長男ルキフグスの忍耐またの名を輝夜姫の無自覚
―――時は少し遡って、輝夜姫サイドのお話。
織ちゃんがクーデター起こすことを決意した。
私に否やはない。というか、勝手に飛び出して義務を放棄したのに何か言う資格はないわ。
夢しか見ておらず、都合のいい未来しか信じなかった未熟な自分。結果、妹に全て押しつけることになってしまった。だからその妹が決めたことなら全力でサポートしよう。
それに、この頃の父の言動は異常すぎる。世界中の人々のためにもどうにかせねば。
母国の主だった貴族と連絡を取り、協力を取り付ける。頭を下げて妹に味方してくれるよう頼んだ。
「姫様が戻られては……?」
「姫様のほうがふさわしいのに……」
彼らにとって『姫』というと私。織ちゃんのことは『姫』と思ってないのが悲しい。
私はきっぱり首を振った。
「いいえ。私は身勝手な行いの責任を取らねばなりません。自分のことしか考えず、己の考えのみが正しく、人は従って当然と思うなど、王にふさわしくない。真に国のことを考えている妹こそふさわしいんです」
私の熱意に終いにはみんな負け、協力してくれることになった。
ほっと息をつく。
……ずっとしゃべりどおしで疲れた。
公務でそういうのは慣れているんだけど、これは質が違う。気を遣って、精神力がごりごり削られる。
内密の会話ということで、部屋は人払いしてあった。侍女たちの控えてる隣部屋へ行くと、すかさず女官長だという年配の女性がテーブルを指した。
「お食事はいかがですか? 今朝から何も召し上がってらっしゃらないでしょう」
今朝どころか昨日からほとんど物がのどを通らない。
「ごめんなさい。食欲がなくて……」
ストレスが原因だと分かっている。
色々考えて夜もまったく眠れていない。
料理人には申し訳ないと思うけれど、どうしても胃が受け付けなかった。
……私、こんな弱かったかな。
国ではいくら『みんなの理想の輝夜姫』であることを強要されていても、こんなことなかったのに。
弱音すら吐けなかったから? ここでなら脆い部分が出てしまっても平気ということかしら。気を張り続けなくてもいい。『姫』でいることを強いる人はいないもの。
「本当にごめんなさいね。……ちょっと散歩してきていいかしら?」
「ええ、どうぞ。ご案内します」
よそさまの城を勝手にうろつくわけにはいかない。女官長の後について、私が行ってもいい場所に案内してもらう。
すると、ルキフグス様とばったり会った。
「あ……っ」
ルキフグス様!
沈んでいた気分が急上昇する。
我ながら現金だと思う。でも、好きなんだもの。
ど、どうしよう。お話したいけど、仕事の邪魔になるかも。
ルキフグス様にとって仕事は何より大切。嫌われたくない。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙が痛い。
な、何か言わなきゃ。でも何を言えば嫌われない?
いたたまれない空気をなんとかしようとしたのか、ルキフグス様のほうが先に口を開いてくれた。
「ええと、姫はどちらへ?」
「あ、はい。妹とちょっと話してまして。思ったより長くかかっちゃって、休憩をと」
こういう話題ならしゃべれる。
「昼食はとってらっしゃらないんですか?」
「その……食欲がなくて。すみません」
「謝ることはないですよ。ただ、こんな時だからこそきちんと食べたほうがいい。妹さんを手伝うなら、エネルギー補給は必須です。ちょうどこれから昼食なので、姫も一緒に行きましょう」
え?
思わず耳を疑った。
ルキフグス様が食事に誘ってくれた!
意味は分かってる。女官長が報告して、滞在中の他国の姫が具合悪くしたんじゃマズイと思って何か食べさせようと考えたんだってことは。
それでもいい。
好きな人と食事できるのはうれしいもの。
従業員用の食堂に連れて行ってくれた。いつもここで召し上がってるのかしら。
清潔で整備されていて、普通におしゃれなレストラン。街中にあったら繁盛するだろう。
そういえばこの国に来て初めて、城で働いている人たちの食べている場所を意識した。考えてみれば彼らも食べなければならないのは当然のことなのに。母国ではみんな一体どうしていたんだろう。
レポーターとしてあちこち回ったから、普通の城の食堂はこんなにいいものでないことは分かっている。一般的には手早くエネルギー補給できればいいのであって、憩いの場ではない。
でもこの国では種類も豊富で栄養価もきちんと考えられており、見た目もいい。これは働く意欲も上がるというもの。
私に足りなかったのはそういう視点なのかもしれないわ……。
結局のところ、みんな勤勉・真面目に働いて当然と思っていた。彼らが働く意欲が出るようにと考えることも、そのためにはどうすればいいかも考慮しようとしなかった。
本当に井の中の蛙だったんだと思う。
「おっ、兄貴ちゃんと来た」
弟君のサタナキア様が厨房から出てきた。
すぐ下の弟君は陽気でフレンドリー。真面目なルキフグス様ができない部分を陰でこっそりフォローしている、そんな感じよね。
「お前が来いって言ったんだろ」
「席はこっち~。輝夜姫もこんちはー。こういうとこ来んの初めてじゃね?」
「はい。皆さんここで食事されてるんですね。普通にオシャレなレストラン、メニューも多くて値段も安い。すごいです。どれにしようか迷っちゃいます」
「今日のおススメはこれ、期間限定のランチセット。知ってます? ヘルシーな和食って今女性の間で人気なんすよ。野菜もたっぷりとれてローカロリー」
「それにします」
カロリーは気になるのよ。
太ったら余計嫌われるかもしれないじゃない。
ルキフグス様は何がお好きなのかしら。
好きな食べ物一つでも、好きな人の情報は知りたい。
と思ったら、サタナキア様が個別に用意済みだったよう。
ちょっと残念。
でも弟君がお兄様のために用意してあるということは、好物な可能性が高い。むしろ助かったかも。
「ルキフグス様はいつもこちらで?」
「いえ、普段は忙くて執務室まで届けてもらってます。ナキアが適当にその日その日で作ってくれて」
「お兄様の体調に合わせて作ってくれるわけですね。お兄様想いですね。……私達姉妹はあまりそういうことはないというか」
織ちゃんは私に配慮して自発的に出て行ってしまって、会うことすらも……。
「あ、仲は良いんですよ。ただ二人とも生活スタイルが全然違くて、特に妹は研究施設に住んでるようなものですし、顔を合わせる機会が少なくなっちゃって。妹のために料理作ることもありませんでした。というか、『姫』が厨房に入るなどもっての外だったんじゃないかと」
「でしょうね。立場上、制約が多かったでしょう」
「ええ。ですからこちらに来て、なんでも自由にやれるようになってうれしいんです」
「それはよかった」
ルキフグス様がほんのわずか微笑んでくれた。
…………っ。
どきんと胸が高鳴る。
ああ、やっぱり好き。
今の笑みは同情だと分かってる。
それでも。
「はいっ、おまちど~」
「ああ、ありがとな」
ルキフグス様の分を見た私は顔を強張らせた。
胃を壊してる時に食べるようなものだと気付いたからだ。
……まさか、私のせいで……?
気づけないほど愚かではない。私がどれだけルキフグス様の負担になってるか、なぜ忘れていたんだろう。
フラれたくせに居座ってる、ウザい女だし。
こちらに来てからかかった費用は全て、レポーターのお給料とコラボ商品のロイヤリティから速やかに返した。少しでも詫びたくて、自分にできることは何でもしようとした。
だけど、そういう問題じゃなかったのよね。
改めて好きだと告白したのが迷惑だったんだ。
返事はいらないと言ったけど、結局期待してた。がんばって変わったところを見せ、ちょっとでも好ましいと思ってくれたらと期待してた。
初めから無理な話だったのに。
暗い表情になりそうなのを必死で『姫』スマイルを張りつけてごまかす。
「ぎゃひぃッ。ち、違うってローレル、これは仕事で」
「ナキくーん? 給仕だったっけー? 女の人誰にでもそうやって愛想ふりまいたり優しくするの、勘違いさせる原因になるからやめてって言ったよねー?」
サタナキア様は奥様に叱られてた。でもうれしそう。
すぐさま作ってきたパフェを進呈し、許してもらってる様はじゃれあってるようにしか見えない。
……うらやましいなぁ……。
私もルキフグス様とあんなふうになりたかった。
ルキフグス様となら『姫』でいなくてもいい。私が何の取柄もないバカ娘でも、ルキフグス様は許容してくれる。そんな確信がある。
だけど、もう無理なのよね……。
「ナキア、それもう一つ作ってくれ。代金は払う」
「! へいよー」
私の前にもパフェが出てきた。
え?
