673 私、負けましたわ(K.O.)
まだ暗い早朝。
「さーて……」
手袋をつけしっかりと着込んだ俺は、玄関のドアノブに手を掛ける。
開けた途端、隙間からヒョオオオオオーっと空気が音を立て流れ込んできた。
「……帰るか」
「お兄ちゃん?」
「ママー?」
「ジョ、ジョーダンダヨ?」
どこまでも純粋な我がシスターと、その肩に乗るマイドーターの目差しが胸にめりこむ。
俺は十六のダメージを受けた。
「ふぅ」
俺は小さく息を吸い、吐き出した。
まさに身を切るような寒さ。 しかし、気持ちのいい空気でもある。
……むっちゃ寒いけどな。
「今日は寒いね~」
白いほっぺをほんのり桃色に染め、セーレたんがにっこりと微笑みかけてくれる。 玄関の明かりに波打つ金色の髪がきらめき、まるで日の出のようだ。
精霊たるニアちゃんはともかく、この子だって寒くないワケないのに……。
けど、セーレたんはわりと体温が高いせいか、寒さには強い。
芳香剤のCMのごとく、身体中から常に放出している豊富な魔力も関係しているのかもしれないな。
「……ふむ、魔力か」
考えてみると、オドの操作により温感や冷感のマッサージを開発できた俺である。
同じ要領で、俺自身も温かくできないものか。
「……」
いっそ携帯電話にでもなった気になって、自身のオド全体をバイブさせてみる。
すると、ちょっと自分でも不安になるくらい全身が震え始めた。
視界がブレにブレて、二重三重に見える。
「ぶぶぶぶぶぶぶぶぶ」
「あにゃ?」
「うわっ」
俺を見つめる、蒼と翠の瞳がまんまるになった。
ま、それもそうだろう。 なにしろ足の先までバイブしているので、全身がちょっと浮いたように感じるからな。 更にわずかなバランスの変化で、俺の身体が微妙に前後左右に動く。
まさしく着信した携帯がテーブルの上で動くみたいに。
「……ふうー」
そろそろ、視界だけでなく脳も揺れてなんか気持ち悪くなりそうだったので、振動をやめて地に足をつける。
ごく短時間の運動だったが、おかげで身体が少し熱く感じるほどにまで温かくなった。
思った以上に効果がある。
「はぁ、はぁ、はぁ」
でもコレ、すっげー疲れるな……。 たった数秒だというのに、やけに心臓がバクバク言っている。
一日に三〇秒もやれば、カンタンに痩せられそうだ。
「お兄ちゃん? 今の……」
「いや、気にしないで」
ハニーが可愛らしく小首を傾げているので、手袋越しにニアちゃんが乗っていない方の肩をぽんぽんとして大丈夫と答えた。
ところで、さっきの余韻で肩に置いた手がまだ震えている気がするんだが……まるで何かの禁断症状みたいだな。
やっぱりコレ、あんまり身体には良くないかもしれん。 すぐに治るだろうけど。
とまれ、ジョギングである。
「……さ、行こうか」
「うん……ひゃあんっ!?」
「!?」
もう一度肩をぽんとした直後、セーレたんがいきなり短い悲鳴を上げて身体を跳ねさせたので俺もビックリした。
というのも――。
「ぶぶぶぶぶぶぶー」
我が娘が俺のマネをして、ハニーの肩の上で震え始めたからだ。
首筋や耳にも振動が伝わってきたら、そりゃービックリもするだろうし、くすぐったかろう。
ほら、セーレたんまでぴくぴく震え始めたよ。
「はい、やめとこうねー」
「「「べええええーっ、違うぼおおおおー」」」
「ん?」
握って止めようとしたら、まるで扇風機の前で「あああああーーー」してるような声で俺の方が否定されてしまった。
「「「マぁマぁああああああ、ででででで電話あああああああああ」」」
「……」
マジで着信だったらしい。
「きゃああああああああ~~~♪」
けど、耳元でバイブするのはやめてあげような?
