プロローグ 出会い
帝国の国境沿いにある辺境の砦、そこにようやく、”鬼姫”を名乗る女が姿を現したという一報を受けて、皇帝は足早に彼の地を目指した。
(ようやく来たか、鬼姫よ。待ちかねたぞ)
遠目にもよくわかる、燃え立つような深紅の炎を思わせる紅い髪の姫。その髪のように、戦場での彼女は苛烈極まりない戦っぷりで”鬼姫”として名を馳せていた。
一方で、その姫は、”鬼”の名とは真逆な、八重咲の花のように可憐な風貌をしているのだ。
そしてその両極端な印象は彼女の性格にも表れていた。
武人として王族としての風格を兼ね揃えながらも、相反する愛嬌も持ち合わせた姫だった。多くのものは、天衣無縫、天真爛漫、奇想天外な鬼姫の言動に振り回されると共に、気が付いたらその魅力の虜になっていた。
鬼姫を一瞥した皇帝は、一瞬、身体をこわばらせる。
彼女とは一度顔を合わせたことがあるだけではある。が、一度とはいえ、皇帝は鬼姫の突拍子もない性格はよくわかっているつもりだった。
にもかかわらず、ここに、自分との婚姻のために現れた彼女の行動に度肝を抜かれ、思わず天を仰ぎ見た。
なんと、彼女の傍らには、華やかな装いの、背の高い見目麗しい男が寄り添っているではないか。
皇帝に嫁ぎ、後宮の主である皇后となるというのに、あろうことか、鬼姫は堂々と恋人を連れてきたのだ。
◇ ◇ ◇
時を遡ること約9年。某国の山中に一人の少年の姿があった。
そこは辺り一面の暗闇に閉ざされていた。
昼間だというのに暗く、鬱蒼とした森の中にいたからなのか、それとも少年の心が、諦念、悲痛、絶望といった負の感情に染め上げられていたからなのか。
「……ああ……ようやく、このくだらない人生が終わるのか…………」
ひたすら蔑すまされ、誰かに求められたり愛されたりすることもない。それが少年にとっての”生”全てだった。
少年は、身体を横たえ、うずくまると、抵抗をやめて最期の時を待った。血と泥に塗れ、所々擦り切れた服をまとい、全身からおびただしい量の血を流しながら。
魔獣に食われて終わるのは、呪われた自分の最期によくお似合いだ。自嘲気味に口元を歪ませると、静かに目を閉じた。
一瞬、何かが目の前で光った。一筋の風が頬に吹き付ける。
と同時に、自分の身体を切り裂き、食らおうとしていた猛獣・大牙熊が吹っ飛び、断末魔の叫びをあげる暇もなく、どさっと崩れ落ちた。
何が起きたのだろうか。
重たい瞼を開けると、オオカミの顔が、いやよく見ると自分とさほど歳の変わらない子どもの姿が飛び込んできた。オオカミと思ったのは、その子の被り物だったのだ。
「よかったぁ。間に合ったっ。大丈夫? すごいケガだけど、起きられる? あっ、無理して動かないほうがいいか。やっぱりそのままで待ってて。血がいっぱいでているところだけでも止めておくね。麓まで戻ればわたしの仲間がいてちゃんと治してくれるから大丈夫だからね」
話し方からすると女の子だろうか、その子は、手に持った刀を鞘に納めながら矢継ぎ早に話しかけてきた。
少年が戸惑い、答えあぐねている間にも、少女は自分の着ている服の裾を破いて、特に深い傷ができている左の太ももやわき腹、肩にそれを一生懸命に巻き付けた。
「あなた、名前は? 麓の村の子? おうちはどこ? どうしてこんな危険なところに一人でいるの? こんな危ないところに小さな子ども一人できちゃだめでしょ」
少女のおしゃべりはとどまる所を知らず、次々と質問が飛んできた。急かしつつも、答える暇さえ与えない勢いで。
「ぼ、ぼくは……その……」
少年は、この少女の一連の質問にどう答えたらよいのか、少し思案した。というのも、彼はこの他愛もないはずの質問に答えるすべをもっていなかったからだ。
少年は、家族に見捨てられ、魔獣のエサとしてこの山に捨てられたのだ。
相次ぐ戦乱で農村は荒廃し、山からは魔獣が降りて来ては畑を荒らすため、少年の食い扶持なんてない。少年はいわば生贄だった。
なぜ、彼がこのような憂き目にあうことになったのか、それはすべて彼の呪われた生い立ちにあった。
妾の子だった少年は、容貌が父親にも母親にも誰にも似ていなかったこと、生まれてすぐに母親が亡くなったことから、彼は家族から「呪われた醜い子」として、奴隷のごとく扱われた。
闇を思わせる漆黒の髪、血の滴る刃のような深紅の瞳は、村人たちにも不気味がられた。
軽い傷であれば一日もすれば癒えてしまう回復力、拳で石を砕くほどの腕力――驚異的ともいえる身体能力も、彼を”バケモノ”にする要因の一つだった。
家族も村人たちも彼を恐れていたが、その一方で容赦なくいたぶった。
こんな事情を、小さな女の子に説明できるだろうか。
「……あんただって小さな子どもじゃないか。それにあんたこそ、こんなところにいて何者だ?」