私のために注文してくれたの?
どうやら羨ましそうに眺めてたのを勘違いしたらしい。
おいしそうで食べたくはあったし、スプーンを取った。
「……ありがとうございます」
ルキフグス様は優しい。
知ってるわ。
でもその優しさがこんなに苦しいなんて。
だって、私じゃなくても優しくしてくれるんでしょう? 困ってる人・落ち込んでる人には誰でも平等に。それがルキフグス様だもの。
……あきらめなきゃ、ね。
苦しい。
ぎゅっとテーブルの下で服を握りしめる。
元婚約者にはこんな思い、抱いたことなかった。彼とはいい友人というか、気心の知れた同志のようなもの。彼が好きな人ができたと告白してきた時もショックより応援するくらいだった。
本当に、彼との間にあったのは恋愛感情ではなかったのだろう。
今は……胸が痛くて締めつけられる。
そうよね……。ルキフグス様は宰相。私なんかより、政治的に問題視されない安全な、国内の妥当な令嬢と結婚したほうがいいに決まってる。
……私はあきらめなきゃいけないの。
長年培った『姫』の演技で表面上は平静を装った。
食べ終わって早くひとりになりたいと思っていると、声をかけられた。
「この後少し時間取れますか」
「えっ?」
心底不思議だった。
嫌いな女にどうして?
「お疲れのようですので、気晴らしに庭園でもご覧になりますか。案内しますよ」
あ……ああ、そうか。調子の悪い他国の姫を心配して、よね。
庭園は綺麗だった。泣きたくなるくらいに。
ベンチに座ってルキフグス様の横顔をうかがう。
自分のほうが身分が下だからと、一歩引いて立っている距離感が私達の関係性を暗示している。
……やっぱりかっこいいなぁ。
こんな時でも見惚れてしまう自分にあきれる。
自嘲の笑みが漏れた。
「……きかないんですね」
「何がです?」
「妹と何を話してたか、とか。どういう話になったのかとか」
「ききませんよ。よその宰相が聞いたらまずいでしょう」
「そう……ですね」
『宰相』が、ね。そうよね。
ふいにルキフグス様がパチンと指を鳴らした。
「?」
水系魔法が空ではじけ、水滴が二重の虹を作る。
「……わぁ……!」
すごい。器用。
こんな使い方もあるのね。
前にどこかの劇団が魔法を使って水や火のショーをやってるのは見たことある。確かその時、本物の虹を作るのは難しいって聞いた。光の屈折の問題だから。幻術で作るのなら簡単だけどって。
それを二重にするなんて……自然現象でもレアなものをあっさり作れるなんてすごい。
「きれい……」
「よかった。少しは気が晴れましたか」
…………。
私はルキフグス様を見上げた。泣きそうになるのを必死で抑える。
「―――ルキフグス様はほんと優しいですよね……」
そう。この人は優しいから、私を追い払えない。出て行ってほしいくらい嫌いだけど、様子が変だから気にかけてくれる。
「え? 何か言いましたか?」
なんでもありません、というように首を振った。
いつまでもここにいるわけにはいかない。ついにその時が来たのよ。
これまでやっきになって先延ばしにしていたけど、もう引き延ばせない。ルキフグス様の具合を悪くさせてまで居座るわけにはいかないもの。
……最後に好きな人と過ごせてよかった。
意を決して立ち上がった。
ルキフグス様と向き直る。話せる範囲内で母国の状況を説明した。
「妹はあっという間に主だった重臣たちの協力を取りつけたようです。これなら予想より早く実行できるでしょう」
「そうですか。すごいバイタリティーですね」
「妹のほうが私よりはるかに王としてふさわしい器の持ち主だったんですね……知らなかった。私にはできませんもの、こんなに早く人々の心を掌握するなんて」
私はずっと王になるものだと思って生きてきた。それが当然だと信じて疑わなかった。
実は自分よりふさわしい人物がいたのに。
「輝夜姫が後援を明確に示したからでは? まぁ、グイグイ人を引っ張るという意味では織姫のほうがあるでしょうが。何も同じ王になる必要はないんです。織姫は織姫、輝夜姫は輝夜姫なりの『王』でいいと思いますよ」
「ありがとうございます」
本当に、この人は優しい。
でもね。私はもう王にはならないし、なれないし、なりたくないの。
だって気づいてしまったから。
「皆さんには……特にルキフグス様にはご迷惑おかけしました」
「なんですか、藪から棒に」
ルキフグス様は驚いたように目をまたたかせた。
「急に押しかけて居座って、さぞうっとうしかったでしょう。迷惑以外の何物でもなかったはずです。叱られて当然でした。それでもいさせてくれて……たとえ居場所も帰るところもなくした私を哀れんでのことだったとしても。今後のことも考え、職も紹介して下さって。感謝しております」
深々と頭を下げる。
「やめてください」
慌てたルキフグス様が私を起き上がらせようとする前に、かぶせるように続けた。
「私、これから色んな国を回ろうと思うんです。レポーターとしてたくさんのことを世界中の人たちに伝えると同時に、妹と各国の懸け橋として働くつもりです。父の行動のせいで、悪霊に憑りつかれたためだとしても実際にやったのは父ですから、うちの国は評判も信用もなくしています。それを挽回し、妹が安心して国を治めていけるよう手助けしたいんです」
「ご立派な心掛けだと思います。しかしそれはなんだか二度とこちらへは戻ってこないというように聞こえますが……?」
「はい。そのつもりです」
断言した。
自分に言い聞かせるため。
ここにいてはいけない。好きな人に迷惑かけたいわけじゃなかったの。
「一方的に好きだと言って気持ちを押しつけて、しつこい女でしたよね。すみませんでした。もうご迷惑はかけません。厄介の種は出て行きます。私のせいでストレスたまって、ルキフグス様具合悪くされてるんでしょう? でももう安心してください。二度とわずらわせません」
ドレスをきつく握りしめた指先が白い。
痛みで泣くのを我慢した。
泣くな。泣いたらさらに迷惑かける。
ルキフグス様はぽかんとしていた。
迷惑ばかりかけてごめんなさい。もう出ていきますから。
あなたほど愛せる人なんてきっと今後二度と現れない。私はこの人を一生想い続けて生きていくんだろう。なんとなくそんな確信があった。
それもいいかもしれないわね。私が生涯独身でいれば織ちゃんの対抗馬として担ぎ出されることもなく、妹の治世は安定する。国が混乱することもなく平和だわ。
うん、きっと、それでいい。
私はがばっとまたしても頭を下げた。
「―――本当にすみませんでした。そしてありがとうございました。―――好きでした、ルキフグス様」
もう、限界。
よくここまでがんばった、私……っ。
踵を返し、走った。
こらえていた涙がどんどんあふれてくる。嗚咽を噛み殺しきれない。
それでもこのまま城内に戻ったら侍女のみんなに心配かけると思う思考くらいは残っていた。城の方ではなく、庭の奥の方へ走る。
地理なんか分からないけどどうでもいい。ただ人のいない所に行けさえすれば。
一人で泣くくらい、許されるでしょう?
―――思えば、物心ついた頃から泣いたことなんかなかった。『姫』でいなければならなかった私には泣くこともできなかったの。
でも今はいいでしょ……?
「輝夜姫!」
がしっと腕をつかまれ、振り向かされた。
ルキフグス様……っ?
慌てて空いてる片腕で顔を覆う。
なんで追ってくるの。見られたくなかったのに。こんなブスな顔。
そんな優しさはいらないってば!
あきれたような声がふってきた。
「貴女は本当に人の話を聞かない」
「……なん、で、追いかけてくるんですかっ」
いっそ腹が立つ。
うらみがましげにしゃくりあげた。
「こんな顔、見られたくなかったのに……っ。も、優しくしないで、ください」
「すみませんね。俺だってそんな顔させるつもりはなかったんですよ」
じゃあ放っておいてよ。
「ルキフグス様は、お優しいからっ……私、がかわいそうだと思ったんですよね? 嫌いな女でも、国に帰れない、居場所もない、だから」
自分で言っててダメージが大きすぎる。
涙がぼろぼろこぼれた。
「あのですね。俺が貴女を嫌いだなんて一度でも言いましたか」
え?
