【Cheat Ability No.79】絶対安全・無傷の追体験(ノーリスク・リプレイ)
ワゴンの接客用カウンターにある小窓を叩く音が、今日はやけに力弱い。現れたのは、装備だけは一流だが、その瞳に怯えを貼り付けた青年勇者だった。
「……フェアカさん。俺は、失敗が怖いんだ。一度のミスで全てを失う世界なんて、残酷すぎる。一歩踏み出すたびに、足元が崩れる幻覚を見るんだ」
彼は「一度も失敗したくない」という極度の臆病さに支配されていた。フェアカさんは、冷めた紅茶を一口啜り、彼に半透明の水晶玉を差し出す。
「いいわ。ならこの『絶対安全・無傷の追体験』を持っていきなさい。これを使えば、あらゆる行動を『シミュレーション』として先に体験できるわ。失敗しても現実は損なわれず、成功する未来だけを選び取れる。究極の安全策ね」
勇者が震える手でそれを受け取ろうとした瞬間、空から轟音と共に、何かが降ってきた。
「ちょっと! 私が誰だか知ってるの!? 私は……そう、私は宇宙の真理にしてプリンの守護神ルミナリエ様よ!」
乱入してきたのは、つい先日渡した石を使いすぎてしまったルミナリエ様だ。彼女は自分の失態を消し去るたびに設定を書き換え、今や自分自身の正体さえ「都合のいい形」に歪めて暴走していた。背後からは、新人女神のノクティカ様が血相を変えて追いかけてくる。
「止まりなさいルミナリエ様! あなたの存在強度は今、デタラメな改竄のせいで崩壊寸前です! 『秩序の杖』で、その無秩序な記憶を背の順に整列(強制修整)させてもらいます!」
「嫌よ! 私は今日から『絶対に宿題を忘れない完璧な美少女』として生きることにしたんだから!」
ルミナリエ様の放つ矛盾した因果の波動が、勇者の持っていた水晶玉を直撃する。すると、勇者がこれから選ぶはずだった「成功のシミュレーション」が、ルミナリエ様の「都合のいい妄想」と混ざり合い、周囲の空間がカオスに塗り替えられてしまった。
「あわわ……失敗したくないのに、世界そのものがバグり始めてる……!」
頭を抱える勇者の横で、ノクティカ様の杖が激しく発光する。彼女は必死にルミナリエ様の嘘を「事実」の列に並べ直そうとするが、ルミナリエ様がそれを端から記憶の改竄で叩き潰していく。
フェアカさんは、その泥沼の対決を眺めながら、帳簿に「成約」の文字を淡々と書き込んだ。
「……あ、そちらの勇者様。説明の続きだけど。そのチートはね、成功だけを選び続けるうちに、あなたの魂は『本番』という概念を失っていくわ。失敗のない人生は、誰かが描いた完成済みの絵画を眺めるのと同じ。あなたが生きている実感を求めたとき、そこにあるのは安全に管理された『虚無』だけよ」
ルミナリエ様とノクティカ様がもみ合いながら彼方へ消えていく。その後ろを、一歩も動けなくなった臆病な勇者が、安全なシミュレーションの中から抜け出せないまま見送っていた。
フェアカさんは、窓を静かに閉める。
「チート、チートはぁ、いらんかねぇ……。修正された事実、予習済みの未来、それと選ばれなかった可能性。……傷つかないことを優先して、心まで硬化してしまったなら、それはもう生きた人間ではなく、ただの置物と同じかしらね。当然、返品不可ですよ?」
ご拝読ありがとうございます。
いかがでしたでしょうか?
自らの記憶を弄ぶルミナリエ様と、それを正そうとするノクティカ様の板挟みになり、勇者は安全という名の檻に閉じ込められてしまいましたね。




