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三国開拓志  作者: へるぱあ
17/17

騒がしい李家

 

 作戦内容は速やかに全軍に伝えられた。

 劉備率いる義勇軍が、一度広宗に陣を敷く黄巾党に一度当たり、すぐさま山間部に転進し引き付ける。その後間延びした黄巾党軍の後部に、皇甫嵩率いる官軍本体が当たる。


 一撃のもと、張角の首級を挙げ終結とする。

 劉備が率いる軍は、広宗で向かい合う黄巾軍と官軍からほど近くに身を隠し、刻を待っている。


「さてさて、腕が鳴るぜ」


 張飛は腕を回し、いきり立っている。


「あくまでも、敵を引き付けることが我らの役目だ、忘れるなよ」

「わかってるぜ。相変わらず小言が多いな雲長」


 兄弟たちは戦いの前だというのに気負った様子は無い。その傍らの劉備は腰に履いた太刀を触りつつ精神を集中させていた。


「……そろそろか」


 日が沈み、大地が黒く染まっていく。

 この日差しが完全に無くなったとき、劉備軍は作戦を決行する。

 劉備たちが潜む森が闇に包まれる。

 夜が大地に広がる両陣営を隠した。


「ゆくぞ!」


 劉備が声を張り上げると同時に、背後の兵が怒号を挙げ駆け出す。


「鳴らせ鳴らせぇ」


 一際大きい張飛の声を掻き消さんほどに、銅鑼が打ち鳴らされる。敵に襲撃を知らせるためだ。

 千を超える人間の足音と耳をつんざくような銅鑼の轟きは、さながら真夏に響く雷鳴のようである。

 劉備軍は仄かに灯る黄巾軍の篝火を目がけて一直線に突撃していく。

 あまりの衝撃に、地揺れに怯えて巣穴から飛び出してきた鼠のように、黄巾党は無意味に走り回った。官軍の兵に追いつかれたものから背中を切られ、掴まり引き倒され、首を落とさる。


「深追いはするな! 一撃を当てたのちに転進するぞ!」


 鶴の一声で、軍は転進を始めた。

 関羽は見事に指揮をこなし、部下たちはそれに応え見事な転進をして見せた。


「退けぇ! 益徳も退くぞ」

「わ、わかってらぁ!」


 周りに群がる黄巾を薙ぎ払っていた張飛も、関羽に言われ、転進を開始した。


「……くっ」


 劉備は倒れて動かなくなった仲間を一瞥すると、何かを振り切るようにして後退を始めた。

 背を見せた劉備軍の姿に我を取り戻した黄巾党は思惑通りに劉備軍を追って進軍を始めた。


「このまま谷まで突っ込むんだ!」


 暗く周囲の環境から得られる情報が限られる状況で、意識は目の前にいる憎き劉備軍だけに向かっている。背後に官軍が居ることなど、現在の暴徒のうち幾人が気にする余裕をもっているだろうか。


