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密の紡ぎ  作者: 藍間真珠
2/6

第二話「ギアンナ村の娘」

「ここに入るの?」

「そうだ」

「人の家だよ?」

「そうだな」

 不思議そうに首を傾げるヒギタを無視して、ユヅイヤは中の気配を探る。砂嵐の鳴き声のせいで確信は得られないが、少なくとも大人数が籠もっている様子はなさそうだ。それなら何とかなると踏み、ユヅイヤは戸を軽く叩く。

「誰かいないかー?」

 声をかける。が、返事はない。もう一度同じことを繰り返してから、ユヅイヤは思い切ってその扉を押し開けた。軋んだ音を立てつつも、それは容易く彼らを迎え入れる。

「誰もいないみたい」

「そうだな」

 ユヅイヤは一人で中へと足を踏み入れた。辺りへくまなく視線を走らせ、小屋の中を確認する。人気はない。外から見た小屋の大きさと比較してみても、隠し部屋の類もなさそうだった。足の裏で床の感触を確かめながら、彼はゆっくり進んでいく。幸いにもヒギタは入り口側で佇んだまま、不用意に踏み込んでくる様子もなかった。

「本当に誰もいないみたいだな」

 たっぷり時間をかけて様子をうかがってから、ユヅイヤはそう判断した。それから入り口の方へ視線をやると、それが合図とばかりにヒギタが中へと入ってくる。扉が閉まると、砂嵐の悲鳴が少しだけ遠ざかった。

「ここで休むの?」

「お前、もう歩けないだろう?」

「え、馬鹿にしないでよ! 僕はまだ歩けるっ」

「あーそうかい、そうかい。でも俺はお前から話が聞きたいんだ。外じゃあまともに口も開けないだろ」

 唇を尖らせるヒギタを見て肩をすくめ、ユヅイヤはその場に座り込んだ。これだから子どもというのは面倒くさい。だが少しでも情報が得られるのならば、多少は我慢できる。渋々と近づいてきたヒギタが腰を下ろすのを見届けて、ユヅイヤはフードを取った。砂が床に落ちる音がする。

「うわ、すごい量」

「お前の髪はもっとひどいことになってるぞ」

「えーどうしよう。母さんに怒られる」

 ぶつぶつと文句を言いながら、ヒギタは体に巻き付けていた深緑の布を床に落とした。軽く砂埃が舞い、ユヅイヤは呼吸を止めて顔を背ける。

「うわ、これもひどいや」

 砂を払ったヒギタは思い切り眉をひそめる。そんな彼へとまた視線を向けたユヅイヤは、今度は別の理由で息を止めた。布の下から現れたのは、見覚えのある胸当てだった。ララダを編んで作ったそれは他の村では手に入らない。

「――ヒギタ、お前ひょっとして、あのギアンナ村から来たのか?」

 布を折りたたむヒギタに向かって、ユヅイヤは単刀直入に尋ねた。躊躇う理由がなかった。弾かれたように顔を上げたヒギタは、灰色の瞳を数度瞬かせる。

「え、どうして知ってるの? そうだよ」

「お前のその胸当て、ララダのだろう? それはギアンナにしか存在しない」

「ってことはユヅイヤさんもギアンナから来たの?」

「出身は違うが、一応な」

 ユヅイヤが静かに頷くと、ヒギタは心底安堵したように笑みを浮かべた。同じ村の者とわかって親近感でも湧いたのだろう。一応あれでも警戒していたようだ。しかしユヅイヤの方は心穏やかではなく、顔には出さずとも胸の内に困惑が広がっていた。

 ギアンナ村の者なら、顔くらい見かけたことがあるはずだ。必要もなく他人と戯れるのは苦手だから、ユヅイヤはさほど知り合いも多くはない。しかし相手は少年。ここ最近子の数が減っていると嘆いていた村の状況を考えると、いくらユヅイヤでも見知らぬ子どもがいるというのは信じがたかった。まさか、誰かの隠し子だろうか?

「よかった。それじゃあユヅイヤさんは母さんの知り合いなんだね」

「……は?」

「ララダのことを知ってるんだからそうなんでしょう? これ作れるの、もう母さんだけだし。あ、それとも見たことあるだけだった?」

 華奢な体に合わせて作られた胸当てを、ヒギタは愛おしげに撫でた。ララダの防具を編める者がたった一人だけという言葉に、ユヅイヤは眉根を寄せる。そんなはずがなかった。年配の女が多かったとはいえ、皆が皆すぐ亡くなるような年でもなかった。まさか、彼がいない間に一人になってしまったのか? 村に何かあったのだろうか? 固唾を呑んだユヅイヤは、一度目を瞑ってからヒギタを見下ろす。

「ヒギタ、お前の母さんの名前を聞いてもいいか?」

 今までの努力全てが水の泡となるかもしれない可能性に、尋ねる声が震えそうになる。何らかの理由で彼女が亡くなってしまったのならば、もはや帰る意味などない。一方のヒギタはユヅイヤの変化になど気づきもせず、笑顔のまま大きく頷いた。

