第十五話 嵐の前触れ
「______この主人公は、一体この時何を思ったか。2分あげますので、少し考えてみて下さい」
あれから授業が始まり、滞りなく進んでいる。
二限目を迎えた今は国語の授業中だ。
皆真面目に授業を聞いているが、前の席に座る不知火は堂々と居眠りをしている。教壇から降りてクラスを見回る霜山も、呆れた様な溜め息をついた。
「......起きなさい不知火君。授業は真面目に聞くように」
身じろぎをしながら不知火は少し唸り、大人しく伏せていた体を起こす。
「そろそろ2分経ちますね。では七星君、お願いします」
前方の席に座る七星に目線を移す。その途中、蓮見の背中が視界を横切った。その背は萎れた花の様に弱々しく、倒れ込むかもしれない程に机へと頭をもたげている。
霜山も恐らくそれに気付いているだろう。彼は蓮見の席へと歩を進めて行く。彼女はそれに気付いたのか、徐に体を起こして姿勢を正した。
まるで何事もなかったと、平然とした様を演出した。
「もう手遅れだったこと、何もできなかったことへの悔しさだと思います」
「ありがとうございます。では、続きを読んでいきましょうか」
蓮見は霜山が離れて行ったのを確認すると、正した姿勢を少し崩した。
一連を後ろから眺めていた今なら断言できる。
今の蓮見は明らかに体調不良であり、授業を受けている状態じゃないと。
霜山もそれを案じてか、先程までは生徒に音読させていたのを自分で読み上げ始めていた。
残りの授業時間は後僅かだ。時計を何度も見上げる度、針の動きが遅くなっているように感じる。
_____大丈夫かな、栞織さん
苦しそうに俯く彼女の背を見つめながら、八郎は授業が終わるのを刻一刻と待ちわびていた。
「そして、彼は_____いえ、続きは次回にしましょうか。少し早いですが、今日はここまで。蜂田君、号令を」
蜂田が少し小さな声で号令をする。
起立、その声に従って、蓮見も机に手をつき、体を押し上げた。ゆっくりと机から手が離れていく。
その瞬間だった。
突如蓮見の体は、ふらりと床に吸い込まれる。
時が止まったかの様に、誰もがその光景を目にしていた。
重さを帯びた音が、静まっていた教室中に響き渡る。その後を、小さな呻き声が追いかけた。
「蓮見君!」
真っ先に駆け寄ったのは霜山だった。
蓮見は気を失っているのか、呼び掛けには応えない。
「保健室へ運びます。皆さんは教室に居て下さい」
「先生、俺手伝います。担架は廊下のやつですよね?」
八郎は指示を受ける前に、既に飛び出してしまっていた。
廊下に設置されていた二つ折りの担架を担ぎ、倒れている蓮見の所へと持って行く。
丁寧な動作で蓮見を担架に乗せて、二人は保健室へと向かった。
保健室の扉は固く閉ざされている。
だが、霜山が扉を足でノックした途端、自動でガラガラと音を立てながら扉が開いていったのだ。
『こんにちは、御用件は何ですか?』
「喋った!?」
保健室の扉の先に居たのは、ロボットだった。
限りなく人を模した声で、限りなく人ではない機械が、ホイールをキュルキュルと回しながらこちらへと向かう。
「急患です。ベットを借りるのと、診察を____あと鎌樹先生は?」
『本日3度目のタバコ休憩です。最も清潔な2番ベットを提供します。少々お待ち下さい』
忙しなくホイールを転がし、ロボットは背面から腕を伸ばす。所謂ロボットアームと言うやつで、触腕の様なそれを器用に操り、ロボットはベットを瞬時に整えて行く。
『生徒の方、代わります』
八郎はロボットに担架の持ち手を渡す。
一人と一台はベットに彼女を移し、カーテンを閉じた。
『これから診察に入りますので、ご退室のほどを。霜山先生の端末にデータを送信しておきます』
