「いつもの常連客」
午後の光が、店のガラス越しに柔らかく差し込んでいた。
外は初夏。
湿気を含んだ風が、
街路樹の葉をゆっくり揺らしている。
「今日は静かですね」
勝田修也が言った。
店長は予約表をめくりながら、
小さく頷いた。
「まあな」
ペン先を動かす。
「今日はガクさんも、
ユメナちゃんもオフだ」
何でもない調子だった。
「久しぶりに、
少し落ち着く日になるかもな」
店内には、
いつものジャズが流れていた。
そのとき。
扉が静かに開いた。
音はほとんどしない。
だが——
空気が少しだけ変わった。
一人の女性が入ってくる。
背筋が伸びている。
歩く速度はゆっくり。
焦りはない。
だが、
迷いもない。
派手ではない服装。
だが、
質の良さが分かる。
年齢は、はっきりしない。
若くも見えるし、
落ち着いても見える。
受付が顔を上げた。
「あ、いらっしゃいませ」
声の調子が、
ほんの少しだけ柔らかくなる。
女性は軽く頷いた。
言葉はない。
だが、
来店の目的は伝わっている。
「本日も、
カラーリングとトリートメントでよろしいでしょうか」
女性は小さく頷いた。
動きが自然だ。
慣れている。
何度も来ている人の動き。
少し離れた場所から、
勝田はその様子を見ていた。
(あの方か)
月一ペースで来る。
静かだ。
だが——
なぜか、
目に残る。
そのとき。
カウンターの奥から、
店長が出てきた。
歩みが止まる。
女性と目が合う。
店長の表情が、
ほんのわずかに緩む。
「どうもねぇ」
柔らかい声だった。
女性の口元も、
ほんの少しだけ動いた。
それは、
笑ったようにも見えた。
他の客には見せない表情だった。
「今日は暑いねぇ」
店長が言う。
女性は、
軽く首を傾ける。
短いやり取り。
だが——
距離が近い。
勝田は、
その様子を見ていた。
(仲いいんだな)
古くからの常連客。
それだけのこと。
たぶん。
「お待たせしました」
別のスタッフが声をかける。
女性が席に座る。
ケープが広がる。
ふわり。
布が肩に落ちる。
女性は鏡の前で、
静かに自分の髪を見つめていた。
何かを確かめるように。
指先で、
髪をひと束持ち上げる。
触れる。
重さを感じる。
ゆっくり、
元の位置へ戻す。
言葉はない。
だが、
考えている。
時間が流れる。
カラー剤が塗られる。
ブラシの音。
やわらかな匂い。
温度。
沈黙。
店内には、
穏やかなジャズが流れている。
勝田は、
時々その席を見ていた。
派手なことはない。
特別なこともない。
だが——
目が離れない。
施術が終わる。
髪が整う。
艶が戻る。
女性は鏡の中の自分を見て、
ゆっくり頷いた。
小さく。
確かに。
満足している。
立ち上がる。
会計は、
すぐに終わった。
帰り際。
店長が言う。
「まったねぇ♪」
軽い口調で手を振る。
女性は、
ほんの少しだけ笑った。
扉が開く。
外の光が差し込む。
女性は振り返らない。
そのまま歩いていく。
背筋はまっすぐ。
足取りは静か。
だが、
確かなリズムがある。
扉が閉まる。
店内に、
いつもの空気が戻った。
勝田は、
しばらくその背中を思い出していた。
(あの人……)
不思議だ。
よく来る。
静かだ。
だが——
この店に、
ずっと前からいるような気がする。
だが。
胸の奥に、
小さな違和感が残る。
この店には、
まだ何か知らないことがあると。




