東の痕跡
シグランが消えてから一時間も経たないうちに、ラカンは東門から帝都を発った。
城壁の向こうでは夕暮れの最後の光が消えかけ、冷たい風が重い雲を街道の上へ押し流していた。道は平原を断つ白い帯のように伸び、その先で東の森へ沈んでいる。
黒馬を駆るラカンの後ろを、ヤザンとマヤが追った。
二人の間には、本来ならシグランがいるはずの空間が空いていた。
ヤザンはそこを見なかった。
だが、アルマザを出た時からずっと、その空白を感じていた。
彼らと共に走る空白を。
アルダ班とアドナン班は東門で別れていた。ハーマンの命令に従い、それぞれの教官と合流するため指定された道を進み、監視区域の近くで全員が合流する手筈になっている。
ヤザンは手綱を握り締め、馬をさらに急がせた。
蹄が地を打つたび身体が揺れ、治りきっていない肩から首筋へ痛みが走る。それを無視し、道から目を離さなかった。
遠くの木々。
岩だらけの丘。
崩れた塀の向こうで動く影。
目に入るものすべてを探った。街道の端にスカイが突然現れ、シグランを連れているのではないかとでもいうように。
前方からラカンの声が飛んだ。
「ヤザン。半馬身下がれ」
慰めも、叱責もない。
ただの命令だった。
ヤザンは馬の速度を落とし、隊列の正しい位置へ戻った。
左では、マヤが指の間に細い水の糸を張っていた。大気の湿気を集め、街道沿いの木々へ伸ばしては手元へ戻す。
一度。
二度。
三度目には、糸が遠くへ伸びすぎた。小さく震え、途切れる。
飛び散った雫が馬の首筋を濡らした。
ヤザンがすぐに尋ねた。
「何か感じたのか?」
マヤは彼を見ずに答えた。
「感じていたら、もう言ってるわ」
沈黙が落ちた。
マヤが手を握ると、散った雫が戻り、手首の周りに集まった。次に口を開いた時、その声は低かった。
「今のところ、水は正常よ」
ヤザンは頷いた。
「そうか」
正常などではない。
二人とも分かっていた。
ラカンは振り返らずに進み続けた。
「マヤ、探知範囲を道の両脇だけに絞れ」
「でも、もしスカイが――」
「着く前に感覚を消耗すれば、必要な時に使えなくなる」
言葉が唇で止まった。
ラカンの目がヤザンへ移る。
「お前は近くの地面を見ろ。遠くの木ではない」
ヤザンには、ラカンが何をしているのか分かった。
落ち着けとは言わない。
二人に、制御できる範囲だけを与えたのだ。
しばらく進むと、ラカンが拳を上げた。
三頭の馬が止まる。
街道脇に石造りの監視塔が立っていた。その下では、東部司令部の士官が待っている。手には、最高司令部の紋章で封じられた金属筒があった。
ラカンは馬を降り、それを受け取った。
士官が言う。
「皆さんが帝都を発つ数分前に命令が届きました。任務区分が変更されています」
ラカンは筒を開き、短い書面を抜き出した。
一行目を読むと、その目つきが変わった。
「Sランクか」
ヤザンとマヤの視線が向く。
マヤは唾を呑み込んだが、何も言わなかった。
ラカンが書面を閉じる。
「ザラン宮からの報告と同時刻に、東部区画の二基のケメン監視塔が空間の歪みを捉えました。持続したのは一瞬ですが、限られた範囲内で二度発生しています」
「二度の間隔は?」
「およそ十一拍。中心間の距離は二百歩未満です」
ラカンは報告書に添えられた小さな地図へ目を落とした。
「目的地へ直接移ったわけではないな」
マヤが言った。
「一度森へ降りて、スカイがもう一度転移を開こうとした」
「あるいは、最初の試みが失敗して開き直さざるを得なかった」
彼女は地図に記された二つの点を見つめた。
「シグランが抵抗したのね」
ラカンは報告書を筒へ戻した。
「着けば分かる」
士官が続けた。
「任務中だったアルダ教官とアドナン教官にも連絡済みです。別の経路から当該区画へ向かい、合流後の現場指揮はすべてあなたに一本化されます」
ラカンは頷いた。
アルマズ隊の結成時から、ハーマンの命令は明確だった。共同作戦における現場判断はラカンに属する。
士官が付け加える。
「森の橋でA級騎士が一名、合流します」
マヤが顔を上げた。
「誰ですか?」
「命令書に名はありません」
ラカンは森の黒い輪郭を見た。
「行くぞ」
再び馬へ乗る。
ヤザンが自分の位置へ戻る前に、ラカンは一瞬、その馬の手綱を掴んだ。
「読みもせず急げば急ぐほど、敵が選んだ場所へ近づくだけだ」
ヤザンはまっすぐ彼を見た。
「シグランが必要としているのは、最初に辿り着く者ではない。あいつを連れ出せる状態で辿り着く者だ」