「ありがとうございます。戻りますよ、鋏切君」
霜山は足早に保健室を去る。
八郎もそれに続こうとしたが、踵は蓮見が横たわるベットに向いていた。
カーテンの隙間から、その中を垣間見る。
蓮見は辛そうに額を抑えながら、体を丸めて荒い呼吸を続けていた。
『プライバシー保護の観点から、ご退室願います』
「ぁ、す、すみません......」
機械の眼光が睨みを効かせた様に思えた。八郎もそそくさと保健室から立ち去る。
「......また昼休みか、放課後にでも様子を見に行ってあげて下さい。私は教材を取ってから戻ります」
「............はい」
八郎は一人、階段を登って教室へ戻った。
教室内は平然としている様に見えて、所々から蓮見を心配する様な声が聞こえてくる。
八郎は席に戻り、出しっぱなしになっていた教科書とノートを片付けた。
「顔に出過ぎだよ八郎くん、心配なのは分かるけどさ。本業に力入れまくっちゃうと、将来八郎くんを苦しめる事になっちゃうからね」
そこんとこ肝に銘じて〜? と、不知火は最後にそう付け加えた。
またチャイムが鳴る。霜山も、気付かぬ内に教室へと戻って来ていた。八郎は急いで次の授業の教科書を取り出す。
「号令を」
霜山は何事もなかったかの様に授業を始める。
八郎も呼吸を整えて、手にペンを握った。けれどどこか上の空で、話も頭に入ってこない。
ただただ授業が早く終わってくれと、八郎はそう思っていた。
「まずはこの問題から。鋏切君、お願いします」
四限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。
各々は机をくっ付けて弁当を広げたり、食堂に向かったりと、自由な時間を過ごしている。ただ一人を除いて、昼食の時間を満喫していた。
「すみませんけど、飯は......」
「あー良いよ良いよ、行っておいで? 寝てたら大人しく戻りなよ」
だが、八郎は一人保健室の前に立っている。
先程不知火に刺された釘を思い返しながら、ノックしようと手を浮かして、また引っ込めた。
____いや何迷ってんだよ俺、ノックして、起きてるか様子見て、寝てたら戻る......!
一度深呼吸をする。
また大きく吸い込み、息を止めた。
ノックをする為に手を浮かして、扉を三度叩く________
「早く入ってくれない? 邪魔なんだよ坊や」
その前に、背後から女性の声が聞こえた。
「え、あっ、すみません!」
「んん〜? 見ない顔だね、新入りか。じゃあ歓迎でもしたほうがいいかな、折角だし」
その女性は白衣を纏っていた。
毛先がピンクに染まった白い長髪を靡かせ、長い前髪が瞳に影を落とす。彼女の紫の瞳に影を。
____紫、色?
「オレは鎌樹、鎌樹翔子。ここで養護教諭、あいや保健医だっけ? まあそんな仕事をしてる。で坊や、名前は?」
「俺は一年の鋏切八郎です。えと、鎌樹先生___」
「翔子先生だ。目的は大方分かってるよ、お見舞いだろ? 残念だけどな、さっきまで魘されてたのがようやく大人しくなった頃なんだ。スヤスヤ寝てるけど、起こす?」
「起こしません............やっぱ、そうですよね。放課後改めます」
翔子はまたおいでと、ひらひらと手を振りながら八郎を見送った。トボトボと階段を登り、八郎は教室へと戻る。
「やっぱりだ、せっかちな男は嫌われちゃうよ?」
肩を落として戻ってきた八郎を見て、不知火はそう揶揄ったのだった。
「また放課後にでも行けばいいしさ。ほい弁当」
「どうも。唐揚げすか」
「何気に食わない? じゃあ食べなくていーよバーカ」
「すみませんって、食べますよ」
少しだけ温かい弁当が、何だか不思議に感じる。
腹が減っては戦はできぬ、そんな言葉を八郎はなぜか思い出した。