つい顔を上げた。
でもすぐ涙がこみあげる。
「……そういう、期待させるようなこと言わないでください。優しすぎるのも、時に人を傷つけるんですよ。はっきり嫌いだって言われたほうが、楽、です」
いっそ嫌いだと明言されたほうがあきらめもつくのに。
「言うわけないでしょう。姫、俺も貴女のことが好きですよ」
私はぴたりと動きを止めた。
「………………」
は?
葉? 破? 刃? 波? ha?
隙? それとも鋤? ああ、畑でも耕すの。違う、スキーに行きたい? へえ、そう。
頭が働かない。謎の変換をしてる。
……んん?
「姫、聞いてます?」
ヒラヒラと目の前で手を振られて我に返った。
自分の耳をたたく。
「……すみません。今、幻聴が聞こえて」
「人の返事を幻聴扱いしないでもらえませんか」
え、幻聴じゃないの?
「いいかげんに人の話を聞きましょう」
「ごめんなさい」
素直に謝った。
「別に謝ってほしいわけじゃなないですよ。とにかく姫、姫は俺が好きですよね?」
「好きです」
反射的に答えた。
ずいぶん自信満々な質問だなぁと後で思った。
「さっき過去形でしたが?」
「違っ、嫌いになったとかじゃなくて! 大好きです! ……でも、ルキフグス様に嫌われてるの分かってますから。これ以上迷惑かけたくなくて」
いったん止まった涙がまた。
泣きじゃくるとハンカチで拭いてくれた。
「嫌ってないと言ってるでしょう。そりゃ最初は迷惑だと思いましたし、いっぺん叱りましたが」
「……やっぱり迷惑だったんですね」
ですよね。でないわけがない。
「腹が立ったのは、貴女が勝手に作り上げたイメージを好きだったからですよ。なんだ、俺じゃないんじゃないかと。それであえてかなりきついことを言ったら、貴女はくじけなかった。庶民同然の暮らしもできると証明してみせた。泥だらけになっても元気で笑っている貴女はきれいだと思いましたよ」
「……きれい……ですか? 全然、そんなんじゃ」
かわいい服じゃないし、泥だらけだったし。
「過去の公務で見せてたような演技ではなく、本物の笑顔でしたから。俺はね、貴女のそういう笑顔が見たかったんですよ」
本物の笑顔。
―――ああ、この人は分かってくれてる。私はそう思わないようにしてたけど『姫』でいるのが嫌で、本当は王様になりたくなかったと。
自由になりたかった。
ルキフグス様も王の長子で、認知されてなくても周知の事実、狙おうと思えば王の座を狙えた。だけどしなかった。
それは私と同じ、自由でいたかったからなんだ。
「姫。俺は宰相として家族や国民のことを第一に考えていました」
「……はい。それは当然だと思います」
うなずく。
ルキフグス様は王にならない代わりに、宰相として国を安定化させるまで尽くすことで責任を果たそうとした。
「だから貴女に好意を示されてもリスクだとしか考えてませんでした」
リスク。
「…………っ」
「話は最後まで聞きなさい。過去形だったでしょう、もう思ってませんよ。俺の考えを変えたのは他でもない貴女です。俺は仕事よりも貴女をとることにしたんですよ」
「……ほん……とに?」
信じられない思いで見るとルキフグス様は私の手をとったまま片膝をついた。
優しい、大好きな笑顔を向けてくれる。
「輝夜姫、俺と結婚してくれませんか?」
「…………っ」
泣きじゃくりながら何度もうなずいた。
ちゃんとしゃべられなきゃならないのに言葉が出ない。
好き、大好き。
本当はずっとそう言ってほしかったの。
「~~……っ」
みっともなくしゃくりあげてたら、抱きしめて背中さすってくれた。
「声殺さなくてもいいですよ。誰も聞いてません。これまでは立場上、声を出して泣くこともできなかったでしょう?」
「……っ、は、はい」
やっぱりこの人は分かってくれる。私たちはどこか似てるから。
「ルキフグス様、好き、です」
「知ってますよ」
「私、もう姫じゃなくなっちゃいますけど。身分もない、才能もない。妹のほうがずっとすごい王様になれるもの」
それでもいいですか?
ルキフグス様はあっさり同意した。
「ああ、妹に敵わないというのは分かります。でも別にいいじゃないですか。同じ人間になる必要はない」
「……そ、ですけど」
「織姫には織姫、輝夜姫には輝夜姫のいいところがあるんです。それが違う分野なだけのこと。全然違うジャンルなんだから、比べられないでしょう? 例えば歌が上手い歌手と足の速いスポーツ選手を比較しますか?」
それは……。
「……しませんね」
比較する基準が違う。
「ほら。自分なりの幸せを見つければいいじゃないですか。俺も貴女も生まれゆえにあれこれ言われることが多いでしょうが、適当に無視しましょう」
「無視しちゃうんですか」
真面目なルキフグス様がそんな軽いこと言ったのがおもしろかった。ふっと笑ってしまう。
すると、よかったというようにルキフグス様は目を細めた。
「いちいちマトモに聞いてたらやってられませんよ。貴女はもう『姫』として生きなくてもいいんだ。自由にそうやって笑っていてください」
「はい」
―――ああ、いいんだ。
すとん、と心が楽になった。
義務だと分かってはいたけれど、辛かった。苦しかった。
決められたとおりに生きなくてもいいんだ。
私は安堵して、大好きな人にもたれかかり、目を閉じた。
★
―――ルキフグス様の恋人になれただけじゃなく、その日のうちに事実上結婚まで。まさかの急展開。
妹が女王に即位して数日後、私は部屋でぼんやりしながら思った。
正直今でも信じられず、時々自分のほっぺたつねってしまう。
見放されたとはいえ姫である私と、非認知でも王の長子で宰相のルキフグス様の交際は結婚前提ではあるけれど、まさか一気に飛び越してしまうとは。リリスさんも翌日には押しかけてルシファーさんと婚約取りつけたというし、そういう血筋なのねぇ。
私の周りってけっこう思い切りのいい人が多かったのね。妹もそう。あっさりクーデター決意しちゃった。
私自身は周りの目を気にして『理想の姫』から離れられなかったから、それくらいでちょうどいいのかもしれない。
ふと目を落とせば、薬指に色んな色が混じった指輪。
結婚した証。
「……ふふ」
ついにやけてしまう。
一日に何回もこうして眺めてはニヤつく私はおかしいかも。
「どうかしましたか」
ソファーに腰かけ、小さいテーブルに置いた書類をめくっていたルキフグス様がたずねてきた。
なお、私達がいるのは新居となったルキフグス様の部屋。即日引っ越しさせられ、あれよあれよという間にここで過ごすのが当たり前に。
新居……。そんな単語一つでもうれしい。そうよね、結婚したんだもの。
ルキフグス様の部屋は素朴で落ち着く。『輝夜姫』のイメージだからとやたらキラキラしたものばかり集められていた故郷の自室よりはるかにホッとするわ。
几帳面な性格を表すように不必要なものはなく、本や書類はピシッと整えられている。
「いえ。指輪見て、ルキフグス様の妻になれたんだなぁって、うれしくて。もうそれ何度目だって話ですけど、うれしいんですもん」
「……そうですか」
ルキフグス様が視線をそらした。
でもこれは照れてる。耳がうっすら赤いもの。
本人は気づいてないようだけど、ルキフグス様はよくこうなると一緒に暮らして気づいた。長く本音を隠してなきゃならなかったから表情には出づらいだけで、ちょっとしたところに見え隠れするのよね。それを見つけるのがかわいくて。
ついごまかしてそっけない態度になっちゃうだけなのよね。好きな人の知らない面を知れてうれしい。
ちょっぴりいじわるしたくて、ちょこんっと隣に座ってみた。
一瞬ビクッとして、私にチラリと視線を向けてくる。
うーん、シャイで純情。真面目だから、夫婦なのにこんな近距離でいいのかとか考えてそう。
いいじゃない、夫婦だもの。
「何なさってるんですか?」
「ああ……織姫、織女王の王配候補の調査書を見てるんですよ」
そういえば織ちゃんから送られてきたリストを見せたっけ。
王配立候補者はすでに百を超えたそうだ。ある程度は重臣たちがチェックして排除しても数十人はいて、一応そっちでも調べてくれないかとリストを送って来た。
私の知らない人は判断しかねるから、ルキフグス様にきいた。そうしたら早速調べてくれたらしい。
私のダンナさまは有能で素敵。
チェックリストを渡してくれた。
「チェックマークつけた者はやめたほうがいいでしょう。表向きの評判はいいが、裏がある。こっちの某国王族は婚約者がいたはずですよ。それを切って申し込んでくるとは厚顔な。あと、この下の男は実は既婚者です」
「ええっ!?」
重婚は駄目よ。
