のほほん36
カーン!
カーン!
カーン!
と一定の音が聞こえる。けれどそれ以外の音は風が吹いた時に木々が揺れ、葉が擦れ合う音しか聞こえてこない。ここは本当に活気ある王都なのかと疑問に思ってしまうくらいだ。
「立派な家ですね。ここにヴィータさんが……」
「あの男が住んでいるとは到底思えませんね。きっともう別の者が住んでいるのでは?」
「エレノア、その棘のある言い方を直してください」
「……善処します」
「もう……」
両開きのドアを開けて2人は中へと入っていく。
ガチャ
チリチリーン
ドアを開けると鈴の音色が聞こえてくる。
その音が聞こえたのか、遠くから別のドアが開いて誰かが近づいてくる。
「…………」
この近づいてくる足音を立てる人が誰なのか。
ヴィータであってほしいとごくりと生唾を飲み、一抹の期待を胸に現れるのを待つレフィリア。その様子を見て、ヴィータ憎しと不機嫌になるエレノア。
「いらっしゃーい」
そんな2人のことなどつゆ知らず、気の抜けた声で客を出迎えたヴィータ。
鍛冶場から出てきたばかりで汗だくのヴィータ、久々に会うことが出来たと笑顔になるレフィリア。そしてそれを見てさらに不機嫌になるエレノア。
「お久しぶりです! ヴィータさん!」
「え……え……え? レフィリア様?」
「……(ギリッ!!!)」
「はい! レフィリアです!」
「あ……えっと……」
「貴様!!! いつまでそのように呆けているのですか!!! 無礼にもほどがありますよ!!!」
「あ!!! も、申し訳ありません!!!」
突然の王族の来訪にどうしていいのか分からずポカンとしていたヴィータについに我慢出来なくなったエレノアが怒鳴る。そして怒鳴られたことで状況を理解したヴィータがすぐに膝をついて右手を胸に当て臣下の礼をする。
「エレノア!!!」
「例えどのような者であっても許されません!」
「私はそのようにしてほしくてヴィータさんに会いに来たわけではありません!!」
「しかし!!!」
「エレノア! 少し黙っていてください!!」
「……(ギリリッ!!!)」
「ひぃ!!」
兵でなくなったヴィータであってもやはり敵対心を隠すことなどエレノアには出来なかったようだヴィータ自身もエレノアには苦手意識が強いらしく、どうしてもビクビクしてしまう。
レフィリアはすぐに膝をついてヴィータと同じ目線にする。
「レフィリア様!!」
「ヴィータさん、顔を上げてください。私はあなたにそのようなことをしてほしくて会いに来たわけではないのですから」
「し、しかし……それでは……」
「エレノアのことなんて気にしないでください。お願いします」
レフィリアはとても悲しそうに、今にも泣きそうに必死に訴えていた。
ヴィータとしてもレフィリアにそんな顔をしてほしくなかった。
「わ、わかりました」
おずおずとエレノアの様子を見ながら立ち上がるヴィータ。
それに合わせてレフィリアも立ち上がるが、やはり悲しそうな顔をしていた。
「そ、そのレフィリア様はどうしてこのような辺鄙な場所へ?」
なんとかしようと話しかけるヴィータ。
「えっと、ヴィータさんの顔が見たく……いえ、ヴィータさんが兵を辞めたと聞いたのでどうしたのかと」
「そういうことでありますか。俺のような者にわざわざありがとうであります!」
「俺のようななんて言わないでください。それより、お話をしませんか?」
ヴィータから話を振ってくれたことでレフィリアは少し元気を取り戻したようだ。
「えっと……」
レフィリアからの誘いは喜ばしいことだが、どうしてもエレノアが気になってしまうヴィータだった。機嫌を窺うようにチラチラと様子を見ている。
「エレノアのことなんか気にしないでください! 城に戻ったらとことんいじめてやります!」
「れ、レフィリア様!?」
「ダメですか?」
レフィリアの不安そうに窺う上目遣いはとても破壊力があった。
「ダメではないであります! 2階ならくつろげるのでそちらへ行きましょう!」
「はい!」
「くっ!(なぜあのような者に私が見たことも無いような笑顔を……)」
ヴィータに案内され、レフィリアとエレノアは2階へと上がる。
2人に断りを入れて、汗を拭き、服を変えてからテーブルの前に座る。
「お待たせしました。失礼するであります!」
「ヴィータさんの家なんですから、わざわざ聞かなくていいんですよ」
「貴様、レフィリア様に何一つ用意しないのか?」
「え、あ!」
「構いません! 気にせず座っていてください。エレノア、後で覚えておきなさい!」
「な、なぜそうなるのですか!?」
「あなたがヴィータさんを怖がらせるからですよ!」
納得がいかないエレノアであった。
「……おい、私が用意する。構わないな?」
「は、はいであります!」
そう言ってエレノアはキッチンへ向かい、飲み物を準備してテーブルへ2つ置いた。
「ありがとう、エレノア」
「ありがとうであります! でもなぜ2つなのでしょうか? エレノア殿も……」
「ふん!」
「エレノア、しばらく2人にしてくださいね」
「えっと?」
エレノアはレフィリアに言われることを予想して2つしか用意しなかったらしい。
