のほほん87
ヴィータはオランド達王国兵がいる拠点までやってきていた。ただ王国兵の皆にはヴィータだと気付かれていない。なぜなら今のヴィータの格好は王国兵士たちの装備する重装備でもなく、以前の戦争での格好でもない。
ヴィータの着けているマントはエレノアから借りた物。それすなわち王国親衛隊がその誇りと威信を示すための物。そしてヴィータの装備する二刀は今までヴィータが使っていたプラチナ製ではない。ヴィータの理想が詰まったその剣はヴィータの自信作、誰もが見たことのない理想の剣だ。
「し、親衛隊の方がこのような危険な場所まで何用でしょうか?」
「へ?」
「親衛隊の方ですよね?」
「ち、違うよ! ヴィータだよ!」
「……まじかよ……」
王国の兵士たちは親衛隊の者達のことをお飾りだと思っている。貴族として生まれ、子供の頃から研鑽して親衛隊にはなった。ただそれは同年代の者達にとっては凄いと感じるだけ。実際に戦場で戦い生き抜いた者達にとって戦場を知らない親衛隊は役立たずもいい所だろう。
もし戦場に親衛隊が我こそはと出てきたとしても、恐怖に、狂気に呑まれること間違いなしだろう。それほどまでに戦場は混沌としている。戦場に身分など関係ない。政治的な力など役に立たない。
戦場で生き残るにはただ強いだけでは、ただレベルが高いだけではダメなのだ。自分を見失うことのない何かが必要なのだ。
王国の兵士たちは初めての戦争を生き残り、将軍に道を示され、少なからずそれを持っている。将軍に道を示され、将軍を尊敬し、その将軍のために戦うと決めた者。自らの理想を叶えようと戦う者。自らが守りたいと思う者を守るために戦う者など様々だ。はたして、親衛隊にその自らの意思が恐怖や狂気に塗りつぶされないほど強いのか。それはわからない。
今回の帝国との戦争。
これはもはや負け戦と言っていいほどの差が出てしまっていた。どうする事も出来ず、けれども何とかするために悩み、迷い、決断し命を散らせていった。
将軍となったオランドはただただ戦い負けることをよしとしなかった。帝国軍の大波に呑み込まれないように踏ん張り、町や村にいる民たちを守らんと時間を稼いだ。成果は出ている。その在り方を、オランドの進もうとする道なき道を見て王国の兵士たちは必死に戦い、そして守ったのだから。
その犠牲として、将軍と共に戦場を駆けた歴戦の勇士たちが散っていった。最後にお前達が引く時間くらい稼いでみせると。それくらいの力は残っていると、後のことは任せるとそう言って。
王国軍の結束は帝国が攻めてきた当初に比べ格段に強くなっていた。多くの犠牲を失うも、それ以上の民を守ったオランドを将軍と認めたから。ルーシュやバランなどの新たに将となった者たちも、負け戦だからこそかもしれない。一人でも多く死なせないように必死に指示を出し、まとめて見せた。無理をせず、無茶をせず、引き際を弁えた。将として立派に成長し、自分の部下たちからの信頼を得た。
だがそれだけでは帝国には勝てない。守るだけでは勝てない。それは誰にでもわかっていた。帝国という大波に抗い、打ち破るだけのきっかけが作れなかった。オランドもただただ守るだけではない。必ず機会があるとチャンスを窺っていた。
だがそのチャンスは全くやってこない。帝国は勢いだけで王国を攻めたわけではなかった。知略を張り巡らせ、攻める時に攻め、引くときには引く。帝国はそれを徹底していた。勝っているからと将が兵士が命令を無視して暴走することはなかった。
その手綱をしっかり握りしめ完璧にコントロールしている者がいた。かつて王国の首元まで攻め込み、王の間まで迫った帝国将。その者は今では帝国軍のすべての兵士の信頼を勝ち取り、掌握した帝国将軍となり、王国を呑みこまんとしている。
オランドも一度帝国将軍と一騎打ちをした。
だがオランドは勝てなかった。
その戦いにアリアが途中で介入しなければオランドはそのまま殺されていただろう。アリアの介入のおかげで体の一部を失うなどの致命的な怪我をすることはなかった。
アリアはギリギリまでオランドの勝利を信じ我慢し、そして絶妙なタイミングで介入した。勝ち負けよりも、今、オランドを失えばすべての王国兵士たちの戦意が喪失してしまうから、そして何よりも最愛の人を失いたくないそれが見て取れた。
帝国将軍の方が実力が上。
それは現時点でのこと。
帝国将軍もそれは認めていた。
もし、オランドがかつての戦争で婚約者を失うということが無ければ、その勝負がどうなっていたかわからない。
帝国将軍のミスはオランドを王国将軍を討つことが出来なかったその一つだけだろう。討つ事が出来ていれば戦争そのものが終わっていたかもしれないのだから。
その後も驕らず帝国将軍は徹底的に王国の勝ちの芽を潰していった。
勝ち負けはどちらかが死ななければつかない。
例えそれが一騎打ちで有利に事を運ぶことが出来ていても、誰かの介入で決着がつかなければ引き分け。
それが帝国将軍の考え方。
今の王国と帝国の戦争も同じだった。
帝国はまだ勝っていない。
その考えが帝国の徹底した動きとなっていた。
「ヴィータ! なんで戻ってきた!?」
「オランド将軍! 無事で何よりであります!」
「はっきり言ってやる。もういつまで帝国を抑えられるかわからねぇんだ。明日終わるかもしれない、そんな状況だ。お前にはレフィリア様を守りたいっていう志があるんだろうが! わかったならさっさと帰れ!」