ヤザンの手から、わずかに力が抜けた。
そして再び馬を進めた。
*
森の橋は、両岸から伸びた木の根に挟まれ、急流の上を渡る古い石造りだった。
三人が着いたのは、日が昇って間もない頃だった。
待っている者はいない。
ラカンは橋の手前で止まり、対岸を見渡した。
ヤザンが言う。
「A級騎士が遅れているのかもしれません」
その瞬間、水の流れが止まった。
凍ったのではない。
ただ、止まった。
川面が中央から持ち上がり、橋の両側で二つの巨大な弧に分かれる。小魚たちは持ち上げられた水の中に取り残され、朝日を透かす二枚の透明な壁の中を泳いでいた。
橋の下から、一人の男が現れた。
静かな足取りで狭い石段を上る。その背後では、二つの巨大な幕のように水が持ち上がったままだった。
濃紺の外套をまとい、肩にはA級騎士の徽章がある。武器は持っていない。人の目を引きつけるのに、必要でもなかった。
街道へ上がると、二本の指を動かした。
二つの水弧が同時に崩れ、轟音と共に流れが戻った。
マヤの目が見開かれる。
「オス?」
オス・タラインが三人の前で止まった。
一瞬だけ妹を見て、その視線はすぐラカンへ移る。
「この橋を合流地点に指定された」
「時間どおりだ」
オスの視線が三人の間を移り、ヤザンで止まった。
しばし沈黙する。
「お前は……」
ヤザンは目を逸らさなかった。
「入学試験でザランの少年と戦った者か」
「ヤザンです」
あの日、シグランの攻撃を受けながら倒れなかった姿を、オスは見ていた。名は覚えていなかったが、彼の最も奇妙な点だけは覚えていた。
身体を包むケメンの気配を探る。
何もない。
入学試験の時から、そこだけは変わっていなかった。
オスの目が細くなる。
「今もケメンを持たないのか」
マヤの指が手綱を強く握った。
オスはラカンへ向き直る。
「これはSランク任務だ。それに、ケメンで身を守ることすらできない少年を連れていくのか?」
マヤは口を開いた。
だが、声が出なかった。
タライン家の食卓が蘇る。
長老たちの目。
皆の前で立ち方を正すオスの声。
自分のことを弁護する時でさえ、兄の許しが必要だと思っていた、あの古い感覚。
ラカンは彼女を見なかった。
「お前がここにいるのは、その力が必要だからだ」
次に、目でヤザンを示す。
「こいつがいるのは、その目が必要だからだ」
オスが言う。
「任務は、自分の正しさを証明する場ではない」
「そのとおりだ」
ラカンの声は静かなままだった。
「だから、人選についてお前の意見は求めていない」
橋から水の落ちる最後の音が消えた。
オスは一瞬黙り、街道へ目を向けた。
「歪みが現れた場所は?」
「ここから二時間だ」
オスは三人と並ぶ。
「なら、これ以上無駄にするな」
それ以上何も言わず、マヤの横を通り過ぎた。
彼が数歩先へ行ってから、マヤは堪えていた息を吐いた。
ヤザンはそれを見た。
何も尋ねなかった。
*
昼前、北の経路からアルダたちが到着した。
木の葉を巻き上げる小さな旋風をまとい、岩場の斜面を駆け下りてきた。その後ろからラーイド、アスマー、ワーイルが姿を現す。旅の疲れは明らかだったが、誰も休息を求めなかった。
その数分後、アドナンがアミール、アナス、ナーダを伴い、南から到着した。
全員が揃うと、ラカンは幅広い岩の上へ地図を広げた。
監視士官が記した二つの小さな円を指す。
「最初の歪みはここだ。十一拍後、すぐ近くに二度目が現れた」
アルダが言う。
「到着と離脱」
アナスが頷いた。
「あるいは、途切れた転移を開き直した」
アドナンが尋ねる。
「スカイの術を中断させるものがあるとすれば?」
マヤの目が地図上の二つの円に留まった。
ラカンが答える。
「自分からついていかなかった人間だ」
誰もシグランの名を口にしなかった。
その必要はなかった。
ラカンは配置を決める。
「アルダは北翼。アドナンは南翼。互いの視界から外れるな。痕跡を見つけても、単独で追うな」
アミールが言った。
「スカイを見つけたら?」
「合図を送れ」
「全員が来る前に消えるかもしれない」
ラカンが彼を見る。
「一人で仕掛ければ、その前にお前が消える」
アミールは口を閉じた。
部隊は森へ入った。
東の森の木々は枝が空のほとんどを覆うほど密集していた。幹も岩も苔に包まれ、地表には巨大な黒い血管のように根が這っている。
学生たちはラカンの指示どおり散開した。
ラーイドとアミールが両翼を進み、アナスは地面と木々の間隔を見た。ナーダは感覚の範囲を隊の近くに保ち、アスマーはワーイルの隣を歩く。枝の間で影が動くたび、震えそうになる手を、ワーイルは隠そうとしていた。
