三男アガリアレプトのその後
外務大臣を辞めて早半年。
俺はアイリスのコンサートツアーにあわせた国外の支店視察で各国を回っていた。
明日もコンサートの予定が入っている。が、アイリスは衣装の前で悩んでいた。
「どうした。合うものがなければすぐ手配するぞ」
「違いますの。会場に合うものはあるんですけど……ウエストが入らなくて。どうやら各国でおいしいもの食べ続けて太っちゃったみたいですわ」
長年俺の秘書やってる地味メガネが首を傾げ、
「おそれながら奥様、この数日普段着もそうおっしゃってませんでしたか?」
こいつとは幼少時、大商人のところにいた頃からの付き合いだ。やつは俺の他にも見込みのある子供を集めて教育しており、そのうちの一人だった。というか、生き残れた俺以外の唯一の人間である。
その優秀さからずっと側近として雇っているのだが。
「ええ。ダイエットしなきゃと思って」
「……お待ちください。私の妻をみていた経験から言わせていただきますと、懐妊の可能性をお考えになってはどうかと」
「…………」×2
俺とアイリスは黙って見返した。
「……は?」
「妻もつわりはなく、生む一週間前まで気づかなかったんですよ~。あはは」
だろうな。
こいつはいわゆるデブ専で、どっしりした体格の女性を好む。妻にしたのは自分より縦にも横にも大きい、コンテスト一位という見事な体型の女性だった。何のコンテストかは聞くな。
「……まあ。ありえるかもしれませんわね。とはいえお医者様にみてもらわなくては、確かなことは。ねえ、アガリアレプト様」
「…………」
「アガリアレプト様? 聞いてらっしゃいます?」
俺は衝撃的すぎて固まっていた。
……妊娠? てことは子供が?
俺の?
アイリスが目の前で心配そうに手をヒラヒラさせている。
「アガリアレプト様―。戻ってきてくださいなー」
「―――ちょっと待ってろ!」
俺は電話片手に飛び出した。
「リリスっ、俺の現在地教えるから今すぐ俺をルガのところにテレポートさせてくれ! さすがに俺じゃ遠すぎて無理だ!」
「どしたのアガ兄さま。まさかアイリスさんになにか?!」
すぐアイリスの心配するところが、俺がケガや病気をするわけがないとよく分かってる。
「それか、だれか過剰防衛で殺しそうなの?! もみ消す必要あり?!」
「違う! お前は俺をなんだと思ってるんだ? アイリスをみてもらいたいんだよ! 別にケガとかじゃないが」
それだけで妹はすぐ察したらしく、飛んできた。俺をつかんでルガのところに飛ぶ。
「ルガっ、ちょっと来てくれ!」
「……アガ兄さん? どうしたの」
ちょうど休憩室で休んでるとこだった。
「……まただれか返り討ちにして、やりすぎだとアイリスさんにしかられたんで治療を?」
「お前らな、二人そろって兄に対してどういう想像してるんだ。違う。診てもらいたいのはアイリスだ」
ルガは看護師に少し待っててもらうよう言い、診療カバンを持った。
「……分かった。でも診たらすぐ帰るよ」
「だいじょーぶ。あたしが責任もって送り届けます。十分以内に帰れるように」
再びリリスの力でアイリスのところにテレポート。
「あら、リリス様、サルガタナス先生。どうなさったんですの」
「俺じゃ遠すぎて一瞬でテレポートできないからリリスに頼んだっ」
息も荒く説明。
「アガ兄さまがここまで血相変えんの初めて見たよ。まぁ大体予想つくけど」
「……僕も診る前から分かってた」
ルガは一瞥しただけで診断した。
「……うん、妊娠してるよ」
「まあ」
おっとりと口に手をあてるアイリス。
ルガはカレンダーを指して、
「……予定日はこのあたり」
「あらあら、二週間もないじゃありませんの。どうしましょ」
「は?! 近い!」
「いやさぁ、スミレちゃんやリリーちゃんて妊婦さん見てたじゃんよ、なんで気づかないの」
「……アガ兄さんは意外とぬけてるから」
「あー、やっぱり?」
ルガ、お前も言うようになったな。
「……医師として言うと、そろそろ仕事は控えたほうがいい」