「これで終わりにしたいものだな」


 思い通りに行き過ぎていることに幾ばくかの肩透かし感を覚えつつ、皇甫嵩の計略は、成功した。

 広宗に再びの日の光が差し込み始めるころ、眠っていた鳥を飛び立たせる鬨の声が、響き渡った。


  × × ×


 本日稲飯は、半日休みである。


 たまには体を休めろとのことらしい。午後からは開墾を開始してからの経過を纏めた資料を作成することになっている。

 そこで今日は久しぶりにバンのエンジンを掛けた。幸いにしてバッテリーが上がっているということもなく、別段問題なく元気に駆動音を鳴らしている。


 なんだか安心する。


 この音は自分が現代から来た証拠になる。

 燃料も尽きて動かせなくなってしまったらいよいよもって現代との隔絶を感じることだろう。そうなったときに自分が冷静でいられるのかどうか、甚だ疑問である。


「ふぅ」


 ここは李家の倉の中だ。

 座席に座ってセンチメンタルな気持ちにとっぷりと浸かってしまっていたとしても、ここは密室だ。

 正直な話、ただでさえ海外出張の慣れない環境でくたびれていたメンタルである。時代まで飛び越えてしまっては心労も極まるというものだ。


『そろそろ出るかな』


 周りに誰もいないとき、あえて日本語を呟いてみる。時々使わないと、話せなくなってしまうかもしれないからだ。


『使い道なんてここじゃ、無いのにな』


 乾いた笑い声を自嘲気味に吐き出して、車のキーを抜いた。

 バンから出ると、排気の独特な臭気が鼻についた。


『ああ、一酸化炭素中毒になりかねなかったか。危ない危ない』


 わざわざ過去に飛んで一酸化炭素中毒で自殺とか、笑い話にもならない。

 倉の扉を開き外に出ると、目を細めざるを得なかった。

空は日の出直後のブルーアワーを過ぎ、燦々と大地を照らしていた。


『だいたい九時くらいか…?』


 さて、せっかくの休みだ、天気も良い。少し辺りをうろついてみるのもいいだろう。李家に雇われてから今までの時分、夜になればくたびれて泥のように眠ってばかりであった。

 少しは体も順応してきたということだろうか。

 たいしたことも考えずに歩いていると、賑やかな場所に着いた。

 厩である。兵舎も近くにあったか。


「急げ。もうすぐ迎えが来るはずだ!」

「おいおい、武具の数が合わないぞ」


 右へ左へと大わらわ、というのは言い過ぎだろうか。彼らは李乾が率いている兵士のようだが。

彼らは多事多端な様子をありありと見せつけていた。

 この騒ぎは李乾が曹操の元へ発つ為の用意をしている為だ。この間、肩を握りつぶされそうになってから数日が経過している。早くしないと使いが到着してしまうのだろう、焦るのも無理はない。