マヤはラカンの後ろを進み、周囲の湿気へ感覚を広げる。
ヤザンは地面だけを見ていた。
オスは二人の近くを歩いている。
ヤザンを見続けていたわけではない。
それでも、その存在だけでマヤは口数を失っていた。
しばらくして、オスが彼女へ尋ねた。
「どうして、あいつが同じ班にいる?」
誰のことかは分かった。
マヤは前を見たまま答えた。
「ラカン教官が選んだからよ」
「誰が選んだかを聞いているんじゃない」
返事が遅れた。
「私たちと一緒に残ったから」
「答えになっていない」
マヤの指が握られる。
「ほかの人なら逃げられた場所でも、私たちと一緒に残った」
オスはヤザンの背中を見た。
「それでケメンが手に入るわけではない」
マヤの足が一瞬止まった。
かつてなら、返す言葉は胸の中で消えていただろう。
今度は、声になった。
「だからって、役に立たないことにはならないわ」
オスが振り返る。
反射的に目を伏せかけ、マヤは自分で持ち上げた。
オスは何も言わなかった。
そのまま歩き続ける。
だが、ヤザンには二人の会話が聞こえていた。
振り返らず、低い枝を片手で押し上げる。マヤがその下を通れるように。
数分後、ラカンが拳を上げた。
全員が止まる。
前方の木の幹に、深い黒い裂け目が走っていた。落雷の跡ではない。ほかの部分は焦げていなかった。
マヤがすぐに近づく。
指先に水滴を浮かべ、裂け目の端へ触れさせた。
雫は瞬時に蒸発した。
「青い炎」
ヤザンも隣へ来た。
手を伸ばすが、幹には触れない。
外側の縁は冷えていた。しかし裂け目の奥には、まだかすかな熱が残っている。
マヤが言った。
「シグランよ」
一歩前へ出る。
ヤザンの胸にも、短い熱が走った。
二人は同時に森の奥を見た。
背後からラカンの声がする。
「痕跡が示しているのは、シグランがここを通ったことだけだ」
二人は止まった。
「まだここにいるとは示していない」
マヤは裂け目を水の糸で囲み、形と深さを測った。
「炎は一点に圧縮されている。攻撃じゃないわ」
オスが近づく。
「合図か?」
ヤザンが答えた。
「移動しながら残したんです」
オスが彼を見る。
ヤザンは焼け跡の向きを示した。
「立ち止まっていたなら、炎は中心から周囲へ広がる。この線は、後ろへ引かれながら食い込んでいる」
膝をつき、幹の周りの土と落ち葉を見た。
根元近くの草は外側へ倒れている。間で空気が弾けたようだった。少し離れた場所では、木々の間の狭い通り道に枯れ葉が集まり、その先端がすべて一点へ向かって裏返っていた。
ヤザンはそちらへ進んだ。
地面に、先端の焦げた枝が落ちている。焼け跡は後ろから前へ伸び、枝の先が泥へ突き刺さっていた。
「最初に出たのは、あの木のところです。空間が閉じた時、空気が外へ押し出された」
アナスが隣へ来て、集まった葉のそばに屈んだ。
「そして、ここで二度目の転移を開いた。空気が中心へ吸い込まれている」
ヤザンは泥に残る二本の平行した跡を示した。
一方は深く、途切れ途切れだった。
もう一方は、根の間で消えそうなほど薄い。
「この二点の間で、シグランは抵抗した」
アナスは深い跡を調べた。
「一人が強い力で引きずられている」
次に薄い跡へ触れる。
「スカイも体勢を崩していた」
マヤは道の続く先を見た。
「なら、シグランは二度目の転移も邪魔したのね」
ラカンが言う。
「あるいは、完成する前に閉じさせた」
ヤザンが前へ出た。
ラカンの声が止める。
「望みを証拠に変えるな」
足が止まった。
ラカンはアナスを示した。
「経路を確認しろ」
アナスは根の間を進み、三つの地点を順に調べた。最初の場所では苔が擦れ、次の場所では枝が内側から折れ、最後の場所では不安定な足取りで土が踏み固められていた。
顔を上げる。
「痕跡は東へ続いています」
そこで初めて、ラカンは命じた。
「進むぞ」
*
シグランが意識を取り戻した時、手首には冷たい金属が巻きついていた。
すぐには目を開けない。
まず、音を聞いた。
遠くで落ちる水滴。
石と布の擦れる音。
二つの呼吸。
一つは近い。
もう一つは、部屋の入口で微動だにしない。
目を開けた。
天井の低い黒い部屋で、壁にもたれて座っていた。両手首は金属の輪で拘束され、背後で鎖に繋がれている。両足首も床へ固定されていた。
複雑な拘束ではない。
だが、それに抗えるほど身体が戻っていなかった。