「ですわよねえ。気づかなかったから予定入れてましたわ」
「アイリスさんも気づかなかったの?」
「ツアーに集中してましたし、まったくつわりも何の変化もなかったもので。どうしましょ。まだ三か月先までツアーの予定が」
「今すぐ帰国だ」
俺はカバンに必要最低限のものだけ詰めこんだ。
「え」×3
特に仰天したのは秘書だ。
「アガリアレプト様が?! あの、人を人とも思わない冷血で冷酷で冷淡なアガリアレプト様が金もうけより妻子優先!? マジか! 長い付き合いだけどありえない事態見たわ! ヤリでも降んの、それとも世界終わるんじゃねーの!?」
「おい」
思いっきりにらみつけるが、長年腹心やってる男はビクともしない。それどころかわざとらしく鳥肌が、と腕さすってやがる。
リリスが重々しくうなずいた。
「秘書さん分かる! だってさ、コンサート中止にしたらキャンセル料かかるじゃん。チケット代も払い戻しでしょ? すごい損だってのに」
「はい。そりゃもうえらい金額ですよ。それを払ってでも奥様のほうが大事だと」
「……驚きだな」
「ですわよねえ」
「全員やかましい。それくらい払ってやる。そんなはした金で俺の資産がどうにかなると思うか。それよりアイリスと子供の命のほうが大事だ。命も健康も金じゃ買えないんだからな」
なんだよ、おい。その信じられないものを見るような目は。
「無理してレティやネビロスのところみたく危険な状態に陥ったらどうする」
「……ああ、スミレちゃんとリリーちゃんの例があるだけに余計心配なのね。ルガ兄さま、母子の状態どうなの?」
「……今のところ問題ない。が、このままツアーを続けていたら正直保証はない」
「やっぱりな。荷物は後で送れ。手続きや後始末は逐次連絡しろ。とにかく帰国するぞ!」
「へいへーい。あたしがテレポートしますよー」
リリスのおかげで即帰国。驚く使用人たちに矢継ぎ早に指示を飛ばした。
リリスはルガを病院に送り届けに行った。
「ええと、まずマタニティウェアをそろえて。食事も妊婦用にする必要があるな。食べちゃいけないものあるんだろう? 反対に体にいいものは……いくらかかってもいい、取り寄せよう。ベビー用品も」
アイリスがあきれて俺の腕を押さえた。
「アガリアレプト様、落ち着いてくださいな。ちょっと一回座ってお茶でも飲みましょう」
「まったくだよ。アガ兄さまテンパりすぎ。予想外のことが起きるとこうなるのは知ってるけどさー」
リリス、また戻って来た。
「あら、リリス様。お帰りになられたのでは?」
「こんなことだろうと思って、一旦帰ってこれ持ってきた。はい、マタニティウェアとベビー服」
ルシファーが段ボールの山を置く。
「サンプル品だから、気にせず使って。そんで感想聞かせてくれると助かる。それと助っ人呼んできた」
「ようアガ兄貴、おめでと。つか、人のこと言えねーじゃん。ほい、ベビーベッドと子供用家具」
「僕からはおすすめベビーグッズと育児用品」
「レティ、ネビロス」
経験者二人も来た。
「アガ兄さまは経験者に任せておいて。アイリスさんは休も。あ、これルガ兄さまの病院の産科の予約の取り方」
「ありがとうございます。サルガタナス先生の病院で産めるなら心強いですわ」
俺は弟たちの話を聞きながら真剣にメモを取る。
「そうだレティ。お前の嫁に一つ予知を頼みたいのだが」
「いーけど何を?」
真剣に重大なことを頼んだ。
「生まれてくる子が俺に似ていないかの確認だ」
全員納得していた。おい。
「アガ兄さま、自分に似たらアカンて分かるようになったなんて」
「アイリスさんの教育のたまものだね」
「お前らな」
「おっけ、スミレに頼んどく」
後日予知してもらい、その姿を念写してもらった。
「えと、これです」
写っていたのはアイリスが子供を抱えてる光景だった。腕の中にいる子供はアイリスによく似た女の子。
「よかった……!」
兄妹弟全員一致でその感想だったのは失礼な話である。
