第十六話 蕾
食事の匂いが食欲を誘う。
どんなに感情を揺さぶられていたとしても、腹が減るのが人間と言う生き物だった。
だが八郎の目的は食事ではない。報告書を書き上げ後は眠るだけの八郎には、ここに来たとある目的があった。
数十分前に送ったメールを再び開きながら、八郎は今一度、数分前の会話を記憶から呼び起こす。
「お疲れ様、八郎。呼びつけてごめんなさいね、メールよりも口頭の方が得意だから」
「は、はい」
____呼び捨て......?
「メール見たけれど、霜山さんがどこにいるのか知りたいのよね?」
「はい。ちょっと聞きたいことあって、それで」
「ふふん、この私に任せなさい。霜山さんの行動パターンは大体頭に入ってるから、今どこにいるかもイチコロよ。私の推測では、第二食堂の壁際、パーテーションで隔たれた半個室のソファー席。そこでこっそり甘いものを食べているはず」
と言ったのが数分前、塩見夕凪と交わした会話だ。
イチコロなんて今日日聞かない言葉が飛び出しているのを思うと、やはり塩見は年上なのかもしれない、そんな雑念が入り込む。
八郎は食堂の壁際に、パーテーションに遮られた場所があるのを見つけた。近づくと、食器がぶつかった、カチン、と言う音が聞こえてくる。
_____人違いだったらどうしよ......
一抹の不安が残りながらも、八郎は勇気を振り絞り、パーテーションの中を覗いた。
「え」
「あ」
厳かに奇跡的と言うより、単なる偶然だった。
偶然視線を上げた霜山と、八郎は目が合ってしまったのである。
霜山の右手には長柄のスプーン、テーブルの上にはクリームがたんまりと、そしてその上には大粒の苺が沢山盛り付けられたパフェが一つ。
「あ......甘いもの、お好きなんです、ね」
「ええ、はい......そう、ですね」
沈黙が二人を包み込んだ。
「..................えっと、取り敢えず座って下さい。何か、聞きたいことがあるんでしょう?」
促されるまま、八郎は霜山が座る反対側のソファーに腰掛ける。目前にあるパフェの奧には、霜山の少し引き攣った顔があった。
「さて、えー......一先ず、これは内密にお願いします」
「分かってます、俺も覗いてすみません」
霜山はそれでも何か落ち着かない様子だった。
自分だけが何かを食べていると言う状況に気が引けているのだろうか。
「.......迷惑でなければ、何か食べながらにしませんか。好きに頼んでください」
そう言って、席に取り付けられていたタッチパネルを手渡した。ここは注文を受け取りに行く形式ではなく、ここまで届けてくれるらしい。
「鋏切君、この事は誰から聞きましたか」
「塩見さんから聞きました。すみません、直接連絡すれば良かったですよね.......」
「いえいえ。メールを頂いていたのに確認していなかった私もですから_____あ、届きましたよ」
『ご注文の品でございます。』
見た目だけを見れば執事の様なロボットが、八郎が注文したチョコレートケーキを運んで来た。
「結構慣れてきましたけど、ここのロボットって凄い技術ですよね」
「工房の皆さんは優秀な方ばかりですからね。ただまぁ、無遠慮にロボットやら諸々を作られるので困り物ではありますが........」
特に資金面で、と霜山は付け足した。
確かにここの設備は充実しているし、電力、水道などのライフラインも完備している。これらを維持するには相当な資金が必要だ。
_____どっから金......いや、考えない方がいいか
八郎はチョコレートケーキにフォークを刺す。
格別に美味だとかそう言う訳ではなく、慣れ親しんだ、市販のケーキと同じ味に思えた。
「_____メールの件ですが。蓮見君について聞きたいとのことで」
「はい。栞織さ____蓮見は、その。大丈夫なんですか、体調って言うか.......病気、ジェーンスティリングっていうやつは」
箱庭で生活する少女達が患っている病、後天性塩基配列変異症候群、通称ジェーンスティリング。
この病の詳細を、八郎は霜山に問いたかったのだ。
「.......外部、アルバイトである君に渡る情報だけでは、その病について深くは教えられません。ただ言えるのは、彼女の状態はあまり芳しくない。それだけです」
「やっぱ、そうですか.............あの、もう一個、聞いていいですか」
息を呑む音が、やけに大きく聞こえた。
「暴走って、何なんですか」
目が見開かれるだとか、視線が明らかに揺らぐだとか。そう言った分かりやすい動揺を霜山は見せなかった。ただ真っ直ぐに、八郎を数秒見つめていた。
「霜山さん?」
「........失礼。暴走の詳細について、ですよね?」
「そうです」
「言葉の通り、文字通りの意味ですよ。ですが、一つだけ覚えておいて下さい。暴走下にあると言うのは、生きるために必死に足掻いていると言うことを、ゆめゆめ」
