夕映えに揺れる言葉
職業体験2日目の朝。
コウは、昨日と同じ教育大学の講義室にいた。
だが──今日は違う。
昨日は退屈さを感じ、途中で抜け出したこの講義室。
しかし、今日は春風が講義を担当すると聞き、席に座ったまま静かに話を聞いていた。
「教育とは、人と人が関わること。知識を授けるだけでなく、その人の人生の一部になることでもあります」
春風の言葉は、淡々としていたが、不思議と耳に残る。
「良い教師とは、生徒の未来にそっと寄り添い、時に支えとなり、時に手を引く存在です」
(……寄り添う、か)
コウの脳裏に、先生の姿が浮かぶ。
千織たちと過ごす日々の中で、時折、ふと感じる"あたたかさ"。
先生が静かに背を押してくれるような感覚──
それは、"教育"と呼ばれるものなのだろうか。
自分が教師を目指すことはない。
しかし、先生の存在が、自分にとってどこか特別なものになりつつあるのは確かだった。
(……そんなこと、考えても仕方がないか)
静かに息を吐き、コウは講義に意識を戻した。
────────────
講義終了後、コウたちはレポート作成のためのインタビューをすることになった。
「文化祭で張り出すレポートだから、しっかり質問してこいよ」
担任の尾崎が言う。
コウは、インタビュー相手を探すべく、大学の廊下を歩いていた。
──すると、不意に見覚えのある背中を見つける。
「……先生」
コウは、自然と足を止めた。
ちょうどいい、と考える。
「先生、インタビューに答えて欲しいんですけど」
先生はコウを一瞥し、微かに口角を上げた。
「インタビュー?」
「教師の仕事について話を聞くように言われたんで。文化祭のレポートになるんだとか」
「ふむ……俺でいいのか?」
「他に受けてくれそうな人が思いつかなかったから」
コウがぶっきらぼうに言うと、先生は小さく笑った。
「まあ、いいだろう。どんな質問だ?」
コウは、事前に用意していた質問リストを開いた。
「まず……教師をしていてやりがいを感じることは?」
「……そうだな」
先生は少しだけ目を伏せ、静かに言葉を選ぶ。
「生徒が、自分で考え、前に進む姿を見たときかもしれない」
コウは、その言葉を聞きながら思う。
(……前に進む、か)
先生の教えは、ただ知識を与えるだけではない。
コウ自身、何度も先生の言葉に支えられてきた。
「次に……教師を目指す中で難しかったことは?」
「難しくなかったことのほうが少ないな」
先生は、少しだけ冗談めかした口調で言った。
「だが、一番難しいのは"教えること"ではなく、"伝えること"かもしれない」
「伝える……」
「言葉を尽くしても、伝わらないことはある。だからこそ、時に"待つこと"も必要だ」
先生の声は淡々としていたが、どこか含みのある響きを持っていた。
(……待つ)
ふと、春風の講義での言葉を思い出す。
──"生徒の未来にそっと寄り添う"
先生は、そうやって生徒と向き合っているのだろうか。
その後も幾つか質疑応答を繰り返し
コウは、最後の質問を口にした。
「どうして、教師を目指そうと思ったのか」
一瞬、沈黙が落ちる。
先生は、何かを考えるように視線を遠くに向けた。
「……それは」
そして、静かにコウの頭を撫でながら、こう言った。
「お前に、会うため」
「は?」
コウは、思わず面食らった。
先生は、ふっと口元を緩める。
「ふざけないでください」
「はは、冗談だ」
明らかにふざけた口調だった。
コウは文句を言おうかと思ったが、なぜか反論の言葉が出てこなかった。
この答えが本当にただの冗談なのか、コウは何となく、釈然としないままインタビューを終えた。
────────────
職業体験を終え、ホテルに戻ろうとしていた時だった。
「コウ君、ちょっといいかしら?」
春風に呼び止められた。
「なんですか?」
「これを、あなたに」
春風は、一冊のノートを差し出した。
黒い革の表紙。
どこか見覚えのある質素な装丁。
「これは……?」
「冬野君──が書いていた日記よ」
コウの指が、わずかに動きを止める。
「昔、彼が『もう書く場所がないから捨ててくれ』って言ってきたの。」
「でも、毎日『忘れたらダメだ。』って言いながら必死に書いてたから、何だか捨てられなくて…」
春風は、ノートを優しく撫でながら言った。
「何となく、あなたが持っていた方がいい気がしてね」
「……」
コウは、しばらくノートを見つめる。
(先生の日記……)
コウは無言でノートを受け取った。
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帰りのフェリーの甲板。
コウは、一人で夕焼けを眺めていた。
海の向こうに沈みゆく太陽。
黄金色に染まる波。
手にしたノートの表紙を、指でそっとなぞる。
(……先生)
先生がこのノートに何を書いていたのかは分からない。
だが、この中には、先生の過去が詰まっているのかもしれない。
──どんな人生を歩んできたのか。どんな人達と出会ってきたのか。
それを知りたい気持ちと、知るのが怖い気持ちが交錯する。
ノートを開く勇気は、まだなかった。
ただ、切ない気分だけが、静かにコウの胸に広がっていく。
(俺は何を知りたいんだろう……)
コウは、ゆっくりと目を閉じた。
──そんな彼の後ろ姿を、先生は静かに見つめていた。
コウは、その視線に気づかないまま、沈む夕日を見送っていた。
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