ハーマンとの訓練と、拉致された瞬間にスカイの折り畳んだ空間を内側から焼こうとした反動で、筋肉がまだ震えている。
スカイが目の前に立っていた。
袖の一部は焼け、頬には細い傷が走っている。
それを見て、シグランの口元に短い笑みが浮かんだ。
「俺の炎と顔の間には、もっと距離を取るべきだったな」
スカイが指先で傷に触れる。
「自分が逃げているわけではないと、気づくべきだった」
「お前も血を流すのか確かめただけだ」
スカイが横へ退く。
その後ろから、何の徽章もない暗い服をまとった長身の男が現れた。名を聞くまでもない。他の者たちがこの男を中心に動いていることは分かった。
アズロン。
彼はシグランの前まで来た。
捕虜を見物しに来た者の目ではない。
何かを待つ者の目だった。
アズロンが、触れないままシグランの胸へ手を伸ばした。
部屋のケメンが動く。
空気が縮んだ。
圧力が皮膚を抜け、筋肉と骨の奥へ流れ込む。アズロン自身にも分からない何かを探るように。
シグランの肩の上に、小さな青い炎が浮かんだ。
痛みを押し殺して笑う。
「炎が欲しいなら、そう言え」
炎がアズロンの顔へ弾けた。
彼がわずかに首を傾ける。炎は頬をかすめ、壁へぶつかった。
拘束具がシグランを後ろへ引き戻す。
それでも、アズロンは怒らなかった。
ただ観察を続けた。
青い炎。
強いケメン。
ザランの血。
それでも、数年前の夜、宮殿近くで触れたあの気配は見つからない。
手を下ろす。
静かに言った。
「私も……何かを感じると思っていた」
シグランが鼻で笑う。
「失望には慣れていそうだな」
スカイがアズロンを見る。
「間違えたのか?」
アズロンの目はシグランから離れなかった。
「そうとは限らない」
一歩近づく。
「眠っているのかもしれない」
シグランは、何の話だとは尋ねなかった。
代わりに、拘束具の中でゆっくり手首を動かす。金属を溶かすには足りないほどの弱い熱を放ち、鎖との接合部を探った。
次に、もう一つの輪へ熱を移す。
スカイはその動きを見ていた。
「まだ試すのか?」
シグランが目を上げる。
「どちらから先に焼くか決めようとしている」
スカイは小さく笑った。
アズロンは扉へ向き直る。
「少し力を回復させろ」
スカイが言う。
「制御しにくくなる」
アズロンは敷居で止まった。
「それが望みだ」
部屋を出ていく。
スカイはもうしばらくシグランの前に立っていた。
シグランが言う。
「お前の首領は、思っていたほど確信がないらしい」
スカイから笑みが消えた。
「時間があるうちに、傲慢さを楽しんでおけ」
扉を閉めて出ていった。
足音が遠ざかるまで、シグランは待った。
それから、再び拘束具へ熱を流す。
身体は疲れ切っている。
一人だった。
ここがどこかも分からない。
だが、森には印を残した。
最初に見つけた痕跡へ飛びつく前に、折れた枝で足を止める人間を、一人だけ知っている。
シグランは呟いた。
「遅れるなよ、馬鹿ども」
*
森の奥へ進むほど、動物たちの声は消えていった。
まず鳥が消えた。
次に虫が消えた。
やがて残ったのは、足音と、衣服に擦れる葉の音だけになった。
アスマーが言う。
「静かすぎます」
アルダが答えた。
「離れるな」
マヤは根の間へ水の糸を伸ばした。
今度は遠くへ送らず、隊の周囲を狭く巡らせる。
不意に、ヤザンが止まった。
全員が数歩先にいる。
二本の太い根に挟まれた土を見た。
「動かないで」
オスが振り返る。
「何だ?」
ヤザンは地面に散る葉を指した。
「足元に何かあります」
マヤが手を伸ばす。
湿気が地面へ染み込み、埋められていた細いケメンの網へまとわりついた。線が暗い色で浮かび、ガラスの亀裂のように木々の間へ枝分かれしている。
マヤの表情が変わった。
「ケメンの糸……」
ヤザンが言う。
「踏まないでください」
オスが冷たく尋ねた。
「ケメンもないのに、どうやって見つけた?」
ヤザンは網の上に落ちた葉を指した。
「この葉だけ、露がついていない」
オスがマヤを見る。
彼女は頷いた。
「ケメンが表面の湿気を弾いてる」
ヤザンはすでに糸の間を進み始め、何もない隙間だけへ足を置いていた。
ラカンが命じる。
「先頭はヤザン。その後ろにアナス。マヤは糸を見せるだけでいい。切るな」
一行はゆっくり進んだ。
糸が泥の下へ消えるたびに、マヤが露わにするまでヤザンは止まった。経路が枝分かれすれば、アナスが規則性を読み、交差しない場所を選ぶ。
後ろを歩くオスが言った。
「水で表層ごと押し流せた」
