プロローグ
どうやら俺は死んだらしい。
勤務先であるイドバシキャメラの店の前で、突風により落下した看板からお客様を守って。
折しも、観測史上最大級の台風が上陸し、暴風が世界を飲み込むんじゃないかと思えた――そんな日だった。
で、今現在。
俺は不思議な空間にいる。
足下に宇宙が広がっている。
なんだ、これ?
宇宙?
でも、息出来るし。……息、してるな。死んだのに。
「大方の状況把握は出来ましたか?」
突然背後から声がした。
振り返るとそこには一人の美女が立っていた。
亜麻色の長い髪はふんわりと柔らかそうで、おっとりとした瞳はあどけなさを感じさせる。
全身から神々しいまでに神聖なオーラを放ち、神話の中の神様が身に纏っていそうな衣を羽織った、まさに『女神様』を絵に描いたような彼女は――ウチの店のお得意様だった。
「あれ? ここイドバシ店内ですか?」
「違いますよ!? あの、ここは、世界の狭間です」
世界の狭間……?
「えっとですね、この世には世界がたくさん存在するんです。『異世界』って聞いたことないですか?」
「いや、あるけど……え?」
「わたしは、あなたがいた世界とは別の世界を統べる女神・アミューです」
「いや、阿見さんですよね? 阿見優さん」
当店のポイントカードに書かれた個人情報を、俺ははっきりと記憶している。なにせ彼女は大のお得意様だ。
彼女が来店すると、支店長が狂喜乱舞するほどのお馴染みさんなのだ。
なぜなら、彼女がひとたび来店すると、店内の家電がごっそりと姿を消すのだ。さながら、大量発生したイナゴが畑を食い尽くすように。
もちろん、窃盗や万引きによるものではない。
彼女は、どこかの大金持ちの御令嬢なのだろうとしか思えないほどの資産力で、店内の家電を買い漁っていたのだ。
そして、付いたあだ名が、『家電イーター』。
いや、食っていたわけではないだろうが、「もう食ってるとしか思えなくね? だって、置く場所ないだろ、あんな大量の家電」という話から、そういうことになった。
「えっと……阿見優は、偽名です。本名はアミューというんです」
「びっくりするくらい『まんま』ですね」
「うっ……す、すみませんね、ネーミングセンスがなくて……」
なんだかいじけ始めた阿見さん、改めアミューさん。
で、彼女は女神だという。あはは。俺、疲れてんだな。
「じゃ、帰りますので」
「無理です! あなたはすったもけにおいて死亡が確定した魂ですから!」
死亡……
改めて突きつけられた、覆しようのない事実…………の、前に。
「すったもけ?」
なんだ、そのふざけた語感の言葉は。
「あ、そうでしたね。あなた方は知らされてないんですよね」
「知らされる……とは?」
「あなた方の世界にも神がいます。その神から聞かされることが普通なのですが、恥ずかしがり屋さんですからね、あなた方の世界の神は」
神様……いたんだ。本当に。
「で、結局なんなんですか、『すったもけ』っていうのは?」
「あなた方の世界の名前です」
はぁ!?
俺らの世界の名前? が、すったもけ!?
「い、いや。俺がいたのは地球って星で……」
「はい。東京という地域がある日本という国を有する地球という名の惑星が存在している第三銀河が広がる2ndサーバーを管理している空間神域――それらすべてをひっくるめた名前が、『すったもけ』なんです」
「なんで!?」
「あなた方の世界の神がそう名付けたからです」
ネーミングセンスっ!
HEYゴッド!
あなたのネーミングセンスどこに落としてきたの!?
