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祈りの間の扉を開けると、姫神子が座って待っていた。
「祈りの種の種ができたのですね」
振り返り、そう言った彼女のドレスの裾が、まるで花びらのように床に広がっている。
その中心に鎮座する彼女は、ケチのつけようがないくらい『花女神の化身』を体現していた。
ディルは、彼女のこの待ち姿が好きだ。
スッと背筋を伸ばし、上等なドレスという花弁を身に纏った姫神子を見るたび、惚れ直す思いだ。
それはただ見目が麗しいからというだけではなく――なんというか、高潔な意志を感じ取れるからだ。
「二人とも、お疲れ様でした」
立ち上がって迎えようとする姫神子を、アジュガはそのままでいいと止め、ディルに早く祭壇の準備をするよう命令した。
ディルは「はいはい」と軽く返し――、姫神子に向かって一礼をする。
姫神子は笑顔でこれを受け止め、ディルに「お願いします」と会釈をした。
(我が姫は、今日も可愛いらしい……)
ディルは姫神子の微笑みに、わずかに頬を染めながら、背負っていた箱を下ろした。
神殿で暮らすようになっても、まだ日が浅いせいなのだろうか。
彼女にこうして笑顔を向けられる機会というのは、本当によくあることなのだが、ディルはいまだそれに慣れることができずにいた。
柔らかい表情を向けられるたびに、心臓をゆっくりと潰されていくような苦しさを感じる。
けれどそれは不快ではなく――――。むしろ心地のいいものだった。
どぎまぎとしながらも、ディルは祈りの種の種を祭壇に載せられるだけ載せ、燭台に火を灯す。
「姫様、祭壇の準備が整いました」
そして姫神子とアジュガに、準備の完了を告げた。
「ありがとうございます。――それでは始めますね」
ディルは急いで祭壇を離れ、すでに姫神子の背後にて膝をついているアジュガの隣に並ぶと、同じように膝をついた。
宝石の載せられた祭壇の前で、姫神子は静かに瞼を閉じ――――厳かに手を組んだ。
「我が半身、花の女神フロールよ――――」
姫神子の涼やかな声が、静かな室内で反響する。
ディルはどこかうっとりした気分で、それを聞いていた。
(姫の祈りは、まるで歌を歌っているようだ)
変わった節がつけられているわけでもない。ただ単に、声が美しいというだけでそう聞こえるのだ。
「この軌跡を秘めし石の力を開花させ、石に民を護る力を与えよ――――」
隣にいるアジュガをこっそりと横目で見てみると、彼は満足そうに――そして恍惚とした目で――姫神子を見つめていた。
さっきアジュガが話していた、姫神子の教育係になった経緯。
ディルには、彼が何か大事なことをあえて伝えないようにしている気がしないでもなかったが――――。それでも若かりしアジュガが、姫神子に憧れた過去だけは本物なのだろうと思った。
(憧れの人を自分の手で育て、素晴らしく成長した姿を見られるのは……感慨深いんだろう)
ディルはアジュガを――他の花守りの騎士らも――少し羨ましく思った。
自分は彼女と出会ってから、まだ数日しか経っていない。
他の者達はもっとずっと長い期間彼女と一緒にいて、彼女のことをたくさん知っているのだろう。――良い面も、悪い面も。
自分はこれから知っていくのだ、とわかっていても……。悔しい。
(これが嫉妬なんだろうか……。……よくわからないな……)
「我の願いを聞き届けよ。我の祈りに力を与えよ――――」
姫神子が祈りの言葉を言い終えると同時に、祭壇上の宝石が光を発し始めた。
その光が目に入り、思考の海に沈んでいたディルの意識が急上昇する。
光は一度だけ強くなり、そしてゆっくりと収まっていく。――やがて室内は、祈りを始める前と同じ静けさを取り戻した。
くるりと振り返り、姫神子がフッと微笑んだ。
アジュガはそれに頷き、ディルも会釈を返す。
「終わりました」
「姫……、こんなに多くの種を作るのは疲れただろう……? よくやってくれた……」
「いえ、アジュガ様。花の国の皆様をこれでわたくしもお守りできるのだと思うと、やりがいがありますわ。……それに、わたくしの身も守らねばなりませんから。これくらいなんでもないです」
姫神子がほんの少し表情を曇らせると――自分でも誕生日のことを気にしているのだ――アジュガは慌てて両手を振った。
「し、神殿の分の種作りは、あ、あくまで保険だ……! 姫を守るのは基本的に騎士の仕事……! ひ、姫は気を楽にしてくれていていいのだぞ……!」
「…………。ご心配ありがとうございます、アジュガ様」
姫神子の言葉に、アジュガはホッと息を吐く。そして立ち上がり、姫神子に駆け寄ると、
「さぁ……。一休みとしよう……。ここの片づけはこやつに任せ、お茶の時間にしよう……。疲れが取れる薬草を煎じてあげる……」
ディルを顎で指し、アジュガは姫に休憩の提案をした。
だがこれに、姫はフルフルと首を振る。
「最後までわたくしがやります。これはわたくしができる、数少ないお仕事の一つ。最後までやらせてくださいな」
「姫……」
アジュガは感極まったように自身のローブをぎゅうと掴んだ。
「で、では……、ぼくも手伝う……」
「それよりもアジュガ様。先程セージが、祈りが終わったらアジュガ様にご相談したいことがあると申しておりました。ここはディルがいれば大丈夫ですので、行って差し上げてくださいな」
祭壇の上に伸ばしかけたアジュガの手が、はたと止まる。
そして姫と祭壇を交互に見比べ、最後にディルを一睨みし――「今すぐにか……?」とぼやいた。
これにディルは内心苦笑した。
ディルの恋心を知っている神殿の人間のなかでも、特にアジュガはディルと姫神子を二人きりにするのを嫌がる。
ディルが姫神子に乱暴を働こうと思っていないことはわかっているらしいのだが、それでも気分はよくないようだ。
「……ぁ……ぅぅ……」
アジュガは不承不承といった顔を作り、「姫が言うなら……」と言ってとぼとぼ扉に向かった。
部屋を出る直前、何もするなよと言いたげに口だけを動かし、じとりとした視線をディルに送る。
それにディルが「わかってるよ」と返してようやく、アジュガは部屋を出ていった。
「もう……。アジュガ様は少し過保護すぎますね……」
姫神子は言うと、困ったように笑った。
「でもこれで、ようやくディルとゆっくりお話ができます。――わたくし、あなたと二人でお話がしてみたかったんです」
「――えっ……!?」
アジュガの心臓が、どくりと音を立てた。