「若い時に勢いで結婚してるんですよ。酔いが覚めて無効の申し立てをするも認められず。この国は法律で離婚は認められてませんから『無効』なわけです。ならばと妻を暗殺しようと謀りましたが、気づいた妻は逃亡。今も逃げてるだけで生存してるはずですよ。こいつは死んだと思ってるみたいですがね」
「そうなんですか。よく知ってますね、そんなこと」
ルキフグス様はさも当然といいたげに、
「各国の主だった人間のことは調べてありますよ。うちの国はどこから面倒ないちゃもんつけられるか分かりませんからね。事前に対処する必要もあって。まぁそれでもさすがにこのリスト全部はデータがなく、いくつかは調査しました」
それからこっちは、と教えてくれる。私も真剣にメモしてリストから削除していった。
気づけば残ったのはわずか三名。
「あんなにいたのに、たったこれだけなんて」
「そんなものですよ。残った者はどれも優秀で平和主義、中身もまあまあです。ああ、身分は特に考慮してませんよ。生まれに関係なく有能な者を残しました」
「あ、はい。身分は気にせず結構です」
高い身分でも愚かな人間はいる。
本人の素質や才能によって決めるべきよ。
「ルキフグス様がチェックしてくださったなら安心ですね」
「いえ、参考程度にしておいてください。内政干渉と言われても面倒だ。織女王だって自分でも調査させているでしょう」
「謙虚ですねー」
こういう控えめなところも素敵。
―――ところで。
ひょいっと、おもむろにルキフグス様の眼鏡を取った。
「あ」
「んー」
じーっ。
至近距離でのぞきこむ。
ルキフグス様は気まずそうに視線を泳がせた。
「……何ですか」
「前から気になってたんですけど、メガネ外すとどれくらい見えるんです?」
「…………。実は普通に見えてます。ダテ眼鏡ですよ」
だと思った。度が入ってないように見えたんだもの。
「わざとかけてるんですよ。若造だとナメられにくくするために。あとはまぁ……よりあの男と似ないようにするためですね」
あの男、とは父親のことだろう。
「じゃあ、私の顔もはっきり見えてるわけですね」
「……ええ、まぁ。ですからそんなに近づかないでください」
後ろに身を引くから、私は前のめりになって近づく。またルキフグス様が後退して、あっという間にソファーの背もたれにぶつかった。
「あの、何なんですか」
「ルキフグス様が逃げるから追いかけてるだけです」
「普通にそこまで近づかれるとよけますよ。パーソナルスペースってご存知ですか?」
「知ってますけど、よく見たいんだもの。メガネ外した姿もかっこいい」
「…………っ」
少し耳を赤くして顔をそむけるルキフグス様。
「いつからかけてるんですか?」
「……小さい頃からですね。表情を隠すのにも好都合だったし、がり勉に見せかけるために。ところで返してください」
伸ばしてきた手をよけ、
「ねえ。私達って夫婦ですよね?」
「はあ、そうですね」
「なのにいつまでも敬語っておかしくありません? やめていいですか?」
「どうぞ。元々俺に使う必要はないんですよ。貴女のほうが身分は上です」
「私はもう姫じゃないんだってば。ただの庶民で、ルキフグス様のお嫁さんなの!」
むくれてみせる。
ともかく言質は取ったわよ。
「……そうですね」
「敬語やめようって言ったでしょ。それは私だけじゃなくて、お互いによ」
「ですが」
「あのね、身分身分って言うけど、ルキフグス様だって一国の王の長子じゃないの。王子でしょ」
「認知されてませんよ。王子として過ごしたこともありません。あと、ただ一番最初に生まれただけであって、長子というものに特に意味はありません。単なる生まれた順番です」
「もーっ。とにかく! 夫婦って対等でしょ? だから敬語はなし!」
ビシッと指をつきつける。
ルキフグス様は困惑して、
「そう言われましても」
「だーめ。決定。私のことも輝夜って呼んで。姫じゃないもの。ね、私は何て呼べばいい?」
「呼び捨てでいいですよ」
「じゃあ、ルキ」
にっこり笑って呼びかけた。
弟さんたちが『ルキ兄さん』とか『ルキ兄さま』とか呼んでるでしょ。
君づけは何か違うのよねぇ。『ルキ君』だとサタナキア様をローレルさんが呼ぶのと似ちゃうし。
ただでさえサルガタナス様と似るのに、これ以上似た呼び方あるとごっちゃになりそう。
「ね、私のことも輝夜って呼んで?」
袖ひっぱってお願いする。
「あのですねぇ……」
「あ。ほら、敬語。やめてくれるまでメガネ返さないわよ」
つーんとそっぽを向く。
「…………」
ルキは黙りこくり、ややあって、長く息を吐いた。
「分かった。だから返しなさい。輝夜」
!
輝夜って呼んでくれた!
「もう一回」
「……輝夜」
「もう一回っ」
「輝夜」
「もう一回!」
「輝夜。……なんなんだ」
なにって。
「だってうれしいんだもの。ふふっ」
『姫』がつくと一歩引いた感じでちょっと嫌だったのよ。
約束通りメガネを返した。
「何がうれしいのか分からないんだが……」
「好きな人に名前呼んでもらえるって、それだけでうれしいものよ?」
特に私はもう駄目だと思ってたから余計。
「あ、メガネはまだかけちゃだめ。もうちょっと眺めてたいの」
「ええ?」
「メガネ外したとこ見られるのって、これまでは弟妹だけよね。親しい人だけの特権じゃない。じっくり鑑賞したい」
「鑑賞って……そんなにいいものじゃないだろう」
うちのダンナさまの欠点は自分の容姿が並外れてるって自覚がないこと。
出生が原因で大人になるまで腫れもの扱いだったせいで、人に褒められる経験をしてこなかったらしい。そうでなければこんなにかっこいいんだもん、女性が群がるわよね。おかげで特にライバルもいなかったわけだけど。
「すごくかっこいいわよ? 超イケメン! 目の保養」
「どこが……? 輝夜なら綺麗だし、分かるが」
綺麗? 本当に?
『姫』の私は正直よく綺麗だと言われていた。でもそれは『姫』に対するお世辞や、私の身につけてるドレスや装飾品に向けたもの。私自身へ向けたものじゃない。
本当の私を見てくれる人なんているんだろうか。ずっとそう思ってた。
この人は姫じゃないただの輝夜に言ってくれる。
「大好きよ。私、姫やめてよかった。……ありがとう」
大切なダンナさまの首の周りに両腕回し、抱きしめた。
『姫』じゃなくなった私は自由で、そしてとっても幸せよ。
☆
そういえば胃痛がなくなったな。
すっかり減らなくなった引き出しの栄養剤を眺めながら俺は思った。
実際、根本的には弱気な性質の俺はいくらルシファーにハッパかけられてもあれこれ理由つけて先延ばしにするだろうと予想してた。が、姫が必死に泣くのをこらえて別れを告げたのでハッとした。
本気だ。去るということは、おそらくもう二度と会わないという決心。
じゃあどうなる? 他の国に行けば、利害関係のない求婚者がいくらでも現れるはず。なにしろ美人で有能な姫だ。中にはマトモな男もいるだろうし、いずれそいつと恋に落ちるのかも……。
そこまで考えて頭に血が上ったというか。
考えてみれば俺も傲慢だったな。一回叱っても姫があれだけはっきり好意示してくれてたから、どんなことしてもあきらめないだろうと思ってた。それでつれない態度取っても引き延ばしても平気だろうと高をくくってたんだ。
思いあがらないよう気をつけてたのに……俺もまだまだだな。
気をつけないと。クソ親父みたいになりたくはない。
ともあれ輝夜は俺の妻になったし、妹姫も祝福してくれてる。
問題はまぁ『正義の王』か。我に返っても怒り狂うだろうな。掌中の珠をかすめとってったんだから。
でも冷静に考えれば納得せざるをえまい。姫本人が『姫』の立場から解放されて喜んでるし、織姫のほうが現実問題王の器だ。王としても父親としても、今さら駄目とは言えない。
撤回できないよう、全世界に周知させたわけだが。
俺の特技は根回しと裏工作である。
引き出しを閉じ、机の上の書類仕事に戻ると視線を感じた。姫が何か言いたげにじっとこっちを見てる。
俺の仕事を見学したいというので入室を許可した。他国の姫という立場ならまずいが、宰相夫人なら問題ない。知った情報を悪用するような人でもないし。
「なんですか」
ペンを動かし続けながらきく。
「あの……私に何かお手伝いできることありますか?」
「…………」
姫は女王となるべく育てられてきた。すでにかなりの公務を任されていたはず。
「そうですね……これお願いできますか?」
大丈夫そうなのをいくつかみつくろって渡してみた。
「はいっ!」
元気よく受け取って五分後。
「できました」
早い!
