682 あまり出入りないところから
夜の帳が降りた、フォルクバング城の上空にて。
パーティドレス風メイド服を着たお姉さんが、俺とニアちゃんに向かって上品なカーテシーを披露してくれた。
そして語尾が上がり気味の、まさに鈴を転がすような澄んだ声で――微笑む唇を動かすことなく、自分の名前を名乗る。
『王族警護隊、副隊長。
グラーディア・マキエッティと申します?』
「ど、ども……」
みんなの憧れとして有名なオルスターマイナの中でも、ダントツの知名度を誇る女性。 そんな人が今俺の目の前にいて、肩に乗る我が娘と「やっほー」「こんばんわー」と和やかに挨拶を交わしている。
ちなみに、彼女のいったい何が有名なのかというと、いっぱいありすぎて逆にどれを挙げるべきかと迷うほどである。
しかし……「何が」ではなく「どうして」有名なのかと考えると、比較的スッキリとしそうな気がする。
「ふーむ?」
カーテシーのために少し離れていたお姉さんが、再び距離を詰めてくる。 微笑んでいた唇をわずかに尖らせ、そこへほっそりとした白い指を当てながら。
なお、近づくにあたって、Aラインのロングスカートから覗く小さな足はまったく動いていない。
だってココ、空中だもの。
「本当に、びっくりするくらい魔力が漏れていませんねえ?」
我が娘のシャボン結界をすり抜け、グラーディアさんがまた俺の顔を覗き込んできた。 たまに吹く強風も結界内では影響がなく、お姉さんの口から発せられる美声が直接俺の耳に届く。
ちなみに、「ほとんど視力がない」という彼女の瞳は非常に薄い黄色で光彩もぼんやりとしており、確かにちゃんと見えているような感じではない。
「くふっ。 少し、困っちゃいますね?」
「え、えっと……すみません。 体質なもので」
少し鼻にかかった、上品な笑い方。 頭の高さを俺に合わせ、興味深そうな表情でじーっと見つめている。 肌もすごく白いし、顔も小さいよなあ……。
それに、瞳と近い色をしたセミロングの髪からだろうか? ほんのりと甘い香りが結界の中に満ちてきた。
だが幸いにも、キレイなお姉さんにはそれなりに耐性のある俺である。 わずかに早まった鼓動を収めつつ、こっちからも一言返す。
「そういうグラーディアさんも、さすが――」
ここまで近づかれても、まったくと言っていいほどに魔力のプレッシャーを感じない。 まるで、夜明けの静かな湖畔にたたずんでいるかのようだ。
たとえプレッシャーはなくとも、魔力感受性の高い俺はゾクゾクしてしまう。
「――ものすごい魔力を、とても静かに収めていますよね」
まさに、人間の枠を超えた魔力量。
これが「半精霊」の人の魔力なのか。
オルスターマイナ・序列第二位、副隊長のグラーディアさん。 彼女は中級精霊を母に持つハーフであるが故に、身体の半分は人間でありながら、その魔力量は下級精霊にも引けを取らないと言われている。
目が見えないのも、そのせいらしいけど。
でもその代わりに、魔導具を介さない魔術――魔法を行使できる。
魔石に刻まれた陣によって決まった現象しか発現できない魔術と、「世界」そのものへ自由に干渉できる魔法とでは、まったく次元が異なる。 だが当然ながらその難易度も異次元であるため、彼女は魔法と魔術をうまく使い分けているらしい。
……もう完全に、人間が努力してどうこうできるレベルではない。
そんなものスゴーイ人なのだが、「精霊の要素が半分以上ある者は公的組織のトップに立ってはいけない」というこの国の基本原則があるため、副隊長なのである。
「あら、ほめて頂いちゃいました。 ありがとうございます♪」
俺の言葉に、無邪気に微笑むお姉さん。
ああ――そういえば、精霊の要素が濃いがために、もうひとつ「例外」があるんだった。
「ああっ? ……ジャスパー様。 今、いけないことを考えましたね?」
