第37話 保険請求 その3
「まあ、とりあえず、患者の情報は…っと」
今はカルテで患者の情報を見ているが、どうやら面倒な患者らしい。犬神病院に入院していた時も、院内喫煙やら看護師への暴力やらで問題視されていたようだ。病気自体は白内障の手術で入院していたようだ。ちなみに白内障自体は手術を入れてもだいたい2日か3日くらいで退院できるが、この患者がごねたようだ。このカルテを書いた医師や看護師も相当腹を立てていたようで、文章のはしばしに毒のあるコメントがある。予定のところに頭の検査した方が良いって書いてあるし…。
「頭の検査って、これまじめに受け取る人いたらどうするつもりなんですかね?」
さすがにおかしかったので、葵は思わずに口にしてしまっていた。
「まあ、みんな冗談だってわかってるわよ。本当にするつもりなら何の検査かって書くしね。そうよねえ、廸子ちゃん?」
美夜先生が少し笑みを浮かべながら東永さんの方を見る。東永さんは少し気まずそうだ。
「あ、あれは…。む、昔の話じゃないですか! 今はそれよりもこの状況をどうするか、じゃないですか?」
東永さんは慌てて言っているが、昔何かやっちゃったのかな?
「えー、東永せんぱーい、嘘書いたんですか?だめですよー、看護師がそんあことしちゃあ。」
得意げに貫品さんが語る。まともなこと言ってるけどこの人には言われたくないよね。
「ちょっと2人と!今はそんなこと話してる場合じゃないわ!とりあえず、何個か思いついたから意見を言って!」
「…お願いします。」
東永さんは少し納得できないような表情をした。まあ、気持ちは分かるけど。一方、貫品さんは「そうですねー」とのんびり言っている。気にしてないっていうより気づいてないって感じよね…。
「まず1つ目だけど、きちんと計算が違うと説明…はもうやったけどもう1回説明して、菓子かなんか渡すとか?」
「まあ、それはいいと思いますけど最終手段で。あんまりおかしい患者に甘い態度をとると同じ事が起こったとき同じことしないといけなくなるので…」
「…じゃあ、最初から強気にいけばよかったんじゃないの?」
「す、すみません。ちょっと、強面の人だったので怖くて…」
東永さんが申し訳なさそうにうつむく。美夜先生はやれやれといった表情をしながら続ける。
「まあ、だったら、あのゼロ機関はどう?一応こちらには非なんてないわけだし…。」
ゼロ機関とはモンスターゼロ機関の略称で、クレーマー対策を主な業務にしている。
「そ、それはそうなんですけど、あの機関に頼むと監査が入って隅から隅まで調べられるじゃないですか?先生が礼金受け取ってるじゃないですか?だからそれがばれるんじゃないかとびくびくしてまして…」
「礼金?」
私が声に出すと、東永さんは少し気まずそうな顔をした。もしかして聞いちゃいけないことだった?
「礼金って、あれよ。患者が手術後にお礼として数十万から数百万包んで渡すお金。ちなみにこれ確定申告してない医者は多いわ。まあ、野菜やら持ってくる近所のおばさんと同じようなものって考えてるからね。」
美夜先生は笑みを浮かべながら答えた。
「違うわよ!桜庭さん、この人の言ってること7割くらい冗談が入ってるから本気に取らないでね!昔の話で今そんなことしてる人あんまりいないからね!」
「ちょっと、廸子ちゃん。さりげなくそのあんまりいない病院に入ってるって言っちゃってるよ~。」
「…と、とにかく、話を進めましょう!他に案はありますか?」
先生は少し考え込むそぶりを見せながら、私の方を見る。
「ハニートラップかまして逆に脅す?」
「先輩、もう考えるのめんどくさくなってきてません?」
東永さんはあきれたように見つめ返す。
「ふふふ。冗談だって!…そういやこの人、民間の保険にも入ってるのね。」
「先生、まさか…」
東永さんが少し不安そうな顔をする。美夜先生は悪そうな顔をしてるけど。
「いっそのこと民間の保険利用してもらいましょうか?」
「え、でも使えるものなんですか?」
民間の保険は確かに入院により給付金が発生する。だが、この人の今回の治療は白内障でこの民間保険の対象外だ。
「ああ、給付金じゃないわよ。実は民間保険って規定とかには書いてないけど、高額療養費制度の対象になってるのよ。」
高額療養費制度とは公的な医療保険で、1か月の医療費が一定額を超えると超えた分が戻ってくる制度だ。この一定額は所得が関係してくるが、この患者は低所得者なので、自己負担は3万5400円が限度だ。
「確かに、それにここまで来た交通費を加えれば、何とかなりそうですね…」
「ということで、それを説明したうえで、あくまでも今回は特別です!を強調しといて。ああいうタイプはどうせ難しい説明なんかわかんないからお金が戻ってくれば満足でしょう?あと、説明理解したっていう念書でも書かせて患者データにアップロードしときましょう。」
「アップロードですか?」
「ええ、こういうのは証拠残しとくのよ。自分の身を守るためにね。みんなじゃないけど、罪を擦り付けてくる人や嘘をつく人も多いから、ね?」
「分かりました! 貫品さん、さっそく準備するわよ!」
「キサラちゃんはかーわいいですねー。」
見ると貫品さんはキサラちゃんをなでている。っていうかさっきから会話に参加してないとは思ってたけど…。
「…ちょっと聞いてる?貫品さん?」
東永さんの声のトーンが少し低い。表情も不自然な笑顔だし。
「え、聞いてますーよ!ハニートラップですよーね?私そういうの良くなーいと思いますよ?」
最もなことを言ってるんだけど、あ、これはやばいかも…。
「ふふふ…。全然聞いてなかったようねえ。ちょっと後でお話ししましょうか?それでは先輩、私たちは帰ります。今日はありがとうございました。」
そう言うと貫品さんの肩をつかむとさっさと出て行ってしまった。貫品さんも東永さんの雰囲気がいつもと違うと気づいたのか素直につかまれたまま出て行った。っていうか怒られそうなことに気づいてないのね。
「さーて、邪魔者がいなくなったから、勉強の続きをしようかしら?」
美夜先生はいつもよりうれしそうだ。やっぱりストレスから解放された影響かな?
「どうしたの?」
「あ、なんでもないです!よろしくお願いします!」
やばいやばい。考え事してたから返事してなかった。私は気持ちを切り替えてメモの準備をした。