「……確かに俺は、レフィーを守りたい、ティアやコン太も。その気持ちは今も変わらないであります! でも、もう昔とは違うであります! 今の俺はオランド将軍、アリア先輩、ルーシュやバランも失いたくないであります! 守るのであれば、皆と共に戦い守りたいであります!」
「…………」
「オランド将軍! 俺にも……俺にも一緒に戦わせてください! 今度は、今度こそは折れない剣を打ってきたであります! だからお願いするであります!」
そのヴィータの願いは、懇願は本物だ。
嘘偽りのない本心だ。
例えどれだけ役立たずと言われようとも、足手まといだと言われようとも、いつか必ず。その気持ちが消えることは、折れることはなかった。だからこそヴィータはここまで、死地にまでやってきた。
「オランド将軍。いいのではありませんか?」
「アリア」
「一度離れさせたのに、わざわざ一人でここまでやってきたのですから。その気持ちを無下にすることの方がヴィータを傷つけることになると思います。認めてあげてもいいのでは?」
「……はぁ……仕方ねぇ奴だ」
「オランド将軍! ありがとうであります!」
「こんな格好までして一人で来るなんて思いませんでしたけどね」
「意外と様になってやがるのがまた……な」
「レフィリア様を守りたいという気持ちがよく伝わる格好というわけでしょう」
「このマントはエレノア殿が貸してくれたのでありますよ」
意外と似合う。
それが王国の兵士たちの反応だった。親衛隊がこんなところにまで何の用だと思う者が大半だった。ヴィータと気付くまでは胸に手を当て敬礼していたのだから。ヴィータと気付くと嘘だろと驚く者が多かった。
「いや~バランさん? 先を越されちまったなぁ? なぁおいぃ?」
「う、嘘だ……嘘だ! あ、あり得ん! これは夢だ! 夢に違いない!」
「いやいや~、どっからどう見てもヴィータだなぁ! しっかし様になってんねぇ! 俺も本気で気付かなかったからな。不格好で似合わなかったどこかの元親衛隊とは全然違うな。なぁバランさんよぉ!」
「似合ってないと自分でも思っていたが、お前に言われると腹が立つぞルーシュ!!」
「あのマントってあれだろ? 親衛隊の者にしか与えられない物だろ?」
「ぐ……そ、そうだ。あのマントは親衛隊に入隊する時、王から直接渡される由緒正しいマントだ。だからこそ親衛隊の者達は誇らしげに肌身離さず身につけるのだから……しかしあのマントは……」
「何か違うのか?」
「い、いや……まさか……そんなはずは……」
「おいおい、バランさんよぉ。教えてくれなきゃわからないだろうよ」
「あ、あれは恐らく親衛隊隊長のマントだ」
「親衛隊隊長? って確かエレノアって人だったか? バランさんの愛しのレフィリア様の専属の護衛だろ? なぁんで分かるんだ?」
「エレノア様だルーシュ。エレノア様がよく誇らしげに話していたのだ。今は亡き王妃様が自分のために裁縫をしてくれたと。遠くから見てもエレノア様だとわかるように他の親衛隊たちのマントにはない刺繍がされているんだ」
「ふぅん、あれか……確かに他の親衛隊の奴らには無かったような気がしたなぁ。ってぇことはあれだ。エレノアって人からもらったってわけだ」
「ば、馬鹿な!? エレノア様はヴィータのことをよく思っていないのだぞ! やはり夢だ! 夢に違いない! いやそうであってくれ!!!」
「いやいや、もう俺がタダで無知なバランさんに教えてあげたじゃないか。レフィリア様は視察と称してヴィータに会いに行ってるって」
「俺は……俺は信じてないからな! お前は俺をからかうことを楽しむためなら適当に嘘をつく男なんだからな!」
「ヴィータに聞けばわかるぜ? レフィリア様のことを愛称でレフィーって言っているそうじゃないか」
「う、嘘だ!!! 俺は、俺はぜ、絶対に信じないからな!」
「そうかぁ? 城勤めじゃなくなったバランさんが知り得ないもう一つ最高の情報があるんだけどなぁ? きっと大喜びするぜぇ?」
「……な、なんだその情報ってのは?」
「おやおや、聞きたいのか?」
「含みを持たせるな! さっさと言え! この戦争で勝ち残れば俺はまた親衛隊に戻れるのか!?」
「そんな話もあるなぁ。けどそれ以上の情報さ!」
「そ、そうか! 俺は戻れるかもしれないのだな! いいぞ! 今度はちゃんと男らしく謝ってレフィリア様に認めてもらうのだ! それで、それ以上の情報ってなんだ?」
「レフィリア様はなぁ。ヴィータのことを愛してるって包み隠さず言ったらしいぞ? それも王の前でなぁ!」
「あり得んな。それこそ与太話。俺をからかうためとはいえ、そこまで大げさな話は無理があるぞルーシュ」
「そうかい? 俺はその話、今さっき確信したけどなぁ? ヴィータに確認してみるといい。今まで着けていなかったその首飾りはなんだってなぁ」
「首飾り? そんなものつけていたのか。ふん、大方あのティアという娘からもらったものだろう」
「賭けでもするか?」
「いいだろう! 何を賭ける?」
「明日生きてるかどうかもわからねぇからなぁ。夕食のおかずにでもするか」
「ふん! 最後の晩餐を泣いて過ごすがいい!」
その後、夕食は戦争中だというのに、未だかつてないほどの大騒ぎになった。主な原因はバランの大泣きによるものだが。しばらくの間、泣きながら戦場を駆ける男がいたという。それはもう活躍したそうだ。