6.言語と書物と同衾と。
連れてこられたのは、どこか生活感のある部屋だった。
整えられたベッド、エアコン。冷蔵庫らしいものまで置いてある。部屋全体の色合いはやはりシンプルなものだったが、クローゼットの中の衣服や机の上の小物類が女性らしい雰囲気を漂わせる。おそらくは崎谷薫の自室だろう。
中でも気になったのが、まるで脱ぎ捨てたかのように床に置かれている子供服。しかも男の子向けのものだ。
この部屋に似つかわしくないものを見つけ、当然の如く疑問を投げる。
「ねえカオル、これは何?」
「ん? 見ての通り子供服だよ」
あちらも有って当然といった様子で返してきた。
「いや、カオルには必要ないでしょ? 研究に使えそうな感じもしないし」
「フフ、甘いなユウくん、これは大事な資料だとも」
「え? 資料?」
「じゃあどうせだから、ユウくんを想像しながらシミュレートしようかな」
崎谷は服に近づき、おもむろに拾い上げて、何やら小芝居を始めた。
「こ~ら、ダメじゃないかユウくん、帰って早々服を脱いじゃうなんて。え? 汚れて気持ち悪いから着たくないって? ああ、確かに砂埃がいっぱいだね。しょうがない、これはお姉ちゃんが洗っておくからユウくんはお風呂に入っておいで。
……どうしたの? なんかモジモジしてるけど。あ、もしかして、お姉ちゃんと一緒に入りたいのかなぁ~? うんうん。やっぱりそうなんだね。大丈夫、恥ずかしいことじゃないよ。この歳の男の子なら誰だってそういうものだ。それじゃお風呂場に行こっか、ユウくんの体をしっかり洗ってあげよう……だからユウくんには、お姉ちゃんの体、お願いしてもいいかな? アハっ、赤くなっちゃって、カワイイなぁも~」
(この人は……やっぱり頭がおかしいんじゃないだろうか)
眼前で演じられる惨状に、もはや言葉も出ない。何をどう拗らせたらこんなことになってしまうのか。
彼女が放つ、全力で人を甘やかす声に魅力を感じなくはないが、その全てが妄想の上に行われていると考えると寒気がする。
「どうだいユウくん、ちゃんとお姉ちゃんらしさは出ていただろうか。こうして本物を使って演技をするとすごく気合が入るんだ。いつか理想のショタが現れたときのために、しっかり練習していたのさ」
シミュレートを終えた崎谷が俺を見て感想を求める。けど、どうって言われてもな……。
「ああ、うん。すごく良かったと思う」
「ンフフフフ、そうだろそうだろ。今まさに理想の相手がここにいるのだから、私の姉力をアピールして損はないと思ったんだ」
適当な返事だったのに、崎谷はとても嬉しそうだ。
……くそっ、あの笑顔を見てるとこっちまで惑わされそうになる。これ以上は本当に蕩けてしまう、何か他の話題を……。
そう思い、身の回りに気を配る。真っ先に目が付いたのは、他でもない、自分自身の衣服だった。
今俺が身に着けているのは半袖シャツに短パンだ。目覚めるとこの格好になっていて、あまりのフィット感に違和感すら覚えていなかった。ちょうど良い、この服のことを聞こう。
「ぼ、僕が着てる服も、元々カオルが持ってた物だったんだね。てっきり魔法で作ったりしたのかと思った」
「いや、私はやり方が分からないと言ったろう? ぶかぶかの軍服の中に君がいたから、風邪を引かないように私のコレクションを着せてあげたんだよ」
「そっか、ありがとう…………待って、ぶかぶかの軍服? 着せた?」
この瞬間、とても恐ろしいことに気づいた。この女、俺を脱がせたのか? 見たのか?
俺は訝しむように崎谷を睨んだ。
「ち、違う! 別に変な欲があったわけじゃないぞ! たまたま男の子が裸同然の姿で転がってたから着替えさせようとしただけで、ええと、あれは不可抗力だ! 確かに見たことは見たがわざとじゃない!」
彼女はしどろもどろに弁解する。先程から情緒不安定だが、狼狽えているところは初めてだ。
……この短時間で崎谷薫の様々な一面を垣間見た。なんとなくだが、今までに与えられた数々の娯楽よりも、彼女と話している方が楽しいし、性に合っている気がする。
「はぁ、分かった。そういうことで良いよカオル。僕だって服をくれたことには感謝してるよ」
「ううう、私だってあの本の魔術が使えれば、わざわざ脱がせたりしなかった……しなかったと思う……ちょっと見ちゃうかもしれない」
(やっぱり見るじゃないか)
――いや、大事なのはそこじゃない
今つぶやいた言葉、『あの本』とは一体なんの事だろう。
「ねえカオル、本って?」
「あ、そうだったそうだった。アレを見せるために連れてきたんだった」
彼女は思い出すかのように顔を上げ、机の上の本棚から分厚い2冊の本を持ってきた。
それは表紙に日本語でタイトルが書かれている本で、傷一つ無いが、やけに古びた気配が漂っているものだった。
「『技術書』と……『魔導書』?」
「そう、これは私の家系に代々受け継がれてきた家宝でね、先祖が魔界にいる間に書き始め、人間界に飛ばされてから完成させたと言われている。真偽の程は定かではないけれどね。私はこれを元に、転移装置を作り上げたんだ。ワープ理論や、物質再構築の式、融合炉を用いて」
ワープと物質再構築、そして融合炉。戦争で広く使われたものだ。兵器や人員の輸送を簡略化し、壊れない限り永久に動き続ける殺戮装置を作り上げた技術。それがまさか、異世界へ転移するために生まれたものだったなんて。
カオルが技術書の方を開き、パラパラとページをめくる。
「ここには現代科学の基礎から、ものによっては未知の技術までが書かれていてね、もし魔界にいる間に書き始めたという話が本当なら、今私達がいるはずのこの異世界は、きっと人間界の社会に負けないくらいの文明が広がっているはずなんだ」
科学……技術。異世界といえば中世風の世界だと勝手に思っていたが、そうか、その考え方も存在したのか。――けど。
「カオルの先祖は魔界から人間界に飛ばされたんだよね、だけどこの本は魔界にいた頃から書き始めたんでしょ? どうして日本に来る前から日本語が使えたの?」
そう、矛盾するのだ。こちらとあちらで言語体系が完全に一致する。そんなことがあるのか。
「そう! そこなんだよユウくん! 私達は元いた世界を基準に捉えているが、そうじゃないんだ。あくまでこの書物が本物であった場合の話になるが、あの世界の言語、科学といった技術は、独自に発明されたものではなく、持ち込まれたものである可能性が高い!」
まるで雷に打たれたような衝撃だった。持ち込まれたもの? 魔界から、こちらへ?