霜山はその言葉を言い切った後、席を立った。
「すみません、この後会議がありますので。また何かあれば気軽に相談して下さい。では、お先に失礼します」
去っていく背中を八郎はただ見つめることしかできなかった。そして、八郎も同じ様に席を立ち、自室へと戻った。
人気のない廊下は、己の足音がよく聞こえた。
誰にも出会うことなく、真っ直ぐに自室へと辿り着く。
『戻ッタカ、風呂ヲ沸カシテオイテヤッタゾ』
「さんきゅ」
今この一瞬だけ、八郎はこのロボットの無神経さをありがたく思った。神経が無いのはそうではあるが。
風呂掃除を済ませて、八郎はベッドに潜った。
『消灯スル』
充電スポットの上、ロボットが遠隔で部屋の電気を消した。毎晩代わりに電気を消してくれている。頼んだ訳でもないと言うのに。
「あんがとー........おやすみ」
目を閉じる。
瞼の裏は暗闇が広がっていた。ぼんやりと色彩が滲んでいる様にも見える。普段と何一つ変わらない、眠りに落ちる前に見る暗闇。
けれども、今日はなんだか寝付けなかった。
暑くて寝苦しいだとか、コーヒーを飲んで寝付けないだとか。外的要因が所以ではない。
やけに胸騒ぎがする。
寝よう、眠ろうと思う度に、爛々と目は冴えていく。
_____眠れない。
八郎は体を起こし、ベッドに腰掛けた。
少し散歩でもしようと部屋の扉まで歩いていく。
『何処へ行ク』
「うわっびっくりした!」
『何処ヘ行クンダ』
「ちょっと散歩。なんか寝付けないんだよ」
『ナラ同行スル、持ッテ行ケ』
そう言って、自発的に八郎の胸元に飛び込んだ。それなりの重量がある機体が容赦なく突撃してくる。この丸い機体にはどれだけの機能が秘められているのか、八郎にはまだまだ知らない事が多い。
ロボットを抱えて、八郎は夜の廊下を歩き始める。
「当たり前だけど誰も居ねぇな」
『消灯時刻ダカラナ。モニタールームハ不眠不休ダガ』
「あー........あそこって24時間監視してんだ。健康状態のチェックとか、大変そう」
廊下に響くのは八郎の足音だけだ。
行く宛も無く、ただふらふらと歩き続けている。ふと廊下の壁を見ると、一部だけ色の変わっている壁があった。
「回転するやつ?」
『違ウ。緊急時、内部ニ直行スル為ノ滑リ台ダ』
「あー、飛行機のやつみたいなあれか」
『コードイエロー以上発令時ニ開放サレル。所内地図ニモマークサレテイルカラ、オマエモ覚エテオクトイイ』
時刻はもうすぐ日付が変わる頃。
ぼんやりとした青白い電灯の光しかない廊下は、この時間だと少し恐ろしくも思える。
「病院の廊下みてぇ.......戻るか、そろそろ」
来た道を真っ直ぐ引き返す。
いつの間にか瞼が重くなってきていた。ロボットを充電スポットに下ろして、八郎はベッドに飛び込む。数分もしないうちに瞼は落ち切り、規則正しい寝息が部屋を満たした。
その安息を切り裂いたのは、時刻が丑三つ時____深夜二時を過ぎた時だった。
突如警報音が鳴り響く。それに続き、切羽詰まった職員の声がスピーカーから響いた。
『____コードレッド発令! 繰り返す、コードレッド発令! 該当タグはロータス、アルファ班は即時急行せよ!』
「即時急行........?」
『早ク着替エロ。プルニング・ギアヲ持ッテアノ滑リ台マデ向カウンダ、急ゲ』
ロボットの言葉に急かされ、八郎は急ぎ準備を始めた。ケースごとプルニング・ギアを持ち、扉を開け放って駆け出して行く。
「八郎!」
「薬野さん!」
巨大な板の様なものを背負った薬野が、後ろから走ってきていた。
「これ、インカムだ。塩見からの指示が入ってくる」
緊急用の滑り台の入り口を開けながら、八郎にそれを手渡した。インカムを装着すると、切迫した塩見の声が響く。
『_____聞こえる? 八郎』
「聞こえます。あの、塩見さん.......今、何が起きてるんですか」
『タグ、ロータスの暴走が確認されたわ。これから私達アルファ班は、彼女の鎮圧に向かう』
彼女、ロータス。その意味は、そのタグが誰の事を指しているのか、喉元まで答えが迫り上がっていた。
「八郎、行くぞ」
「っ、はい!」
滑り台の中は暗闇だった。ウォータースライダーみたいだなとか、そんな事を思う暇なども無く。八郎の思考を埋め尽くしていたのは、保健室のベッドで苦しそうに蹲る、蓮見栞織の姿だった。
降り立ったのは学園近くの森林だった。森の中を駆ける薬野の後ろを、八郎は必死について行く。
『GPSの位置情報は学園付近で途切れてる。恐らくだけれど、暴走によって破壊された可能性が高い』
「.......今回のレッドは予測的な警報じゃないんだな」
『ええ、覚悟しておいて。今回私達アルファ班は蓮見栞織を発見次第、鎮圧作業に移るわ』