「え」
思わずドキッとしてしまったが――さすがのこの人でも、触れもせずに人の心を読む能力は持っていない、ハズ。 そんなコトができる聖母様が規格外すぎるだけだ。
となれば、今のはいわゆる「女の勘」ってヤツなのか、それとも年の――。
そう思いかけたところで、お姉さんの人差し指が、俺の鼻の頭に「ちょん」と触れた。
「わたしは、永遠の十六歳なのです?」
「……は、はい」
半ば反射的にうなずてしまう俺。
とっても可愛らしい声と笑顔なのに、有無を言わせないナニカを感じた。
ところでオルスターマイナって、昔から男性の王族と結婚する人が多いんだってねー。 というか、当初から花嫁候補を兼ねているらしい。 今の王様の奥さんも、そう。
それは、御年六三を数える、オイゲン陛下が即位するよりも以前。 若き芸術家として活躍していた王子様が、当時のメイドさんを猛アタックの末に見事ハートを射止めた、という話はけっこう有名だ。
「君以上のモデルはいない!」と。
そう言って口説き落としたらしいっていうエピソード紹介と共に、その作品は王様が芸術家として世に出した最後の、そして最高の傑作として国の美術館に展示されている。
……もし俺だったら、悶絶して地べたをのたうち回る自信があるよ。
「くふっ、よろしい♪」
で。
この可愛らしく、にこにこしているお姉さん。
「……」
――その王妃様が現役だった当時も、副隊長だったらしいねー。
だから今も、身分を超えた親友どうしなんだって。
「どうかしました?」
「いえ、なんでも」
ということで、彼女は国民の間で、とてもとても広く。
世代を超えて有名なのである。
この先の案内はグラーディアさんが引き継ぐということで、アーンさんにはお礼と共に「マーヤさんによろしく」と言ってココでお別れ。 ぐんぐんと高度を下げていくアーンさんを見送り、俺とニアちゃんはお姉さんの後に続いて城の敷地へと入った。
我が娘のように、風を防ぐ結界は敢えて張らないのか。 それとも、さすがに空を飛びながらそこまでする余裕はないのか。
彼女の絹のように薄い金色の髪が風に揺れ、末広がりのロングスカートがぱさぱさとはためいている。
「……」
多少翻ったところで、チラッと見えるのはスカートの白い裏地やふくらはぎ程度だが……それでも少々目に毒だ。
なるべく前方に目を向けないようにし、寒い真冬の夜空に浮かぶ「まりもちゃん」――アイツの分体達や警備の精霊さんに挨拶しながら、俺達も高度を徐々に下げ、城にそびえる巨大な時計塔を横切っていく。
家の柱よりも大きそうな時計の針は、六歳児にとってはまあまあ遅い時間を指していた。
「ところで、ニアちゃんはグラーディアさんとは知り合い?」
「ちょっちゅねー」
さっき気軽に挨拶していたのを思い出し、我が娘に聞いてみる。 ……なぜか往年のチャンピオン口調だが、どうやらこのお姉様も「お友達」の一人らしい。
さすがはお姫様、交友関係の広さがハンパない。
『直接、上から参りましょう?』
速度を落とし、横に並んだお姉さんがテレパシーで告げてきた。 俺もニアちゃんもすぐにうなずく。
眼下では、警備らしい兵士さんやVIPの人が乗っていそうな馬車が、街灯の並ぶ石畳をポツポツと行き交っていた。 降りて歩くよりはこのまま飛んでいく方が楽だし、目立ちにくいだろう。
たくさんの窓に明かりの灯る城の側面を通り過ぎ、三人はその裏側――広い平地に大小様々な建物が点在している上空を飛ぶ。 前に聞いたところによると、国内外のエライ人が滞在する別館など、他にもいろんな建物があるらしい。
やがてその中に、広い緑地に囲まれた、白い建物がハッキリと見えてきた。 王族専用の住居……通称「白亜の館」だ。