十件くらいあったはずだが。
確認してみると完璧だった。
「すごいですね、早くて正確だ。では、これもお願いできますか?」
簡単すぎたのかもしれないと、少し難しめなのを頼む。
これもあっという間に終了。
道理で母国でもかなり任されていたはずである。
「お国でけっこう父王の代理もしてたのは知ってましたが、これほどとは」
「父も忙しいですから」
というか、有能だからどんどん任せまくってたんだろうな。
姫は書類を見ながら提案してきた。
「ところでこの件なんですけど、こう予想できるんじゃないかと。ここをこう変えたらどうでしょう?」
「ああ、それはいいですね。早速検討しましょう」
やってるうちに自然と二人で話し合いながら処理していくようになっていた。
「これとこれはまとめてできますね」
「こっちの予算はあの機材を応用すれば浮くのでは」
「姫、母国には魔法石の鉱山がありましたよね。ツテありますか?」
「あります。良心的な商会を知ってますわ。中堅どころですが、大手より迅速で正直です。こっちの件も他国の優秀な技術者が独立して立ち上げた会社を知ってますので連絡しますね」
「助かります。それからこっちは」
ものすごいスピードで書類の山が減っていく。姫の処理スピードは俺と同等だった。
同じくらいの能力の人がいると楽だな。言わなくても理解して先にやってくれるし。
夕方にはなんと、これまで減っても積まれて結局量の変わらない山が跡形もなく消えていた。
「まさか全部片付くとは。助かりました」
「本当? 私、お役に立てました?」
「ええ。それどころか、それ以上ですよ。ありがとうございます」
「うれしいっ」
にこにこ笑ってぴったりくっついてくる。
ぐっ。こういう人目を気にしない王族の悪いところがだな!
ヒビの入った眼鏡のレンズをとっさに手で隠す。
ふー。いかんいかん。
せめてこういうのは人のいないところでにしてくれ。
「姫……っ、ありがとうございましたー!」
突如、秘書官や補佐官たちがそろって頭を下げた。
感激して泣いてるのもいる。どうした。
「これで宰相様の負担が軽くなった……っ」
「いつ過労死するかと」
「毎日心配だったんですよ! でももう大丈夫ですね。姫、これからもよろしくお願いいたします!」
「どうか宰相様をオーバーワークから救ってください!」
「過労死しないように! ほんとに!」
お願いしますお願いしますと必死に訴えてる。
……ええ?
俺、そんなに心配されるほどか?
輝夜姫は真剣にうなずいた。
「私もルキフグス様は真面目だからムリしすぎてるって心配してました。夫の体調管理も妻の役目。ルキフグス様が過労で倒れないよう、妻としてしっかりサポートします! 私のできることでしたら何でもしますわ!」
「はい! ありがとうございます!」
なんかめっちゃ連帯感できてる。
「……あー、じゃあまぁ、手の空いてる時は補佐お願いしましょうか」
臨時秘書というか。
ちょうど妹姫即位後のあれこれで、輝夜姫も一時的にレポーターはお休みしてるし。
「はいっ、もちろん! ルキフグス様の力になれるならうれしいです。仕事してるかっこいいところも近くで見られるし……」
最後は照れて小声。
だからそういうかわいいことをだな!
再び眼鏡のブリッジを押さえる。
周囲から「仲が良くてうらやましいですねぇ」というほほえましげな空気が。やめろ。
フー。深呼吸。
落ち着け俺。俺は大人だ。レティやネビロスとは違う。大人の余裕を見せろ。
「ごく当たり前に淡々と仕事してるだけで面白くもなんともありませんよ。それでも見たければどうぞ」
「はいっ!」
にこにこと本当にうれしそうだ。
…………。
「すいません、ちょっと」
トイレに行くと言って席を外した。
さすがにこの口実なら一人になれる。
人気のない廊下の隅でため息ついた。
胃痛はなくなったが、別の意味でキツイっつーの。こうしてみると、よくまぁルシファーは平然としてリリスに対応できてるな。
ふと気配を感じ、顔を上げるとレティの後任の長官がいた。
「……何だ」
中性的な容姿の長官は、かつて俺が亡命するよう忠告したことから、俺の信望者だそうだ。実は俺には前からそういった信望者がかなりの数いるいずれも彼のように逃がしてやった人々だ。
「いいえ。ごちそうさま、といったところでしょうか。お幸せなようでなによりです」
「やかましい」
ひと睨みしておいて、ふときいた。
「そういえばお前たちは俺を王にしようと画策しなかったな」
以前からつき従ってたレティの副官は余計なこと企んだが、こいつらはついにやらずじまいだった。計画すらしていない。巻き込まれぬよう追跡調査してたんで知ってる。
長官は頭を下げた。
「当然です。貴方様がお望みではありませんでしたから」
「確かに釘はさしたが、それで言うこときくとは思わなかったな」
勝手に計画するかと思った。
「我々は貴方様のおかげで助かりました。命の恩人のお望みを叶えることこそすれ、余計な真似はしませんとも。望んでおられないのに王にしようなど、それはしょせん自分たちの自己満足に過ぎません」
なるほど。清廉で実直な彼はきちんと理解していたようだ。
「我々の願いは貴方様の幸福です。今、貴方様はとてもお幸せのようだ。ならば我々は心より応援し、そのために尽くす所存です」
「……いや別に俺に仕えなくていい」
俺はお前たちの主君じゃない。
「我々にとっては貴方様が主君なのですよ。命を救って頂いた時から、それは変わりません」
「誤解されそうだ。めんどくさい、やめろ。俺はのんびり暮らしたいんだ」
手を振ると長官はお辞儀して下がった。
そう。俺も王様なんざまっぴらなんだよ。
母や祖父母の怒声をさんざん聞かされ、俺はすっかり権力というものに嫌気がさしてしまった。
「―――王の子なのに役にも立たない!」
「くそっ、アテが外れた!」
「でも始末すれば王の怒りを買うかも……」
誰にも言っていないが、記憶力のいい俺は胎児の頃からの記憶がある。腹にいた時は大喜びして話しかけてきたくせに、いざ生まれたらこうだ。嫌にもなろうってものだろ。
俺にとって彼らは家族ではなく、愛情を欲しいとも思わなかった。子供の頃から妙に聡くてかわいげもない、冷めたガキだったんだよ。
ルガとはそれが違う点だ。
だから彼らが処刑されても、もっと上手く立ち回れば生き延びられたのにと気の毒に思うだけ。
家庭がなくても愛情をくれる存在がいなくても寂しくない。だって初めから持ってないから。欲しいという感情すらもなかった。ただ生き延びたかっただけ。
実父という反面教師を見て、ああはなりたくないと考えた俺は真逆になった。最高権力者の地位を手に入れても、いつ今度は自分が蹴落とされるかビクビクすることになるだけだと理解してる。自分の命の心配しながらトップの椅子に座るより、俺ならのんびりどこかで暮らしたいね。
なのに俺を担ぎ出そうとする連中は後を絶たなかった。
「貴方は王の子で、しかも長子なんですよ。権利があります」
「断る」
片っ端から無視した。その中にはルシファーの父公爵もいた。
王の庶子の中で最年長なんだからコンタクトとるのは当然だ。
不思議そうにたずねてくる。
「王になりたくないんですか?」
「ああ。なりたくないね」
思い切り顔をしかめてやった。
「王様なんてどこがいいんだ? 何でも自分の思い通り? そんなんやってなんになる。俺はただ、争いに巻き込まれず静かに暮らしたいだけだ。最高の地位? 一番でいたいと思わないな。自己顕示欲がないんでね。自分が大した人間じゃないって知ってるし。あの王の一番でいたいって欲望も、単に人より『上』でないと不安なだけだろ。しょせんは小心者だ。そうやって見える形で自分が他者より上の立場でないと恐い。もろいプライド守るための行動だろ。いつ自分が蹴落とされるかビクビクするだけの暮らしなんざ、俺はまっぴらごめんだ」
だからほっといてほしい。
そう言うと公爵は残念そうだった。
「そう言えるあたり、素質充分なんですけどねぇ……。頭がよすぎるだけに達観しちゃってますね」
「王の子なら他にもいるだろ。これからも増えてくだろうし、他をあたれ」
しっしっと追い払う仕草。
「ただしまぁ、そいつらの誰かがマトモな王になったら、協力くらいしてやってもいいけどな」
「……よく分かりました。貴方は欲がない―――本当に『何もない』んですね。心が空虚だ。貴方にはきっと何か守りたいものが必要なんでしょう」
…………?
