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密の紡ぎ  作者: 藍間真珠
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第四話「欲しかったもの」

 オミコの許嫁となったユヅイヤは、しばらくは平穏な時を過ごした。相変わらず彼女は容赦なく、彼の悩みなどどうでもいいと言いたげに村のために動いていた。後になって思い返すと、彼に余計なことを考えさせない彼女の行動にはずいぶん助けられていただろう。衝動のまま口喧嘩を繰り返す日々は、その頃の彼には確かに必要だった。

 その関係が変化したのは、ユヅイヤの実力が村人に知れ渡ってからだ。村に拾われて幾つかの季節を重ね、ようやくユヅイヤも宝物狩りに参加できるようになった。

 遙か昔に天より森へ落とされたという、不思議な力を持つ宝物を手にするために、今はどの村も必死だ。前触れもなく時折狂ったように輝くそれを見つけるには、運も必要となる。宝物を他の村に渡さないため、狩りに参加できるのは信頼されている者たちだけだった。宝物狩りに加わることができるというのは、名誉あることなのだ。

 初めての狩りから数度で、彼の腕は周囲へと知られるようになった。そのための訓練を受けていたのだから当然だと、これでオミコにだけいい顔はさせないと、ユヅイヤは密かに満足した。生意気な彼女を屈服させるのが、彼の当面の目標だった。

 その後彼女が村人に何を言われたのか、彼は知らない。しかしある日を境に、彼女は彼へと好意を振りまくようになった。その変わりようが村の方針のためだと理解するのに、さしたる時間はかからなかった。

 それは彼が求めていたものではない。むしろ、鬱陶しいだけだった。彼は次第に、彼女と口を利くのをできるだけ避けるようになった。仮初めの微笑みなど虚しい。労りの言葉に苛立ちが募る。彼女の笑顔を見るのが、苦しかった。

「――オミコ」

 ヤルガが会合で遅くなった晩のこと。宝物狩りから帰ってきたオミコを、小屋でユヅイヤは待ち受けた。名前を呼ばれたのが久しかったためか、彼女はきょとりとして首を傾げ、ララダの胸当てを外しながら「何?」と答える。最近は宝物狩りの最中だけ言葉を交わすような有様だ。だからだろう、彼女の瞳には戸惑いの色があった。

「ヤルガさんは?」

「爺さまなら今日は会合だから遅いわよ。酒飲み仲間もいるし、もしかしたら朝になるかも」

 彼の問いかけに答えながら、彼女はララダの胸当てを物憂げに見つめた。酒を止めないのはヤルガの唯一の短所と言っていいかもしれない。日頃の鬱憤を晴らすがごとく、年を考えずによく飲んでいた。最近胸が時折痛むとぼやいているのを聞いて、何度オミコが注意してもこれだけは止められていない。酒がヤルガの命を縮めるだろうと、村の者は噂していた。

「そうか」

「そうだユヅイヤ、湯はもう浴びた? まだなら用意するけど。今夜は冷えるし――」

「オミコ」

 すぐ横を通り抜けようとした彼女の腕を、ユヅイヤは即座に掴んだ。強く握れば折れてしまいそうな細い手首には、木の枝で裂かれた痕が幾つもある。苛立ちが衝動へ変わりつつあるのを他人事のように感じながら、彼は手に力を込めた。彼女は眉をひそめて、彼を見上げてくる。

「ユヅイヤ?」

「俺はお前の許嫁なんだよな?」

「そうだけど……どうしたの? 急に」

 出会った頃よりも彼の背は高くなったし、彼女の体つきも変わった。相変わらず彼女の俊足は村人に賞賛される程だが、純粋な腕力では到底彼には敵わない。こうして捕らえてしまえばなおさらだった。

 怪訝そうに首を捻る彼女を強引に引き寄せ、彼は瞳をすがめた。今ならまだ間に合うという良心の声が聞こえたように思えたが、それを無視して彼はその場に彼女を組み敷く。想像していたよりも簡単だった。彼女の体は軽かった。

「ユ、ユヅイヤ?」

「許嫁なんだろ」

 木の床に頭こそぶつけなかったが、背は打ち付けたのかもしれない。くぐもった息を漏らした彼女へと、彼は表情を変えずにそう繰り返した。村のために、ヤルガのために全てを投げ出しているようにしか見えない彼女を見ていると、無性に腹立たしかった。

 嫌なら嫌だと言えばいい。捻くれている彼をわざわざ引き留めるために、むやみに優しくなどしなければいい。村のためにあらゆるものを犠牲にするなど、愚かだった。そんなことをしても消える時は消えるのだ。どんなに求めても、失う時は失う。望んでも、望まなくても、それは変わらない。