そこそこ大きく立派な建物ではあるものの、いかにもド派手なな「宮殿」ではなく地味な「館」であるあたり、不必要な贅沢を好まない代々の王族の皆様に敬意を抱く。
目を凝らして見てみると、どうやら屋上には緑や小屋らしきものがあるらしいが、降り立つことができるようだ。
気分はちょっとしたヘリコプター。
「はいっ、到着です♪」
たん、と非常に軽い靴音を立てて着地した副隊長さんに続き、俺とニアちゃんも屋上へ降り立つ。 ……何事もなく到着してるけど、目が見えていないというのに、距離も方向も障害物も完璧に把握して空を飛んでいるってのがスゴイ。 きっと上下左右、あらゆる方向に何らかのセンサー網を張っているんだろう。
ところで……近づいて分かったけど、屋上には洗濯物の干し場らしいスペースの他に、なかなか立派な花壇や菜園も作られていた。 真冬なので土が目立っているが。
隅っこには小屋まで建っている。 上から見たところ、どうもガラス屋根っぽかったのでそこそこお金はかかってそうだけど……。
前に来たときに見た内装もそうだったが、王族が住んでいるわりには地味、良く言えば質素である。
「ああ、あれはですねえ」
チラチラと横目で見ていただけなのに、グラーディアさんが振り返って小屋の方へと目を向けた。 って、イチイチ目のことを意識するのは失礼だよな……。
つとめて肩の力を抜いていると、お姉さんが教えてくれた。
「第一王子様の、家庭菜園です」
「へえー」
ひょっとしてそうなのかなー? とは思ってたけど……トゥキおにーさんのじゃなかった、ってのは意外。
そういや第一王子様って、土いじりから高じて農学博士になった人だったっけ。「温室育ち」どころか、バリバリのアウトドア派だって聞く。 壁外の農場へもよく行くらしいぞ。
にしても、「王族の家庭菜園」か……。 なんかスゴそう。
「なんと、冬でも春のものが採れたりするんですよ?」
「……ほへ?」
彼女がぽんと手を叩き、ちょっぴり自慢げに語った内容がすぐに理解できなかった。 いや、冬に春の作物はムリだろう――って、もしかして、温室か?
さっきまで「魔法すげー!」とか思ってた矢先に、「クローバー輪作」のはるか先を行く未来農法が出てきちゃったよ……。 考えてみると、そもそも「屋上に農園を作ろう♪」という発想からして未来的すぎる。
いくら農学博士でも、その先見の明には思わず「あ、アグリカルチャー!?」って言いたくなるな。
意味が分からんけど。
「にゅふーん! スゴイでしょー?」
「お、おお……?」
なぜか肩の上で我が娘が胸を張っている。
よく分からんけど、どうもニアちゃんは知ってたらしい。
「くふふっ。 興味がおありでしたら、また今度おっしゃってください」
「は、はい」
ぽっかーんと口を半開きにする俺の様子に、グラーディアさんは鼻にかかった声で少し笑うと、「でも、今夜はこちらへ」と階下に続くらしいドアの方を指し示す。
確かに、子供だったらもうそろそろ寝る準備をしていてもおかしくない時間だ。
言葉にしたがって足を進めようとし、なのに歩き始めないお姉さんに「ん?」と思ってたところで、階段へのドアが開いた。
「お待ちしておりました。 ジャス様、ニア様」
「あ」
中から出てきたのはマリエルさんだった。 相変わらずの、周囲に溶け込む気配で気づかなかった。
副隊長さんと同じ色の、だけどデザインはオーソドックスなメイド服で、屋上に吹く風に青い髪を押さえながら俺に微笑みかけてくれる。
片方はよく知っている人とはいえ、美人なオルスターマイナさんがわざわざ二人でお出迎えとは恐れ入る。
「どうぞ」
我が娘と一緒に「こんばんはー」と挨拶した後、前方にマリエルさん、後方はグラーディアさんに挟まれ階段を下りる。
持ってきたカバンは、グラーディアさんとすれ違うときに言われて渡した。 ほんの少し気が引けたものの、こういうときに手荷物を預けないのは逆に失礼に当たる。