眉をひそめる。
「何のことだ? それよりどうせ今後も俺の動向見張るんだろ。ああ、王も俺を監視してるのは知ってる」
まぁ当然だな。
「王の子の中で最年長、母方も貴族で身分も申し分ないとくれば反国王派がよく接触してくるからな。逆に言えば、お前たちにとっちゃ味方を集めるには俺の周りに網張っといたほうがいいわけだ。勝手にしろ。俺を巻き込まなければどうでもいい。ところで―――」
俺はおもむろに名前をざっとあげた。
「覚えたか?」
「はあ、覚えましたが、何か……?」
「これまで来た連中の中で、まあまあ使えそうな奴の名前だ。どれもマトモで善良な思考の持ち主。遅かれ早かれ王に目をつけられるだろ。その前にどうにかしてやったらどうだ」
公爵は笑った。
「お優しい。やはり貴方は見込んだ通りの方だ」
「殺されると分かってるものを見殺しにするほど人でなしでないだけだ」
それからもひっそり淡々と役人として働き続けた。年を経るごとに王の子が増えたせいか、俺を担ぎ出そうとする人間も減り、だいぶ楽になった。
面倒な立場の俺に話しかけてくる者も少なくなり、静かで結構。
下級でも役人であれば多少の情報は手に入る。現在の長官、当時は将軍に忠告したのもこの頃だった。
「逃げたほうがいい。そろそろ危ないぞ」
「……えっ? なぜ貴方が警告してくださるのです?」
俺の評価は『無欲で腰抜けな長子』だ。父王に抵抗もしないが諫めることもしない俺が亡命を勧めたことにすごく驚いたらしい。
「知ってて何もしないのは寝覚めが悪いだろ。とにかく死にたくなければ逃げておけ。時間稼ぎに出張の偽装しておいてやる。……ああ、言っとくが、亡命先で国外から俺を担ぎ出す準備とか算段はしないでくれよ。俺は王様業なんざごめんだ」
その点は強調しておいた。それでもやりかねないなと思いながら。
他にもせめてと報告書の数字を改ざんしたり、書類を偽造したりして何人か助けた。偽の通行証や命令書を発行したこともある。父王に壊された物をこっそり直してやり始めたのもそうだ。
おかげで実最も得意なのは書類偽造や改ざん、復元でになってしまった。
壊れた物の復元はともかく、書類偽造が得意な宰相ってのがバレたら面倒なんで隠してる。
「ルキフグス様のおかげで助かったと感謝する亡命者たちが増えましたねぇ。集まってるようですよ」
「……何の用だ。またお前か」
公爵は断ったのに時々来ては勝手にあれこれしゃべっていく。
「彼らは恩人であるルキフグス様を王にしたいみたいですが、貴方がやめろと念押ししてたので思いとどまってますよ。あ、ご安心を。私はもう別の方を考えてますので。弟君の一人がなかなか戦闘力が高くてねぇ」
「そうか。最高権力者になった途端、異母兄弟を殺しまわるような男じゃなければ勝手にしろ」
「そういう人じゃありません。大丈夫です。ところで上手くいった暁には約束通り補佐お願いしますよ」
俺はうろんげな目を向けた。
「約束した覚えはない」
「またまたー。その方、政治面や実務に関してはからっきしでしてね。ぜひルキフグス様にフォローしていただきたいんですよ」
「ふーん。……その時になったら考えてやる」
そう言いつつも、立ち上がった弟を助けるくらいはしようと思ってた。自分では動かなかった罪滅ぼしみたいなもんだ。
そうやって治世が安定したら、俺はどこかへ消えよう。田舎でひっそり暮らすもよし、誰も俺を知らない外国へ行くのもよし。
ただしこの血を残さぬよう、一生独りでいよう。
そう決めてたから、妻を持つ未来が来るとは予想もしてなかったんだ。
「ルキフグス様」
輝夜姫がひょっこりドアから顔をのぞかせる。
「遅いので……。大丈夫ですか? また胃が痛いとか?」
「大丈夫ですよ。心配かけてすみません」
たたっと近寄って来た姫に俺は微笑みかけた。
☆
姫のおかげで定時であがれたその夜。
ふう、今日もどうにか耐えきれた。
うっかり油断したのがまずかったのか、そこへまた忍耐を粉砕するようなことが起きた。
「ね、私のことも輝夜って呼んで?」
「………………」
……何を言うかと思えば。
「あのですねぇ……」
この姫はほんとに分かってんのか。これだから無自覚って恐い。
というか、身分がだな。
まぁそれは口実で、本音は恥ずかしいんです。
『姫』と呼んでれば相手はお姫様なんだと自分に言い聞かせられて、色々セーブできるのに。
「あ。ほら、敬語。やめてくれるまでメガネ返さないわよ」
「…………」
つーんとそっぽを向く。
こんな子供っぽい仕草もできるようになったのは喜ばしいんだろう。自由に感情を出せるようになったんだから。
ただしその代りにこっちがキツイ。
俺みたいに長らく抑制が当然な人生送ってる人間じゃなきゃ耐えられないだろうな。
姫はそっぽを向きつつも、「だめ?」というようにチラチラ見てくる。
「…………」
負けた。
「分かった。だから返しなさい。輝夜」
チョロい? 何とでも言え。
『姫』をやめた彼女は本当に幸せそうに抱きついてきた。
彼女がこうして笑っていられるよう、俺もがんばろう。
輝夜の背に両腕を回しながら思った。
俺はもう独りじゃないんだから。
しばらくそうしてた輝夜はふいに顔をあげた。
「……何か?」
「あのね、えーっと……見てほしいものとききたいことがあって。これ、リリスちゃんがくれたの」
義理の姉妹になったことで、リリスと輝夜はお互い「ちゃん」付けするようになっていた。
おずおずと取り出したのは、輝夜コラボのドレスカタログ。リリスのブランドで売ってるやつだ。
「ああ、そういえばコラボブランド作ってたっけ。ずいぶんあるな。32か」
一瞬で物の数をカウントできるのは俺のスキルの一つである。
「うん。……それでね。どれか好みのある? 教えて。あなた好みの着るからっ」
一旦机に置いておいた眼鏡のレンズに盛大なヒビが入った。
「あれっ? メガネ割れちゃったわよ。けっこう長く使ってたの?」
「……ああ、まぁ」
あかん。あかんあかん。
真剣に諭した。
「そういうことを安易に男に言うもんじゃない」
「え? 夫婦だもの、いいでしょ? 私だってダンナ様が喜んでくれたほうがうれしいもの。リリスちゃんだってそうしてあげなよって言って、このカタログくれたのよ」
妹よ。
眼鏡のツルがバキッと折れた。
「あら。よっぽど長く使ってたのね。さすがに買い換えたら?」
「……いや、直せる」
復元して気を落ち着かせよう。
さりげなく逃げようとしたがつかまった。
「ね。どのデザインが好き?」
グイグイ来る。こりゃ答えなきゃ解放してもらえないな。
仕方なく……正直ちょっと見たくはあったし?……パラパラ見る。
どれも『姫』のイメージを損なわない、上品で清楚なハイブランド系だった。至極真っ当。イメージカラーの金をどこかに取り入れてるものの、ちょっとしたワンポイント程度で軽め。庶民でも気軽に着られ、手に取りやすい価格だ。
ぶっちゃけどれも好みではある。
「……別にどれでも」
「もーっ」
頬を膨らませる輝夜。
いちいちかわいいからやめてほしい。あと、本当のこと答えたぞ。
「比べて見て一つや二つ、これいいなって思うのあるでしょ?」
「いや本当にどれも似合うし。それに俺は朴念仁で、女性のファッションとか分からないんだよ」
「むう。じゃあ、こっち出しましょ」
別のカタログ出してくる。他にもあったのか。
「リリスちゃんが、反応イマイチだったら見せてみてってくれたのよ」
「コラボじゃないやつのカタログか?」
何気なしに開いた瞬間、とうとう眼鏡が粉砕された。
「ええっ?! 何?! 急に爆発した!?」
「……何でもない」
頭を抱えてうなる。
うちの妹は何を考えてるんだっ!