「それ……恥ずかしがり屋だからじゃなくて、大ブーイング受けそうだから黙ってたんじゃないだろうな、世界の名前」
「どうでしょう? でも、すったもけ人は革新的で活動的ですので、あり得るかもしれないですね」
「すったもけ人って言うのやめて! 俺、日本人!」
「『元』日本人、ですよ」
沸騰していた頭が冷える。
そうだ。俺、死んだんだ。
「……なぁ」
「はい」
「俺が助けたお客様、無事だったかな?」
「見ますか?」
言うなり、アミューさんは指で空間にぐるりと円を描いた。
その中に見慣れたイドバシの建物が映し出される。
店の前にはパトカーと救急車が停まり、無数の野次馬でごった返している。
殴りつけるような雨も相俟って、酷い有様だ。
「分かりにくいですね」
苦笑して、浮かんだ映像をタッチしてスライドさせる。
タッチパネルみたいだ。
次に映し出されたのは新聞。俺が認識している『今日』より、二日進んだ日付の新聞。
そこには、『イドバシ店員がお客を救う』という見出し。
記事を読むと、俺が助けたお客様はかすり傷を負ったものの、命に別状はなく、怪我による後遺症などもないらしい。……よかった。
「嬉しそうな顔ですね」
「まぁ、な。お客様が無事だったんなら、俺の犠牲も意味があったってことだろう」
ならいいか。と、そう思えた。
「さすが、『永久名誉店員』ですね」
「え? なにそれ?」
「これです」
アミューさんが指差す先には先程の新聞。
読み進めると、『今回の事故で犠牲になった勇敢な店員、本條明孝さん(27)を永久名誉店員とすると、イドバシ本社は発表しました』と、書かれていた。
「永久名誉店員……死んでからもらってもな……」
苦笑が漏れる。
嬉しくないわけではないが……なんとも言い難い気分だ。
「では、生き返りますか?」
「……は?」
アミューさんが女神のような――女神なんだけれど――微笑みを湛えて俺を見ている。
……生き返る?
「わたしの世界へ来て、わたしの世界を救ってくださるというのであれば、アキタカさんを今のまま、記憶と体を残したまま転移させてあげます」
異世界へ、転移……そんな話があり得るのか?
それに、『救う』って……一つの世界を救うなんてこと、俺に出来るわけが……
「すったもけ人、やめますか?」
「やめたいなぁ……」
心が一気に転移へ傾いた。
転移もいいよね。なにせ、このままじゃ死んじゃうわけだし、世界は変わるけど、もう一度残りの人生を生き直すっていうのも、まぁ、ありっちゃありなんじゃないだろうか。
「あ、でも……なんで俺なんです?」
誰にでも話を持ちかけている、ってわけじゃないとは思うんだが……
「あなたが、『永久名誉店員』だからです」
「は?」
「永久ですから、転移してもその称号は残ります。わたしの世界には、アキタカさんが必要なんです」
……イドバシの本社が勝手に付けた称号に、一体なんの意味が?
そんなことを考えていると――
「アキタカさんっ! お願いします……」
アミューさんが、俺の胸へと飛び込んできた。
俺の手を両手でぎゅっと握り、真下から、上目遣いで俺を見上げてくる。
ち……近いっ! そして、デカいっ! 『何が』かは、聞くな。ただ一言「すげぇ柔らかい」とだけ言っておく。
「あなたにしか、頼めないんです……」
「いや、でも……こう言っちゃアレだけど、俺なんかなんの取り柄もないただの販売員で……」
「あなたは、特別です!」
特別。
その言葉に、俺はすべての言い訳を封じられた。
どんな言葉も出てこない。
「覚えていますか? わたしが初めて、あなたの働いていたイドバシキャメラ七姫駅前店に行った時のことを」
「いや。正直、さっぱり」
一体、一日にどれだけの人が来店すると思っているのか。
覚えているわけがない。
「あの日わたしは、初めての家電量販店に浮かれていました。並ぶ家電を一つ一つ見て回っていました。……けれど、じっくりと見て、ちょっと試してみたいのに、フロアに行くとすぐに店員さんが『何かお探しですか?』と声をかけてくるんです……」
まぁ、売らなきゃいけないからな。
「もっとじっくり見たい! むしろ、買うつもりはないけどちょっと触らせてほしい! それが、お客としての本音だというのに!」
うん。