ラカンが答える。
「力を加えた時に何が起きるか分からない」
「爆発なら抑え込める」
「爆発する仕掛けかどうかも分からない」
オスは黙った。
数十歩進むと、網は唐突に途切れた。
ヤザンが顔を上げる。
木のない円形の空き地が広がっていた。中央には幹のねじれた巨大な木が立ち、その根が強張った指のように地面へ食い込んでいる。
空き地には風がなかった。
それでも、乾いた葉が土の上を動いた。
アナスが言う。
「一歩下がって」
最初の白い塊が、根の後ろから起き上がった。
顔はない。
目もない。
口もない。
細長い身体の上に、滑らかな頭部があるだけだった。
反対側から二体目が現れる。
三体目。
四体目。
五体目。
五体の怪物が、音もなく木を囲んだ。
ワーイルが小さく言う。
「何なんだ、あれ……」
アドナンが答えた。
「動けば分かる」
それらは動いた。
すべてがラカンへ向かったわけではない。
五方向へ散り、班と班の隙間を狙った。
ラカンが叫ぶ。
「隊列を割らせるな!」
アルダが掌で空気を打った。
横殴りの風が走り、二体を木の方へ押し飛ばす。反対側ではアドナンが一歩踏み出し、両前腕を凝縮したケメンで覆った。ナーダへ届く寸前で、三体目の一撃を受け止める。
足元の地面が揺れた。
白い腕を掴んで身体を捻り、ラーイドへ投げる。
ラーイドは構えていた。
肩からぶつかり、アミールが同じ側面へ一撃を重ねる。
怪物は岩へ激突し、胴の半分が砕けた。
血は出なかった。
亀裂の間で粘つく白い物質が動き、身体を組み直し始める。
アミールの目が見開かれた。
「再生するのか」
アナスが言う。
「同じ攻撃を繰り返すな」
四体目がワーイルへ飛びかかった。
ワーイルは反射的に退いた。
脚は逃げようとしていた。
だが、すぐ後ろにはアスマーがいる。
足を踏み止めた。
両腕を顔の前に上げ、攻撃を受ける。
身体が後ろへ押し流された。それでも倒れなかった。
アスマーがその隙を逃さず、怪物の足元へケメンを叩き込む。体勢が崩れたところへラーイドが横から飛び込み、地面へ倒した。
ラーイドが叫ぶ。
「踏ん張れ、ワーイル!」
恐怖は顔に出ていた。
それでも、ワーイルは答えた。
「踏ん張ってる!」
五体目がヤザンへ迫る。
届く前に、オスが動いた。
手を上げると、湿った土から水が弾け、太い縄のように怪物の身体へ巻きついた。勢いのまま空中で止まる。
オスが指を握った。
水が圧縮される。
白い身体は中央から砕け、二つに分かれて地面へ落ちた。
オスがヤザンを見る。
「自分を守れるというのは、こういうことだ」
ヤザンは答えなかった。
落ちた二つの断片を見ている。
白い物質が再び動き始めた。
だが、すぐには繋がらない。
滑らかな頭部が、まず木の根へ向いた。
それから再生が始まった。
ヤザンが言う。
「自力で再生してるんじゃない」
アナスがその言葉を拾った。
頭のそばを通り過ぎた長い腕をかわし、アドナンが砕いた怪物を見る。
そちらも胸を再構築する前に、同じ場所へ頭を傾けていた。
「全個体が木を見てる」
マヤが水を地中へ伸ばす。
感覚が根にぶつかり、その内部に異質なものを捉えた。
自然の水ではない。
わずかに溜まった、淀んだ、脈動のない液体だった。
「一番太い根の下に、何かある」
オスは怪物から目を離さなかった。
「感じ取れたのなら、なぜ入った時に見つけられなかった?」
「中の水が死んでるからよ。生き物の体内にある水のようには動かない」
ヤザンは地面へ身を低くした。
周囲の戦いを意識から外し、根だけを見る。
怪物が攻撃を受けるたび、再生が始まる前に一つの根のそばで土がわずかに震えていた。
そこを指す。
「あそこです」
オスが言った。
「マヤも同じ方角を示した」
「根の真下じゃない。後ろです」
オスの目がマヤへ移る。
マヤはさらに細い水の糸を亀裂へ通し、目を見開いた。
「合ってる。根の後ろに空洞がある」
怪物の一体がヤザンへ道をこじ開けた。
ラーイドが阻むが、白い腕が伸び、肩へ巻きつく。
アミールが飛び込み、関節を打った。
腕が折れ、ラーイドが解放される。
ラカンが叫んだ。
「マヤ、空洞を開け! アルダ、道を作れ!」
アルダが木の前の空気を打ち抜く。
落ち葉と土が剥ぎ取られ、絡み合う根が露出した。
マヤが両腕を上げる。
ヤザンの示した亀裂へ水が流れ込み、内側から膨張した。木が裂け、根の一部が外れる。
その下に、拳ほどの黒い物体が現れた。
石ではない。
脈打っていた。