こっちは市販してない服のリストだった。つまりリリスが個人的に作ったやつ。
ご丁寧に全部解説つきである。例えば「ウサギさんふわもこパジャマ・バージョン3」は「レティ兄さまのお気に」。「ヴィクトリア朝正統派メイド服もちろんロング丈、オプションで眼鏡」は「ナキア兄さま推し」。
……弟たちの趣味は知りたくなかった。
ナキアはものすごく納得だけど……。
えー、「真面目女教師風ストイックツンデレバージョン」……なんだそれ、は「ネビロスが嬉々として頼んできたけど断った」。うん、ネビロスはやめろ。離婚沙汰になるぞ。
まぁ今リリーちゃん体調崩してるんで、さすがのネビロスも大人しくしてるが。ずっとそのまま静かにしてろ。
「ね、こっちはどう?」
キラキラした目できくのどうかと思うんですが。
「……もっと駄目です。こんなの男に見せちゃいけませんし、きくのもいけません」
「敬語に戻ってるわよ」
戻りもするわ。
リリスもいくらなんでもふしだらなのは作ってないのが救いである。もし作ってたらお説教だが。
しかし、ぶっちゃけよさげなのがチラホラ……いかん! いくら本人が言い出したことでも駄目だ。理性、常識、誠実さ。調子に乗るな。うん。俺はバカがつくほどの堅物で朴念仁だろ。←自己暗示
そういうキャラで通してきたんだ。長い経験がある。うん、いける。
ふー。
深呼吸して冷静さを取り戻そうとしたら、輝夜が次の衝撃ぶっこんできた。
「この猫耳カチューシャかわいいわよねー。しっぽつきのおそろいドレスもあるんだって! 私なら白猫バージョンがいいなぁ」
眼鏡がもう一回爆発した。
確かに輝夜なら白猫だがそうじゃなくて!
「ここに載ってるの全部サンプルもらってるの。ほらほら見て、この手触りすっごくいいの!」
現物出てきた。
眼鏡だったものの破片がさらに細かくなる。
現物まで渡すな妹よ! マジで何考えてんだ!?
「こっちのブレザー?とかいう学生服もかわいいわよね。母国には学生服ってなかったから新鮮。制服目当てに国外から引っ越してくる人急増したっていうの納得だわ。私は普通の女の子みたく学校行けなかったし、うらやましい」
これも実物出してきて眺めながらため息ついてる。
ベタだがアリだな、学生服。
「この着物ドレスっていうのもエキゾチック。ほら、この模様細かいの。すごい技術よね」
眼鏡の破片の粒子がさらに微細なものになった。
うん、似合うと思う。
「それから次のページのちょっとセクシー系入ってるのは……その……恥ずかしいけど、ルキが来てほしいならがんばるわよ……?」
真っ赤になって恥ずかしいのをこらえつつ拳握る健気な輝夜に、とうとうかつて眼鏡だった残骸が風に乗って飛んで行った。
サアァ。
あー、こりゃもう復元できないな……。
「……どうしよ……」
色んな意味で。
「え? あ、メガネ? あれっ、ない!? どこ行ったの?!」
「いや……うん、もういい。スペアならある」
引き出しに。
今出すのはやめとこう、またぶっ壊れそうだ。
必死で諸々押さえ込んでカタログ閉じようとすると、最後のほうのページは服じゃなくぬいぐるみで埋まってるのに気付いた。
「ん? 服だけじゃないのか」
こりゃまたかわいい系の動物ばっかりだな。
「あっ! そそそそれはだめーっ!」
輝夜は慌ててカタログを奪って閉じた。
「り、リリスちゃんてばなんで載せてるのよ。これは内緒って言ったのに……っ」
この反応。ということは。
「ぬいぐるみ、好きなのか?」
きくと輝夜はさらに赤面して、
「うう……こ、子供っぽいでしょ。分かってるもん。『輝夜姫』のイメージじゃないし。でもかわいいから……」
昔誰かに言われたんだろうな。それ以来我慢するようになった、か。
「別にそんなこと思ってない」
俺は正直に答えた。
「むしろ似合うと思うが。大人でもぬいぐるみのコレクターはいるぞ。レアものとか、前にアガが高値で売れるって言ってたな。単にかわいいから集めたいっていうのでも、個人の趣味は自由だろ。これまで本当に好きなものも我慢するしかなかったぶん、これからはいくらでもそろえればいい」
輝夜はぱっと顔を輝かせた。
「ほんとにっ?」
「ああ。とりあえずここに載ってるの全部買うか」
最近リリスは余り生地の活用として服を着たぬいぐるみの販売を開始し、これがまた大当たりしてる。
「えっ? ぜ、全部?」
「ん? 何か? ごく当たり前だと思うが」
「えーと、確かにうちの両親も出入りの商人が持って来たものまとめ買いするのはよくあったけど……レポーターとして働くようになって、それ世間一般の基準からズレてるって知ったわよ」
「俺だって何でもかんでもバカ買いするわけじゃない。輝夜が喜ぶなら金なんか惜しくないだけだ」
リリスにメールしとく。
「在庫あるから明日には届くそうだ」
「早っ。ありがとう……っ」
喜んでもらえてなにより。
よし、このまま二冊目のカタログのことは忘れておいてくれよ。
そっとそれをクッションの下に押し込んだ。
翌日。
リリスをつかまえて返却。
「ほら、返す。まったく、何を考えてるんだ」
「えー? レティ兄さまとナキア兄さまがお嫁さんに自分好みの服着せるのは醍醐味だって言ってたよ。真面目だねぇ」
弟たちよ。
気持ちは分かるからなんも言えん。
「あのな。輝夜は公的には王籍離脱しても、一般的には姫扱いなままなんだよ。下手な評判たったらどうする」
「お堅いなぁ。けっこういいのあるのにー」
リリスはブーたれながらページをめくった。
そこでところどころ丸を付けてあったり書き込みがあるのに気付き、閉じる。
妹はニヤッと笑った。
「はいはい、りょーかい」
察しが良くて助かる。
その日のうちに届いたそれらを、こっそり輝夜のワードローブに紛れ込ませておいた。
輝夜は何も持たずにうちの国に来たため、リリスが慌てて服を用意した。そのため何があるのか自分で把握していない。数も知らないから、増えていても分からないというわけだ。
何も知らない輝夜は時折きいてくる。
「ねえ、ルキ。ほんとに教えてよ」
「俺は君を自由にしてあげたいと思ったんだよ。だから自分の好きな服を着なさい。もう周りに気を遣う必要はないんだ」
俺が指定してしまったら、今度はその枠に自分をはめようとするだろう?
だから言わない、というか言えない。
でも選択肢に紛れ込ませておくくらいはいいよな? そこから選ぶのはあくまでも輝夜自身の意思だ。
それよりも買ってやった大きなクマのぬいぐるみ抱えてムーっとしてるの何それ。かわいいんですけど。何この生き物。
買ったの成功なのか失敗なのか。うれしそうに愛でてる輝夜がもう……落ち着け。これ以上、眼鏡破壊記録更新する気か俺。
無理やり話題をそらす。
「……ああ、服で思い出した。織女王は即位式やらないんだって? やるなら式典用にドレスの大量注文入ると見込んでたのにってリリスが」
「あ、うん。ヒマがないのと、織ちゃんは本気で中継ぎのつもりでいるから。父も治療中だし、お祝い事は……ってこともあって」
『正義の王』の治療は一進一退の状況だ。除霊士が映像を送ってきてくれたが、織姫に飛び蹴りくらってふっとばされたままのポーズで停止してた。
空中でズッコケたままの一時停止……さすがに気の毒。
まずは『正義の王』の自我を呼び起こし、自発的に抵抗するよう働きかけてるらしい。無理に何らかの方法でひきはがすと後遺症が残る可能性があるからだ。
悪霊の力を押さえ込みつつ、『正義の王』に呼びかける。なかなかバランスが難しいところだ。
とはいえ、そのための手段はなんとからならないのか?
なにしろ送られてきた治療の映像は、ずっこけポーズの『正義の王』にベルゼビュート王子のPV流しまくって聞かせているというものだった。
あれのどこが治療だ?