俺自身も考えたが。
それにしても娘か。
かわいい、と素直に思った。
俺の子供。子を持つことになろうとは考えたこともなかった。
まだ膨らみ始めのアイリスの腹を見る。
あそこに存在してるとは……信じられん。生物とは不思議なものだな。
「む。もうすぐ生まれるということは、ヒナちゃんや双子と同学年になるのか」
「ですわね。安心ですわー。同性のかわいい友達も、頼れるお兄さんたちもついてるなんて」
「ああ、イポスはすでにロックオンしてる相手がいるからな。ネビロスと同じで一度狙い定めたら決して他に向くことはない。うちの娘が被害に遭わずに安心だ」
「……納得してしまうところがアレですけど、ええ」
あんな性格の男につかまって気の毒にな。一番気の毒なのは、もっとひどいのにつかまってあきらめて達観したリリーちゃんだろうが。
「レティには双子にうちの娘もしっかり守らせるよう、さらにトレーニングさせねば」
「アガリアレプト様の子なら、自力でどうにでもできそうですけど。それより先に名前を考えません?」
「! そうだな。何がいいか……かわいい娘にふさわしい名前を吟味せねば……!」
さっそく名づけ辞典と育児書を大量に注文し、アイリスに止められた。
―――生まれてきた娘は予知通り母親似だった。
魔力の穏やかさから、魔力や性格もアイリスのほうに似たとよく分かる。
分娩室にいた医師らスタッフ一同から思わずといったつぶやきが漏れた。
「よかったあぁぁ……!」
だから失礼だな。
病室の中でも最高ランクの特別室に移り、腕の中の娘をあやす。
「よしよし。いい子だ」
娘は俺が抱き上げても泣かなかった。
「俺は特に子供には恐れられ号泣されるのに笑ってるとは、父親だと分かってるんだろうな」
「それはそうですわよ」
横になったアイリスがやや疲れた声で言う。
「率先して抱っこするとは思いませんでしたわ。てっきりまたフリーズするかと」
「固まってる場合か。かわいい娘に嫌われる」
これが一番大事。
「あらゆる育児書を読破し、オムツ替えも人形使って練習したし、ミルクも実際何度も作ってみた。レティやネビロスといった経験者に話も聞いた。イメトレだって山ほど繰り返した。準備は万全だ。さあ、何でも来い」
「アガリアレプト様って、根は素直で真面目ですわよねえ……」
ほめてるのかけなしてるのか?
「とても助かりますけど」
「あーう」
「アヤメ、お父さんだぞ。呼び方はお父さんでもパパでも好きなほうで。お父様だけはやめておこうか。リリスがあのクソ親父を読んでた呼び方だ、俺がそう呼ばれるとシャレにならん」
娘はごきげんで抱っこされてる。
小さくて温かい。
大切なぬくもりを大事に抱え直した。
「―――ああ、そうか。愛おしいとはこういうことか」
すとん、と理解した。
俺は以前言ったように愛情というものが分からない。知らずに育ったからだ。
兄妹弟ができて、それでも分からなかったことが、今ようやく。
「アガリアレプト様、ようやく分かったようですわね」
アイリスが優しい目で俺を見ていた。
「ああ。自分に子ができて、腕に抱いて初めて理解できた。そうか。いいものだな」
大事な大事な自分の子供。
俺が生まれた時に父も母も抱いていたのは他の感情だったろう。母は悲しみ、父に至っては俺が生まれたことさえ知っていたかどうか。
俺は同じようにはならない。
自分のぶんも我が子は幸せにしてみせる。
「アイリス、生んでくれてありがとう」
改まって言えば、アイリスは驚きのあまり目を見開いていた。
なんだ、その顔は。
「……いいえ。今日はずいぶん素直ですわね?」
「なんだと。いつもはひねくれてるとでもいうのか」
「ええ」
即答するな。
「文句を言いたいところだがやめておく。出産直後だからな。おかげで俺もようやく人並みに愛情というものを得られたようだ」
「子供の力は偉大ですわねえ。ふふ、かわいい」
娘の頬をそっとなでれば、娘はうれしそうにアイリスのほうに手をのばした。指を握らせてやるアイリス。