「この時間ですから、今日はアルヴィ様だけにご挨拶を」
「うん」
歩きながら振り返るマリエルさんに軽くうなずく。 まー確かに、招待されたとはいっても王族の居室を訪れていい時間ではあるまい。
だったら王族よりも更に偉いあいつはいいのかよって話だが、他でもないマリエルさんがいいって言うんだから気にしない。 聖母一家の部屋は最上階になるので、ほどなくしてその扉の前へ到着した。
この立派な扉を見るのも久し振りだな。
『よし、入るな。 ――と言ったらどうする?』
「……」
先に向こうからテレパシーで声をかけられたのも予想通りなら、さっそくボケてくるのも想定の内だった。
「でしたら、お二人は私の部屋へお連れします♪」
『おい、それは困るぞ』
と思ったら、マリエルさんのサラッとした返し方のほうが一枚上手だった。 思わずくすりとしてしまった背後で、副隊長さんも笑っている。
神様が相手でもヘーゼンとしている俺達であった。
「では、失礼致します。 ……どうぞ」
扉を開けながら道を空けたマリエルさんにうなずき、先に俺と我が娘が部屋の中へ。 ロイヤルメイドさんズが後に続く。
高そうなベッドや家具があるものの、全体的にスッキリとした室内。 部屋の主は、大きなテーブルをコの字に囲むソファーのひとつに腰を下ろしていた。
「うむ、よく来たな」
「おっす」「おいすー!」
親娘二人で気さくな挨拶をしながら、ぽんぽんとソファーを叩く聖母様の下へ行きそこへ座る。 メイドさん達はやはり、入口のすぐそばに並んで立っていた。 背はマリエルさんの方が高く、グラーディアさんよりも年上に見える。
それにしても二人とも……頭からつま先までまったく隙のない、それでいて自然な立ち姿。 思わず見とれちゃいそうだが、ちょっとでも視線を外すと途端にそこにいることを忘れそうになる。
ちなみに、いかにもメイドさんらしいマリエルさんに比べ、パーティドレスっぽいデザインの服に加えて各所に装飾品を身につけたグラーディアさんは、どちらかといえばお姫様っぽい。
俺と目が合うと、二人はにっこり微笑んでくれた。
「なんだ? すぐ隣に斯様な美女がおるというのに、其方は向こうの二人が気になるのか?」
「えっ? 美女ってどこに?」
「……首を絞めてやろうか」
「じべでるじべでる」
すっとぼけてみると、本当に俺の首に両手をかけて前後に揺すり始める聖母様。 ニアちゃんは座ったときにヤツのひざの上に移り、俺達の様子を見上げている。
っていうか、そろそろ放してくれよ!
お前は美女っていうよりも、美少――。
「だったら良いのだ」
「ふう……」
ったく、手首をタップしてるのに放さないんだもんなー。 別に息は苦しくなかったが、頭がぐわんぐわんしてるぞ。
なんとか揺れの戻った目を向けてみれば、副隊長さんは視線の分からない瞳を大きくして、二度三度と瞬きしていた。
「そう言えば、マリエル以外は初対面だったか」
「うん」
式典とかでチラッと目にしたことはあっても、他のオルスターマイナの人と話をしたのは今夜が初めてだ。 すると、アルヴィちゃんはグラーディアさんを手招きした。
片手は俺のカバンで埋まっているものの、もう片手でダンスに誘われた貴婦人のようなカーテシーを見せてからこちらにやってくる。
「失礼しますね?」
「ど、どうぞ」
右には伊達メガネをかけた、怜悧そうな委員長風美少女。 そして左には、可憐なお姫様風美少女。
なんかスゴイ状況になった……。
なおマリエルさんは「お茶をお持ちしますね」と、静かに部屋を出ていった。
「ほれ、グラーディアに聞きたい事を聞くが良い。
いつもの通り、胸の大きさをな!」
「誰にも聞いたことねえよ!?」
誤解を招くようなコトを言うなよ!? 俺から聞いたことは一度もないっての!
