第1話 姫君の結婚
「主殿、彩華国からの火急の知らせです。彩華国の第一王女・珠 蓮音が大昇帝国の皇帝・高 昇昊に嫁ぐとのことです!」
古今東西の珍しい調度品の飾られた広い執務室の一室に影のごとく現れた、いかにも間者といった風貌の男がそう告げる。男は銀髪に紺色の瞳をしていて、知る人がみれば一目で”銀狐族”の名で呼ばれている獣人であることがわかる。
「なんだと!? 影月、それは本当か?」
その報告に赤茶けた獅子の鬣のような髪をした男が飛び上がって驚く。こちらは”金獅子族”の獣人だ。
「その通りだ、豪毅。これがどういう事態か、ここの弱い貴様でもすぐに理解できたようだな」
影月は自分の頭をツンツンと指しながら豪毅を揶揄いつつ、再び主殿と呼ぶ男の方を向いて話し続けた。
「彩華国の都はもっぱらこの話で持ち切りのようです。我が国にとってもこの二国が強固な関係を結ぶことは捨て置けない事態と思い、取り急ぎ報告に参った次第です。主殿、いかがいたしましょう」
「うむ……」
影月の話に、主と呼ばれていた男が人差し指を頬に軽く当てて反応する。漆黒の長い髪を無造作に垂らした、彫刻のように整った鼻筋にひときわ目立つ切れ長の鋭い紅い瞳が印象的な男は、ひじ掛けに手を戻すと何事もなかったかのように組んでいた長い足を組み替えた。
大陸の東側にあたるこの辺りでは古くから大小の国々が興亡を繰り返していたが、現在、強国といえるのは、東北部にある大昇帝国、中央にある彩華国を盟主とした五か国国同盟、南西部の山岳地帯にある崇王国、それからここ北西部にある開国になる。
十数年前に興ったばかりの大昇帝国の初代皇帝は、もともとはその地を治めていた北黄帝国の将軍に過ぎなかった。それが暴君の失政で苦しむ民を救い理想の国を築く「救国済民」の旗印を掲げて革命を起こし、ついには北黄帝国の皇帝を捕らえて禅譲させた軍事強国である。
ここ開国も数年前に一度大昇帝国によって滅ぼされかけている。というか、一度滅ぼされたのだ。当時の王族たちは捕えられ、処刑され、宮女たちは捕虜として帝国に連行されることになった。その際に帝国軍を殲滅し、開を帝国の支配から解放したのが、今のこの国の新しい主となった魔王・黒 煙虎だった。
数少ない強国同士の大昇帝国と彩華国が手を携えるようなことになれば、開国にとってはそれだけでも大きな脅威になる。
「まさか彩華の姫と大昇の皇帝が婚姻を結ぶとは。まったくもって想定外すぎるな。いろいろな意味で……」
「主殿、やはり我々としてはこの婚姻をなんとしてでも潰すべきかと」
確かに、豪毅や影月が言うように、両国がつながりを持つのは実際のところ考えにくかった。
というのも、二国は一言でいうと何もかもが真逆の国であり、彩華国以外の五か国同盟の国々に対して常に帝国が戦争を仕掛けていたため良好な関係にあるとはいいがたかったからだ。
大昇帝国は建国して日が浅い新興国でありながら、質実剛健を気風とした身分を重んじる保守的な軍事国家だ。一方の彩華国は大陸の東側では最も古くからある伝統国であり、形式的な身分制は保持されているものの、風光明媚な土地柄もあってか文化的で自由な気質の国であった。帝国が大陸の東部統一を狙い南下した際に、いち早く危険を察知した彩華国は、周辺国に呼び掛けて五か国同盟を結成し、その野望を阻止したときからずっと対立状態が続いているのだ。
南下を一旦諦めた帝国は、西側に位置する開王国に目を向けた。開王国は大陸の東側と中央以西をつなぐ要所にあり、古代魔法王国のあった大陸中央部やさらにその先の大陸西側から入ってくる文物の玄関口となっていた伝統国の一国であった。しかし、あっけないもので当時の王室は帝国によってあっという間に滅ぼされてしまったというわけだった。
「大昇帝国憎し」と言う点では、むしろ開国と彩華国こそ同盟に相応しい。地理的な面を考えても、帝国を南と西から挟み撃ちにすることもできるという利点があり、この先帝国と対峙する際の戦略にも幅を持たせることができるようになる。
さらに言うと、実は開国は東南の国境を接している旧南黄帝国跡地を新たな領土に加えるべく密かに作戦を実施していたところだった。というのもここはかつて広大な穀倉地帯であったのだ。この地を押さえることは、農地がさほど多くない開国にとっては非常に重要であった。仮に大昇帝国と彩華国が手を携えることになると、旧南黄帝国跡地は完全に両国に挟まれることになってしまい、領有し続けることが相当困難になることが目に見えていた。
ただ、彩華国と開国の間には大きな問題がある。それはこの開国の支配者が悪名高い魔王であり、その配下には豪毅や影月に代表されるような魔族や亜人が数多くいる、今まで大陸の東側にはなかった特異な国であるということだった。
いくら自由を貴ぶ彩華国だとしても開国のような異質な国との同盟を望むだろうか。仮に彩華国が了承したとして、他の同盟国はどう出るのだろうか。なかなか難しい問題であった。
これらの事情を踏まえて、彩華国の真意を探るべく、魔王自ら彩華国の都である華陽を訪れることになった。




