第8話 姫君と護衛の甘酸っぱい関係
蒼迅は山道を塞ぐように群がっている氷結蜘蛛や岩石人形の群れに向かって雷撃を放った。ガクも獣の力を解放し、赤魔ネズミに向かって鋭い爪を突き立てた。
蒼迅は苛立ちを隠せなかった。長年、心の中で想い続けていた蓮音を、彼女を愛しているわけでもない敵の男・帝国の皇帝昇昊に奪い取られた現状だけでも許しがたいのに、急に現れた得体のしれない男が、口説くかのような言動を見せているのだ。
蓮音は気が付いてなさそうだったが、あの男が蓮音を見る目は明らかに愛しい女性を見つめるような目だった。あの男の風貌だったら女には不自由していないだろうに、寄りによって蓮音を狙うとは!
蒼迅が初めて蓮音に出会ったのは、今から9年前、蓮音が8歳、蒼迅が12歳の時だった。蓮音の父であった珠 建叡に拾われた孤児の蒼迅は、「娘とその従兄の王子の遊び相手になってほしい」と請われて王城にある姫の部屋を訪れた。
建叡は伝え聞いていたのとは真逆の印象の温厚篤実な人物だった。その娘はどれだけ淑やかな姫なのだろうかと緊張して、手が汗でびっしょり濡れていたことを今でも覚えている。
姫君は部屋にいなかった。開け放たれていた窓から庭園に探しに出たところで上から落ちてきた何かが蒼迅の頭を直撃する。
思わず、「いてっ」っと声を出して頭をさすりながら上を見上げたら、紅い髪に翡翠色の大きな瞳の小さな女の子が木の枝に座っていて、口の周りをぐちゃぐちゃにしながら、スモモを食べていたのだ。
蒼迅に気が付いた姫は裳の中にスモモをいくつか包み、それを抱えて軽やかに地面に飛び降りた。片手を裳に添えたまま、もう片方の手でスモモを掴んだ彼女はそれを蒼迅に差し出して言った。
「これたべたいの? はい、いっこあげる!」
その時蓮音にもらったスモモの甘酸っぱい味はそのまま蒼迅の恋心になり、今も彼の中で消えずに残っている。
一方の、王子の伯栄は絵にかいたような王族だった。蒼迅とは二つしか年が変わらなかったが、冷静沈着、知徳兼備の貴人で、破天荒な蓮音でさえも伯栄には逆らったりしないのだ。蓮音が自分のものにならないのであれば、彼女の相手は伯栄であってほしかった。もっとも、当の二人は互いに対して微塵も恋愛感情を抱いてはいなかったのだが。
「クソッ、クソッ!」
いつもよりも凄まじい勢いで、蒼迅は槍を繰り出し続けた。
修練場まで戻ってくると、エリック以外の他の仲間が外でそろって待っていた。明鈴は今にも泣きだしそうな顔で小走りに駆け寄ってきて、「姫様、ご無事でなによりですわ」と言いかけてその言葉を飲み込んだ。
蓮音の隣に見慣れない男、しかも一瞬にして目を奪われる美男子がいたからだ。
「明鈴、声をかけずに出かけちゃってごめん。みんなも外で待たせちゃってごめん」
「従者としてはこれくらい当然だよ。やっぱり、狩りに行ってたんだね。で、そちらの色男君は誰なのかな?」
海遠に尋ねられて蓮音は剣護を紹介した。明鈴と万梅は瞬きをするのも忘れて美貌の男に見入っていた。
「あっ、そういえば、蒼迅隊長とガクはどこに?」
男の美しさに目がくらんでしまい、二人がいないことにしばらく気が付かなかった万梅が聞く。その質問には同行した香隠が回答をする。
明鈴は、蒼迅隊長に新たな好敵手が現れたことに危機感を抱いていた。姫君と護衛の禁断の恋はまったくもって明鈴の思い描く台本通りに進んでくれない。始まったばかりの二人の旅にいきなり絶世の美男子が乱入してくるなんて全く聞いていない。
だけど、明らかな恋の好敵手の出現によって、二人の恋にも動きがあるかもしれない。
『美しい姫よ。そなたを俺の九十九人目の側室にしてやろう』
『李益、いくら顔がいいからって女の純情を弄ぶなんて、ひどいわ! やっぱり、わたしには蒼迅しかいない。助けて、蒼迅』
『李益、てめえ! 俺の姫さんに手を出すんじゃねえ! この槍の餌食にしてやるぜ!』
みたいな?
