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新宿区役所ダンジョン管理課 ~魔法ゼロの筋肉公務員は、六法全書と税法で悪質冒険者を合法ざまぁします~  作者: 伊達ジン


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第29話 崩壊する無法地帯と15種類のサラダ

 湿気に満ちた重い空気が漂う、ダンジョンの第15階層。

 普段は熟練の冒険者しか足を踏み入れない危険地帯の岩場に、黄色いヘルメットと作業着姿の男たちがずらりと並んでいた。新宿区役所土木部、および区が委託した解体業者の作業員たちだ。彼らの手にはバールやスレッジハンマー、さらには魔導駆動の小型粉砕機まで握られている。


 先頭に立つのは高木、まひる、そして防塵ゴーグルを首に下げたヒカル子だ。


「ほらね、私の言った通りでしょ。このルートなら、厄介なモンスターの巣を完全に迂回できるんだから」


 ヒカル子が親指で背後を指し示し、得意げに笑う。


「ああ、助かった。おかげで作業員の方々を安全にここまで誘導できたよ」


 高木は短く労いの言葉をかけ、前方に視線を向けた。


 岩壁に擬態した巧妙な隠蔽魔法の向こう側。そこには、トタンとコンクリートブロックで無秩序に組み上げられた巨大な違法集落、『闇のセーフエリア』が広がっていた。

 施設の入り口付近には、侵入者に気づいた数十人の男たちがバリケードのように立ち塞がっている。オメガ・ファミリアに雇われていた無法者たちだが、その顔には明らかな動揺と混乱が走っていた。


「おい、なんで役人がこんな下層にいるんだよ!」

「クランの口座が凍結されたって噂、マジなのか!? 昨日の日当も振り込まれてねえぞ!」

「幹部の連中はどこ行ったんだよ!」


 突然の行政の介入と、雇い主からの連絡が途絶えたことによる情報の錯綜。逃げ遅れた彼らの間には、パニックに近い焦燥感が蔓延していた。


「ここから先は通さねえぞ! 帰れ!」


 ヤケになった数人の男が、ダガーや鉄パイプを構えて飛び出してきた。


 まひるが無言で一歩前に出る。

 彼女は腰のショートソードは抜かず、代わりに特殊警棒を構えた。

 踏み込んできた男の腕を最小限の動きで弾き、膝裏を正確に蹴り抜いて体勢を崩させる。男が前のめりに倒れ込んだところを、関節を極めてあっという間に地面に押さえ込んだ。元Cランク冒険者の、流れるような、一切の無駄がない制圧だった。


 高木は携帯型の拡声器を手に取り、スイッチを入れた。


「新宿区役所です」


 冷徹で、腹の底に響くような低い声が洞窟内に反響する。


「これより、行政代執行法に基づき、当施設の使用禁止および強制解散、ならびに違法建築物の解体作業を実施します。抵抗する者は公務執行妨害として直ちに所轄の警察へ引き渡します。ただちに武器を捨てて、道を開けなさい」


 給料も支払われない状態で、国家権力と正面から戦い、犯罪者として刑務所に入る義理など彼らにはない。

 高木の重みのある警告と、まひるの圧倒的な武力を見せつけられ、残党たちは互いに顔を見合わせた後、次々と武器を捨てて両手を上げた。


「安全が確保されました。作業を開始してください」


 高木の合図とともに、解体作業部隊が雪崩れ込む。

 重い打撃音が響き渡り、違法なバラックが次々と打ち壊されていく。違法カジノのルーレット台が叩き割られ、風俗店のケバケバしいネオンサインが引き剥がされる。トタン屋根がひしゃげ、ブロック塀が次々と崩れ落ちていく。作業員たちの怒号と、重機の唸り声がダンジョンの壁にこだました。


 その奥の劣悪な環境のプレハブ小屋からは、数十人の若者たちが保護された。彼らは法外な借金を背負わされ、ここで強制労働をさせられていた冒険者たちだ。劣悪な衛生状態で疲弊しきっていたが、高木たちの姿を見て安堵の涙を流す者もいた。その中には、かつてダンジョン管理課の窓口に相談に訪れた夫婦の息子の姿もあった。


「終わりましたね、主任」


 土煙が舞う中、まひるが額の汗を拭いながら高木に近づいてきた。


「ああ。これでこの階層の不当な占拠状態は解消された」


 ヒカル子も満足げに、崩れゆく施設を眺めている。


「私の持ってきた図面、役に立ったっしょ?」

「ああ、完璧だった。約束の報酬は、週明けに君の口座に入れておくよ」

「へへっ、まいどあり!」


 ヒカル子はニシシと笑い、Vサインを作った。


★★★★★★★★★★★


 すっかり陽の落ちた都内。

 高木が自室のドアを開けて中に入ると、靴を脱ぐ間もなく、淡いクリーム色の毛玉がスリッパの周りにまとわりついてきた。


「ミャァ、ミャァ」


 甘えた声で鳴きながら、ベルが短い尻尾をピンと立てて八の字に足元を歩き回る。高木は革靴を脱ぎ捨ててネクタイを緩めると、ベルの柔らかな脇腹をそっと撫で上げ、そのまま抱き上げてリビングのケージへと誘導した。