「ああ。……で、もう一つ理解できたことがある。娘に対するものと同じ感情をお前にも抱いているようだ。どうやら俺はアイリス、お前が好きらしい」
「―――」
アイリスはぽかんとして俺を見返した。
そのまましばし無言。と思うと、いきなりぼろぼろ泣き始めた。
「なっ、おい! なんで泣いてる!」
娘を抱えたまま慌てる俺。
ど、どうすれば。
「え? ……あら? どうしてかしら……」
と、とりあえずふくものを。
ハンカチを押しつける。
「言わせるのにはまだまだ時間がかかると思ってましたので、意外で……。それに私は目が見えないから結婚もできるかどうかと思っていたし、もしできたとしても子供の顔を見ることはできないと……。でも見えるようになって……。だめですわ、うれしいのとよく分からない感情でぐちゃぐちゃ」
「そ、そうか。とにかく涙をふけ。アヤメも心配そうにしてるだろうが。泣いたらどうする」
「ふふ」
今度は泣き笑いになった。忙しいやつだ。
「おいで、アヤメ」
アイリスが娘に手を伸ばしたので渡す。アイリスはしっかり抱きしめた。
「……かわいいわね、本当に。よかった。私、我が子の顔を見れたのね。よかった……」
泣きながらつぶやく。
目が見えなかったアイリスにとって、それはどれほどの奇跡か。
「びっくりするくらい私にそっくりねえ、アヤメ。かわいいわね。小さくてあったかくて……」
「ええと、産後はホルモンバランスの関係で気分が上下しやすいと本で読んだ。そのせいだな。ルガ呼んでこよう。何か薬を」
「いりませんわよ。アガリアレプト様と娘がいれば、それが一番です」
「そうか。よく分からんが。その、なんだ。とりあえず疲れてるだろう、寝ておけ」
「……そうさせていただきますわ」
ほどなくして規則正しい寝息が聞こえてきた。回復魔法をかけたといっても、産後は体の変化もあって限界がある。休めるときは休むに限る。
見れば娘も眠っていた。
俺の傍で寝られるとは、やはり俺の子だな。普通子供は魔王に会ったかのごとく泣き出して逃げる。
眠るということは安心しているという意味だ。
「よしよし、安心しろ。お父さんがここにいるからな」
娘は聞こえたかのように、もにゅもにゅと口の端を動かした。
かわいいな。
そうだ、今のうちにアイリスの目の機械を充電しておくか。
耳から外して魔力をこめておいた。
―――生まれてから四日ほどでアヤメは歩いてしゃべれるくらいに成長した。これは王家の血を引く人間では平均的な速度。
アイリスの退院にあわせ、イトコたちと会わせてみた。
「はじめまして、アヤメともうします」
完全にアイリスのミニチュアな娘はドレスのすそをつまみ、完璧な挨拶をした。
「うわー……アガ兄貴、アヤメちゃん超しっかりしてんじゃん。マジで生まれたばっか? ほんっとアイリスさんに似てよかったなぁ」
「すごいね、礼儀正しい。穏やかで優しい雰囲気で……アガ兄さんに似なくてよかったねえ」
「お前らな」
そりゃ俺もそう思うが。
初の同性イトコができたと聞いて楽しみにしていたというヒナちゃんは目を輝かせていた。
「初めましてっ。私はヒナギク。ヒナって呼んでね。あのね、同じ女の子のイトコ、すっごく楽しみにしてたの! これからはいっしょに遊べるね!」
「ぼくは双子の兄のほうでイポス。よろしくね」
イポスは普通の対応。ヒナちゃんに対するものとの差が激しすぎる。
本当にこいつは好きな子以外どうでもいいんだな。娘が狙われずに安心だが。
「弟のラボラスだよ。よろしく」
ラボラスも普通。
リリーちゃんがこっそりと安堵していた。
「よ、よかった。ラボラスまでああなったらどうしようかと思ってたのよ……っ。私似の割合が多いとはいえ、ネビロスの子だもの。あっちの性質が出たらどうしようかと」
「私は大丈夫だと思ってましたわよ。というか、そう確信してなければさすがに娘会わせませんわ」
「ああ」
「ちょっとー。そんなに僕に似たらダメなのー?」
