第三話「おばちゃん、パイが好きになる」
「ほおっ、これは懐かしいな。若い頃、ここの近くを飛んだことがあるぞ」
壁に飾られた絵。それはここから北西に『あった』人の国の城だ。
風の力を上手く生活に取り入れていた者たちで、風車がからからとよく回っていた。その音が心地よく、散歩がてらよく飛びに行ったものだ。
残念ながら、少し昼寝をしている間に、その国は滅んでしまった。
懐かしいなとしみじみ呟くと、息を呑む気配がした。
「これは、本当にあった景色なのですか?」
「ああ……んむ? その口ぶり、この絵を幻想の景色だと思っておったか?」
振り返り、この絵の持ち主であり、ここへ招待してくれた女性に首を傾げる。
女性、セルベーリアは柔らかく微笑みながら、茶を淹れて差し出してくれた。
「この絵は、我が家に代々伝わる家宝の一つです。
神話の時代の絵だと聞いて育ちました。
幼少期から見てきて偽物と感じたことはありませんが……、我ら人間族には途方もない年月ですから」
実感はない、という言葉に……少し考え込む。
こうして対面で会話しているとつい忘れがちになる。たとえ互いに二本の足で立ち、言葉という伝達手段を持っていても、人の子たちと自分は、時の流れが違いすぎることを。
最初に名乗りあった時よりも、先程の自分の一言で明らかに緊張が増したセルベーリアに、目を細めた。
礼を言って茶を受け取って一口飲む。
「すまないな。年を取ると、どうにも昔語りをしてしまう」
「いえ」
セルベーリアは穏やかに首を横に振るが、本来言いたかった何かを、飲み込んだように見えた。
かすかに、彼女の指が震えているのを見て、ふむと考える。
「して、貴殿は『りょうしゅ』と言ったか。グラーゴから聞いたが、この国で一番偉いのだろう?
そんな貴殿が、私のようなしがない旅人に何か用か?」
こちらから聞くと、セルベーリアは息を呑むように「旅人」と囁くように口に出した。
紅が塗られた唇が一瞬キュッと結ばれる。
「旅をされていらっしゃるのですね。
リンドベルには……何の……いえ、グラーゴ様に会いに来られたのでしょうか?」
セルベーリアの瞳がかすかに揺れた。
首を傾げつつ、答える。
「む? そうだな。元は『終の棲家』を探そうと思って里を出たのだが、あまりにも世界が変わっていたものでな。
人の子たちに迷惑をかけるつもりはないから、人の世に詳しいグラーゴを頼ってここに来たのだ。人のことを学ぶためにな」
茶を飲み、出された甘味をしげしげと眺める。
けぇき、とはまた違うものだった。もっと表面がパリパリと乾燥している。だが同時に、テカテカと輝いてもいる。
何事か考え込んでいたセルベーリアが、無意識にそれをフォークに刺して口に入れる様子を観察する。
ただ食べているだけなのに、どこか美しさを感じた。
(ふむ。これが気品というものか)
感心しつつ、彼女を真似て食べようとするが、ぼろぼろと崩れてしまった。難しい。
それでもなんとか口に運ぶ。……けぇきとは違う果物の甘みと香りが口いっぱいに広がる。それと、サクサクという食感も楽しい。
「……ふふ、お口に合いましたか?」
無心で食べていると、セルベーリアに声をかけられた。不思議とその声は先程より緊張が消えている。
首を傾げながら見ると、彼女は自然な笑みを浮かべていた。
柔らかなその笑みは、例えるならば孫を見る祖母のように見えた。
後ろに誰かいるのかと思ったが、この部屋には自分とセルベーリアしか気配がない。
ひとまず飲み込んで、頷く。
「うむ。美味いな。これはなんという甘味だ? けぇきも美味かったが、コレの方が私は好きだな」
「まぁっそれは良かったです。こちらは『パイ』と言いまして、リンゴを使っています」
「りんご……?
