十四話・赤い花の村2
前回のあらすじ・エレオノーラ様とアハトが訪れた村では、なぜかみんな元気がなくて……?
◇◇◇
夕暮れが近づくにつれて、村の空気はどんどんピリピリしてきた。
広場には、農民たちが三々五々集まり始めている。
鍬や鎌、棒切れを手にした男たちの目は、昼間のとき以上に血走り、ギラギラしていた。
「……エレオノーラ様、これ、止めなくて本当に大丈夫なんですかね?」
「何が?」
「いや、その……農具しか持たない村人が、武装した兵士が守る代官に向かっていくわけですよね? 一揆って、下手したら死人が出ますよ?」
「そうね。でも、何もしなければもっと多くの人が――子ども達が死ぬ、彼らはそう思っているんでしょう」
――いや、確かにそうなんだけど、貴族のお嬢様がさらっと言うセリフじゃないと思うんだ。ましてや農民側で参加するなんて。そのお綺麗な顔に傷でも付いたらどうするつもりなんだ。
まあ、止めたって聞く人じゃないのは分かってるけど。
村の子どもたちが、家の中から不安そうに様子をうかがっている。その体は細く、どの子も不健康そうでクマがあったり掻きむしった傷があったりする。
自分の身が危険にさらされたって、そんな子ども達を見捨てるような人じゃないのは、昔から分かってるんだ。
「アハト、ちょっと来てちょうだい」
エレオノーラ様が俺の腕を引っ張る。
連れて行かれたのは、村外れの納屋だった。その中では、アリスが何やら服を広げていた。
「お嬢様、ご注文の品です」
「ありがとう、助かるわ、アリス」
「変装ですか? 農民に紛れ込むために? どんなボロを着たところで、こんなゴージャスな農民、いっこないでしょう? 一発でバレますよ。エレオノーラ様は存在自体が派手なんですから」
「褒め言葉だと受け取っておくわ」
「超ポジティブ!」
「何を人ごとみたいに言っているの、アハトも変装するのよ。さっさとこれを着て」
差し出されたのは、泥だらけの農民服――という名の、「裕福な庶民の服に泥を塗っただけ」の農民コスプレ衣装だ。
……いや、繰り返すけど、絶対バレるだろコレ。
俺は内心でツッコミを入れつつ、仕方なく袖を通す。
「エレオノーラ様、どうせなら本物の農民服を用意できませんでした?」
「だって、村人に頼んだら迷惑でしょ? それに、貴方は顔が地味だから、服さえ多少汚しておけば目立たないわ」
「……悪かったですね、地味顔で」
「褒めてるのよ。地味は武器よ、アハト」
――いや、どういうフォローだよ。絶対褒めてないだろ。
エレオノーラ様は自分の金色の髪を布で隠し、顔にまで泥を塗って変装を仕上げる。
あああ、エレオノーラ様は気づいてないけど、今、普段エレオノーラ様の肌を完璧に整えているアリスがあるじにはとても見せられない顔をしてたぞ。泥には細かな石が含まれているからそんなに雑に塗ったら玉の肌を傷つける、こんなことならパックに使う粘土を用意しておくんだった、私たちの最高傑作が、とかなんとか、暗雲を背負いながらブツブツ言っている。
暗雲と雷って、エレオノーラ様の専売特許じゃなかったのか。
だが、エレオノーラ様本人は満足したようだ。手鏡に顔を写して満足そうに頷いている。
エレオノーラ様を見ている間に、アリスはすでにどこかへ消えていた。さすが神出鬼没の『影』メイド。ひょっとしたら、エレオノーラ様の肌ケア用品を調達しに行ったのかもしれないが。
「行くわよ」
いつもよりは若干地味になったエレオノーラ様は、颯爽と広場へ向かう。俺も渋々その後を追った。
広場では、農民たちの怒号が最高潮に達していた。
