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右腕を失った元天才書術士の代筆屋稼業~白紙の聖典を持つ少女と出会い、左手の錆びたペンで神のシナリオを書き換える~  作者: 黒崎隼人


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第5話「反逆のインク」

 崩落する古代図書館の天井から土煙と共に舞い降りた漆黒の集団。

 その中心に立つ男の顔を見て、アルスは息を詰まらせた。

 端正な顔立ちに冷徹さを宿した琥珀色の瞳。

 神聖書芸院の特級書術士にして、かつてアルスと首席を争った唯一の親友、レオン・フォン・ヴァイスだった。

「レオン。なぜお前がここにいる。書芸院の狗に成り下がったか」

 アルスは左手の鉄ペンを構え、エルナを背後へと完全に隠す。

 しかしレオンは表情を変えないまま、ふっと冷たい笑みを漏らした。

「狗、か。相変わらず口の悪い男だ。だが少し周りをよく見るんだな、アルス」

 レオンが指を鳴らす。

 背後に控えていた漆黒の法衣の男たちが、一斉にそのフードを脱ぎ捨てた。

 その下に隠されていたのは書芸院の徽章ではなく、赤く染められたインクの汚れだった。

 書芸院への反逆を示す刻印である。

「彼らは書芸院ではない……?」

「今の書芸院は狂っている。大司教は世界の寿命を延ばすという大義名分の下、人間の言葉だけでなく命そのものをインクに変えて世界を強引に固定しようとしているんだ。……俺たちはそれを止めるために集まった義賊団、反逆のインクさ」

 レオンは懐から細身の美しい銀の万年筆を取り出した。

「アルス。3年前に大禁書惨劇の夜、お前が一人で罪を背負って消えたあの日から、俺はお前がやろうとしたことの続きをこの地下で続けていたんだよ」

「レオン、お前……」

 アルスの胸にかつての熱い記憶が蘇る。

 二人は共に書芸院の体制に疑問を抱き、言葉の自由を勝ち取るために戦うと誓い合った仲だった。

「再会を祝したいところだが、お喋りはここまでだ」

 レオンの琥珀色の瞳が戦闘のそれへと切り替わる。

「追手が来た。本物の書芸院の処刑執行官どもだ」

 地響きと共に図書館の壁が外側から爆破された。

 立ち込める煙の向こうから現れたのは人間ではない。

 白磁の肉体に無数の文字列が埋め込まれた不気味な等身大の人形だった。

 書芸院の絶対殺戮兵器が3体、その奇怪な駆動音を鳴らしながら突入してくる。

 人形たちの胸に刻まれた『殺』の文字が赤く明滅した。

「思考を持たぬ文字の兵隊か。胸糞悪い!」

 アルスが叫ぶと同時にレオンが前に飛び出した。

 その銀のペンが空中に電光石火の速さで鋭い軌跡を描く。

 レオンの放った『鋭』と『貫』の不可視の魔力針が、先頭の自動書記人形の関節を正確に撃ち抜いて動きを止める。

「アルス。左手の回路はどうだ」

「お前よりは不器用だが一発ぶち込むくらいはできるさ!」

 アルスは血墨を指に絡め、エルナの光をペン先に受け止めた。

 エルナの聖典の力がアルスの左手に宿る魔力を爆発的に増幅させる。

「いくぞ、エルナ!」

 エルナは短く力強く返事をした。

 アルスが左手で空間を殴るように文字を突き出す。

 青白い巨大な雷撃となった『轟』と『雷』の文字が解き放たれ、2体目の人形を木っ端微塵に粉砕した。

 しかし残る1体の人形が大破した仲間の残骸を踏み越え、凄まじい速度でエルナへと突進する。

 その右腕は鋭利なペン先の形をした巨大な剣へと変形していた。

「標的。創世聖典の回収、または破壊」

 人形の機械的な声が響く。

「させない!」

 レオンが割り込もうとするが、人形の放った波動に弾かれた。

 万事休すかと思われたその時、エルナが自ら一歩前に出た。

 彼女の瞳に怯えはない。

「私は壊されるための道具じゃない。アルスと一緒に私の物語を生きるって決めたの!」

 エルナの背中の聖典がこれまでで最も激しく、血のように赤い光を放った。

 それは彼女の怒りと意思が、世界のシステムを凌駕した瞬間だった。

 彼女から放たれた衝撃波が突進してきた人形の動きを完全に停止させる。

「今だ、アルス。文字の核を砕け!」

 レオンの叫びに応え、アルスは宙に跳んだ。

 左手に握った錆びついた鉄ペンに、エルナの放った赤き光の奔流が集束していく。

「神様の人形が俺たちの頁に触るんじゃない!」

 アルスは人形の胸の文字に向けてペン先を真っ直ぐに突き立てた。

 絶対的な消去の概念である『消』の文字が刻まれる。

 アルスのペンが人形に触れた瞬間、白磁の肉体に刻まれていたすべての文字がさらさらと崩れ去り、ただの無機質な泥となって床に崩れ落ちた。


 ◆ ◆ ◆


 激しい戦闘が終わり、崩壊した図書館に静寂が戻る。

 アルスは激しく息を荒げ、その場に座り込んだ。

 左手の回路からは煙のようにかすかなマナの残滓が立ち上っている。

「……見事な連携だったな、アルス。そしてそこのお嬢さん、エルナと言ったか。君の力はやはり世界を終わらせるためのものだ」

 レオンはペンを収め、複雑な表情でエルナを見つめた。

「レオン。俺はエルナを世界のリセットなんてさせない。神の書いたシナリオを書き換える。そのために俺はまたペンを握ったんだ」

 アルスは立ち上がり、レオンの目を真っ直ぐに見返した。

「相変わらず無茶苦茶な男だ。だがだからこそ俺はお前に賭けたくなった」

 レオンは微笑み、アルスに手を差し伸べた。

「俺たちの隠れ家へ来い。書芸院の総本山へ攻め込むための最後のインクがそこにある」

 しかしその瞬間、地響きとは違う不気味な音が世界を震撼させた。

 それは物質そのものが崩壊する音だった。

 アルスが周囲を見渡すと、図書館の石壁や床、自分たちの衣服の輪郭さえもが、まるで水に濡れた絵の具のようにかすかに滲み始めている。

 空を見上げると雲の輪郭が溶け、世界の境界線が曖昧になりつつあった。

「……始まったか」

 レオンの顔から血の気が引いていく。

「エルナの聖典が完全に目覚めかけたことで、世界の崩壊が最終段階に入ったんだ」

 世界がその輪郭を失い完全な白紙へと還ろうとする秒読み。

 二人の旅は一刻の猶予も許されない破滅へのカウントダウンへと突入した。

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