……ああ! あの赤くて美味しい木の実か!」
昔、人の子たちが献上してきたものの中に、そんな果物があった。
気に入ったので育てようとしたのだが、竜人族の魔力が影響してしまい、変容してしまった。
(あれはあれで美味かったが、やはりこの『りんご』は美味い)
子供の頃に食べたので、思い出補正もあるかもしれないが。
目の前の甘味に『りんご』が使われていると聞いて、ますます美味しく感じ、フォークが進む。
ぱらぱらぼろぼろと、やっぱり崩れてしまうのがやや難点だ。
なんとかセルベーリアの動きを真似ようとするが、これが難しい。どうして彼女は、あんなにも簡単に美しく食べられるのだろうか。
セルベーリアは、そんな私を見て口元に手を当て、くすくすと美しく笑っていた。
***
「またいつでも来て下さい。とっておきのリンゴとパイを用意しておきます」
最後はパイの残りをおみやげに貰って、グラーゴの店に帰る。
結局、セルベーリアが私を呼んだ本来の理由はわからなかったが、とても楽しそうに笑っていたのでいいのだろう。
「ということで、とてもパイが美味かった」
「……そうか。良かったな」
説明すると、グラーゴは呆れたような顔をしつつ、ため息をつくように頷いた。
「あ、もちろん。ちゃんと当初の目的も達成しているぞ? フェローチェ商会との話し合いの場を設けてくれるそうだ。
そこでこれらを換金すれば、私も人の世で自立できるのだろう?」
いつまでも若者に頼ってばかりもいられない。
「自立かは分からんが、少なくともまともに買い物はできるだろう」
「そうか! それは楽しみだな。
セルベーリアに聞いたが、今は『リル』という通貨が広く使われているらしいな。それを持っていれば大抵の国で困らないと聞いたぞ!
便利だな!」
昔は各国で通貨が異なっていた印象だが、一種類でいいというのは楽でいい。
「今でも各国の通貨や地方通貨はあるがな。大きな街であればリルで通じるし、換金も可能だろう」
「なるほどな。つまり小さな町に行く時は要注意ということか」
ふむふむと頷く。本当に人の世というものは摩訶不思議だ。
「最初に貨幣でやり取りすると聞いた時は、珍妙なものだと思ったが……たしかにこれだけ大勢いると、その方が合理的だな」
竜の里には通貨などないので不思議な感覚だが、人数が多いがゆえの試行錯誤の結果と考えると納得がいく。
「数が多くて賑やかなのは楽しいと単純に思っていたが、多ければ多いなりの苦労があるのだなぁ」
「苦労……そうだな。
我ら竜人族たちよりも、数多の種族がいるからな。
生活環境も歴史も価値観も異なる同士では、いろいろとあるだろう」
「それもそうか。エルフとドワーフなど、昔からあまり仲が良くないしな」
思い返すと、幾度か交流したことある人の子たちは、それぞれ特徴があった。
「む、いかんな。ついつい、皆を『人の子』とまとめてしまいそうになる。
これは直さんとな」
「そうだな。だが、我らに何か言ってくる者たちも、そういないだろうが」
「……竜人族であると言うだけで、あぐらをかくのは、好かん」
むっとして、やや強い口調で言うと、グラーゴは気まずそうに金の目を逸らした。
「別に、我がそれを望んだわけではない」
グラーゴの言葉は、間違いではない。なので、息を吐き出す。
昔から、竜人族であるというだけで、人の子たちから距離を置かれたものだ。
いつからか、それが当たり前になっていたが、それを利用するのはまた別の話だ。
「まったく。無関心なのは構わんが、他者の善意を当たり前と享受するのは止めろと、昔から言っているだろう?」
「……だから、我が望んだわけではない」
つい、昔のように説教臭く言ってしまうと、グラーゴもまた幼い頃のように拗ねた声になったので……、くすくすと笑ってしまった。
懐かしい。
手を伸ばし、グラーゴの頭を撫でる。さらさらとした水色の髪が心地よい。
「くくく、大丈夫、分かっているさ。お前が優しい子であることはな」
「止めろ。我はもう成人している」
「そうだな。では、パイでも一緒に食べるか? 大人なら、もう好き『嫌い』もないだろう?」
不機嫌そうに手を払われたので、笑っておみやげのパイを示す。
グラーゴの目が嫌そうに細められたので、腹を抱えて笑った。
【おばちゃん竜人族の、人の世体験日記】
第三話「おばちゃん、パイが好きになる」完




