伊代ならいいよ 3
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今日も、私は箸でさした野菜を、弁当箱のすみに追いやって遊んでいた。
「憎しみは愛の裏返し」
と思いながら、私にいじめられた、野菜を見つめていると、自然と口角があがった。母親になんて言おう、なんて言われるだろう、と私が考えていたとき、どこかでガラスが割れて悲鳴があがった。
みんながふり向くような最悪な事がおきても誰も悪くないのだとこの頃から私は思うようになった。
「あっ」
いま一瞬、教室の、扉のすきまから、廊下を走っていく教員の姿がよぎって見えた。
次に、「廊下を走ってはいけない」
という言葉が、私の背後を、びゅんと、とおり過ぎていったように感じた。
そうそう、廊下なんて、あんな風に、走ってもいいのだと思う。
ああやって、いざとなれば、大人だって走るのだし。
それにぶつかって怪我をするというなら、頭でも何でも打って、病院にでも送られればいい。
教員らも。
生徒らも。
あ……、いや…、さらに、その走っていった教師の姿を、何人かの生徒が、そのあとを、追いかけるようにして、走っていく影が、私にはみえた。そのなかに、真剣な顔をしている生徒はひとりもいなかった。それどころか、笑い声さえ、聞こえてきた。
それに比べて、先頭を走っていった教師(たぶん私の担任)は、かなり厳しい表情をしていた。
その、いわゆる”鬼”のような顔を思いだすと、私はもっと過去に、それと同じ顔を、どこかで、見たことがあるような、そんな気がした。
またか、とも思った。
また、思い出してしまった。あの”体育館裏”の出来事だった。
私は、あの日以来、もう、数えられないほど、あの体育教師の怒鳴り声を、頭のすみで聞いた。
もう、過ぎ去ったできごとなのに、どうして消えないのだろう。
しかも、消えないどころか、もう三年がたってなお、あの太い声と、険しい顔は、その…「私にも今となっては何が怖いのかが分からない」、という点において、頭の中で、その意味不明な、恐ろしさが、私の中で、少しずつ、増していくような気さえ、しているのだ。
いつ、あの体育教師のように、父親まで酔って、暴れだすのかと、冷や冷やとするほどだった。
なのに…、なのに、だ。私にはなんでだろう、あの日の体育教師が、「悪い」、とも、思えなかった。
いや悪いに決まっている。…のか。
私って、考えすぎ…なんだろうか。
だって鳥居をいじめていたのだから。…悪い。のか。
いいや、それはなんだか、適当に、本当の”何か”を、ごまかしているような感じがする。
言葉遊び、というのか。わからない…うん…たぶん、自分でも分かっていない。
でも…それにしても、と思う。
さっき走っていった担任よりも、それを追っていった生徒たちのほうが、なんというか。
なんというか。目に見えないしあるのかも不明な、「悪さ…?」、なんかを、叱ったりする。…
”ああいう理性を失ったような”、大人の、鬼みたいな顔よりも…なんか。
楽しそうに、廊下を、駆けていく、生徒たちの笑い声のほうが……。
私の心には、「悪」、だと、だんぜん、はっきりと響いてくるのはなぜだろうか。
私はずっと、私達、というか、まだ子供、というか、まだ大人ではない存在にとって。
「悪」、というか、敵のようなものは、ずっと、オトナ、なのだと思っていた。漠然とだけど。
だから私の味方は、もし…味方がいるのだとしたら、それは同じクラスや、同じ年齢の人たちしか、いないのだと、思っていた。でも、それよりも、鳥居はもっと、ずっと、私に近い存在なのだと思っていた。
最近になって、”この学校”には、味方がいないのだと、私は思うようになってきた。
それと同時に、なぜか、『誰も悪くない』、なんてことを、私は、それを信じよう、信じよう、と、「小さくなろう」、と、自分自身に、つよく、言い聞かせるようになっていた。
私は、弁当箱の、すみに追いやった、苦くてマズい野菜たちを、ぼんやりとみつめる。
この、突っつかれまくった”残骸たち”が、「何かべつの…お菓子やデザートに変わればいいのに」
とか。…
思うと、なんか無性に悲しくなって、誰でもいいから、また私の、頭を、叩いて…
なんて、卑屈なことを、考えてしまう。(いつから私はこんな風になってしまったんだろう)
そんなアホみたいなことを考えていると、どこかから、
「ナオ」、と聞こえて、私は、ふりかえる。
違った。空耳だった。
さっきガラスが割れた、靴箱のほうから、聞こえた気がした。
(靴箱といえば私のクツは今日は無事だろうか)
そうそう!…そういえば、鳥居が私なんかを、「奈央」、と下の名前で呼んでくれるようになった。
お互いが別々の高校に入ってからだった。
私は、がまんして噛んでいた人参を、のみこむ。
私なんか、三年も前から、椅子に画鋲を置いた『罪悪感』で、彼女に優しくせっすることができていたようなものだ。
でも、むしろそんな私を、許して(いや…彼女は彼女なりに、私への復讐を考えていたのかもしれないけれど…)、仲良くしてくれる鳥居と、出会えた、きっかけになったのだから。…
それはそれで…?
いいことも悪いことも…ぜんぶぜんぶ、ね、いい思い出だと思っている。
なんて。…
そんな「私」がいたから、鳥居は、今の高校生活に、馴染めていないらしかった。
私も、同じだった。”同じ”だと思いたかった。ただ、それは私のせいだったのだ。
私は鳥居の「強さ」を知っていた。
この腐った世界にとらわれない、「真っ直ぐ」、で、「正しい」。そういう強さだ。
それを過信していた私は、中学三年生のとき、進路希望調査票の、第一志望に、
『鳥居伊代と同居したい』と書いた。それを、順々に前の机へ送るあいだに、誰かに見られた。
それを言いふらした生徒はべつに悪くない。
うん。
悪くないけれど、言いふらした奴を、殺して、地獄に落とせたらいいなとは思った。
その事をきっかけに私は「レズ」というコトバを知り、ある日、私はそのコトバの、矢面に立った。
私は今でも言葉には意味がないと思っている。
でも、意味をもたないゴミでも、誰かの人生を狂わせることがある。
私なんか鳥居の世界から消えたほうがいい。「しんで」と言われる心の準備だけは済ませている。




