プロローグ 出会い
「ああ、ようやく、このくだらない人生を終わらせることができる」
生まれてこの方、いいことなんて一つもなかった。蔑すまされ、いたぶられて苦痛に満ちた人生、誰かに求められたり愛されたりすることのない人生。
ボロボロの服をまとい、体中ケガだらけの少年はすべてを諦めて暗い森の中で横になってうずくまり、最期の時をただ待った。魔獣に食われて終わるのは呪われた自分の人生によくお似合いだと静かに目を閉じると、一瞬、何かが目の前で光った。と同時に、自分を食らおうとしていた猛獣である大牙熊がどさっと音を立てて吹っ飛んだ。
「よかったぁ。間に合ったっ。大丈夫? すごいケガだけど、起きられる? あっ、無理して動かないほうがいいか。やっぱりそのままで待ってて。血がいっぱいでているところだけでも止めておくね。麓まで戻ればわたしの仲間がいてちゃんと治してくれるから大丈夫だからね」
眼を開けると、目の前には自分とさほど年の変わらない少女が手に持った刀を鞘に納めながら矢継ぎ早に話しかけてきた。少女は自分の着ている服の裾を破いて特に深い傷ができている左の太ももやわき腹、肩にそれを一生懸命に巻き付けた。
「あなた、名前は? 麓の村の子? おうちはどこ? どうしてこんな危険なところに一人でいるの? こんな危ないところに小さな子ども一人できちゃだめでしょ」
「ぼ、ぼくは……その……」
少年は、この少女の質問にどう答えたらよいのか、少し思案した。というのも、彼は家族に見捨てられ、魔獣のエサとしてこの山に捨てられたのだ。
戦乱が相次ぎ、農村は荒廃し、食料のほとんどは兵糧として徴収されてしまい少年の食い扶持なんて残っていない。おまけに山からは魔獣が下りてきてはたびたび畑を荒らすため、少年はいわば生贄を兼ねて山に捨て置かれたのだ。なぜ、彼がこのような目に合わないといけなかったのか、それはすべて彼の呪われた生い立ちにあった。
少年は、この村の村長の家の子として生まれた。ただ、正妻の子ではなかった。
さらにはその姿が父親にも母親にも誰にも似ていなかったこと、生まれてすぐに彼を生んだ母親が亡くなったことから、彼は父親やその正妻、兄弟たちから「呪われた醜い子」としての扱いを受けることになった。
闇を思わせる漆黒の髪、血の滴る刃のような深紅の瞳は村人たちにも不気味がられた。軽い傷であれば一日もすればいえてしまう回復力、拳で石をくだける力といった驚異的ともいえる身体能力も彼をバケモノと呼ばせる要因の一つだった。
家族も村人たちも彼を恐れていたが、その一方で彼を容赦なくいたぶった。
「……あんただって小さな子どもじゃないか。それにあんたこそ、こんなところにいて何者だ?」
「ふっふっふっ、よくぞ聞いてくれたわね。わたしこそ、かの有名な山賊『食べちゃうぞ団』の首領サマなんだから。あっ、わたしのことは、あねさんとかあねごって呼んで」
まだ、10歳ぐらいにしかみえない少女は得意げに答えた。確かに少女はオオカミの頭で作った兜を被っていて盗賊っぽさを演出しているようではある、がしかし、年端もいかない女の子が盗賊団の首領? その上、その子は獰猛な魔獣を倒して自分を助けてくれたのだ。それに「かの有名な」と言うが聞いたことがない。しかも名前『食べちゃうぞ団』って……なんとも滑稽な盗賊団とその首領サマだろうか。
つきさきほどまで死を覚悟していた絶望の底にあった少年は生まれて初めて他人に対して興味を持った。
「わたし、こう見えても結構強いの。この辺りの村はどこも食べ物が足りていなくて、だからわたしはここには狩りをしに来たの。今日は大牙熊が獲れたからご馳走だよ! あっ、ついでにこれも採ったんだ。あなたもおなか空いているでしょ? 早く元気になるようにこれあげる」
そういって少女は近くに落ちていた篭からスモモをひとつとって少年に渡した。そして、隣に座ると自分もスモモにかじりついた。それをみて、少年もスモモを口にする。甘酸っぱい果汁が乾いた口の中に広がり、今まで食べたものの中で一番おいしいような気がした。少女はすでにスモモを一つ食べ終わり尋ねてきた。
「で、あなたの名前は? おうちはどこ?」
「名前は……名前で呼ばれたことがないからわからない。家族はいないから、帰る家はないんだ……」
実際に、少年はいつも「バケモノ」とか「あれ」「奴」などと呼ばれていたので、自分の名前を知らなかった。もしかすると名前を付けてもらってさえもいないのかもしれない。家族と呼べるような家族はいないし、そもそも捨てられたので帰る家などない。
「……うっ、うっ、うわーーーん」
少女は翡翠色の大きな瞳から大粒の涙を流し号泣しだした。
「えっ、あっ、その、な、泣かないで……」
「だって、うっ、うっ、そんなの、悲しすぎるもん。じゃあ、名前はわたしがつけてあげる……わたしが家族になってあげる……山賊になっちゃうのでよければだけど」
目の前の少女が、自分のために涙を流している。姿を見れば虐げられるだけだった少年にとっては前代未聞のことである。
「山賊はいいけど、でもぼくといるとあんたも不幸になる。ぼくは呪われた醜いバケモノだから」
少女は涙をぬぐいながら顔をあげると首を傾げながら聞いてきた。
「どこが醜いの? 何が呪われているの?」
「ぼくの髪の色は真っ黒だから暗闇で、ぼくの眼の色は紅いから血の色で……魔族みたいだって」
「???」
少女はきょとんとした顔で少年をじーっと見つめた。確かに少年は痩せこけていたし、顔も体も傷だらけで、髪もボサボサだった。
「ほらっ、あんただって気味悪いって思うだろう?」
少女は腕を組んでいかにも何か考えこんでいるような仕草をした後、ゆっくりと諭すように話し出した。
「思うのだけど、暗闇があるから、夜空の星はあんなにきれいにきらめいている。真っ赤な血がながれているからわたしたちは生きているの。だから紅は命の証。燃える炎の色でもあるんだよ。それに見て。わたしの髪」
そういうと、少女は被っていたオオカミの頭で作った兜を脱いだ。少年の目の前に鮮やかな紅色の炎が巻き起こったように見えたが、そこにあったのは風になびく少女の髪であった。
「あなたの瞳の色と同じ深紅だよ。わたし、この髪の色、気に入ってるんだけどな。昇る朝日のようにきれいだって思わない?」
少女はそういうとにっこりとほほ笑んだ。その瞬間、闇に覆われていた少年の心の中にも大きくてまぶしい朝日が昇ったような気がした。