 ダンジョン内での埃と土にまみれた現場作業。心身の疲労を洗い流し、明日への活力を満たすための夕食。

 今日は、冷蔵庫にストックしておいた色鮮やかな野菜をふんだんに使ったメニューに決めていた。


 まずは、15種類の野菜を使った特製サラダの準備だ。

 レタス、水菜、ベビーリーフ、ルッコラを冷水に放ってシャキッとさせる。キュウリ、紫玉ねぎ、セロリ、赤と黄色のパプリカ、ラディッシュは、それぞれの食感の違いを楽しめるように薄くスライスする。それぞれの食感と甘み、苦味を引き出すための丁寧な下ごしらえだ。

 ブロッコリー、カリフラワー、ヤングコーン、アスパラガスは歯ごたえが残る程度にサッと塩茹でし、すぐに氷水に落として鮮やかな色を止める。

 最後にミニトマトを半分に切り、水気をしっかり切ったすべての野菜を大きなボウルでざっくりと混ぜ合わせる。緑、赤、黄、紫。視覚的にもエネルギーに満ちた、瑞々しいサラダだ。

 ドレッシングは、上質なオリーブオイルに白ワインビネガー、岩塩、粗挽き黒胡椒、そして少量のレモン果汁を素早く混ぜて乳化させたシンプルなもの。野菜そのものの味を最大限に引き立てる配合だ。


 メインは、茄子とキノコのミートソースパスタ。

 エリンギとマッシュルームを厚めにスライスし、茄子は大きめの乱切りにする。

 フライパンにたっぷりのオリーブオイルと、包丁の腹で潰したニンニクを入れ、弱火でじっくりと香りを移す。

 中火に上げ、まずは茄子を炒める。スポンジのように油を吸った茄子が、しんなりと柔らかくなるまでじっくりと火を通す。そこにエリンギとマッシュルームを加え、キノコ特有の香ばしい匂いが立ち上るまで炒め合わせる。


 キノコの水分が飛び、旨味が凝縮されたところで、市販のミートソースをたっぷりと投入した。市販品とはいえ、炒めた具材の旨味とオリーブオイルのコクが加わることで、ソースの味に格段の深みが出る。軽く煮立たせ、ソースと具材を完全に一体化させる。仕上げに隠し味として少量の赤ワインを垂らし、風味を引き締めた。


 隣のコンロでアルデンテに茹で上げたリングイネをフライパンに移し、ソースを手早く絡める。

 熱々のうちに深皿に高く盛り付け、パルミジャーノ・レッジャーノを削りかけた。


 ダイニングテーブルに、色鮮やかな大盛りのサラダと、湯気を立てるパスタ、そしてブルゴーニュの赤ワインを注いだ丸みを帯びたグラスが並ぶ。


 高木は椅子を引き、立ち昇るトマトとニンニクの食欲をそそる香りを深く肺に吸い込んでから、胸の前で静かに手を合わせた。


「いただきます」


 パスタをフォークに巻きつけ、口に運ぶ。

 オリーブオイルをたっぷりと吸い込んだ茄子が、口の中でとろけるように崩れた。エリンギの弾力のある食感とマッシュルームの芳醇な香りが、肉の旨味が詰まったミートソースと見事に調和している。市販のソースをベースにしたとは思えない、重層的で奥深い味わいだ。

 すかさずブルゴーニュの赤ワインを含む。ピノ・ノワール特有の繊細な酸味と赤い果実の香りが、ミートソースの濃厚な味わいをすっきりとさせ、見事なマリアージュを生み出していた。

 合間に食べる15種類のサラダは、一口ごとに異なる野菜の食感と風味が弾け、重くなりがちな口の中を新鮮な状態にリセットしてくれる。


 濃厚なパスタとフレッシュなサラダのループが止まらない。高木はワイングラスを傾けながら、山盛りだったはずのリングイネをあっという間に平らげていった。

 静まり返った部屋に、フォークが皿に触れる微かな音だけが響く。現場での立ち回りで消耗したカロリーが、上質な食事によって急速に補填されていくのを実感できた。

 足元では、すっかり満腹になったベルが前脚を舐めて顔を洗っている。高木はそっと手を伸ばし、小さな頭を撫でてやった。


 食後。

 赤ワインのグラスを片付けた高木は、お湯を沸かし、ペーパードリップでコーヒーを淹れた。

 深煎りの豆の香ばしい匂いがキッチンに広がる。

 マグカップを手にソファに深く座り、ブラックコーヒーを一口飲む。


 カフェインの心地よい熱が喉から胃へと落ちていく。鼻腔に抜けるロースト香が、充実した食事の余韻を優しく引き締めてくれた。


 高木はネクタイを外し、深く息を吐き出す。

 窓の外には、静かな新宿の夜景が広がっている。

 彼はただ目を閉じ、マグカップの確かな温もりを両手で包み込みながら、穏やかに流れる自分の時間だけを味わっていた。

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