……なぜか教えてくれた人は複数いるけど。
ほら、キレイなお姉さんが目を丸くしているではないか。
「え、ええっと……恥ずかしいですね?」
わずかに身をよじり、緩やかな曲線を描くエプロンドレスの前を両手を重ねて隠しながら、恥じらいの表情を向けるグラーディアさん。
ほんのりと頬を染めたその姿は、萌えてしまいそうなくらい可愛らしい。
彼女は、薄い桃色の唇をおもむろに開き――。
「ちなみに――」
「言わなくていいですからね!?」
見た目によらずお茶目なヒトだなおい!?
「えっ? 言わなくていいんですか?」
「いいんですよ!」
「……それはそれで、悲しいです」
「……」
胸を押さえたまま、しょんぼりとうつむくメイドさん。 じゃあどーしろと……。
ジト目で見上げていると、お姉さんは顔を上げてくふふっと笑った。
で、頭をいい子いい子される。
「アルヴィ様のおっしゃる通り、とてもいい反応をなさいますね♪」
「そうだろうそうだろう!」
「……」
やっぱりオマエの仕業か……。 俺の右側に座る犯人は、「してやったり!」と起伏のなだらかな胸を張っていた。
それにしても……お代官様とグルになってノリノリだったあたり、このヒトもなかなかの越後屋でいらっしゃる。 見た目通り、世間じゃ「太陽姫(ギリャンフィールス)」なんて呼ばれてるのに。
「真夜中でも昼間のようにしてしまう」ところから付いたという、二つ名である。
「いい子いい子、ですね?」
嬉しそうに俺の頭をなでている様子からは、そう見えないけどな。
「お待たせ致しました」
俺を見てうらやましがった我が娘を三人でなでていると、マリエルさんが戻ってきた。 前のテーブルに人数分――必要としない聖母様の分を除くロイヤルミルクティーを置くと、聖母様の許しを得てから副隊長さんの空いている隣へと腰掛ける。
ますますゴージャスなメンバーになってしまった。
まるで王様のようである。
「ママ、お砂糖いるー?」
「いや、もう遅いからいいよ」
ティーカップを見てさっそくテーブルに飛び乗ってくれるニアちゃんであるが、寝る前に甘いモノはあんまりよろしくない。
マリエルさんに目配せしてからカップを手に取り、ゆっくりと傾ける。
自然なミルクの甘みと、ほんのりと感じられる紅茶の風味がたまらない。
「……はぁ、生き返る」
「くすくす、ありがとうございます」
思わず温泉に入ったじーさんのようなコメントをしてしまったが、マリエルさんはにこやかに応えてくれた。
グラーディアさんも、くふふと笑っている。
「それにしても……本当に親子なのですねえ?」
「ええ、まあ」
既に、国の最上層部とオルスターマイナの皆さんには知られているという話なので、俺もさほど気にせずうなずく。
と、視点の定まらない瞳をじーっと俺に向けると、お姉さんは可愛らしく小首を傾げ、細く白い指をぴっと立てた。
「ジャスパー様? ひとつ、質問なのですが」
「なんでしょう?」
「……どこから、お産みになったのです?」
「……」
お茶を口に含み、カップを置きながら、言葉の意味を理解するまでに二秒か三秒。
思いっきりむせた。
「げえほおッッッッ!?」
「きゃっ」
「ふんっはっはっはっはっは!」
向こうでマリエルさんが可愛い声を出し、聖母様は腹を抱えてソファーに転がるが、俺はそれどころではない。 なんとか、とっさに口は押さえたけど……。
濃厚なミルクのもったり感と、ツンと鼻に抜ける紅茶の風味がたまらない。
「ママ、ハンカチー」
「げふっ」
魔法で、グラーディアさんとマリエルさんの間に置かれたカバンからハンカチを抜き取ってくれたマイドーターに涙目で感謝。
むせながら口と手を拭き、最後にキレイなところで涙を拭き取る。 ……手は後で洗おう。
「げほっ……い、いきなり何を」
「いえ、どこから出たのかなーと」
「……」
より具体的におっしゃいましたよ、この女性。
「……お腹からです。 切ってはいませんけど」
「わあ、そうなんですか?」
ぽんと手を叩き、無邪気なお姉さんは目を輝かせる。
……本当に無邪気だったのかどうかは、今の俺には分からない。
「すごいですねー? 参考になりますねー?