あのハエの曲に呪文仕込んでたのは聞いたが、それは密かにやるためであって、もう堂々とやっていいだろう。普通に呪文唱えるとか、他のやり方にしろよ。
「ベルゼビュート王子からは毎日の報告が来てるが、まだまだみたいだな」
あれも忙しいらしく、簡単だが報告は欠かさない。なお、リリスと輝夜にも同じメールがいってる。
「うん。でも、進行してないってことはお父様もがんばってるってことだもの。大丈夫よ。昨日はお母様の声に反応したっていうし」
王妃のほうは比較的影響が少なかったせいかすぐ回復し、元通りになった。話を聞いて責任を感じた王妃は毎日夫に呼びかけているらしい。
意識不明の病人が家族の声で回復した話もある。きっと聞こえているだろう。
「ベルゼビュート王子はアレだが実力は確かだ。その紹介するプロなら腕は信用できる。治療は専門家に任せておいて、俺たちは俺たちのやるべきことをしよう」
相手は父親とはいえ、輝夜が他の男のことばかり考えているのは面白くない。
心配しなくても『正義の王』は助かるさ。あれでも世界屈指の力の持ち主だ。それにやられるならとっくにやられてるはず。ここまでもったってことは大丈夫ってことだ。
「てわけで、式用のドレスのデザインは決まったのか?」
織女王の戴冠式はやらなくても、俺と輝夜の結婚式はやると決まっていた。というか、友好条約を結び、国交が正常化したことを世界にアピールする外交上の必要性である。同時に新たな協約を結ぶ予定だ。
個人的にはどうでもいいんだが、輝夜がやりたそうなのと弟妹にそろって怒られた。
「兄貴、やりたくなくてもやらなきゃダメだって!」
「ルキ兄さま、そこは女の子の憧れだよ」
「えー……。輝夜は法律上一般人でも大体において『姫』扱いで、しきたりだのなんだの出てくるからめんどくさい」
そもそも俺は目立つの嫌いである。
「どっちの国のやり方でやるのかから始まって、国際問題に発展しかねないだろう」
「あー……。じゃあさぁ兄貴、どうせ織女王とさらに協約結ぶ予定なんだろ? 細かいとこまでは前回のじゃ網羅してないからって。それ調印の式典の一部にしちゃえば?」
「ん?」
「いっぱいあるスケジュールの一つにしちゃえばいーんだよ。しれっと組み込んでササッと終わらせちゃえば。あとが詰まってるのと今回のメインは友好を深めるためだっての理由に簡素化してさ」
「あ、そっか。プログラムの一個にしちゃうんだね」
出し物かよ。
「どっちの国のやり方でやっても、合わせても文句言われんなら、どっちでもないのにするしかねー。だから式っつーか披露宴?みたいな?のにしたら」
「逆にこれが新しいスタイルだと言って、流行を作るか」
早速アガがそろばん弾きはじめた。
「すでに自分たちで作る結婚指輪が大流行してる。流れを作るのは簡単だ」
そういやキット販売始めたよな。道具いらずなんで、材料と作り方動画URL描いた紙だけで済む。簡単に発売できたわけだ。
手軽にオンリーワンの記念品が作れるとあって、世界中から注文がひっきりなしだ。おかげで不用品だった混ぜこぜレアメタルが収入源に。
さすがはアガ。行動が早い。
「どっちにしろめんどくさい……」
「でもさぁ。ルキ兄さまだって輝夜ちゃんのキレーな姿見たいでしょ」
「…………」
否定はしない。
「全世界に向けて明示しとくのは大事だよー? 人妻になったっつーのに、兄貴と離婚して自分と!ってアホが何人か出てんだろ?」
ナキアの言う通り、悪王の息子から哀れな姫君を助け出す妄想に浸ったアホがすでに現れていた。速やかに潰しておいたが。
「いやあのマジで兄貴の反撃が恐すぎるんで、そんなバカが二度と出ないようにしたい」
「なんでそんなに震えてるんだ」
誰にも気づかれないよう対処したのに、いつものことながらナキアはどうやって知ったのか。
「ナキア兄さん、知ってるの?」
「ナキア兄貴、後学のために教えて」
「バカヤロー! それどころじゃねーよっ。世の中には知らないほうがいいこともあるんだよ!」
「あ、うん、やっぱいいや」
真っ青な二番目の兄に、弟妹は危険を察知した。
「おい。お前だって大概やらかしてるだろうが」
「どっちもどっち? 兄弟だねー。えーっと、ところで輝夜ちゃんのウェディングドレス&式典用ドレス、ルキ兄さまとしては希望は?」
あからさまに話しそらされたのは分かっていたが、出されたカタログを見て考えた。そうして何種類かデザイン案を用意、それを輝夜に見せて修正・改良したわけだ。
その最終版を輝夜は出してみせ、
「うん、この前の修正案でいこうと思って。リリスちゃんとこのお針子部隊ががんばってくれてるの」
「それはよかった」
「私のはそれでいいとして。問題はルキの衣装よね」
え、俺?
ぱちくり。
「普通に宰相の正装でいいだろ?」
一応、役職に応じた正式な格好がある。
目を吊り上げられて怒られた。
「ダメに決まってるでしょ!?」
「え、本気でそのつもりだったんだが。リリスも何も言ってこないし」
「だろうと思ったからきかずに勝手に用意するって言ってた。で、私はどういうのが希望かきかれたもん。ひじょ~に悩ましいわ。ルキのかっこよさを最大限に引き出すのってどういうの? 新婚ボケと言われても、私のダンナさまはこんなにかっこいいんだって自慢したいんだもん!」
「俺はかっこよくないぞ」
「もー、自覚ないんだからっ。どうして?」
「どうしてって……。そういう評価されたことないのがその証拠だろ」
それが世間の評価だ。
「弟さんたちは言ってるでしょ」
「身内の欲目な。宰相に就任してからは褒めてくるやつもいるが、おべっかだからな」
「うう~ん……これは根が深いわ……。環境の問題で、誤解したまま大人になっちゃったのね」
? 何を言ってるんだ?
「よしっ」
輝夜は何やら一念発起した。
「私があなたの魅力最大限に引き立てる衣装用意してあげるわ! それと毎日『かっこいい』って言う!」
ボカーンとメガネが爆発してふっ飛んだ。
「えっ?! 何?」
何を言い出すんだ、この天然姫は!
「……何でもないです。何でも」
必死になぜ世界から戦争は消えないのか考えたりして心を落ち着ける。
「何をどうしてそうなった」
「え? ジャスミンさんが自己評価低いサルガタナス様のリハビリに、毎日好きって言うようにしたって聞いたの。だから私も」
「…………。ルガは確かにそのほうがいいが、俺は結構です」
「ねえ、なんでまた敬語?」
察しろよ。
「ルキも自己評価低いとこあるでしょ。違うわ。あなたはかっこよくて頭良くて真面目で、私の自慢のダンナさまで……」
「分かった。分かりましたからやめてください」
のぞきこんでくる無邪気で真剣な瞳から逃れようと身をよじった。
アカンこれ。
俺はその日のうちにルシファーをつかまえた。
輝夜という優秀な秘書兼補佐のおかげでだいぶ余裕が。
「ルシファー、ちょっと聞いてくれ」
「なぜ最近僕ばかり……。ベルゼビュート王子といい、他の人にきいてくださいよ」
「ロコツに嫌そうにしやがって。お前は分かるだろ、経験者なんだから」
リリスが助け舟出してくれた。
「ルシファー、相談のったげて」
「分かりました。リリス様がそうおっしゃるなら」
こンのリリスの犬め。
妹は気を遣って席を外した。
「で、何です。どうせ輝夜姫の褒め殺しに関することでしょう?」
「話が早くて助かるよ。どうすりゃいい? リリスも似たようなもんだろ」
「僕は恥と思わず、はっきり好意返してますよ。堂々とやれば周りも恥ずかしいと感じないものです」
確かにリリスとルシファーのはいつものことすぎて恥ずかしさはないな。
「ルキフグス様もやったらどうです? 面白そうですねぇ。ばっちり撮っておきますよ」
「絶対やらん」
この腹黒に弱味握られてたまるか。
「でしょうね。分かってますよ。ですがこれだけは忠告しておきますと、迷惑といった反応は駄目です。ちゃんとどこかでデレてください」
「ふざけてるのか?」
「大まじめですよ。好きと言われてるのに冷たい対応じゃ、また誤解されるだけですよ? 一回嫌われてると思われたでしょう」
「…………」
前科あったな。
「……かといって、このまま眼鏡がぶっ壊れ続けるのも困るんだが。スペア何個作っても追いつかない」
「暴発しても、ご自分のしかも壊れても支障のない物に発動するあたり、ほんとに真面目でいい人ですねぇ」
やかましい。
誰かほんとに解決策を教えてほしい。切実に。




