはそれで嬉しかった。
「正解不正解など、人それぞれで異なるものだ。
リンドベルでもそうだったろう? 異種族や異文化があそこには溢れていたのだから」
言うと、ヴァレリオはハッとした顔をする。
リンドベルは、それはもう多様な種族がいて、多様な文化が溢れていた。
ある種族では尊ばれる行動が、他の種族で侮辱となって喧嘩が起きるなどは日常茶飯時で、その妥協点をリンドベルという国や冒険者ギルドが探って間に立っていた。
帝国に来ると、その差は歴然だ。
帝国には、表向きほぼ人間族とエルフしかいない。ほとんどの住人が共通の認識を持って生活している。
もちろん、それでも別々の存在だから諍いはあるが、リンドベルの諍いとはまた雰囲気が違う。
だからおそらく、法律もまた異なるはずだ。
「む、そういえば今日は法律の授業だな。
帝国にはどんなルールがあるのか、楽しみだ」
途中から何か考え込んでいたヴァレリオは、私が笑うとふっと肩の力を抜き、口元を緩めた。
「……そうですね。楽しみですね」
【数十万年生きた竜人族のおばちゃんが、人の世を体験するようです】
第十四話「おばちゃん、まぁいいかと笑う」完
※『おばちゃん竜人族の、人の世体験日記』からタイトルを変更いたしました
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