「ふっふっふっ、よくぞ聞いてくれたわね。わたしこそ、かの有名な山賊『食べちゃうぞ団』の首領サマなんだから。あっ、わたしのことは、あねさんとかあねごって呼んで」
まだ、10歳ほどにしかみえない少女は、妙に得意げに答えた。確かに少女はオオカミの頭で作った兜を被っていて、そこだけは盗賊のようではある。
それに「かの有名な」と言うが全く耳にしたことがない。しかも『食べちゃうぞ団』…………。あまりにも滑稽な盗賊団とその首領サマだ。
ついさきほどまで死を受け入れ、絶望の底に沈んでいた少年は、生まれて初めて他人に対して興味を抱いた。
「わたし、こう見えても結構強いの。この辺りの村はどこも食べ物が足りていなくて、だからここには狩りをしに来たの。今日は大牙熊が獲れたからご馳走だよ! あっ、ついでにこれも採ったんだ。あなたもおなか空いているでしょ? 早く元気になるようにこれあげる」
少女は近くに落ちていた篭からスモモを二つ手に取ると、その一つを少年に渡した。そして、隣に座ると自分もスモモにかじりついた。真似るように、少年もスモモに噛みついた。甘酸っぱい果汁が乾いた口の中に広がる。
生き返るようだった。自分は生きているんだ。果汁が体中にしみわたる。少年は初めて生きている歓びを実感したような気がした。
あっという間にスモモを食べ終えた少女は、答えを聞き損ねていた質問を繰り返した。
「で、あなたの名前は? おうちはどこ?」
いつまでもはぐらかすわけにはいかない。少年は、聞かれたことに答える覚悟を決めた。
「名前は……名前で呼ばれたことがないからわからない。家族もいないから、帰る家がないんだ……」
実際に、少年はいつも「バケモノ」とか「あれ」「奴」などと呼ばれていたので、自分の名前を知らなかった。もしかすると名前を付けてもらってさえもいないのかもしれない。それに、捨てられたので帰る家など何処にもない。
これが少年の現実なのだ。
「……うっ、うっ、うわーーーん」
少女は翡翠色の大きな瞳から大粒の涙を流し号泣しだした。少年は、少女の反応に戸惑った。無敵と思われる自称山賊の少女が、一体何を恐れて大泣きをしているのだろうかと。
「えっ、あっ、その、な、泣かないで……」
「だって、うっ、うっ、そんなの、悲しすぎるもん。じゃあ、名前はわたしがつけてあげる……わたしが家族になってあげる……山賊になっちゃうのでよければだけど」
少女は、自分のために涙を流しているのか? 虐げられるだけだった少年にとって、これは前代未聞のことである。
「……山賊はいいけど、でもぼくといるとあんたも不幸になる。ぼくは呪われた醜いバケモノだから」
それは少年の偽らざる本音だった。目の前の少女のことが気になる。だからこそ、こんな自分と関わってはいけないのだ。少女は、涙をぬぐいながら顔をあげると首を傾げた。
「どこが醜いの? 何が呪われているの?」
「ぼくの髪の色は真っ黒だから暗闇で、ぼくの眼の色は紅いから血の色で……魔族みたいだって」
「???」
少女はきょとんとした顔で、少年をじっと見つめた。確かに少年は痩せこけていたし、顔も体も傷だらけで、髪もボサボサだった。醜いというか、酷い状態ではあるのは確かだ。
「ほらっ、あんただって気味悪いって思うだろう?」
少女は腕を組んでいかにも何か考えこんでいるような仕草をした後、ゆっくりと諭すように話し出した。
「でも、暗闇があるから、夜空の星はあんなにきれいにきらめいている。真っ赤な血がながれているからわたしたちは生きているの。だから紅は命の証。燃える炎の色でもあるんだよ。それに見て。わたしの髪」
少女は被っていた、オオカミの頭で作った兜を脱いだ。少年の目の前に鮮やかな紅色の炎が巻き起こったように見えたが、そこにあったのは風になびく少女の髪であった。
「あなたの瞳の色と同じ深紅だよ。わたし、この髪の色、気に入ってるんだけどな。昇る朝日のようにきれいだって思わない?」
少女は、にっこりと笑った。その瞬間、払いきれないほどの闇に覆い尽くされていた少年の心の中にも、大きくてまぶしい朝日が昇ったようだった。
◇ ◇ ◇
大陸の東側にあたる、二筋の大河の周辺に広大な平原が広がるこの地域では、その豊かな土地を巡って古くから大小の国々が興亡を繰り返していた。
争いの多いこの大陸東部において、現在、強国といえるのは鬼姫こと|珠 蓮音《ヂュ リェンイン》率いる彩華国を盟主とした五か国同盟、大昇帝国、それから開国の三つである。
「大昇帝国」は、新興軍事国家であり、若き二代目皇帝・|高 昇昊《ガオ シォンハオ》が治める。
さらに、大陸中央部への玄関口でもある「開国」は、数年前から、悪名高い魔王・黒 煙虎が統治していた。
が、数年来続いていたこの拮抗関係に激震が走る出来事が起こった。