「もう我慢できねぇ! 代官を引きずり出してやる!」
「俺らの畑を返せ、食い物をよこせ! このままじゃ子どもが死んじまう!」
その熱気に押されて、俺たちも自然と人の波に飲み込まれていく。
「おい、本当にあんたらも来たのか?」
昼間話を聞かせてくれた爺さんが、エレオノーラ様を見つけて驚いた顔をした。
「ええ、子どもたちを見殺しにはできないでしょう」
エレオノーラ様が即答する。
「感謝するよ。俺はロゾーだ。何かあったら言ってくれ。だが、よそ者のアンタが俺らのために死ぬこたぁない。もし代官が俺たちを鎮圧するのに領主様の軍まで引っ張り出しやがったら……とてもじゃねぇが、こんな鍬と鋤で勝てるもんじゃねぇ。そうなったら、我が身を大事に、俺らのことは捨てて逃げてくれ」
「ありがとう。でも、見捨てないわ。約束してよ」
――かっこいい。金のまつげに縁取られた紫の瞳が強い光を放ち、凜と言い切る姿は
めちゃくちゃかっこいいけど、巻き込まれるのはいつも俺なんだよなぁ……
農民たちの怒号に混じって、若い母親が泣きながら叫ぶ。
「どうか、お医者様を! うちの子はもう、今朝から動けないの……!」
ああ、そうだ。エレオノーラ様は正しい。
俺らが保身に走るってことは、あの母子を見捨てるってことだ。
俺はエレオノーラ様みたいにカリスマも権力もカネもないただの執事だけど、俺がこの一揆に身を投じることで、救える誰かがいるかもしれない。
やがて、農民たちは一つの塊になって、代官屋敷へと雪崩れ込む。俺たちも、その中に紛れ込んだ。
代官屋敷の門前には、武装した兵士たちがずらりと並んでいた。どうやら農民が一揆を起こしそうだという情報は、男爵にも筒抜けだったらしい。
鎧に身を包み、槍や剣を手にした男たちが、明らかに待ち構えていた。
「下がれ! 国法は暴動を認めてはいない!」
「今すぐ解散しなければ、力ずくで排除するぞ!」
兵士たちの怒鳴り声に、農民たちはつかの間ひるむ。
このまま解散して、別の解決策を探すならそれも良いだろうと俺は思ったが……うちのあるじは違ったようだ。
「民を守るために存在する兵士が、守るべき民に剣を向けるのか!」
朗々とした声が、農民達の間を縫って響き渡った。
「なっ、誰だ?」
「農民風情が、何を生意気な」
「……」
兵士達はキョロキョロと辺りを見回すけれど、農民達に紛れたエレオノーラ様を見つけかねているようだった。
いやマジか。あの目立つ人が、本当に農民に紛れ込んでる。金色の髪と、ピンヒールを封印した甲斐が少しはあったってことか。
「志ある兵は民に味方せよ! 貴殿らが守るべきは、悪辣なる官憲ではなく、力なき子どもらのはず」
「誰だ、誰が言っている!?」
「……」
「……なあ、俺ら……」
「言うなよ、俺だって好きで村の人たちに槍向けてるわけじゃねぇんだから」
指揮官は青筋を立ててエレオノーラ様の姿を探しているが、兵士達は下っ端になればなるほどザワザワし出している。
……なるほど。兵士達は別に一枚岩じゃないってことか。
「代官が民に強制した赤い花は毒花だった! 違法薬物の原料だった! 代官に味方すれば、貴殿らも共犯として裁かれる。今こそ共に立ち、代官へ立ち向かうとき!」
凜とした声の告発に、農民達までもが呆気にとられ、それからいっせいにざわつき出す。
「黙れ! 黙れ、黙れ、黙れ! おいお前ら、この声の女を捜せ、引きずり出せ! 何をグズグズしてるんだ、お前らの給料を支払ってくださっているのは代官様だぞ!」
「……俺の妹が、ずっと具合が悪いって」