細い糸がそこから伸び、地中を通って五体の怪物へ繋がっている。
アナスが言った。
「あれが命令を送ってる」
オスがヤザンを見る。
「あれが発信源なら、探知術が捉えたはずだ」
代わりにアナスが答えた。
「常にケメンを送り続けていないなら、捉えられません」
再生中の怪物を示す。
「攻撃を受けてから心臓が反応するまで、間がある。あれは力を供給しているんじゃない。命令だけを送ってる」
マヤの指から水滴が落ち、心臓を囲む亀裂へ入り込んだ。
「表面に水をつけたわ」
ラカンが言う。
「そのままにしろ。動かすな」
ヤザンが心臓へ一歩近づいた。
同時に、五体の怪物が動く。
目の前の相手への攻撃をやめた。
すべてがヤザンへ向き直る。
オスが叫んだ。
「下がれ!」
水塊がヤザンの足元を打ち、白い身体に包囲される寸前で彼を後ろへ弾いた。
だが、怪物たちはヤザンを襲わなかった。
心臓の周りへ集まった。
一つの身体が別の身体へ溶け込む。
腕も脚も胴も、一つの膨れ上がる塊へ融合していく。白い骨が砕け、形を変えながら組み直され、滑らかな頭部が木の枝に届く高さまで持ち上がった。
巨大な影の下で、各班が後退する。
黒い心臓が根の間から動いた。
伸びた白い物質がそれを包み、怪物の胸の内側へ呑み込む。
滑らかな顔に、淡い青色の光を宿す二本の裂け目が開いた。
ワーイルが呟く。
「これが……あの大型個体か」
巨大な腕が振り下ろされた。
ラカンが叫ぶ。
「散れ!」
全員が別々の方向へ跳ぶ。
手が地面を打ち、土と石が広い範囲へ爆ぜた。
マヤはヤザンとアスマーの前に水の壁を立てた。衝撃そのものは止められなかったが、勢いを削ぐ。ヤザンは地面を転がり、根へぶつかった。手をついて、頭が打ちつけられるのを防ぐ。
反対側では、オスがラーイドとワーイルを濃密な水の弧で包んだ。石は表面で砕け、二人の周囲へ落ちる。
オスが立ち上がり、怪物へ掌を向けた。
圧縮された水流が走り、白い肩を貫いた。
身体に大穴が開く。
周囲の物質が動き、穴を塞ごうとした。
「再構築する前に引き裂く」
「駄目だ」
ラカンの命令だった。
オスが彼を見る。
ラカンは胸の内側にある心臓を追っていた。
「無傷で確保する」
巨体が再び襲いかかる。
ラカンは退かずに前へ出た。
振り下ろされる腕の下を抜け、凝縮したケメンを膝へ叩き込む。白い物質に亀裂が走り、脚が折れ曲がった。
反対側からアルダが動く。
怪物の背後へ風圧を加え、傷んだ膝へ重心を押しつけた。
アドナンが叫ぶ。
「今だ!」
彼とラーイド、アミールが同じ脚へ飛びかかった。
三つの打撃が続けざまに入る。
膝が砕け、巨体が片側へ倒れた。
空き地全体が揺れる。
ラカンが呼んだ。
「アナス!」
アナスは、怪物が倒れた瞬間に現れた糸を見ていた。
「繋がったままです。包囲するたびに、向こう側の何かが命令を変えてる」
「心臓を引き戻せるか?」
アナスはその意図を悟った。
黒い物体の脈動を見る。
「空間を介した接続なら、可能です」
マヤが言う。
「表面につけた水が、脈打つたび内側へ引かれてる。向こうから何かが吸ってるみたいに」
巨体が立ち上がった。
砕けた脚は、先ほどより速く伸びている。
両腕を打ち合わせると、ケメンの波が地面を走った。
アルダが風の壁を立て、アドナンが波の中心を打つ。圧力は二人の間で割れたが、どちらも数歩押し戻された。
怪物がマヤへ突進する。
身体が回るより先に、ヤザンは肩の動きを見た。
「マヤ、右だ!」
彼女は問い返さなかった。
身を沈め、足元に作った水の帯を滑る。
拳が頭上を通過した。
腕を返し、怪物の関節へ水を集める。力を止めるのではなく、動く角度を変えた。
拳は彼女の代わりに幹へ激突した。
同時に、オスが岩塊へ跳び乗る。
圧縮した水の槍を怪物の胸へ放った。
槍は表層を貫いたが、心臓へ届く寸前で逸れた。
オスが地面へ降りる。
「身体の中で心臓を動かしている」
白い表面の波を見ながら、ヤザンが言った。
「無作為じゃない」
オスが鋭く彼を見る。
ヤザンは続けた。
「一番強い攻撃から、最も遠い場所へ移してる」
オスの攻撃では左へ動き、ラカンが進み出た時には下へ沈んだ。
アナスが言う。
「操ってる奴は、あれを通して俺たちを見てる」
ラーイドが尋ねた。
「なら、どうやって届く?」
ラカンが答える。
「一つの場所を選ばせる」
矢継ぎ早に命令を出した。
「アルダ、後ろから動きを塞げ。アドナン、左から圧力をかけろ。ラーイドとアミールは脚だ。ナーダとアスマーは、剥がれた物質を戻すな」
