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失われた風景  作者: 恵奈
1/10

原因1

 


「……徹、起きて」


 夜11時過ぎ。ぐっすりと眠り込んでいた徹を、母親は揺り起こした。


「ん……、お母さん? 何? 眠たいよ……」


 身体を起こし眠い目をこすりながら。徹は母親の顔を見たとたんびっくりして目を丸くした。


「お母さん! どうしたの? どうして泣いてるの?」


 幼い小さな手を母親の頬にそっとあてた。

 母親は我が子のやさしい気遣いにまた涙を溢れさせて、徹をきつく抱きしめた。


「ね……、離婚って分かる?……お母さんとお父さん、もう一緒に住まないことにしたの」

「え……どうして? リコンって、お母さんと……お父さんが?」


 8歳にもなれば離婚という言葉も、意味もなんとなく知っていた。でもまさか自分のお母さんとお父さんが?

 信じられない、嘘だ、そう思いたかったが、初めて見た母親の涙に、それが本当のことを意味してるんだと、徹は幼な心に気が付いた。


「徹は……どうする? お父さんと一緒に行く? ……お母さんと一緒に行く?」

「僕はお母さんと一緒に行く!」


 徹は迷わずに母親と一緒に行くことを選んだ。

 泣いてる母親を置いていく事なんて出来ない。

 ぎゅっと抱きしめた母親の肩越しに、父親の姿が見えた。

 大好きなお父さん。大きくて強くて優しくて。友達にも自慢のお父さん。

 でも……。

 徹は、母親が泣いてるのは父親のせいなのだと、そう思うと悔しくてたまらなかった。

 父親の顔に浮かぶ苦悩に満ちたその表情の意味を、徹が受け止めるにはまだ少し幼すぎた。

 大きく息を吐いて、ゆっくりと近づいてくる父親を懸命に睨み付けた。


「徹……、母さんのことを頼む」


 大好きだった父さん。でもその時から徹にとっては敵になった。

 大好きなお母さんを泣かせた悪いやつ。

 お前なんかに言われなくたって、これからは僕が母さんを守るんだ!!

 徹は返事をしなかった。ただ無言で睨むだけ。

 父親はその大きな手で徹の頭をなで、それから入ってきたときと同じにゆっくりと部屋を出て行った。






「お母さん、土曜の授業参観、来れる?」


 夕方になって仕事を終え、買い物をしてきた母親に徹は声をかけた。

 両親の離婚から2年の月日が経っていた。

 徹は父親とはあれから一度も会ってはいなかった。

 自分の荷物をすべて持って父親は家を出、徹は母親とそのままもとのマンションに住んでいた。

 環境が特に変わったというわけでもないが、マンション自体のローンと、養育費を父親が負担しているとはいえ、日々の生活のためには母親も仕事に出なければならなかった。

 仕方のないことだと、子供心にも徹は理解していた。

 だけど、理解していることと、心の中の感情は別物だ。

 さびしい、と口に出しては言わないが常にそう思っていたし、少し不安でもあった。

 慣れない仕事で、母親は見る間にやせ、服装が今までよりも派手になった。


「土曜? ……ごめんね、徹。仕事休めないの」

「ふうん。じゃあいいよ、母さん。気にしないでね」


 振り向きもせず疲れた声で答える母親の背中に、作り笑顔でそう言う。

 僕が母親を守るんだ、そう誓ったあの日から、徹は母親を困らせまいと常にいい子でい続けた。

 ……少しぐらいさびしくても、ガマンしなくちゃ。

 朝は自分でちゃんと起きるし、学校が終わったら、誰もいないマンションに帰り、宿題をして、ご飯を炊いて母親の帰りを待つ。何一つわがままを言わず、反対に疲れてる母親をいたわるような優しい子でありつづけた。


「ごめんね、徹」


 日ごろ忙しくかまってやれないことを思い出し、やっとのことで母親が振り向く。優しく声をかけることで穴埋めするかのように。

 それでも慣れない仕事でひどく疲れた日には、声をかけることも忘れ、ただ黙々と家事をすることも幾度か、あるいは頻繁にある。

 そんなときは徹は黙ってそれを手伝うか、部屋に入って勉強をした。

 お父さんがいたら、前みたいにいつもお母さんが家にいてくれるのかな。

 徹はそんなふうに考えた。

 母親の前では決してそのそぶりは見せなかったが、出て行った父親のことをひどく恋しくなるときがあった。

 父親と一緒に歩いてる子供を見ると無性にうらやましくなった。

 そして徹は、そう考えることはいけないことだと自分に言い聞かせ、また何度も呪文のように僕が母さんを守るんだ、とつぶやくのだった。






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