「貴様、いいか! くれぐれも無礼のないようにするんですよ!」
「は、はいであります!」
「では、レフィリア様ごゆっくり」
「ありがとう、エレノア」
レフィリアに一礼してエレノアは1階へ降りていった。
「本当にごめんなさい。ヴィータさんのことになると、どうしてもあのような態度になってしまうみたいで……」
「そ、そんなことは……俺が悪いのであります!」
「…………」
なぜかレフィリアは不満そうにヴィータを見つめていた。
「ま、また何か無礼を働いてしまったのでしょうか?」
「……いえ……ヴィータさん、その……普通に接してもらえませんか?」
「えっと?」
「以前話したこと覚えていますか?」
「王族として生まれたくなかったと……」
「はい。私は王族のレフィリアではなく、ただのレフィリアとしてここに来ました。それに今はあの口うるさいエレノアはいません。お願いします」
「……今すぐにというのは……その……」
「少しずつで構いません」
真剣な目でレフィリアはそう言った。
嘘偽りのない本心からそう言っているのだ。
「……善処するであります」
「ありがとうございます!」
自分の願いを聞き入れてくれたヴィータに笑顔で礼を言った。
それから他愛のない話が続く、レフィリアの日常の話から普段感じている不満への愚痴、視察へ行ったことでまたさらに平民の家族の在り方への憧れ。
話は移りヴィータの話題へ。
「ヴィータさんは今、何をされているのですか? 近くに来るときにカーンという音が聞こえてきましたけど」
「えっと、今は鍛冶をしているであります」
「鍛冶ですか?」
「はいであります。鍛冶をして装備を作り、それを売って何とか生きているであります。まだまだ新米なので、魔獣を倒すなどして稼ぎつつですが」
「そうなんですか……なぜ鍛冶を始めようと思ったんですか?」
「えっと……その……守りたいものがあるであります! そのために必要なことなのでありますよ!」
ヴィータにとって守りたい者は今まさに目の前にいる。変わらず……いや、歳を重ねより一層美しく綺麗になったレフィリア。けれど変わらないものもある。
レフィリアの笑顔だ。
その笑顔はヴィータの心に勇気を与え、確固たる決意を思い出させてくれる。そしていずれまた……とヴィータの中に守るべき者のために戦うという信念が生まれ始める。
そのヴィータの目を見て、レフィリアは新たな道を歩み始めたヴィータにもう一つ質問した。
「兵を辞めることになってしまったこと、後悔していますか?」
「兵として生きていけなくなったこと、それは思うことはあるであります。5年もの間、何一つ報われなかったこと。何一つ守れなかったこと。とても悔しいであります。ですが、だからこそ今の自分がいるであります」
「そうですか」
ヴィータは兵を辞めることを受け入れ、新たな道を歩み始めているとレフィリアは実感した。だからレフィリアはヴィータに兵に戻ってほしいという気持ちを我慢することにした。
「それではもう……修練場に向かって手を振っても返ってこないんですね……」
「……申し訳ないであります」
「……いえ! でも私にも新しい楽しみが増えました!」
「なんでしょうか?」
「ふふっ、ここに遊びに来ることです!」
「えっと……」
「ダメですか?」
「そんなことないであります! とても嬉しいでありますよ!」
「よかった!」
階段から誰かが上がってくる音が聞こえてくる。エレノアだった。
「レフィリア様。そろそろお時間です」
「あら……もうそんな時間なんですね?」
「えぇ」
「わかりました。ヴィータさん、長い時間付き合ってくれてありがとうございました」
「いえ、そんな……俺も楽しかったであります!」
ヴィータとレフィリアは2人で笑い合う。
そしてそれを見てエレノアは不機嫌になる。
いつもの構図だった。
「ヴィータさん、また来ますね!」
「はいであります!」
「また? レフィリア様? またというのは?」
「さぁ! 帰りましょうエレノア!」
ヴィータはレフィリアが見えなくなるまで、家の入口で見送り、家へと戻っていった。
「あの、レフィリア様、先ほどのまたというのは?」
「そのままの意味ですよ?」
「元気にやっていた、めでたしめでたしでいいのではありませんか!?」
「ダメです」
「私はあのような男のいる家など行きたくありませんよ!」
「1人で大丈夫です」
「即答しないでください!」
「あとエレノア、城に戻ったら覚えておきなさいね?」
「な!?」
「あのように民を威圧して強制するなど許せません!」
2人は城へと戻っていった。
「ただいま戻りましたー!!」
「おかえりティア」
「すぐそこでとっても美人な2人が楽しそうに歩いていましたけど、お客ですか?」
「あぁ、俺の知り合いだね」
「あんな美人さん達と知り合いとは……へっぽこ店主のくせに隅に置けませんね」
「そうだね。1人はとっても怖いけど、1人は俺にとって誇りだよ」
「ふーん? しかしどこかで見たことがあるような? 気のせいですかね」
「さぁ! 頑張るぞ!」
「おや、いつになくやる気ですね。美人さんのおかげでしょうか」
そうしてヴィータはいつも以上に張り切って鍛冶を始めていった。