それを分かっているから声をかけてるんだよ。
買う気もないのにベタベタ触るなって。
「すったもけにまだ慣れていないわたしには、店員さんの圧迫が恐怖ですらありました……」
そんな怯えなくても……
「そして逃げるようにフロアを移動して……わたしはアキタカさんのいる健康・美容器具売り場にたどり着いたんです。そこで、ヘッドマッサージャーを見つけました」
ヘッドマッサージャーは、エアーの力を使用して頭皮をマッサージする機械で、パソコン疲れの女性に大人気の商品だ。
「ポスターの女性がとても気持ちよさそうで、わたしは是非使ってみたかった……けれど同時に、怖かったんです」
マッサージ器具は、使ってみたいと思うお客様が多い。
けれど、ウチのように狭い店だと十分なスペースが確保出来ず棚に陳列されることがほとんどで、気軽に使える雰囲気ではない。お試しコーナーを作るような余裕はなかった。
「棚があって、店員さんからは死角になっていました。そこでわたしは思い切って、ヘッドマッサージャーを装着したんです! ……ですが、電源が入っていませんでした」
奥の方にある機器は、コンセントを抜いていることが多い。電気代もバカにはならないので、ウチみたいな規模の店だと節電をしているのだ。
「頭にこんな大きなものを装着して、何もなし……死にそうなほど恥ずかしかったです……」
マッサージ機器、意外とデカいからねぇ。
「そして、外そうとした時……アキタカさんは言ってくださったんです。『電源、入れますね』と」
たまにいるんだよな。使えなくてがっかりして帰る人。
なので、俺は『入れましょうか?』ではなく『入れますね』と言うようにしていた。
そして――
「そして、『そのヘッドマッサージャー、すごく気持ちいいので、是非使ってみてください』と」
――そう言って、使いやすい空気を作るようにしていた。
あとは、椅子を勧め、その場から立ち去る。
店員がそばにいると落ち着かないだろうし、「買わなきゃ申し訳ない」なんて心理が働く。
そんな気遣いをさせないようにその場を離れ、店内を巡回する他の店員にしばらくの侵入禁止をこっそり言い渡しておく。
存分に使って、気に入ったら買ってくれればいい。
家電とは、そういうものだと思う。
「その日から、わたしは家電が大好きになりました」
俺の対応でそう思ってもらえたのなら、それはすごく嬉しいことだな。
「それから何度も何度もお店に通って、家電のことを知っていくにつれて、わたしの想いはどんどん強くなっていきました」
両腕を上げ、声を高らかに言う。
「家電最高! イドバシ最高! すったもけ最高!」
「すったもけはやめて!」
「……アキタカさん、最高」
そんなことを言われて、ドキッとした。
アミューさんは、従業員の間でとても人気があった。
豪快な買いっぷりとその容姿、そして家電を見て本当に楽しそうに笑う顔が、男性従業員のみでなく女性従業員からも支持を得ていた。
まぁ、ぶっちゃけ……アミューさんは可愛い。
そんな人に頼られるというのは……悪くない。
「どうか、わたしの世界へ転移して、わたしたちをお救いください!」
「でも、俺……家電のことが少し分かるくらいしか取り柄がないし……」
「家電のことが分かるからこそ救える、そういう世界があるのです」
ある、のか? そんな世界が。
「わたしの世界には、家電が存在します」
異世界に家電が?
……と思ったけれど、すったもk……俺たちの世界も異世界の中の一つなのだと考えれば、他所の世界に家電が扱えるような文明が存在してもおかしくないわけか。
そんな世界で、俺の持つ家電の知識を活かして世界を救うことが出来れば……それはすごいことかもしれない。
とにかく、話を聞くくらいはしてもいいかもしれない。
救えるかどうかは、あとで考えるとして。
「分かったよ、アミューさん」
「本当ですか!?」
「俺に何が出来るか分からないけど、このままじゃ俺、死んじゃうからな」
「はい。お先真っ暗です。ジ・エンドです!」
「いや、その通りなんでしょうけど……もうちょっと言い方を……」
「あぁっ!? すみません! ジ・エンドじゃなくて、えぇっと、ジ……ジ…………ジ・アッポーです!」
「ではないです! そこは確実に!」
アミューさん……割とアホの娘なのか?
