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新宿区役所ダンジョン管理課 ~魔法ゼロの筋肉公務員は、六法全書と税法で悪質冒険者を合法ざまぁします~  作者: 伊達ジン


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第59話 味玉塩ラーメンと国際弁護団

 午前11時30分。新宿区役所からほど近い、大通りに面した真新しいビルの一角。

 白木を用いた和モダンな外観と、「塩そば」と染め抜かれた生成りの暖簾が目を引く清潔感のあるラーメン店に、高木とまひるは足を踏み入れた。


 店内はカフェのように明るく、ジャズのBGMが静かに流れている。ゆったりとした間隔で配置された白木のL字カウンター席には、女性客やスーツ姿のビジネスパーソンの姿も多く、活気がありながらも落ち着いた空間が広がっていた。


「このお店、最近オープンしてずっと気になってたんです。女性一人でも入りやすい雰囲気で、いつも行列ができてて」


 まひるが嬉しそうに声を弾ませながら、最新式のタッチパネル式券売機を操作する。


「午後の交渉は長引くかもしれない。脳と体に上質な糖分とミネラルを入れておかないと、相手のペースに飲まれるからね」


 高木は『特製味玉塩そば』の食券を2枚購入し、まひるの分もスマートに支払いを済ませてから、案内されたカウンター席に腰を下ろした。

 お冷を飲んで待つこと数分後。湯気を立てる2つの丼が目の前に供された。


 透き通った黄金色のスープの表面に、キラキラと輝く鶏油が薄く膜を張っている。具材は低温調理されたしっとりとした豚肩ロースと、鶏むね肉の2種類のチャーシュー。柔らかな穂先メンマ、彩り鮮やかな三つ葉、極細の白髪ネギ、爽やかな香りを放つ柚子皮、そして真ん中に鎮座する丸ごとの味付け玉子。

 高木はレンゲを手に取り、まずはスープをすくって口に運んだ。


 丸鶏のふくよかな旨味と、ほんのりと香る魚介や昆布の出汁。それに合わさる塩ダレは、カドが取れて極めてまろやかでありながら、舌の奥にガツンと響く力強い塩気とミネラル感を持っていた。柚子の香りが、濃厚なスープに爽やかなアクセントを加えている。

 高木は無言で箸を取り、全粒粉が練り込まれた細めのストレート麺を持ち上げる。スープをしっかりと絡め取ったしなやかな麺をすすると、小麦の豊かな香りが鼻腔を抜け、鶏油の甘みが後を引いた。


「……美味しい! 塩ラーメンなのに、すごく奥深くてパンチがありますね」


 隣で麺をすすったまひるが、パッと顔を輝かせて感嘆の声を漏らした。

 高木は小さく頷き、箸の先で味玉を半分に割った。白身は出汁がうっすらと染み込んで絶妙な弾力を保ち、中心からは琥珀色に輝くゼリー状の黄身がトロリと溶け出した。その濃厚な黄身を麺に絡めて口に放り込むと、塩気とまろやかな甘みが一体となって胃の腑に落ちていく。


 静かで清潔な店内で、麺をすする小気味良い音だけが響く。

 高木は最後の一滴までスープを飲み干し、氷水の入ったグラスを空にした。熱くなった胃の粘膜が冷やされ、静かに立ち上がる。


「ごちそうさまでした。……行くよ、安藤さん」


★★★★★★★★★★★


 午後1時。

 丸の内の超高層オフィスビル。その最上階付近に位置する『グローバル・コア』日本支部のエントランスは、区役所の古びた庁舎とは別次元の空間だった。

 無機質な大理石の床と、巨大なガラス張りの壁面。静まり返ったフロアには、歩く足音すら吸い込まれるような厚い絨毯が敷き詰められている。


 高木とまひるは受付を抜け、東京駅の駅舎と皇居の緑を眼下に見下ろせる広大な会議室へと通された。

 巨大なマホガニーのテーブルを挟んで、高木たちの前に現れたのは4人の男たちだった。


 中央に座るのは、仕立ての良いネイビーのスーツを着こなした白人男性。グローバル・コア日本法人の代表を務めるアーサー・スミスだ。高木に匹敵するほどの頑強な巨体を贅沢な革張りの椅子に深く預け、整えられたブロンドの髪の奥から、冷酷な知性を湛えた薄いブルーの瞳でこちらを見つめている。

 そしてその両脇と斜め後ろには、銀縁の眼鏡をかけ、知性と冷酷さを張り付けたような国際弁護士たちが陣取っていた。


「新宿区役所の担当者殿が、直々に我が社に足を運ばれるとは。何か、魔石の取引申請に不備でもありましたかな?」


 スミスが流暢な日本語で、薄く笑いながら口火を切った。その完璧なマナーの裏には、地方公務員に対する明らかな見下しの色が浮かんでいる。


 高木は一切の表情を変えず、持参したアタッシュケースから分厚いファイルの束を取り出し、テーブルの上に置いた。


「ダンジョン管理課より、貴社に対する是正勧告書をお持ちしました」


 高木は極めて平坦な声で告げた。


「過去半年間にわたり、貴社が区内のダンジョンで買い付け、海外のグループ企業へ輸出している魔石の取引価格についてです。市場価格から著しく乖離した不自然な安値で輸出申告が行われており、これが区の条例が定める適正な取引環境を阻害していると判断しました」


