09「混ざりもの」
「見えてきた。どうやら店はまだ健在らしいじゃん」
フォークロアが示す先には、古ぼけた木造の建物があった。
店先に看板が下がっており、店名を示すのであろう名前が大きな文字で書かれているが、異世界語に疎いロータローにはそれが何なのか理解できない。しかし、店先に並ぶ瓶や樽から漂うアルコールの香りを嗅げば、そこが酒屋であることはたちまちの内に分かった。店の裏手に目を向けると、別の建物と繋がっており、そこから更に強い酒の匂いがする。工房か何かだろうか。
「ここの酒は格別に美味いんだ。飲めばお前も虜になること間違いなしよ」
「未成年に飲酒を勧めんなよ……いや、この世界にそんな法律はないだろうし、飲んでも大丈夫なのか?」
酒って苦いイメージがあるけど口に合うのかね。
そんなことを考えながら、ワンダーたちの後に続いて店内に這入ろうとしたロータローの腕を、背後から何者かが掴んだ。
「あれ? 店に這入るのは俺が一番最後の筈じゃ……」
見ると、そこには見知らぬ男が居た。
年齢は三十代後半くらいだろうか。頬はこけて、目には隈がくっきりと刻まれている。身長が高い割に肉は少ないため、冬の枯れ木みたいな外見だ。医者や研究者が着る白衣のような服装も、そのような体つきで着ていれば、着ているというよりも体にたまたま引っかかっているようにしか見えない。
不健康や不吉という概念が人の形を取ったみたいな男だ。
「あの、ええと、なにか用すか?」
「あなた、混ざりものの臭いがしますなア」
「はい?」
混ざりもの?
どういうことだ。
ロータローはハーフでもなければ、クォーターでもない。日本人の父と日本人の母から生まれた典型的な日本人だ。もしかしたら自分でも知らない出生の秘密があるという可能性はあるかもしれないが、両親の特徴をしっかり受け継いだ自分の顔を思い出す限りでは、そのような昼ドラめいたドロドロな秘密がある可能性は限りなくゼロに近い。
ロータローが困惑してる間に、枯れ木の男は顔を近づけて、臭いを嗅いだ。
「クンクン……これは何の匂いですかな。あなたという人間が何かと混ざっていることまでは分かるのですが、具体的にそれが何かというと……なぜか懐かしさを感じますな? こんな酒気が濃い場所ではなく、別の場所で嗅げば、もっとはっきりと分かるかもしれませぬ」
男はそう言うと、ロータローの腕をグイと引っ張り、どこかに連れ去ろうとした。思いのほか力が強い。今にも自重で折れそうなくらいに頼りない細さをしているというのに、何処にそんな力があるというのだろう。
「ちょ、え、なんて⁉ もしかしてこれ誘拐⁉ こうやって連れ去られたら、行き先は人身売買のオークション会場でしたってオチか⁉ ぎゃー!」
「ウチの新入りに何してんだ!」
悲鳴を聞きつけたのか、それとも中々店に這入ってこないことを不審に思って戻って来たのかは分からないが、ワンダーが怒鳴り声を上げながら割り込んできた。
彼の悍ましい風貌はローブで隠れているが、その語気だけで並のチンピラならビビって逃げ出しそうな気迫がある。
「ああ、そう言えばお連れの方がおられたのですな。いやあ、すみませぬ。つい学術的興味が暴走してしまいましてな」
だが、怒鳴られた方である枯れ木の男に臆する様子は微塵もなく、先ほどと変わらない態度を見せていた。
「わたくし、なにもこの少年に危害を加えるつもりはこれっぽっちもありませぬ。ただ、彼から香る何か別のものの臭いが気になっただけでしてな。ひょっとすればわたくしの研究に役立つかもしれないので」
「多分そりゃアンデッドの臭いさ。こいつは色々あって、アンデッドと身近な生活をしているからな。臭いが体に染みついてんだよ」
「おや、そうなのですかな」
「あー、それか!」
ワンダーの説明を聞いて、ロータローも成程と納得した。
しかし枯れ木の男は完全には納得がいっていないらしく、「しかしこの臭いは」「それとは違う気も」とブツブツと呟いていたが、やがて観念したらしく、ロータローから手を離した。
「残念ですが、この少年の臭いの正体について、私自身が明確な答えを持っていない以上、ここは諦めるしかないでしょうな。それに……」
枯れ木の男はそこで、視線を動かした。
その先には海上憲兵の基地がある。
「今この場で荒事を起こすと、何かと面倒なことになりそうですしな。仕方ありませぬ。ここは退くとしましょうかな」
そう言って去って行った。
彼の姿が町の群衆に紛れて見えなくなった所で、ようやくロータローの体から緊張が抜ける。
「び、びっくりしたぁ~……」
「ったく、困るぜ新入りよぉ。あんなヒョロヒョロした野郎に連れて行かれたとあっちゃ、笑い話にもならねえぞ」
「ごめんごめん。これからは気を付けるって……」
詫びながら、ワンダーと一緒に店内に這入る。
店先の様子から分かっていたが、結構な数の酒が並んでいた。
ロータローには酒の味も価値も分からないが、酒豪がこの光景を見れば、涎を垂らして大喜びするだろう。
店内には先に行ったツールとスリルとフォークロアが待っており、更にもうひとりの姿も見られた。この店の店主だ。
『彷徨えるシットローズ号』がこの島に着くといつも使っている店、という評判から薄々察してはいたが、店主はワンダー達がアンデッドだということを理解しているらしく、その上で普通の人間を相手にするような態度で接客している。商人の鑑だ。労働から最も遠い位置に立つ引きこもりのロータローには眩しい存在である。
買い物の交渉をしているワンダーたちを横目で見つつ、荷物運びの仕事が未だに来ないロータローは酒瓶が並ぶ棚の前に立った。
「それにしても、なんだよあの枯れ木野郎。俺の臭いがどうこうって……そんなに匂うのか?」
幽霊船で暮らしてたからそんなに気にしなかったが、ゾンビは腐敗で臭いが凄そうだ。案外、自分では気づいていないだけで、今のロータローは結構匂うのかもしれない。船の上では、現代日本のようなバスタブ風呂に入る機会は全くなかったし。
「………うわあ、マジかよ」
ひょっとしたら、昨晩キロリッターから吸血された時に『こいつクサッ!』と思われていたかもしれない。そう考えると、ロータローの中の紳士的な部分がアラートを鳴らした。
「この島に銭湯ってあるのかね。あったとしても入れるかどうかはわからねえけど」
酒の入ったガラス瓶が、ロータローの不安げな表情を反射していた。