「うん! オミコっていうんだ」

 それは、ユヅイヤの様々な仮定を一気に打ち崩す名前だった。自信に溢れたヒギタの瞳を、ただユヅイヤは真っ直ぐ見つめることしかできなかった。




 ユヅイヤがギアンナ村に拾われたのは、十八になった月のことだった。宝物を狙う輩に村ごと焼き払われ、死にかけて道ばたで倒れていたところを、かつての村長――ヤルガに助けられた。

 その時のことを、彼はよく覚えていない。気がついた時には村長の家で眠っていた。しばらく生死の境を彷徨っていたと聞くが、そういう実感もなかった。ただ自由にならない体、激痛、無力感に囚われ、何もかもがどうでもいいという気分だった。

 忙しい村長の代わりに、彼の面倒を見てくれたのはオミコという娘だった。村長のたった一人の孫である彼女は、その当時はまだ十五歳。女と呼ぶには子どもで、しかし子どもと呼ぶには女だった。全てを投げ出したい心と生を求める体の狭間で投げやりになっていた彼を、彼女は強引に回復させた。

 死ねるくらい元気になったら死のう。そう考えることもあったが、その努力さえ馬鹿馬鹿しい気がしてとにかく全てがどうでもよかった。復讐しようという気もなく、ひたすら何もかもが面倒だった。どうして自分だけが生きているのかと考えるのも、嫌だった。

 そんなある日、久しぶりに目覚めのよい朝を迎えた彼は、庭先でぼんやりと花を眺めていた。庭の手入れは、忙しいヤルガの唯一の趣味だ。咲き誇る花はどれも見知らぬもので、遠くの村にいるという現実を突き付けられて、彼は歯がみした。椅子代わりにした岩の冷たささえ、彼の慣れ親しんだものとは異なっているように思える。

「起きてたんだ」

 無遠慮に、オミコの声がした。振り返るのも面倒で彼が黙したままでいると、それさえ意に介さず彼女は目の前に座り込んできた。いつもは頭の上でひとまとめにしている黒髪が、今は彼女の背で揺れている。湯浴みした後なのか、まだ濡れているようだった。

「ユヅイヤ、聞きたいことがあるの」

「……何だよ」

 彼をじっと見上げる灰色の瞳には、躊躇いというものが存在しない。ヤルガがユヅイヤを助けたがっている、ただそれだけの理由で動くことができるのが彼女だった。

「もうユヅイヤは歩けるし、話もできるわ」

「そんなの見ればわかるだろう」

「そう、誰にでもね。だからそろそろ決めなきゃいけないの。あなたの行く先」

 彼がずっと先送りにしていた問題を、彼女はこうも簡単に突き付けてくる。思わず固唾を呑んだ彼は、そうとは気取られないよう慎重に眉根を寄せて、怪訝そうに首を捻ってみせた。

 村長に、彼女に世話になったことは理解している。助けてくれと頼んではいないなどと、子どもみたいに騒ぐのも愚かだとわかってはいる。が、素直に礼を言える程に、彼も大人ではなかった。あのまま死んでいたら、こんな風に無気力を抱えて日々を過ごすこともなかった。

「行く先?」

「そう。この村に住むのを許されているのは、誰かの身内だけなのよ。行き倒れた人をほんの一時だけ助けるのを除いてはね」

「そうなのか。それじゃあ俺はもう出て行かなきゃいけないんだな」

「このままだとね」

 ここにいてはいけない。そう宣言されて、彼は思いきり笑い出しそうになった。やはり居場所などどこにもないのだと告げられたようで、潔い運命の流れに感謝したくなった。この村を出れば今度こそ行き倒れだ。頼る人も村も何もかもが彼にはない。誰もがやっとのことで暮らしているこのご時世では、見知らぬ若者を助けてくれる人などまずいなかった。何か見返りを求めるのなら話は別だが。

「いつまでに出て行けばいいんだ?」

「ユヅイヤは出て行きたいの?」

「……は?」

「ユヅイヤはこの村を出たいの? それなら私は引き留めない。たぶん爺さまも引き留めない。どこかで野垂れ死ぬんだとしても、私たちは止めないわ」

 冗談を言っているようでもない。確かめるように一言一言はっきり口にするオミコを、ユヅイヤは見つめた。試されているようにも思えた。胸の一番痛いところを突かれているみたいで、耳の奥で鼓動が強くなる。

「それならいいの」

「……残る方法でもあるのか?」

 そう聞き返す意味を彼は知っていた。そんな言葉が自分の口からすんなりと飛び出してきたことに、密かに喫驚する。今までの態度を思えば笑われても仕方のない戯れ言だ。だが彼女は表情を変えることなく、首を縦に振った。傷だらけの指先が、重たげに揺れる黒髪を押さえる。

「身内になればいいのよ。もしもユヅイヤがここに残ると言うなら、私の許嫁ってことになるから」

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