 稲飯はあまり目立たないように木陰に腰かけ、兵士たちの様子を眺めてみることにした。


 せっかく休みなのだ。手伝えと言われたら面白くないので、結構距離を十分にとってある。

 格好もただの農民にしか見えないことだろうし、そこいらの街の人間が物珍しさで眺めに来たくらいに見られるのではないだろうか。

 それから体感で一時間ほど。頭の中を空にしてたっぷりと兵士たちの怱々たる様子を愉しんだ。


「蟻が荷物を運んでいるのを見ると、落ち着く時ってあるよなぁ」

「おいおい、滅多なこと言うもんじゃないぜ兄さん。ぶん殴られるぞ?」

「うおっ!?」


 突然話しかけられて、思わず肩を震わせた稲飯が恐る恐る振り返ると、口の端を上げたショートカットの女性と目線が合った。


「き、聞かなかったことにしてもらえると有り難いです、ね。はは」


 まずいものを聞かれたと、後ろめたい気持ちが稲飯の声のボリュームを一挙に絞った。

 女は稲飯の呟きを聞き洩らさなかったようで、いよいよ笑い声をあげた。女は稲飯に近づいてきて、隣にどかりと座り込んだ。


「え? え?」

「私も付き合うわ」


 言うべきことは済んだぞと言わんばかりだ。それっきり、女は喋らなくなった。

 困惑して何者なのかを聞き出すタイミングを失ってしまった。女は兵士たちを見てなぜだか楽しそうな顔をしている。いったい何者なのだろうか。


 それからしばらく、稲飯は体育座りで、

 女は胡坐を掻いて、兵士たちの仕事ぶりを眺めていた。


「兵士さんたち、大変そうですよね」

「ん? なんでだ?」

「曹将軍からの使いがもうすぐ来るんだそうで、それまでに出立準備を整えないといけないって」

「ほうほう」


 なんとなく無言が気になって口を開いてみたが、女は思いのほか食いついてきた。

 女の口角がさらに吊り上がったような気がする。


「そういうあんたはただの農民ってわけじゃないな」

「わかっちゃいます? まあ、李家に仕えてるただの文官ですよ」


 稲飯がそういうと、女は意外そうに、


「へぇ。文官が何でそんな農民服なんぞを着ているんだ」


 と言った。


「開墾中でしてね。その手伝いもしてるんで。今日は休みですけど」


 女は訝しそうに眉を顰めて、すぐに先ほどと同じように口の端を吊り上げた。


「文官が開墾の手伝い? 物好きもいたもんだ。兄さん名前は?」

「稲飯浩。あなたは?」

「覚えたぜ。私のことは妙才と呼んでくれ」

「妙才さんですね」

「妙才だ。変に畏まらないでいいよ」

「……妙才。わかった」


 年も近いか、少し下みたいだしな。


「妙才様! 勝手にいなくなったと思ったらこんなところにいたんですね」


 今度も女の子だ。こちらへと走り寄ってくる。


「あれ?」

「おお、文兼か」


 そうだ、楽進だ。確か字は文兼と名乗っていた。


「李乾殿がお待ちですよ……あ、えと、流浪者の、稲飯殿ですね。お久しぶりです」

「流浪者になった覚えはなかったんだけど」


 しかし、あの時は傍から見たらそう見えただろう。強くは反論できなかった。


「なんだ、文兼の知り合いだったのか」

「はい、邑に戸数調査に行った際に知り合いました。あのまま李家に?」


 その問いに頷くと楽進はよかったと喜んでくれた。何とも純真そうな娘である。


「妙才。文兼さんに様付きで呼ばれているところを見ると、お偉いさんなのか」


 こんな態度で接してしまって、今更首でも刎ねられたらたまったものじゃないな。


「まさか。でも、文兼よりは役職が上なのは間違いないけれどな」


 後頭部をぽりぽりと掻きながら、むず痒そうに答えた。

 そして、楽進が補足するように告げた言葉は稲飯を久方ぶりに驚かせた。


「妙才様は曹孟徳様に仕える将軍の一人ですから当然です」


 そう、もう、とく。曹孟徳。つまり曹操。乱世の奸雄、曹操か。


「んんん! 曹孟徳だって!?」


 曹孟徳の部下って、この娘がか。


「うおっ。稲飯よぉ驚かすなよ。しかも唾飛んでるし」

「……み、妙才。ちゃんと名前を教えてくれないか?」


 神妙な面持ちで問い詰めると、妙才は面倒くさそうにしつつも答えてくれた。


「なんだころころと表情の変わるやつだな。たく、しかたないな。私は姓を夏候、名が淵、字が妙才だ。これでいいか?」


 夏候といったら曹操の側近の姓だったな。夏侯淵という名前も聞いたことがある気がする。

 ついに三国時代のビックネームに出会ってしまったようだ。


 ……あれ?


「ちょ、ちょっと待ってくれ」


 おかしい。


「なんだよ。またなんか聞きたいことでもあるのか」

「お前、女、だよな。男じゃなく」


 女っぽいが、男なのだろうか。


「なんだ初対面で失礼だな。私は正真正銘女だぞ」


 ……んん?

 夏侯淵って女だったのだろうか。良くは知らないが。

 日本にだって性別不詳の武将なんかの話は聞いたりする。


「うちは結構女多いぜ。姉さんも男顔負けの強さを誇っているしな」

「姉さん?」

「元譲って言ってな。これまた滅法腕が立つんだ」


 元譲。夏候惇の字って元譲って言ったような。あれ、姉さん? 


「大将も女だしなぁ」


 その言葉を聞いた瞬間、頭の中で何かが弾けたような、糸が切れたような衝撃が走った。

 夏侯淵の言う大将とは曹操のこと。そしてその大将が女であると。


「――――!!?」


 稲飯が、座った姿勢のまま頭を抱え小さくなるには十分な衝撃であった。


「はあ。稲飯殿ってよく取り乱しますね」


 楽進は心配そうに見下ろしているが、それに反論する余裕は稲飯の心のどこにもなかった。ようは混乱しているのである。

 大将ってこの話の流れから察するに、曹操のことを言っているはずだ。だとするとあまりにもおかしい。


「……っ!」


 曹操が女だって?



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