「完全アウト」×3
娘にお前みたいなのがついたら、どんな手段をとってでも潰すぞ。
そう考えるとリリーちゃんに親いなくてよかったな。いたら相手の親に何をしてたか……。
背筋が寒くなった。
「おとーさん」
「ん? どうした」
しゃがんで目線を合わせれば、娘が俺の眉間を押してきた。
「またここにシワできてるよ。だめー。おとーさん、シワないほうがかっこいいよ?」
「む」
アイリスみたいなことを。
弟たちは爆笑した。
「あっはっは! アガ兄貴がすげー困ってる! さすが娘にゃ形無しだなー」
「娘じゃー怒れないよね~。アヤメちゃん、お父さん好き?」
「うんっ、だいすき」
ぐっ。
あかん。
「……そうか」
よしよしと頭なでてると、何やらシャッター音が。
「……おい。レティ、ネビロス。なに撮ってやがる」
「だって激レアだぜ? アガ兄貴が悪党の笑みじゃなくて柔らかい笑い浮かべてんの初めて見た」
「アイリスさん、撮った画像転送するね」
「待てコラ! 今すぐ即座に消せ!」
逃げる弟たちを本気の全速力で追いかけた。
★
ほんと、大変だったわねえ。
妊娠が分かった時を思い出し、私はため息をついた。
まず、まさかコンサートツアー中止して帰国すると言い出すなんて思わなかったわ。あの金もうけが第一なアガリアレプト様が。
秘書さんもびっくりの即帰国をしたと思ったら、次はあれこれ買い込みだして。
「アガリアレプト様、やめましょう。そんなに買っても使いきれません。服はリリス様がくださいましたし、子供用品ももう足りてます。えっ、今度は食べ物のほうに行きましたの? もう、食べられませんって。腐ってしまいますわ、もったいない」
資金力と物流網がある大人って面倒だわー。
そうしたら次は育児書や絵本になった。
「知識を得ておくのは大事ですけど、これ全部読むんですの?」
デスクに山と積みあがった古今東西の本を眺めて言った。
ちょっと前まで仕事関係の書類ばかりだったのに、どこ行ったのかしらね。
「そこのはもう読んだ」
「え」
そういえば速読に瞬間記憶能力持ってるんでしたわね。
「だが知識だけでは駄目だ。実際使えなければ意味がない。オムツやミルクは実践練習しておかねば」
……そういうところはえらいわよね。
「ヒナちゃんや双子が生まれた時に何回かやらせて頂いたのでは? ネビロス様がやっておいたほうがいいとおっしゃって」
「一度二度でできたつもりになってはいかん。きちんとマスターしてこそだ」
そう言って産科のパパママ教室で使う赤ちゃんの人形を買い、オムツ替えや着替えを練習していた。さらにネビロス様に頼みこみ、保育所へボランティアに行った。保護者の了解を得たうえで実際やらせてもらったらしい。
ごめんなさい、ちょっと笑ってしまったわ。
だってあの眉間のシワと不機嫌・傲慢がデフォルトなアガリアレプト様が、ものすごく真剣に赤ちゃんのお世話の練習してるのよ?
「アガリアレプト様って、ほんとに根は素直で真面目ですわよねぇ……」
あと娘に嫌われたくない必死さがなんというか。
それでも無事生まれてきた娘を初めて抱っこするときは躊躇していた。
意を決して抱き上げると、娘はけろっとしているどころか喜んでいた。
「よ、よかった。泣かれなかった……!」
「まぁ大丈夫だと思ってましたわよ。だってアガリアレプト様の娘ですもの。肝は据わっているでしょう」
「それはアイリスのほうの性質だと思うが」
そうかしら。
アガリアレプト様が娘を見つめる表情は柔らかい。
初めて見るわ、こんな顔。いつもの不機嫌全開はどこへ。
リリス様へ向けるよりももっと優しい表情―――。
「子供の力は偉大ですわねえ。ふふ、かわいい」
「ああ。……で、もう一つ理解できたことがある。娘に対するものと同じ感情をお前にも抱いているようだ。どうやら俺はアイリス、お前が好きらしい」
「―――」
今なんて?
しばらく理解できなかった。
……え? アガリアレプト様が言ったの? 私を好きって?