「光陰矢の如し、とか色々言うもんだし、放課後もすぐ来るって」
その言葉通りか、はたまたそれは予言だったのか。
午後の授業はあっという間に過ぎ去り、八郎は七星と教室の掃除をしていたのだった。
「よぉし。後は僕だけでもできるから、八郎君は、お見舞いに行ってあげてねえ」
「ごめんね七星くん、色々」
「全然〜。あ、でもいっこお願いね。僕のことは陽太って呼んで欲しいなあ。陽太くんでも良いし」
「そっか。じゃ、陽太______後任せた!」
八郎は勢い良く教室を飛び出した。走る程の距離ではない、保健室を目指して。
保健室の扉には、以前来た時には気付けなかったが、今どこにいるかを示す所在表が貼り付けてあった。今は職員室にいる様だ。
八郎は三度、扉をノックする。
すると一人でに扉は開き、あの丁寧なロボットが八郎を出迎えた。
『鋏切八郎さんですね。御用件は何でしょうか』
「栞織さ......蓮見さんのお見舞いを」
『照合中......翔子先生からの言伝「苦しみ出したらロボットを呼べ」をお伝えしておきます。ベットはこちらです』
ロボットは蓮見が居るベットのカーテンを開ける。
中の蓮見は、体を起こしてベットに座り込んでいた。起き上がれる程に回復したのか、それとも横になる事さえも苦しいのか。
カーテンが開いた事に気付いたのか、ゆっくりと頭を上げた。
「ぁ......八郎、くん。すみません、お見苦しいところを、っ」
蓮見は途端、額を抑えて呻き声を上げた。
「栞織さ____」
蓮見は片手で八郎を制止し、何度か深呼吸を繰り返す。顔は痛みで歪み、汗を噴き出しながらも、その目は真っ直ぐだった。愚直な程に。
「ふ、うっ、ふーっ.......すみ、ません」
「いや、こっちこそごめん、押しかけて......」
「全然、全然です、から。むしろ......その、嬉しい、ので」
彼女は微笑んだ。
額には汗が伝い、髪もお下げの所々から毛が飛び出て乱れている。そんな様子でも、彼女の笑顔は決して嘘ではないと、八郎はそう感じた。
_____まだ、痛いだろうに
「八郎くんは......お見舞いに来てくれた、ってことですか?」
「あぁ、そうだけど......?」
「へぇ〜......えへへ、ありがとうございます。こう言うの、初めてなので。ちょっと気が楽になりますね、不思議」
「それなら良かったけど______あでも、話すの辛くない? 無理させてるなら、俺も早めに、っ」
蓮見の手が八郎の制服を掴んだ。
簡単に振り解けてしまえそうな程に弱々しいその手を、振り解いてここから離れられる程、彼は思慮の浅い人間ではない。
近場にあった丸イスを引っ張り、ベットの隣に置いて腰掛けた。
「お話、しましょ」
「好きだよね、お話」
「結構おしゃべりなんですよ、私。口から先に生まれたんですかね、あはは______あ、眼鏡あります? そこに。取ってくれませんか、あんまり見えないので」
八郎は引き出しの上に置いてあった眼鏡を蓮見に手渡す。
「今まで誰にも、っ、言えなかったんですけど。私、親とそんなに仲が良くなくて。いつも私が変なこと言っちゃって、二人を困らせちゃって......最後まで結局、バラバラ、で。もう二度と、もう.............会えない、のかなって」
熱にでも浮かされているのか、途切れ途切れに蓮見は言葉を紡いで行く。それはまるで、この世への未練を語っている様だった。
「嫌だな、こんな形で、お別れなんて......」
「お別れじゃないって。しっかり休めば、治る____」
その時八郎は、己の所業に気が付いた。
いや、自分達の所業に気が付いたのだ。
彼女が訴えている頭痛の症状は、あの会議で塩見が言っていた暴走の前兆の様なものの筈だ。