「では、あの。転移には同意してくださると?」
「えぇ。お願いします」
「よかった……このままアキタカさんに会えなくなるのは、わたし、寂しいと思っていましたから」
くっ……わざとか。
俺を惚れさせていいように扱おうっていう作戦か……いや、アミューさんのような純粋で美しい女性がそんな浅ましいことを考えるはずがない。
ピュアなのだ。
純粋に、寂しいと思ってくれていたに違いないのだ。
「では、これより先、アキタカさんはすったもけ人ではなくなります。よろしいですね」
「えぇ、一秒でも早くやめてやりたいです!」
日本人でなくなるのは、ちょっと名残惜しいけどな。
「では……異世界……転移…………」
アミューさんが俺に手を向けて念を込めると、俺の体が淡く輝き出した。
数秒間光った後、光が体に吸い込まれるようにして消えた。
「これで、アキタカさんはわたしの世界の住人です」
「見た感じ、変化はないんですね」
「はい。でも、言語や空気に馴染んでいるはずです」
そうか。
異世界に連れて行かれても言葉も分からないし、下手したら空気中の成分も異なるから生きることすら出来ない可能性があったのか。
よかった、アミューさんが気の利く人で。転移直後窒息死とかもあり得たわけだ。
「では、参りましょう。わたしの世界――あなたの、新しい世界へ」
アミューさんの向こうに、真っ白に輝くドアが出現する。
あの向こうが、新しい世界……
「行きましょう! 『アミュネット・バンバ』へ!」
「ちょっとストップ!」
「…………はい?」
「えっと……なんて名前の世界ですって?」
「はい。わたしの統べる世界の名前は『アミュネット・バンバ』です」
「分割手数料を負担してくれるヤツですか?」
「ド、ドキィ!? な、ななな、なんのこととととでしょうかかかかか!?」
物凄い狼狽えている!?
「……パクりました?」
「パ……ッ!? ち、違います! オマージュです! リスペクトです! 模倣です!」
模倣はほとんどパクりじゃねぇか。
「わ、わたしの名前はアミューですし、女神の名を冠する世界というのは普通じゃないですか」
「百歩譲ってアミュネットはいいでしょう……で、『バンバ』は?」
「えっと……東京の山手線に『高田馬場』という駅がありまして……」
「分割手数料のヤツが高田だから、残った『馬場』を使ったんだな!?」
「でもでも、分割手数料の方は『たかた』ですし、『馬場』を『ばば』ではなく『ばんば』と、少しひねってますし、著作権的にはギリギリセーフなはずです!」
「たか『だ』の『ばば』」だし、『たかた』とも『ばんば』とも掠らない……って理論か?
「というわけで、アキタカさんはたった今から『アミュネット・バンバ人』です!」
「戻してくれる!? すったもけ人の方がまだマシかも!」
「も、ももう、もう無理ですよ!? この後すったもけ人になるためには、すったもけの女神の力を借りないと!」
「『すったもけの女神』って!? なんて残念ネームだ!?」
焦り初めたアミューさんが、俺の腕を掴んでぐいぐいと光の扉の方へと引っ張り始める。
「と、とにかく、もう取り返しはつきませんので、世界を救いましょう! ね? わたしもお供しますから!」
女神自らがついてきてくれるというのは、物凄いアドバンテージなんじゃないだろうか?
ちょっとやそっとの苦労なんか一気に解決してしまいそうだ。
異世界での生活を始めるなら、これ以上いい条件はないだろう。
ただ……今後この女神をさん付けで呼んだり、敬語で話しかけたりは出来そうにない。
だって、普通にアホの娘なんだもの。
「分かった。一緒に行ってやるよ、アミュー」
「ほわっ!? なんだか急に亭主関白感が!?」
ここに留まっていても意味はない。
なら、踏み出すべきだ。まだ見ぬ世界へ。
俺はアミューと共に光の扉の前へと立つと、その扉をゆっくりと開いた――