第十四話 週末
緊急会議の後、八郎はそのまま夕食を一人で食べて、自室に戻りすぐに眠った。
会議で揉まれて疲れていたのは勿論だが、それ以上に早く、早く明日を迎えたかったからだ。
蓮見栞織が心配だったからだ。
そして翌朝、もとい今日。
いつも通りアラームで目覚めて、身支度を終えて朝食を摂る。何でもない平日の、研究所の一日が始まった。
「おはよう八郎くん」
「おはようございます。郁人さんにしちゃ早いっすね」
「俺もたまにはちゃんと起きるよ。相席いい?」
「どうぞー」
食堂で邂逅した二人は、四人がけのテーブルに何故か隣同士で座っている。
目の前の椅子に荷物を置いているだとか、そう言う理由で座れないから泣く泣く隣に座った訳でもない。ただただ自然に、不知火は八郎の隣に座したのだ。
八郎は隣に一瞥もくれず白米をかき込んでいたが、内心はこうだった。
____えこの人なんで隣座ったの?
そして不知火はいただきますも言わずに、少し体を傾けて八郎の方を向き、頬杖をついて、食事が冷めることすら厭わずに語り始めた。
「ねぇ八郎くん、今日はあっち金曜日なんだよ金曜日。何の意味だか分かる?」
「週末、華金、後なんでし___」
「そう週末! 良い響きだよね週末って。全部が花火みたく弾け飛ぶ感じしてさ」
「疲れてるんですか、休んだ方がいいですよそれ」
「たっぷり休んだからいーよ。でさ八郎くん、俺たち学園組は曜日のシステムがあっち依存なワケ。てことはてことは? 俺たちは週半ばに堂々と休みを謳歌できるってことだよねー」
マジ最悪ー、と、不知火はそう付け加えた。
それもその筈、箱庭内での業務は休みでも、研究所内の業務は常時行われているからである。
24時間勤務で時折自由に休憩を取る、それが研究所の労働だ。
まだアルバイトの八郎には特筆して仕事はないものの、恐らく正式な職員である不知火は仕事が大量にあるのだろう。その愚痴を言うのが目的だったようだ。
味噌汁を啜る。今日のは少し塩辛くなった。
「はぁ〜、俺も悠々自適に休みた〜い。週休完全二日制がいい〜、ほんっっっとブラック企業〜」
「転職とかしたらいいんじゃないですか」
「そう甘くないんだよ世の中は。さて、そろそろ冷めたかな」
「冷めるの待ってたんですか......? 炒飯は普通に食ってたのに......?」
「俺は冷めたトーストが好きなの。焼き立ては苦手」
カリ、と小気味好い音を立てながら、冷め切ったトーストに不知火は齧り付いた。
そしてものの数分で、そのトーストセットを平らげたのである。
「早食いって良くないらしいっすよ」
「習慣だからもう治せないよーだ。八郎くんも早く食べなよ、遅刻するよ? 呑気なもんだね〜慣れたからって」
「アンタが早いだけで俺は普通です!」
急かされながらも八郎は朝食を完食し、二人は13ゲートへ足を運んだ。
「あれ、ここから入んないんですか?」
「今日は違うよ。て言うかこれから違うんだけど。まずは解説から始めよう」
二人は現在、ゲートを開けた先、箱庭と研究所を隔てる空間に居る。不知火は態とらしい咳払いをして、まるで塾講師の様に解説を始めた。
「まず、ここってあっちの中の色んな場所に繋がってる、まぁ舞台で言う奈落みたいなとこなのね。今まで入ってたのがあそこ」
色の変わった部分に不知火は指を差した。
そこは学園裏手に繋がる通路で、八郎が今までずっと使っていた場所である。
「けどさー、一つのゲートが一つの場所にしか繋がってないとか超不便じゃん? だから、俺たちはこの空間で通路を選んで箱庭に入ってるの。
マンホールとか公園の遊具の中だとか変な所に繋がってたりもするけど、よく使う所だけ覚えておいて欲しくてさ」
不知火はまた空間内を少し進み、少しした所で立ち止まった。そこには何の変哲もない扉が存在している。
「ここが男子寮に繋がってる扉。開けてみて?」
言われるがままノブを回す。