「もう、お前も子どもじゃあないんだし」

 自分の声がひどく優しいことに気がつき、彼は失笑しそうになった。いつものように抑揚もなく告げればいいものを、どこまで捻くれているのだろう。されて嫌な態度を真似るなど皮肉もいいところだ。結われた彼女の髪を解き、彼はうっすら口の端を上げた。

 拒絶すればいい。嫌だと暴れて、昔みたいに減らず口を叩けばいい。女を優しく扱うこともできないのかと、罵ればいい。そう思っているのに、彼は彼女の表情をうかがっている。鼓動が速い。ひどく滑稽な自分に苦笑が漏れそうになるのを堪えて、彼は彼女の豊かな髪を指に絡める。取れかけていた肩当てを無言ではずすと、彼女の瞳が揺れた。

「いいだろう?」

 問いかけても、彼女は何も答えなかった。ただし抵抗もしなかった。困惑に顔をしかめながらも、彼の手を払うような仕草一つない。不快な感情と共に湧き起こる奇妙な高揚感に飲み込まれながら、彼はゆっくり彼女の顔を覗き込んだ。こうやって向き合うのはどれくらいぶりだろう? 最近はろくに視線も合わせていなかった。

「私、まだ湯を浴びていないけど」

 息を吐いた彼女が口にしたのは、想像していたどの言葉とも違っていて。一瞬だけ呆気にとられた彼は、こみ上げてくる濁った感情を押し込め、ついばむような口づけを落とした。彼女の首筋から汗の匂いがする。ほんのわずかに、血の臭いもする。

「ユヅ、イヤ」

 冷たい木の床に反響して彼女の声が跳ねた。遠くの囲炉裏で火が爆ぜる音がするが、その熱はここまでやってこない。薄布の下に隠れていた細い肩を剥き出しにすると、かすかに震えていた。白い肌が、薄暗い中で浮き立つように見える。

「――馬鹿だな」

 彼は声にならない囁きを飲み込んでから、今度は噛みつくように口づけた。そして胸中でもう一度、嘲る言葉を繰り返した。




「ユヅイヤさん、ユヅイヤさん!」

 遠くから声が聞こえる。切羽詰まった幼い声が、うねりながら頭に響く。ぼんやりした思考を手繰り寄せながら、ユヅイヤはかろうじて目を開いた。体が重い。指先にも力が入らず、呼吸をするのも億劫だった。どうやらどこかに倒れているらしいと、雲の向こうに霞む月を見上げて彼は判断する。

「ユヅイヤさん!」

 もう一度甲高い声がして、頭の奥が病んだ。眉根を寄せたユヅイヤは、上体を起こそうとしてそれができずに吐息をこぼす。全身を何かで殴られたような痛みに、喉から引き攣った声が漏れた。すると突然目の前に少年――ヒギタの顔が現れる。

「よかった、気がついた!」

「ヒギタ……ちょっと大声は止めろ。頭が痛い」

「あ、ごめんなさい」

「何がどうなった?」

 ヒギタへと尋ねながら、ユヅイヤは慎重に体を起こした。痛みを覚悟しながら腕をつき、顔を歪めて辺りを見回す。彼が倒れていたのは、砂に覆われた荒野のど真ん中だ。痩せこけたような草が風に煽られて震えている。だが、側に死んだバチルの姿はない。どういうことだろうと、ユヅイヤは首を捻った。バチルを殺したところまでしか記憶はない。

「あの獣をやっつけて、それでユヅイヤさん倒れちゃって。そしたら大きな竜巻が来たんだ。あれに飲み込まれた時は死んじゃうかと思ったんだけど、気づいたら砂に倒れていて」

「……そうか」

 どうやらいつもの砂嵐に巻き込まれたらしい。ここでは時折そうした現象が起きる。普通ならば飲み込まれれば即死する規模なのだが、何故だか緩やかに風が収まっていき、結局は見知らぬ場所へ運ばれるだけで終わることが多かった。誰かは風の道などと呼んでいた。とはいえ危険なものには違いないので、近づかないに越したことはない。

「道理で体が痛いわけだ」

 荒野に叩きつけられたとまではいかなくとも、それなりの衝撃はあったのだろう。自分の体をしげしげと見下ろすと、右のふくらはぎに緑の布が巻かれているのが目に入った。そういえばヒギタは布をかぶっていない。彼自身のマントもどこにも見あたらない。視線で問いかけるように、ユヅイヤはヒギタを見やった。

「お前」

「あ、血が出てたから。固定法とかはよくわからなかったけど。布ってそれしかなくて、それでっ」

「ありがとうな」

 何故か俯くヒギタの頭を、ユヅイヤはぽんぽんと軽く叩いた。既に血は止まっているようだが、あの場を離れてしまったのでどれくらい出血したのかわからなくなってしまった。上体を起こしてもくらりとはしなかったので、立ち上がれない程ではないと信じたい。

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