のほほん39
「……また会いたいな……」
一言。誰にも聞こえないように呟いた。
その一言はとある人物の心の奥底から沸き上がる気持ち。
「レフィリア様。ボーっとしてどうしたんですか?」
「…………」
「レフィリア様ー? またですか……いやな予感がしますね」
ここは城の一室。レフィリアの部屋。
エレノアが席を外し、戻ってくるまでの僅かな時間でレフィリアはふと自分の中から沸き上がる気持ちを呟いたのであった。今のレフィリアは昔を思い出すように遠くを見て、上の空だ。
………………………
私はこの状態のレフィリア様が何を考えているのか。それをよーく知っている。
それは私が最も憎んでいると言っても過言ではない男のこと。
レフィリア様がまだ小さかった頃。
ふとしたきっかけで窓から外を見てくると言い出したレフィリア様を見送った。最初は礼儀作法などを学び続けで疲れたのだろうと、気分転換してもらえるならと見送った。少しすると、定期的に見に行くようになっていた。戻ってくるとどこか嬉しそうにしているのだ。
私が聞いても『秘密!』と言うものだから可愛いなぁと思いながら過ごしていた。
それから少しすると、今のレフィリア様のようにどこか上の空になり始めるようになった。私も女だ。その状態がどのようなものか同じ女だからこそわかってしまう。
恋する乙女というやつだ。
私はどこの貴族の子かなと、さりげなく聞いてみるも『秘密!』というものだから可愛いなぁと思いながら過ごしてきた。
しかし状況は怪しくなっていく。
見識を広める旅。
そこで出会った役立たずの男。
王都から数日離れた道端に現れた格下の魔獣に後れを取る情けない男。ただ馬車についていくだけの行軍すらまともに出来ない男。その男を庇うのは、私もレフィリア様の性格をよく知るからこそ注意するだけに留めていた。
しかし、しかしだ。レフィリア様が男を庇ってから、その男の様子を見るたびにソワソワするのだ。最初は怪我が心配なのかと思ったが、そうではないと女の私は理解する。髪の毛をいじったり身だしなみを確認したりと、普段あまり見られない行動をするのだ。
そして馬車の後ろを歩く兵たちに……いや隊列を乱す一人の男に『頑張って!』と誰にも聞こえないように呟いていた……が私には聞こえていた。
この旅で今までのレフィリア様の『秘密!』と言っていたものに疑問が出始める。
レフィリア様が初めて私に真っ向から言い合いをして、強引と言える方法で勝ちをもぎとった。そしてその話題の中心にいたのはまさかの役立たずの男。
いやいやまさか……まさかと
それはあり得ないだろうと
見当違いだと言い聞かせていた。
そしてその疑問は最悪の形で確信へと変わってしまった。
見識を広める旅から戻ったレフィリア様は、王に自分の考えを伝え、視察を希望するようになった。最初は良かった。さらに見識を広めようと自ら行動しているのだろうと、微笑ましく王と共に見守っていた。
だがある時腑抜けになっている男と出会った。出会ってしまった。
その腑抜け役立たず野郎と話をすると言い出した時に嫌な予感がした。
話をさせてはならないと女の勘が告げていた。
しかし、本気で心配しているレフィリア様の気持ちを無下には出来ないと仕方なく引き下がった。それが間違いだった。話し終えた後のレフィリア様の惚気を見た瞬間に回れ右をしてあの野郎を暗殺してやろうかと考えるまでに至っていた。
それからいつものように窓を見に行ったらしいレフィリア様が戻ってくると、嬉しそうに『今日も頑張ろう!』と小さくガッツポーズするようになった。どこか遠くを見て上の空になれば、時々思い出したように顔を緩めるのだ。その幸せそうな顔は私も心温まりとても嬉しい。
しかしそのレフィリア様をそうさせる男は私が最も嫌う男。あの役立たずの糞野郎だと確信してしまった。あの小さくて可愛く『エレノア大好き!』と言ってくれていた頃からあの糞野郎を見に行っていたと。
………………………
「決めました! 視察をしましょう!」
ふと我に返ったレフィリアが突然そんなことを言いだした。
「なりません!」
「これも見識を広めるためです! 必要なことです!」
「わかりました。では南東へ行きましょう」
「いいえ、北西へ行きます!」
「レフィリア様! 視察というのは王国の民がどのように生活しているのかを自らの目で見て知るために行うものです。そして何が良くて何が悪いのか、それを見極めることこそが視察というものです!」
「わかっています。民が日々努力し、日々どのように過ごしているのか。それを見に行くのですから何も問題はありません!」
「言っていることは間違っておりません……が、レフィリア様の場合特定の者の様子を見に行きたいだけではありませんか!」
「違います! たまたま、偶然、奇跡的に歩いていたら辿り着いてしまうのです。何もせずに帰るのは視察の意味はありませんから、民のお話を聞いていくのです!」
「もはや会いに行くと、言っているようなものではないですか!? 隠してすらいないではないですか!?」
「何のことでしょう? さぁ! 行きますよ! 支度してください!」
そうと決まったら行動する乙女は早かった。
もうこれ以上エレノアと話す気はないと、視察は決定事項だと言うようにドレスを脱ぎ始めているのだから。
レフィリアがする視察。
その意味をエレノアはちゃんと理解している。
国のためというのは建前、城の外の空気を吸いたいという息抜き。
そしてレフィリアが視察で目にしているのは家族。
家族共々商売をしている姿。家族が幸せそうに歩いている姿。迷子になった子を見つけて、心配したり叱りつけたりする姿。貴族の家族のように親子であっても威厳を持ち、厳しく接するのとは違うその在り方。
レフィリアが求めるものは貴族や王族では手に入れることがとても難しいものだ。貴族の力を保つために力ある貴族の者と結婚する、王族であれば国を保つために、協力関係を取り繕うために結婚する。政略結婚が運命付けられている。
エレノアはわかっている。
わかっているからこそ目を瞑ってきた。
そして聞き入れてくれるその時を狙って、何度も言い続けてきた。
だがレフィリアの求めるものはエレノアの予想より遥かに大きかった。
最近では言葉こそ言い繕っているが、気持ちはほとんど隠せていない。
今はまだエレノア以外には悟られていない。が、いずれ知られてしまう。
知られれば城から出ることが難しくなってしまう。
レフィリアもそれはわかっている。
けれど最近は歯止めが利かなくなってきている。
エレノアはレフィリアの幸せを心の底から願っているが、いずれ現実を受け止めなければならない。気持ちが大きくなればなるほどその現実はとても重くなってしまう。
レフィリアはわかっているはずだ……たぶん。