茫然としているとなぜかアガリアレプト様が慌て始めた。
「なっ、おい! なんで泣いてる!」
「え? ……あら? どうしてかしら……」
手を顔にあてれば濡れていた。
涙? どうしてかしら、勝手に流れて止まらないの。
アガリアレプト様はああいう方だから、時間がかかるだろうと思っていた。のんびりやろう、まぁ年とって死ぬくらいの頃にようやく言えるようになるかしらーなんて考えていた。
だからいざその時が来たらどう対応するかは考えてなかった。
ハンカチを受け取って顔を隠す。
「言わせるのにはまだまだ時間がかかると思ってましたので、意外で……。それに私は目が見えないから結婚もできるかどうかと思っていたし、もしできたとしても子供の顔を見ることはできないと……」
目が見えないのは生まれつきで、あきらめていた。そんな私を伴侶に選んでくれる人もいないだろうって思っていた。
それでも。人並みに結婚して子供をもちたい願望はあったの。
けど私はその子の顔を見ることはできないのだ。
それに気づいたら悲しくて。
「でも見えるようになって……」
自分の子供の顔を見ることができた。
その顔は自分そっくりで。本当に私は子供をもてたのだとうれしさでいっぱいになった。
「だめですわ、うれしいのとよく分からない感情でぐちゃぐちゃ」
「そ、そうか。とにかく涙をふけ。アヤメも心配そうにしてるだろうが。泣いたらどうする」
「ふふ。おいで、アヤメ」
手を差し出せば、アガリアレプト様は娘を慎重に渡した。
しっかり抱きしめる。また涙がこみあげてきた。
「……かわいいわね、本当に。よかった。私、我が子の顔を見れたのね。よかった……」
あきらめていたけど。
「これから初めて立つところも歩くところも見られるのね。ほんとに……」
本当に、よかった。
「ああもう泣くなっ。お前がそんなだと調子が狂うだろうがっ」
アガリアレプト様がさらにうろたえてアワアワしているから笑ってしまった。
娘に嫌われたくなくて率先して育児するとの宣言通り、アガリアレプト様は積極的に娘の世話をした。仕事もセーブして娘との時間を作るという子煩悩ぶりに、秘書さんが「絶対ヤリが降る! 世界の終わりだあああああ」とおちゃらけて叫んでいた。
努力のかいあって、娘はお父さん大好きっ子になった。今も二人で遊んでいる。おかげで私はこうして作曲ができるわけだけれど。
ピアノの前でうなった。
「なかなか進まないのよね……」
出産で仕事はしばらく休んでいたけれど、そろそろ少しずつ復帰したくなった。とはいえまだコンサートは無理なので、作曲など在宅でできることから。
鍵盤をたたいてああでもないこうでもないと考えていると、秘書さんが来たという。
「アガリアレプト様は娘と遊んでますから、私が出ましょう」
書類を運んでサインをもらうくらいなら。
「おや、奥様」
「アガリアレプト様は娘と遊んでますの」
「ああ~、そりゃジャマしたら怒り狂いますね。しっかし、あの社長がここまで変わるとはねえ」
肩をすくめる秘書さん。
「付き合いが長いんでしたっけ?」
「そうですよー。初めに会ったのが六歳か七歳の時だったかな? アガリアレプト様が幼少時、ある大商人のとこにいたのはご存じですよね。生家のライバルの。そいつはアガリアレプト様以外にも見込みのありそうな子供を集めてまして、僕はそのうちの一人。あいつは小さいうちから洗脳まがいの教育して自分に都合のいいコマを作り、金もうけの道具にする。そんなろくでもない男でしてねえ」
あちこちで相当人に恨まれていたそうで、アガリアレプト様が潰した時は大喜びした人がたくさんいたとか聞いている。
「そういう子供は数十人いたのかな。脱落したり、折檻の末に死んだりで残ったのは僕ら二人だけでしたよ~」
「さらっと重いこと言いましたわね。折檻って」
「ひどいもんでしたよ。大の大人でも耐えられない拷問。まぁ僕らはやられないよう巧妙に立ち回ってましたから。にしても、要求されるレベルが高い&容赦なくてねー。朝から晩まであらゆることをたたきこまれ、間違えれば即お仕置き。そりゃ脱落者続出しますって」
秘書さんはケラケラと笑い飛ばした。
笑える内容ではありませんわ……。
「それは……ひどいですわね……」
「いやぁ、僕は分かってて自分から売り込みに行ったんですけどね」
「え?」
「他の子は身寄りがないとか親に売られたりで集められたんで、確かにかわいそうです。でも僕だけは自分の意思で入りました」
秘書さんは普段のおちゃらけた態度を消していた。
「どうして……」
「難病にかかってたんですよ」
「え」
「あ、今は完治してますよー。当時は高額な薬が必要な難病でねえ。しかも何年か定期的に飲む必要があった。ウチは貧しい小さな農家、とてもじゃないけど払える金額じゃありません。むしろさっさと死んでくれというのが本音でしょう。このまま死ぬよりはと、自分から大商人のとこ行ったんです。役に立ってみせるから治療薬をくれと取引をもちかけた」
……当時まだ子供よね?
