04「二度目」
ロータローはキロリッターの部屋を後にしていた。
その足取りは重く、どこかふらついている。あれからキロリッターに血をたっぷり吸われて貧血気味だからというのもあるが、心的なショックによるところも大きい。
まさか異世界に来て真っ先に与えられた役割が、世界を救う勇者とか無敵最強の戦士ではなく、吸血鬼の非常食だなんて。
その吸血鬼が美少女というのは、役得なのかもしれないが……。いや、それにしても輸血パック代わりみたいな役割とはねえ?
血で喉を潤したキロリッター曰く、この船でロータローは彼女に所有権がある『所持品』として扱われ、吸血されるとき以外は部屋の外で、ある程度は自由にしていていいらしい。
ていうか、血を吸ったら用済みとばかりに放り出された。『ずっと一緒にいて』とはなんだったのか。
──おかしい。おかしいぞ。これが俺の異世界ライフ?
とりあえず今は風に当たりたい気分だった。キロリッターに放り出されずとも、あのまま暗い部屋に居続ければ、更に気分が滅入ってしまう。引きこもりが部屋から出たがるだなんて、ロータローの親が知れば泣いて喜びそうな話だ。
そういうわけでロータローは現在、甲板に向かっていた。
しかし、とりあえず船尾の客室を目指せばよかったさっきとは違い、ロータローは甲板に向かう経路どころか船内の構造すらロクに知らない。
どうしたものかと悩んでいると、その時ちょうどセーラー襟に半ズボンの船員とすれ違った。
「あっ、おーい、ちょっといいか?」
ロータローの声に反応し、その船員は振り返る。
ゾンビみたいに青白い肌をしているが、顔立ちと体つきからして、女であることが窺い知れた。ボサボサに荒れた髪をしていて、それを束ねもせずに腰まで伸ばしている。こちらを見る目は爬虫類のようにぎょろついていた。その視線を受け、ロータローの背筋に怖気が走る。
──い、いやいや待て待て。待つんだ、砂塔蝋太郎。まだ乗ってから時間は浅いが、この船で人(?)を見た目で判断するのは愚行の極みだと理解しつつあるじゃないか。
感情豊かな骸骨や、こちらを食料としか思ってない美少女吸血鬼が脳裏を過る。
その前例を踏まえれば、目の前のいかにもバイオでハザードしてそうな彼女が、実はめちゃめちゃ話が通じる可能性だって……!
そんな望みに賭けながら、ロータローは口を開いた。
「ええと、その、ちょっと道を聞きたいんだけど」
「あー?」
長髪の水夫は聞き返すような声を上げると、ロータローに一歩近づいた。怯えていたせいで声が向こうまで届いていなかったのかもしれない。
ロータローは先ほどよりも大きな声を張り上げて、同じセリフを言った。
「ちょっと道を聞きたいんだけど!」
「あー?」
「ちょっと! 道を! 聞きたいんだけど!」
「あー?」
「ちょっとー! 道をー! 聞きたい―! んだけどー!」
「あー?」
「ちょ」
「がぶりっ」
長髪の水夫はロータローの首筋に噛みついた。
「はわわわああああああああああああああああああああああああああああああああああ⁉」
悲鳴を上げるロータロー。貧血気味に加え、何度も叫んだ後だというのに、見事な叫び声だった。
「今回は見た目から予想できる通りの展開かよ!」
キロリッターの時と同じ要領で突き放そうとする。しかし、女の咬合力は凄まじく、ロータローの力ではビクともしなかった。むしろ、時間が経つごとに歯の食い込みが増している気がする。このままでは肉を食いちぎられ、血のスプリンクラーと化すだろう。ぞっとしない予想だ。
「はっ。そうだ! こういうピンチに陥った時こそ、異世界転移で与えられた特典ボーナス的なものが力を発揮するんじゃないか? ……って、そんな都合のいいものがあったら、さっき溺れた時点で発動してるだろ!」
ロータローが言う通り、腕力が突然常人の何十倍にもなったり、聖なる力を帯びた光が溢れ出したりなんてことは全く起きない。その力は相変わらず引きこもり高校生相応のまま。それどころか、キロリッターに血を吸われた分、力が減っている。
「あの女っ! ちょっと美少女で命の恩人だからって、呑みまくりやがって……!」
そんな恨み言を吐いてももう遅い。
そのまま悪戦苦闘を繰り広げていたロータローはあわや敗北しそうになったが、その直前で悲鳴を聞きつけた他の船員たちが駆けつけ、彼らの助力もあって何とか助かった。噛まれていた首筋を指で擦ると滲んだ血が付着しており、それを見たロータローの喉から「ひっ」という声が漏れた。
「だから、食べちゃダメなんだよクサリ。こいつはキロリッターの姉さんの荷物なんだから」
船員のひとりが女を叱っているのを横目で見ながら、「へー、クサリって名前なのか。……あれ? その叱り方だと、俺がキロリッターの所有物じゃなかったら食っても許されてたの?」と思っていると、別の船員が近寄ってきた。
「いやあ、ごめんな。クサリはその、アンデッドにしては元気が過ぎるからよ」
「別に大丈夫だよ。大した怪我はしなかったし、不用意に声を掛けた俺も悪かった。……ところでひとつ聞きたいんだけどさ、もしかしてアンデッドって人を食うのか?」
アンデッド。あるいはゾンビやスケルトンと言った方がいいか。
映画のようなフィクションの世界では往々にして人を襲って食らう怪物だ。もしこの世界のアンデッドも、そのイメージ通りの存在なら、ロータローはライオンの檻の中に放り込まれた肉のようなものになるのだけど……。いや、キロリッターの非常食になった時点で、殆どそうなっているようなものか?
「いやあ、そんなことはねえよ。アンデッドだって元人間だしな。普通の食事の方が舌に合うよ」
「そうなのか。……あっ、そういえばこの船にも厨房はあるんだったな」
溺れていた時に船員たちとキャプテンが交わしていた会話を思い出すロータロー。
じゃあなんでクサリはロータローに襲い掛かったのだろう?
「クサリは元々は別の船で航海士をしていたんだけど、自発的にアンデッドになった変わり者でな。俺も詳しくは知らねえんだけど、アンデッド化の際に脳が変な腐り方しちまって、人喰みたいな頭になっちまったらしい。人食いの航海士なんて誰もそばに置いたくねえだろ? そういうわけで船から追い出されて、彷徨っていたところをこの船が拾ったんだ。ここならあいつの食欲を刺激するものはねえからな」
「……今日までは、だけどな」
……仕方ない。後から入ってきた自分が文句を言うわけにもいかないだろう。なにせ、ここでは普通の人間は圧倒的にマイノリティなのだから。生き延びさせてもらっているだけで御の字だ。
聞くところによると、人食い衝動持ちはクサリ以外にいないようだし、だったら彼女に近づかないように気を付ければいいだけだ。
「そう落ち込むなって。このまま進めば、多分あと三日もしないうちに島に辿り着くさ。そこならお前の同類の人間もいるって。……あ、お前はキロリッターの姉さんの所有物だし、そこで船を降りられるわけでもないのかな? よく分かんねえ。ははは、まあ、うーん、なんだ、人生生きてりゃなんとかなるって」
船員はそんな効果の薄い励ましを言った。ついでに甲板への経路を教えてもらう。
──もっと慎重に動こう。
痛む首を擦りながら決意を固めると、ロータローは教えてもらった経路に従い、甲板へと出た。