次にマヤを見る。
「心臓が現れても、引き抜くな」
「位置を示すだけにします」
「アナス、命令が変わる瞬間を知らせろ」
アナスが頷く。
ラカンはオスへ向いた。
「心臓は生かしたまま確保する」
オスの周囲に水の輪が浮かぶ。
「分かった」
「ヤザン、俺の後ろにいろ」
ヤザンは異を唱えなかった。
攻撃が始まる。
最初はアルダ。
風が巨体を包む。切り裂くのではない。質量を前へ押し、後退を封じる。
アドナンが左側へ凝縮したケメンを浴びせた。
心臓が遠ざかろうとする。
アナスが捉えた。
「右肩へ上がる!」
ラーイドとアミールが両脚へ走る。
ラーイドが一方を正面から打ち、アミールがもう一方を後ろから押した。怪物は体勢を崩しながらも、長い腕を二人へ伸ばす。
一瞬、二人の動きが止まった。
アナスの後ろで、ワーイルが迫る腕を見ていた。
逃げることはできた。
だがアナスは心臓の動きへ集中し、攻撃に気づいていない。
ワーイルはその前へ出た。
持てるだけのケメンを立ち上げる。
腕が障壁へ激突した。
膝が折れかけ、足が土の上を滑る。
アスマーが叫んだ。
「ワーイル!」
自らも後ろで踏ん張り、障壁へケメンを送り込む。
ナーダが横から入り、腕の関節を打った。
軌道が二人から逸れる。
ワーイルは荒い息を吐きながらも、立っていた。
背後からアナスが言う。
「ありがとう」
ワーイルは振り返らなかった。
「心臓だけ見てろ」
アナスの顔に小さな笑みが浮かぶ。
そして声を上げた。
「胸の中央へ移った!」
マヤは細い水の糸で巨体を囲んだ。
拘束するには足りない。
だが、白い皮膚の下を走る波が浮かび上がる。
心臓の影が現れた。
「そこ!」
ラカンが動いた。
低く下がった怪物の腕へ乗り、その上を駆け上がる。巨体が腕を持ち上げようとするが、アルダが肩を風で押さえ、アドナンが反対側の脚を固定した。
ラカンは胸へ辿り着いた。
拳をケメンで覆い、叩き込む。
白い表層が弾けた。
内側に黒い心臓が現れる。
「オス!」
オスが両手を上げた。
空き地の湿気が震える。
苔から、葉から、土から水が抜け出し、心臓の周囲で密度の高い球体になった。黒い物体は肉の奥へ滑り込もうとしたが、水が全方向から囲み、白い物質から切り離す。
オスが指を握り込んだ。
水球が縮む。
ラカンが言う。
「潰すな」
オスの目に冷たい光が宿った。
「潰す気なら、言い終える前に終わっている」
ラカンは巨体の胸を蹴り、離れた。
同時に、ラーイドとアミールが両脚を砕き、アルダが背へ下降気流を叩きつける。
巨体が倒れた。
マヤは開いた傷口へ二本の水流を通し、残った白い物質をオスの水球から引き剥がした。
心臓が震えた。
一度。
二度。
その周囲で空間が収縮し始める。
洞窟にスカイが現れた時と同じ圧力を、全員が感じた。
アナスが叫ぶ。
「向こうが引き戻してる!」
ラカンが答えた。
「道を残してやれ」
アミールの目が見開かれる。
「持っていかせるんですか?」
「戻り先を見る」
水球の中で心臓が浮かび上がった。
背後の空中に、黒い線が一本現れる。
風は止まっているのに、周囲の木々が揺らいだ。
線がゆっくり広がる。
空間そのものが裂け、その向こうに暗い石造りの通路が覗いた。
黒い心臓が内側へ飛び込もうとする。
オスは水で絡めたまま、裂け目の縁に留めた。
引く力に耐える両腕が震える。
「向こう側から引かれている」
ラカンが尋ねた。
「どれだけ保つ?」
「数秒だ」
巨体の残骸が起き上がる。
もう一つの身体ではなかった。白い塊となって地面を這い、心臓へ向かっている。
ラカンが叫んだ。
「アルダ! アドナン!」
アルダが裂け目と残骸の間に立った。
風が身体を巡り、最初の二塊を木々へ弾き飛ばす。
反対側へアドナンが入り、オスの脚へ巻きつこうとした三つ目を打ち落とした。
ラカンは素早く言った。
「ここで分かれる」
アドナンを示す。
「外の指揮を執れ。証拠を集め、この地点を確保しろ。何があっても、俺たちの後から誰も入れるな」
アドナンは迷わず頷いた。
次に、ラカンはアルダを見る。
「俺たちが渡るまで通路を守れ。閉じたら、アドナンと共に戻れ」
アルダが尋ねた。
「誰を連れていく?」
ラカンはマヤを見た。
「お前は俺と来い」
マヤはすぐに進み出た。
「辿るのは手がかりだ。恐怖ではない」
一瞬だけ止まり、彼女は頷いた。
「了解しました」
ラカンの目がオスへ移る。
「向こう側で、お前の力が要る」
心臓を引く力に抗いながら、オスが答えた。