「別に家族を恨んじゃいませんよ? そりゃそう考えるのも納得だし。自分の命すらギリギリの状況だったんですから。家族が生き延びるのに必死だったように、僕も生き残るのに必死になっただけ。後悔はしてません」
「そう……ですか」
「取引ですから、ちゃんと役に立ってみせましたよ。あちらが反故にするまではね。ある時僕をスケープゴートにしようとしたもんだから、契約違反とみなしてアガリアレプト様と組み、あいつを潰しました」
にこやかに言ってのけるのは、さすがな実力というべきか。
「アガリアレプト様、社長には感謝してますよ。弟のサルガタナス先生に紹介してくれて、おかげで完治したんですから。先生は新たな治療法を発見し、定期的な薬の服用がいらなくなった。高額な治療費もかからずすむようになったんです」
「そうだったんですの。だからずっとアガリアレプト様の秘書をやっておられえるのですね」
「ま、恩返しはしませんとね。アレの部下としてやってく大変さのほうがデカすぎる気もしますが。むしろオツリがきそう。ただ給料いいですしねー。妻子のために稼ぎませんと」
秘書さんの奥様はとても大柄な方で、お子様方もそう。みなさんよく食べるのだとか。
「お子さん八人でしたっけ?」
「九人になります。また一人できたみたいで~」
それだけ産めるのすごいわ。一人でも大変だったのに。
「子供といえば、アガリアレプト様の子供のころってどんなでしたの?」
「すげぇムカつくクソガキです」
真顔で即答されたわ。
「今のまーんま、ちっこくなっただけですよ。傲慢でいけ好かなくてドSで……悪口いくら言っても足りませんね~」
「でもそう言いつつ傍にいてくださってるでしょう? アガリアレプト様には傍にそうやって堂々と意見を言える人が必要なんです。これからもよろしくお願いしますね」
「それはこちらのセリフです。ほんっっっっっと丸くなりましたもん」
「あれでですの?」
「あれで」
そうねぇ。
「ご兄妹弟と暮らすようになった時もマシになりましたけど、ここまでじゃなかったですよ。あれ、アガリアレプト様も人間だったんだなーって思いましたね」
以前は人間じゃなくて何だと思ってたのかしら。
「金もうけより妻子を優先して速攻帰国したのがいい例じゃないですか。違約金もいくら払ったってかまわないって言うなんて。あの金もうけの鬼が!」
「私もあれはびっくりしましたわ。本当のところ、あれ大丈夫だったんですの? 私のせいでかなりの損害が……」
秘書さんは手を振った。
「ぜんっぜんです。社長はマジ金持ちなんで。それにどこが迷惑なんです? 新しい命の誕生は祝福するとこじゃないですか。むしろ妻子を優先したことでイメージアップになりました。金より奥様と子供をとるなんて冷血傲慢最低野郎じゃなかったんだって、世間も好印象でした。逆に商会の売り上げ上がったんですよ」
すばやく好印象を与えるようにニュース流したあたり、やり手よねえ。
「思い出すだけでもあの時の社長おもしろかった! 今もお嬢様と遊んでるんでしょ? あのアガリアレプト様が」
「それはニュースにしないでくださいね……。本気で怒って向かってきますわよ、きっと」
「分かってますよ。お嬢様はメディアに出さない。厳命されてますんでね。……さて、ところでこれが急ぎのサインがほしい書類です」
「ええ、持っていきますわ」
子供部屋へ行くと、なんとまあ。
ソファーに横になってアガリアレプト様がうたた寝していて、お腹の上で娘がお昼寝していた。しかも、きちんとブランケットかけてあげてる。
白いウサギさん柄。ファンシー。
「あらあらまぁ」
これは撮影しておかなくちゃ。
スマホの待ち受けは以前フルーレティ様とネビロス様にもらった、アガリアレプト様が娘に笑いかけている画像にしている。それに匹敵するシーンだわ。