その苦痛を至極一般的なものだと嘘を吐く。そう偽るのが、研究所の職員の仕事なのではないかと。
「......治るよ。きっと、きっとね」
不知火の肩入れし過ぎるなと言う言葉を、八郎は勝手に頭の中で反芻していた。
「八郎くんは......仮に、もし、もしも。私が居なくなっても、その......天文部、続けてくれます?」
「続けるよ。続ける。俺だって部員だし」
「じゃあ、ちゃんと掃除を_____それと、図書室。毎週末には、様子を見に行ってください。片付けもありますし、夏前には虫干しをしないとですから」
「分かった。絶対する。絶対忘れない」
「約束ですよ、約束。破ったら私、怒っちゃいますから、あ、いっ_______」
突如、蓮見は頭を抑えてうずくまる。
押し殺した叫びが口から漏れ出て、呼吸も荒く、その痛みがどれほどなのかを感じさせる。
「ロボット! 早く!」
『デンジャー、デンジャー、治療行為を開始します。離れて下さい、デンジャー、デンジャー』
ロボットは八郎を突き飛ばし、カーテンを閉めた。
内側からは機械の駆動音と、苦しそうな呼吸が僅かに聞こえてくる。
「栞織、さん......」
「今日は帰りな、坊や。後はオレ達の仕事だからさ」
いつの間にか保健室に居た翔子は、八郎を帰らせた。別れの挨拶もできぬままに、ただ茫然として廊下に立ち尽くす。
「帰るよ、八郎くん」
宙に浮いて飛んでいってしまった八郎の意識を掴んだのは、不知火の声だった。
八郎の手を引き、下駄箱へと連れて行く。
男子寮までの帰り道の間、二人は何の会話も交わさなかった。不知火の気遣いだろうか。
「報告書、ちゃんと書きなよ」
最後にそう一言告げて、13ゲートで二人は別れた。
八郎は自室へと戻り、同じく不知火も自室へと戻るかと思われた。だが、不知火が向かった先はモニタールームだった。
「様子はどうです?」
職員の一人が不知火にある画面を見せる。
現在時刻の夕方の映像で、場所は保健室のとあるベッド。蓮見栞織が眠るベットだ。
「苦しそうだ......いや、これ......ヤバいんじゃない?」
ベッドの上で叫び声を上げて蓮見はのたうち回る。
「____額のところ、拡大して下さい」
不知火は職員に指示し、映像は蓮見の額を大きく映す。その額には、小さな瘤の様な何かがある。皮膚が盛り上がった様なそれが、蓮見を苦しめる痛みの正体なのだろうか。
映像の端から、一人の女が現れた。鎌樹翔子だ。
カメラを見ずに手でサインを作る。
そのサインは移送を意味し、ロボットと共に彼女を抑え込み、蓮見に注射器を刺した。
すると彼女の動きはゆっくりと鈍くなり、やがてその動きを完全に止めた。
「寮で良いんですかねぇ......」
職員は首を傾げた。判断としては納得がいかないものだったらしい。
「今夜が峠かもな、蓮見ちゃん」
カメラが切り替わる。そこは女子寮を映していた。
他の面々は誰もおらず、偶然にも寮は無人である。
俗言うお姫様抱っこで翔子は蓮見を運び、彼女の自室のベットに寝かした。
「今夜は長くなりそうですし、コーヒー買ってきますよ。皆さんの分も」
不知火の呼びかけに対し、職員達は手を挙げるなどして反応を示す。ひぃふぅみぃと手の数を数えて、不知火はモニタールームを退室した。
時刻はあと一、二時間で日付が変わる頃。
欠伸を噛み殺す職員が蓮見の部屋を見張っている。
凝り固まった身体を伸ばそうと椅子から立ち上がった時、映像が動いた。
映像の中の蓮見は、汗をかきながら眉間に皺を寄せている。見ての通り魘されている様だ。
額を抑えながら、何度も呻き声を上げる。
その苦しそうな呻き声に混じった、小さな声をカメラは拾っていた。
「......っ......助け、て」