……いつになったら参考にできるんでしょう、わたし」
「……」
なんというか……コメントしづらいことを平気で言うね、このヒト。 ちょっと疲れる。
彼女の向こうで、マリエルさんが苦笑いを浮かべていた。
「えっと、ジャス様が少しお疲れのようですから、そろそろ……」
「ああっ、そうですね?」
いいタイミングでマリエルさんが助け船を出してくれて、なんとか場が収まりそうな空気に。
右側で、聖母様が俺におしりを向けてソファーにひっくり返っているので、腰のあたりをつついて身体を起こさせる。
振り向くとメガネがちょっとズレてたけど、そんなに面白かったのか。
「明日は、朝食だけこちらでお召し上がり頂いて、お昼と夜は式典会場でとなります」
「あー、やっぱり」
正式に招待されちゃってるから覚悟はしているが……やっぱり庶民には少々荷が重い。
ちょっとだけ苦笑を浮かべてしまう。
「朝食のご希望はございますか?」
「えっと」
リクエストOKとは、さすがはお城。
お任せにしようかとも一瞬思ったが、せっかくなのでさっぱりと野菜多めながらも式典中にお腹が空かないようなものを希望してみる。 昼と夜にどんな料理が出るか分からないので、朝くらいはいつもの食事に近いものがいいだろう。
好き嫌いなどの質問を挟みながら、マリエルさんは笑顔で俺のリクエストを聞いてくれる。
「はい、ではそのように」
「ありがとう」
いやあ、今から明日の朝が楽しみになってくるな。
……あれ? そういや今夜は俺、どこで寝るんだろう?
「聞くまでもなかろう」
首を傾げていると、マリエルさんの反対側からその返事が。
「あの時、言わなかったか?」
「…………言ったな」
家族揃って、同じ屋根の下で――ってヤツか。 ちゃんと伏線、張っていやがった。
満足げにニヤニヤしているコイツを見るに、きっと「同じ館の中だったら」という屁理屈も通じまい。
ま、それについては俺も想定済みだ。
「んっふっふ。 心配するな、寝間着なら我がしかと――」
「大丈夫。 持ってきてるから」
「……遠慮しなくても良いのだぞ?」
「謹んで遠慮致します」
レンズ越しの碧の瞳と俺の目が、見えない火花をぶつけ合う。 どーせ、ネグリジェあたりでも用意してるんだろう。
そうは問屋が卸しません。
「まあ良い。 どうせ、着替えは――」
「マリエルさん、着替えるところはある?」
「私達用の更衣室でよろしければ」
「じゃあそこで」
「……チッ」
露骨に舌打ちしてるよ、このエロ聖母様……。
マリエルさんはちゃんと俺のアイコンタクトに気づいてくれていたので、前にココへ来たときと同様に話を進めてくれた。
彼女達の更衣室を使うことに抵抗がないワケではないが、この部屋でストリップショーをさせられるよりはずっといい。
「あと、歯磨きできる場所も借りられる?」
「もちろんです」
こうして話をしていると、九時の鐘が鳴り始めてしまった。 思った以上に時間が過ぎている。
明日のためにも、本当にそろそろ寝ないといけないとな。
「……まあ良い。 夜は長いからな」
「……」
少々不穏な言葉が聞こえてきたが、聞こえていないふりをして残りのお茶を飲み、俺は立ち上がる。 いざというときは、我が娘に頼ろう。
俺のカバンはグラーディアさんが持ち、カップはマリエルさんが片付けてくれた。
ニアちゃん、戻ってくるまでパパをよろしくなー。
「ほーい」
クックと怪しく笑う父親を娘に託し、俺はメイドさん達と共に部屋を出た。