ふふ、親子そろって仲良くお昼寝。微笑ましい光景ね。
しっかり何枚も撮影し、起きる前にスマホをしまった。
「……ん?」
「あら、起きました? お疲れならまだ寝ていていいんですのよ?」
「……いや、その手に持ってるのは仕事の書類だろ? 貸せ」
そのままの姿勢で読み始める。
「姿勢つらくありません?」
「アヤメを起こすわけにいかないだろ。娘の安眠の邪魔はせん」
いいお父さん。
アガリアレプト様はすらすらとサインし、テレポートで飛ばした。
「私が持って行きますのに」
「面倒だろう。それにあいつは見かけこそ人畜無害な地味男だが、あれは意図的にそう装ってるだけで中身は真っ黒だぞ。あまり近づくな。あいつの好みは最低でも100キロ以上だからそこは安心だが、いかんせん性格が難ありすぎる」
「アガリアレプト様の秘書さんでしょう、近づくなと言われましても。そうやって歯に衣着せぬ物言いをお互いにできるなんて、仲いいですわよねえ」
「は? 仲がいい? どこが」
「いい相棒ということですよ」
「……まぁ、それはな」
アガリアレプト様の幼少期が独りぼっちじゃなくてよかったと思うのよ。
そこで娘が目を開けた。
「あ、お母さん。お人形遊びしてたらねちゃった……」
「いいのよ。もっと寝てても」
アガリアレプト様は娘を抱えて起き上がり、
「人形だが、もっと買い足そう。家も服ももっとあったほうが」
「アガリアレプト様。もう家三つ、人形数十体、服も小物も百点以上ありますわよ。十分です」
むしろ買い過ぎです。
「む……だがレティももっとあっていいと」
「ええ、買うのが駄目なら自分で作ればいいとご自分でドールハウス作られたんでしょう。それでスミレさんにしかられてましたわよね? なんでもかんでも与えすぎはよくありません」
「……むう」
まるで子供みたいにムスッとしてる。
「金をかけて物を与える=愛情のバロメータじゃないんですよ。そんなことしなくてもアヤメはお父さんに愛されてるとちゃんと分かってますから」
娘がくいくいとアガリアレプト様の服を引いた。
「ね、お父さん。なにか買ってくれるからお父さん好きなんじゃないよ」
「……む」
「こうやって遊んでくれるから好きなんだよ」
満面の笑みを向ける娘の頭をアガリアレプト様は優しくなでた。
「お父さんもアヤメが大好きだよ」
ずいぶんすんなりこの言葉も言えるようになったものだわ。
感慨深い。
子供の力って偉大ねえ。
その子供は無邪気な一撃を放った。
「お父さん、お母さんのことも好き?」
アガリアレプト様は完全に固まった。
あらあら。すごい冷や汗かいてるわ。
娘には言えても、私相手だとまだ恥ずかしいらしい。
私はくすくす笑ってアガリアレプト様の頭をなでた。
「大丈夫ですよ、分かってます」
「やめろ。子ども扱いするな」
「はいはい」
「お母さんてお父さんのどういうとこが好きなの?」
娘よ、追い打ちかけるのはやめてあげなさい。
と思いつつも答える。
「そうねぇ、こういう素直じゃなくてひねくれたところがかわいいと思ったからかしら。野生の狼を手懐けてる気分なのよ」
「誰が狼だっ」
そういうところよ。
「それで時間かけて育てるのもおもしろそうだと考えたの」
「俺は子供じゃないと言ってるだろうが」
「はいはい」
いや子供っぽいな、と娘の顔に書いてある。
私は隣に腰かけ、アガリアレプト様にもたれかかってみた。ムスッとしつつも私をどかしたりはしない。
「ふふ。ほら、かわいいでしょう?」
「んー。かわいいかは分かんないけど、お母さんがお父さん好きなのは分かった」
「おい」
「あらあら。アガリアレプト様、また眉間にシワ寄ってますわよ。ないほうがイケメンですわ」
「そだよー。お父さん、イライラだめー」
母子二人笑いながらシワを伸ばす。
アガリアレプト様は口をへの字にしながらも、されるがままだった。