「うちの母ちゃんもだ。あれは、あの花のせいだったのか?」
「おい、代官様に逆らったら、減給どころかクビだぞ」
「麦も米も作れない今、俺の給料がなくなったら……」
「家族を食わせるための給料だろ! それで家族が死んじまったら、意味ねぇじゃないか!」
ヒラの兵士達のざわめきが大きくなる。
村の若者達も兵士として相当数が雇われていたようだ。
「お前ら、何を言っている!? ただの農民の倅を雇ってくださった代官様への恩を忘れたのか!」
「雇ってくれたって、家族を殺されちゃたまったもんじゃ……ぐぶっ」
「黙れ!」
言い返した兵士を指揮官が殴ったのが契機になった。
頬を押さえて倒れた兵士が、おそらく折れた歯を吐き捨てながら叫んだ。
「……ブッ。やってられるか! 俺はじいちゃん達に味方する! 妹を守るんだ!」
「そうだ、俺らの手で村を守るんだ」
「俺らが今までどんな思いで、村の皆に矛を向けてたか!」
「貴様ら貴様ら貴様ら!!!」
激高した指揮官が、倒れた兵士に向かって剣を振り上げた。
キィィンッと高い金属音がこだまする。
――うん、やっぱりね。そうだと思いました。この人は、本当にオイシイとこをもっていく。それがうちのあるじ。
「よく言ったわ」
月明かりに、布地からこぼれた金の髪が光のようにきらめいた。
指揮官の剣を細身のレイピアで受け止め、我があるじ、エレオノーラ様は女神のように……いや、もっとふてぶてしいな、女山賊のように笑った。
「貴方たちが失う給料分、きっちりわたくしが保証してあげる」
かばわれた兵士が、目を丸くする。
「……誰だ、あんたは?」
エレオノーラ様は指揮官の剣をはじき返し、鳩尾に蹴りを入れて吹っ飛ばすと、髪を覆った布をとり、実に魅力的に宣言した。
「わたくしはエレオノーラ・アロガンテ」
農民たちがざわめき、兵士たちもあんぐりと口を開けた。
「アロガンテって、まさか公爵家の……?」
「あの新聞に載ってた……?」
「なんでこんなとこにいるんだ……?」
「わたくしはわたくしの行きたい場所にいるのよ。わたくしは美しい花畑があると聞いて見に来ただけ。そうしたら、思ったより毒々しかった。だからわたくしはわたくしの思うように動く。この村の女の子に頼まれたのよ。だんだん弱っていく妹と、孫を助けるために死にに行くっていうお爺さん、そのお爺さんと戦わなくちゃいけない兵士のお兄ちゃんを……どうか助けてください、って」
一揆を主導していた爺さん――ロゾーが村の方へ目を泳がせた。
「まさか、リィサが」
「弱っていく妹って、チリルか!? ちくしょう、もっと早く兵士なんて辞めて村に帰るんだった!」
兵士の帽子をむしり取るようにして投げつけ、青年は勢いよく立ち上がった。
「ありがとよ、おかげで目が覚めた。俺はグラン。リィサとチリルの兄だ」
「お安いご用よ。ちゃんと報酬ももらったしね」
「報酬?」
「芋のしっぽよ。おいしかったわ」
「……アンタ本当に公爵令嬢か?」
元兵士の青年――グランが妙な顔をしているけれど、俺は知っている。
麦も米も作れない村で、芋は貴重な食料だった。俺のあるじは、宝飾品とか、札束とか、目に見えて分かる価値ってのもそれなりに好きだけど、それだけじゃなくて、芋のしっぽに込められたリィサの家族を想う気持ちとか、そういう目に見えない物にもちゃんと価値を見いだす人だ。
見た目、ぜんっっっっっぜんそうは見えないのが玉に瑕だけど。
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