原因1
「……徹、起きて」
夜11時過ぎ。ぐっすりと眠り込んでいた徹を、母親は揺り起こした。
「ん……、お母さん? 何? 眠たいよ……」
身体を起こし眠い目をこすりながら。徹は母親の顔を見たとたんびっくりして目を丸くした。
「お母さん! どうしたの? どうして泣いてるの?」
幼い小さな手を母親の頬にそっとあてた。
母親は我が子のやさしい気遣いにまた涙を溢れさせて、徹をきつく抱きしめた。
「ね……、離婚って分かる?……お母さんとお父さん、もう一緒に住まないことにしたの」
「え……どうして? リコンって、お母さんと……お父さんが?」
8歳にもなれば離婚という言葉も、意味もなんとなく知っていた。でもまさか自分のお母さんとお父さんが?
信じられない、嘘だ、そう思いたかったが、初めて見た母親の涙に、それが本当のことを意味してるんだと、徹は幼な心に気が付いた。
「徹は……どうする? お父さんと一緒に行く? ……お母さんと一緒に行く?」
「僕はお母さんと一緒に行く!」
徹は迷わずに母親と一緒に行くことを選んだ。
泣いてる母親を置いていく事なんて出来ない。
ぎゅっと抱きしめた母親の肩越しに、父親の姿が見えた。
大好きなお父さん。大きくて強くて優しくて。友達にも自慢のお父さん。
でも……。
徹は、母親が泣いてるのは父親のせいなのだと、そう思うと悔しくてたまらなかった。
父親の顔に浮かぶ苦悩に満ちたその表情の意味を、徹が受け止めるにはまだ少し幼すぎた。
大きく息を吐いて、ゆっくりと近づいてくる父親を懸命に睨み付けた。
「徹……、母さんのことを頼む」
大好きだった父さん。でもその時から徹にとっては敵になった。
大好きなお母さんを泣かせた悪いやつ。
お前なんかに言われなくたって、これからは僕が母さんを守るんだ!!
徹は返事をしなかった。ただ無言で睨むだけ。
父親はその大きな手で徹の頭をなで、それから入ってきたときと同じにゆっくりと部屋を出て行った。
「お母さん、土曜の授業参観、来れる?」
夕方になって仕事を終え、買い物をしてきた母親に徹は声をかけた。
両親の離婚から2年の月日が経っていた。
徹は父親とはあれから一度も会ってはいなかった。
自分の荷物をすべて持って父親は家を出、徹は母親とそのままもとのマンションに住んでいた。
環境が特に変わったというわけでもないが、マンション自体のローンと、養育費を父親が負担しているとはいえ、日々の生活のためには母親も仕事に出なければならなかった。
仕方のないことだと、子供心にも徹は理解していた。
だけど、理解していることと、心の中の感情は別物だ。
さびしい、と口に出しては言わないが常にそう思っていたし、少し不安でもあった。
慣れない仕事で、母親は見る間にやせ、服装が今までよりも派手になった。
「土曜? ……ごめんね、徹。仕事休めないの」
「ふうん。じゃあいいよ、母さん。気にしないでね」
振り向きもせず疲れた声で答える母親の背中に、作り笑顔でそう言う。
僕が母親を守るんだ、そう誓ったあの日から、徹は母親を困らせまいと常にいい子でい続けた。
……少しぐらいさびしくても、ガマンしなくちゃ。
朝は自分でちゃんと起きるし、学校が終わったら、誰もいないマンションに帰り、宿題をして、ご飯を炊いて母親の帰りを待つ。何一つわがままを言わず、反対に疲れてる母親をいたわるような優しい子でありつづけた。
「ごめんね、徹」
日ごろ忙しくかまってやれないことを思い出し、やっとのことで母親が振り向く。優しく声をかけることで穴埋めするかのように。
それでも慣れない仕事でひどく疲れた日には、声をかけることも忘れ、ただ黙々と家事をすることも幾度か、あるいは頻繁にある。
そんなときは徹は黙ってそれを手伝うか、部屋に入って勉強をした。
お父さんがいたら、前みたいにいつもお母さんが家にいてくれるのかな。
徹はそんなふうに考えた。
母親の前では決してそのそぶりは見せなかったが、出て行った父親のことをひどく恋しくなるときがあった。
父親と一緒に歩いてる子供を見ると無性にうらやましくなった。
そして徹は、そう考えることはいけないことだと自分に言い聞かせ、また何度も呪文のように僕が母さんを守るんだ、とつぶやくのだった。