信じがたい予想。だが一応の筋は通るし、あり得ないと一蹴することもできない。
「日本語以外の言葉はどうなってるの? あっちにはたくさんの言語があるよ」
「存在はしていると思う。だが魔導書を見る限り、魔界の公用語は私達の言う日本語であるはずなんだ」
「魔導書……」
もう一冊の本を見る。技術書と同じく日本語で書かれたもの、名前から判断するに魔術の使い方が書かれているのだろう。
「ここ、始まりのページを見て」
カオルが本をこちらに差し出しながら、そこにある文章を指差す。その内容は――
“元老院の命により、魔術行使の理論をまとめることになった。直属の魔道士として最大の名誉だ。しかし私が使用する魔術が全てではない。この世界には様々な種族がいる。彼らの知識をすべて取り入れられれば、きっと満足のいくものができるはずだ。まずはエルフあたりだろうか、他にも妖狐は一風変わった術を使うと聞く。幸い、コミュニケーションに不都合はない。この大仕事、我が血に誓って完遂してみせる。
サティア=ブラッドスタック”
この本を書き始めるにあたっての手記があった。使用する言語も文字も俺たちのものと一緒で、見知った単語ばかりが並ぶ。
「『サティア』は私の先祖の名前だと聞いている。そして彼は『元老院』とやらの直属魔道士だ。彼が扱う言語は日本語で、多種族との意思疎通に不便はなかったらしい。世界中の情報をまとめる役割を持つ者が誰にも通じない言語を使うとは考えにくいだろう? 他の人が読めなきゃ意味ないし。だから日本語は広く使われていたはずなんだ。サティアが語学堪能なだけって可能性もあるけど」
「なるほど……」
「それにこの『コミュニケーション』という単語から、体系は人間界でのそれに近いということも分かる。いわゆる外国語を交えながら話すスタイルだね。もっとも、この世界では日本語や外国語という捉え方が間違っているかもしれないが。強いていうなら全部ひっくるめて『魔界語』ってとこかな」
「じゃあ、魔界でも今と同じしゃべり方で通じるってこと?」
「たぶん、ね。まあそれだと人間界で言語が分裂した理由が分からなくなるけど。とにかく、向こうで話すことに問題はないだろう」
良かった。もし異世界に「転生」していれば、最初からその世界に合わせて生まれ直すということもあったが、俺たちがやったのは「転移」だ。いきなり出鼻をくじかれることも懸念していたが、心配はないようだ。
「ただ、言語はいいとして……もし文明が人間界以上に発達していたら、戸籍などはどうしようか。あっちのシステムは大概穴だらけだったからいくらでも偽装できたんだが」
(おや? 出鼻をくじかれるフラグが立ったか?)
「まあそれは後から考えよう! いざとなったらお姉さんの魅力でその辺の男をだまくらかして……うまくいけばお金もそれでなんとかなるぞ」
「はは、そう、だね……」
視界が揺らぐ。
色々と話を聞き終わった途端、一気に眠気に襲われた。おかしいな。目覚めたばかりのはずなのに。
「おや、だいぶ疲れているようだねユウくん。まあ無理もないか、君の感覚では先ほど寝て起きたばかりだろうが、実際は転移後にしばらく気絶していただけだ。体が休息を求めるのは当然のことだよ」
「そうなんだ……」
「思ったより眠そうだね。しかしここにベッドは一つしかないんだ……お姉さんと、一緒に寝る?」
「うん」
意識が朦朧として、まともに受け答えができない。
「えぇ⁉ いいの? ほんとに?」
「う……ん……」
おれはもう意識を手放しかけていた。
「……よし分かった。それじゃあ、ベッドに行こうか」
妙に気合の入った声が聞こえたような聞こえなかったような。おれは崎谷に抱えられ、部屋へと向かっていった。