「ここに残るために来たわけではない」
最後に、ラカンはヤザンを見た。
「お前もだ」
オスの表情が変わる。
「こいつも?」
ラカンはヤザンから目を離さなかった。
「ケメンで見つけられなかった道を見つけたのは、こいつだ」
短い沈黙が落ちた。
ラカンはヤザンへ言う。
「見えたものを報告しろ。あってほしいものではない」
ヤザンが答えた。
「分かりました」
アミールが近づいた。
「俺を代わりに行かせてください」
「お前はここで必要だ」
「ですが――」
「俺たちが渡ったあと、この通路から何か出てきたら、お前が最初に止めろ」
アミールは顎を強張らせた。
残ることは、危険から遠ざけられることではない。
別の任務だった。
彼は頷いた。
引力が強まり、空間の裂け目がわずかに広がる。
オスが叫ぶ。
「長くは保たない!」
ラカンが最初に飛び込んだ。
黒い表面を越え、石の通路へ消える。
マヤが続いた。
入る直前、残る学生たちを振り返る。
アナスと目が合い、その視線はラーイド、ワーイル、アスマー、ナーダ、アミールへ移った。
何も言わなかった。
そのまま渡った。
オスは最後にもう一度指へ力を込め、水を、心臓の周囲で高速回転する硬い殻へと圧縮した。
「手を離してから三拍は拘束が保つ」
ヤザンを見る。
「途中で止まっても、迎えには戻らない」
ヤザンが答える。
「なら、あなたも遅れないでください」
オスの目が細くなった。
そして水から両手を離し、裂け目へ飛び込む。
心臓が動き始めた。
一拍目。
白い塊が再び進む。
アルダの風がそれらを打つ。だが一つが風の下を抜け、ヤザンへ向かった。
ラーイドが割って入り、横から打ち倒す。
「走れ! お前を立たせるために道を開けたんじゃない!」
二拍目。
ヤザンが走る。
背後では、ワーイルがアスマーの隣で位置を固め、アナスがアドナンの側へ移った。ナーダもアミールの死角から白い塊が入れないよう、そばへ寄る。
もう誰も、一人では戦っていなかった。
三拍目。
ヤザンが裂け目へ飛び込んだ。
白い手が閉じる寸前に、闇が彼を呑み込む。
心臓が水球の拘束を脱し、内側へ吸い込まれた。
空間が閉じる。
白い塊は何もない空中を打ち、ラーイドの前へ落ちた。
学生たちはその場から退いた。
アドナンは、四人が消えた空間を見つめ続けていた。
アルダが言う。
「渡ったわ」
アドナンが答えた。
「俺たちはまだ終わっていない」
這う残骸へ向き直る。
「アルマズ隊! 位置を固めろ!」
*
向こう側へ出たヤザンの膝が、冷たい石床へぶつかった。
顔から倒れる前に、マヤが手を伸ばして腕を掴む。
二人のすぐ前では、ラカンが天井の低い通路の入口に立っていた。
オスは脇にいる。術から離れた水滴が掌の周りを巡り、やがて床へ落ちた。
黒い心臓が地面へ落ちる。
通路の奥にケメンの糸が現れ、それへ巻きついた。
心臓は勢いよく引かれ、暗い角の向こうへ消える。
ヤザンが追おうとした。
ラカンが胸の前へ腕を出す。
「待て」
ヤザンは止まった。
四人は周囲を見た。
黒い壁。
濡れた床。
片側に沿って伸びる狭い水路には、ゆっくりと水が流れている。
窓は一つもない。
どれほどの距離を越えたのか示すものもなかった。
マヤが角の向こうへ水の糸を伸ばす。
数歩進んだだけで止まった。
通路の奥に光が灯る。
最初のランプが、淡い炎を上げた。
その先でもう一つ。
さらに三つ目。
一つずつ灯りが連なり、建物の奥へ続く長い道を描き出していく。
オスが拳を握った。
「俺たちが渡ると分かっていたのか」
ラカンは灯りを見た。
驚いた様子はない。
ヤザンが尋ねる。
「なら、ここが奴らの隠れ家ですか?」
ラカンが答えた。
「違う」
ヤザンへ振り返る。
「ここは、奴らが俺たちを辿り着かせたかった場所だ」
通路の先から、遠い音が響いた。
石と石が擦れる音。
続いて、背後で何かが閉じた。
オスが振り返る。
裂け目は消えていた。
戻る道もない。
マヤは水路から水を持ち上げ、周囲に三つの細い輪を作った。
ヤザンはラカンとオスの間に立ち、床へ伸びる光を見た。
濡れた石がある。
完全に乾いた石もある。
遠くで、最後のランプの後ろを影が素早く横切った。
ヤザンが指を向ける。
「俺たちだけじゃない」
ラカンが一歩進んだ。
「離れるな」
道の先で、新たなランプが灯った。
明かりは、ただ通路を照らしているのではなかった。
四人を、その奥へ導いていた。
ここは、打ち捨てられた場所ではない。
彼らを待っていた。