目に飛び込んで来たのは、暗い壁であった。
光の一つも差し込まない壁が、目前にただただ広がっている。
「八郎くんそこ押入れだから早く開けて、あと靴脱いで」
「あっすみません」
右手で壁の端を掴み、そのまま力を込めて引く。
存外するすると押入れの戸は開き、八郎の目前には安宿の様な簡素な部屋が広がった。
生活感の無い部屋で、丁寧に整えられた二段ベットに、埃一つ無い机と椅子が二つずつ。
「相部屋なんですね」
「こっちに来る時は大体二人ずつだからね。それに、一応何人か住んでるし、設備はしっかりしてるよ」
不知火は部屋の扉を開けて寮の中に入っていった。
八郎もそれに続き、階段を共に降る。
「おはようございまー、って誰も居ないし。.......いや居るか、コップ二つだけだ」
「三人住んでるんですね。二人は......えっと、七星くんと鴉丸くん?」
「そうそう、それと蟻間晋太郎って奴。顔合わせはまた今度にして、このまま学園行こうか」
二人は寮を後にする。
扉の鍵を閉めずにスタスタと歩いていったが、後ろの方で一人でに鍵が閉まる音が聞こえた。
「起きてんだったら挨拶しろよ、ったく。じゃあ行くよー八郎くん、飛び切りの近道を教えよう」
不知火は大通りを逸れて公園の中に入る。
植え込みに潜り、フェンスを伝って歩くと一部分だけ壊れている箇所が見えた。
不知火はその中に飛び込む。八郎もそれを追いかける。
その中に飛び込むと、曲がりくねった路地裏に出た。現在地が分からなくなるほどに突き進んで行くと、何故か目前には学園の前の道路が広がっている。
「覚えた?」
「いや全く____なんで置いてくんすかちょっと!」
「あはは、早く早く! 今度は本気で置いてくからねー!」
走り去る不知火を八郎も走って追いかける。
このままオープニングが流れそうな風景を何故か男二人で演出しているが、静寂に溺れている街は忙しない筈の朝でも人っ子一人、誰一人も彼らを見ていなかった。
「朝でも人居ないんですね、ここ」
「いつでも人居ないよ。ここはね」
校門をくぐり抜け、二人は教室へ向かう。
時刻はあと十分ほどで始業を迎える頃だったが、教室にはまだ全員揃っていないようだった。
「おはようございます、お二人。随分とお元気な感じですけど、走って来たんですか?」
「おはよう蓮見ちゃん。遊んでただけだよ、八郎くん元気だから」
「そっちが始めたくせに......まぁいいか。おはよ、栞織さん」
蓮見栞織には何一つの変化もなかった。
少し血色が良さそうな位で、他は普段と変わらない。
いつも通り、丁寧に編まれた三つ編みをお下げにしている。眼鏡のレンズには曇りの一つもなく、隈のない瞳がこちらを見つめる。じっとこちらを見つめている。
「______何か、私の顔に付いてますか?」
剣呑な声で、蓮見はそう問いかける。剣呑と言うが、危うさと不安が入り混じった声だった。だが全てひっくるめれば剣呑である。
と言うか、不安を無理矢理押し殺した様な声だと、八郎はそう感じた。それでもその言葉を口には出せなかった。
「いや、そう言うわけじゃなくて......その、体調大丈夫かなって、それで」
「少し良くなりましたよ。すこぶるとは言えませんが、割と快調です」
なら良かったと八郎は言い、蓮見はそうですね、と返す。その時始業五分前を告げるチャイムが鳴り、皆は各々の席へと戻った。
八郎は窓際最後列の席で、前方の席に座る蓮見の背中を眺めている。
窓から差し込む光が、まるでスポットライトの様に彼女を照らした。そんな風に見えたのだ。まるでこれから、彼女を主役として話が大きく動き出すかの様に。
_____どうか、何も起きませんように。
八郎は心の中でそう祈った。
這い寄る予感を振り払う様に、小さくぺちんと、両の頬を叩いて。
「......寝不足なの?」
その様を怪訝そうに、不知火に見られているのを知らぬまま。