(それはそれで、案外ありかもしれませんわ……!)
「さあ、お嬢様、夕餉の支度ができていますわ。餐庁(食堂)へ参りましょう」
明鈴は妙な妄想をしながら、蓮音に声をかけた。
「あっ、李公子、お食事はまだでしょ? よかったら、一緒にどう? ご飯はみんなで食べたほうがおいしいからね」
一方で蓮音は深く考えずに剣護を食事に誘った。
「誘ってもらえてうれしいよ。ずっと一人旅だったから」
「そうなの? じゃあ、旅の話でも聞かせて」
「もちろんだよ」
二人は楽しそうに話しながら、当然のように食堂へ入り、席に着く。しかも図々しくも李益は蓮音の隣に陣取っているではないか。
それを見た海遠が穏やかに、だけど若干意地悪く尋ねる。
「お嬢様、本当にそちらの公子も一緒に食事をするので?」
「ああ、そうだ。美環お嬢様に誘われたんだ。何か問題でも?」
李益は蓮音と話しているときは温和なのだが、他の人と話すときは声音も口調も明らかに好戦的だ。もっとも、こちら側も攻撃的だから仕方がないのかもしれないが。
「いやいや、何の問題もないですよ。ボクらは明日の朝にはここを立つけど、一宿一飯の恩を感じてもらう必要なんてないですからね」
海遠が牽制の一言を投げかける。
「一宿一飯ってここはあんたの家じゃないだろ? それに奇遇だなぁ。僕も明日にはここを出て神雲国、旧南黄から開国の益水城に行く予定なんだ。そろそろ故郷に帰ろうと思ってね」
それを聞いて海遠と香隠の表情が曇る。まさかの旅の行程が途中まで完全に被っている。これではこの先もこの男が姫と関わりかねない。なんとかせねばと思案している間に、蓮音が絶対に言ってほしくない一言を口にする。
「そうなの!? じゃあ、わたしたちと一緒に行かない? 神雲国や南黄帝国跡地は魔物や盗賊も多いっていうし。あなたはちょっと危なっかしいところがあるし、一人旅は心配でしょ?」
「本当に? そういってもらえるとありがたいな。じゃあ、よろしく頼むよ」
「……姉様、この旅の目的をお忘れではないですよね?」
男の存在を怪しんでいる香隠が蓮音に釘を刺す。
「もちろん! ところで、李公子は開国の出身なの?」
「いいや、生まれは南黄帝国なんだ」
「へえ、わたしも南黄帝国の出身で商売人の娘でしたが、李公子の御実家はどのような商売をなさっていたので? もしかすると親同士が知り合いだったりするかもしれません」
「それはない。僕は戦乱が激しくなる前に開王国に移住したから、商売もそこで始めたんだ」
本当にこの男がただの商人なのか疑い、万梅が突っ込むが、剣護は蓮音に向かって答えた。
「で、色男殿の店では何を売っているので?」
「……手広くやっている。娘々、助けてもらったお礼がしたい。ほしいものがあったら何でも言ってみて。あなたが望むものを用意したい」
こちらも質問したのは海遠だが、剣護は海遠を一睨みした後で蓮音に向かって話した。
誤魔化した返答をしているようだが、嘘は言っていない。まずは自国の民が飢えないように食料を確保したうえで、商業や工芸を振興し、豊かな国を自らの手で作り上げる。開国の利点でもある商業に力を注いでいるので、自分は商人だと言っているのだ。
彼は魔王だが、力を頼りに他国を侵略して領土を広げるつもりはない。なぜかというと、今彼がしているような国家運営をしたほうがあの時の少女に喜ばれるだろうし、褒められると信じているからだ。
山から戻った蒼迅とガクが姿を現した。
「げっ」
蒼迅は剣護が蓮音の隣に当然のように堂々と座っているのを見て、心底げんなりした。