 高木がファイルを押し出すと、スミスの隣に座っていた恰幅の良い弁護士がそれを片手で制止し、鼻で笑った。


「お言葉ですが、当法人の取引価格はすべてOECDの移転価格ガイドラインに準拠し、独立企業間価格として適正に算定されたものです。一地方自治体の条例で、国際的なビジネススキームに口出しされる筋合いはありませんな」

「適正な取引、ですか」


 高木は別のクリアファイルから、昨晩クロエがハッキングによって海外のサーバーから引き抜いてきた数枚の写真と、登記簿のコピーを取り出して並べた。


「貴社の輸出先である『グループ企業』の所在地です。海沿いの古びた雑居ビルの壁に、無数の社名が印字されたポストがあるだけ。従業員が働いている実態は一切ありません。単なるペーパーカンパニーを経由し、意図的に利益をタックスヘイブンに移転させている。これは明確な悪意を伴う価格操作です」


 決定的な証拠の写真。

 しかし、スミスも弁護士たちも、微塵も動揺する素振りを見せなかった。


「その写真が何だと言うのです」


 別の若い弁護士が、冷徹な声で被せてきた。


「登記簿の所在地がシェアオフィスであろうと、現地法において適法な法人格を有している事実に変わりはありません。事業実態の有無を御区がどのような基準で判断されたかは存じませんが、法的に何ら瑕疵のない法人です」

「ペーパーカンパニーという根拠のない決めつけは、我が社に対する明確な名誉毀損に当たります」


 最初の弁護士が畳み掛ける。


「地方自治体の一担当者が、国際税務の専門知識もなく当社のグローバル戦略に不当な介入を行うのであれば、我々は断固たる法的措置をとる用意があります。ただちに業務妨害に対する差し止め請求を行い、数百億円規模の損害賠償訴訟を提起することも辞しませんよ」


 分厚い法律の盾と、圧倒的な資本力による脅し。

 並の公務員であれば、訴訟という言葉を出された瞬間に顔を引きつらせ、上司の判断を仰ぐために逃げ帰るだろう。まひるは机の下で、悔しさに拳を震わせていた。明らかな黒だと分かっているのに、彼らは微塵も悪びれることなく、法律を隠れ蓑にして冷笑している。


 だが、高木は瞬き一つしなかった。


「法的措置をとられるのは貴社のご自由です」


 高木は事務的なトーンを1ミリも崩すことなく、是正勧告書をテーブルの中央にスッと滑らせた。


「私は捜査機関ではありません。区の条例に基づき、不適切な取引に対する事実の通知と、是正を求めたまでです」

「法的根拠のない要求だ。受け取る理由がない」


 スミスが冷たく言い放つ。


「勧告に従う意思はない。受け取りを拒否する、ということでよろしいですね」

「もちろんだ。早急にお引き取り願おう」

「承知いたしました。本状の受け取りを拒否し、是正の意思なし、と記録させていただきます。……本日の要件は以上です」


 高木は一切の未練もなくファイルをバインダーに挟み直すと、椅子から立ち上がった。


「失礼します」


 拍子抜けするほどあっさりと背を向け、高木は無言で会議室のドアに向かって歩き出した。まひるも慌てて立ち上がり、スミスたちを一度強く睨みつけてから、高木の背中を追った。


★★★★★★★★★★★


 高層ビルのエレベーターホール。

 下りのボタンを押し、分厚い扉が閉まった瞬間、まひるが耐えきれずに声を上げた。


「主任! よかったんですか、あんなにあっさり引き下がって! 証拠を突きつけたのに、あいつら全然痛くも痒くもないって顔してましたよ!」


 急速に下降するエレベーターの中で、高木はネクタイの結び目をわずかに緩めた。


「当然だよ。彼らは『区役所』を相手に法廷闘争に持ち込めば、資金力と時間稼ぎで確実に勝てると思っているからね。だからこそ、痛くも痒くもないんだよ」

「じゃあ、このまま泣き寝入りですか……?」

「いいや、あれでいいんだよ」


 高木はエレベーターの階数表示を見上げながら、静かに、しかし底知れぬ冷たさを帯びた声で言った。


「あれでいい。彼らが公式な場で、区の『是正勧告を突っぱねた』という既成事実が必要だったんだよ。これで、行政としての表の手続きは完全に終わったからね」

「え……?」

「彼らは法律を盾にすれば、すべて跳ね返せると思い込んでいるけれど、それはあくまで『表のルール』で殴り合った場合の話だからね」


 高木の眼鏡の奥で、鋭い光が走った。


「行政指導を無視し、是正の意思を見せなかった極めて悪質な法人。……これで、次の段階の厳格な手続きへ移るための、法的な大義名分が完全に整ったからね。彼らがいくら法廷闘争の準備をしようとも、国税局による直接の査察までは防ぎきれないよ」


 1階のロビーに到着し、扉が開く。

 高木はスマートフォンを取り出し、短縮ダイヤルをタップした。

 数回のコールの後、電話の向こうから、獲物を前にした猟犬のような、獰猛で明るい女の声が聞こえてきた。


『……お疲れ様、乾三くん。そっちのパス、しっかり受け取ったわよ』

「頼んだよ、マリさん。彼らの資金網を、根こそぎ焼き切ってくれ」

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