ハニー、俺にしがみついてぷるぷるしてるから。
久し振りに、道場で幼なじみ達を迎える。
「いらっしゃーい」
「なの~」
隣にはもちろん、金色のお姫様。 ちなみに俺のセリフは「ら」にアクセントを置くべきである。
……フィラスタ語なので、「ラ」の字なんてどこにもないんだけど。
そして。
「皆様、いらっしゃいませ」
ひんやりとした玄関が、一瞬にして初夏の高原になったような、とても爽やかで温かな声。
俺とハニーの背後で皆を迎えたのは、深緑色のエプロンドレスに身を包んだメイドさんであった。
そのスカートはもちろんのこと、蒼穹を思わせる澄み渡った長い髪も一切乱すことなく、息を飲むほど見事な一礼を子供達に披露した。
「う、うぇ……?」
ニコがハニワのような顔をしているが、その気持ちはよーく分かる。
既に知っている人だからこの程度で済んでいるが、本来は何の変哲もないごくごく一般的な庶民の家にいるようなメイドさんではない。 この国を統治する一家を世話し、その安全を守っている特別なメイドさん。
なんであなたはココにいますか? ってなもんである。
なお、マールちゃんとエミーちゃんと三人で「誰がお迎えに出るか?」でじゃんけんをして勝ったのが理由である。
「ま、マリエル様……?」
いつものように、みんなの引率できたエルリアさんが、わずかに困惑の色を浮かべながら下げていた頭を上げた。 単純に驚いているみんなとは違うあたりは、さすがだ。
なぜ制服――公務の服装なのかと。
じゃんけんの有無を問うているのではない。
「くすくす、ちょっとした用事がございまして」
「そ、そうですか」
聞きたくても聞けず、といったエルリアさんの様子に、マリエルさんが先手を打って理由を話した。
とはいえその答えには具体性がなく、聞きようによっては「それ以上は聞かないでくださいね?」とも取れる答えに、エルリアさんは笑みを浮かべて話を終わらせるしかなかった。
……実は、早朝のアレが「マリエルが行ったから適当に扱き使ってやってくれ」という聖母様からの通信だったのだが、俺もてっきり私服だと思っていたので驚いたのだ。
聞けば、例の隠し部屋の掃除に来たのはいいものの、うっかりそのままの姿で来てしまい、私服を忘れてきてしまったそうなのだが――。
「ところでみんな、掃除ありがとね」
玄関で長話するのもなんなので、いつものように勉強部屋に入ってからお礼を言う。 俺達が里帰りしていた間にも開けていた道場を、稽古に来たついでにみんなも掃除してくれていたのだ。
普段からマールちゃん達がキレイにしてくれているのは当然イチバンなんだけど、俺達が大掃除に行ったときに楽に済んだのは直前にみんなが手伝ってくれていたおかげでもある。
ただ、るー君だけは用事――リーリンの新年公演の準備に行っていたようで、代わりにエルネちゃんが掃除の応援に来てくれたらしい。 ありがたいことだ。
ちなみに、今日もるー君は同じ理由でお休みである。
それにしても……次から次に公演があるなんて、さすがスターだな。
「……ふー。 美味しい」
「ありがとうございます」
俺の呟きに、部屋の隅で溶け込むように座っていたマリエルさんが微笑んだ。
ミルクをベースにして淹れたロイヤルミルクティー。 すごく優しくてコクのある味わいで、マリエルさんが淹れてくれたものだ。 くりむちゃんも両手でしっかりとカップを持ち、はふはふと冷ましながら飲んでは目を細め、大きなしっぽを振っている。
勉強会なのでエミーちゃんはココにいるが……今日のマリエルさんは本当に、下でおやつを作っているマールちゃんとエルリアさんの代わりにメイドさんをしてくれるらしい。 なんというロイヤルな勉強会だろうか。
給仕されるのにも慣れているハニーはともかく、基本的にすぐ側であるエミーちゃんはやや落ち着かなさそうだ。
ちなみにエルリアさんはお客さんなんだけど、おやつを持ち寄る代わりに材料を持ってきてココで作ってくれることも多い。
「……」
隅っこで座っているマリエルさんと目が合うと、とても温かな微笑みを返してくれる。
絨毯に直接座っているというのに、その姿はものすごくキレイで、しかも部屋の空気に馴染み決して過度に目立たない。
さり気なく飾られた絵のようだ――が、俺にはどうにも小さな違和感がつきまとう。
「……」
マリエルさん――つい昨日、例の部屋の掃除に来てたんだよな?
チャロちゃんとニアちゃんから聞いたんだけど。
「ああ、そうだ。 みんなに――」
とはいっても、昨日の今日で来てはいけないというコトはない。 むしろいつでも歓迎だ。
なので些細な疑問は流水のごとくさらりと流し、俺はお土産のスプーンなどをみんなに配り始めた。
「――んじゃ、今日はこのくらいで」
「うへえぇぇぇ……」
俺が終わりを告げた途端、ニコはテーブルに突っ伏した。 時計を見ればいつもよりちょっと早いくらいなのだが、密度が濃かったのでまあ仕方あるまい。
本当は今日あたりに卒業試験の模擬テストをする予定だったのだが、るー君が来ないと聞いたので参考にした問題集などをかき集めてきてやってもらった次第だ。 つまり、みんなの知らない間にテスト勉強をさせちゃおう作戦である。
「マリエルさん、今日はすごく助かったよ」
「いえ、どういたしまして」
俺の横で、ふんわりと微笑んでくれるマリエルさん。 疲れが吹き飛ぶようだ。
マジで、今日はマリエルさんのおかげで特に捗ったよ。 るー君がいない代わりにマリエルさんが教え役――まあ、後半はほとんど俺ばっかり質問していたのだが、普段俺が質問できる人がいないからな。 普段は調べるなどして自力でなんとかするしかないから、かなりの時間短縮になった。 しかも合間にお茶のお代わりなどもいち早く察して動いてくれるもんだから、セーレたんもエミーちゃんも席を立つことなくスムーズに勉強が進んだ。
「よくできました~♪」
「……はふぅ」
いつも通りによく頑張ったわん子ちゃんは後ろからセーレたんに肩を揉んでもらい、まるで温泉に入ったような顔をしてくつろいでいる。
……俺も後でやってもらおうかね?
「ぐふぅ」
そしてニコもエミーちゃんに徹底的な個別指導をされ、完全にダウンしていた。 突っ伏したときにおでこをテーブルに打ちつけたというのに、まったく気にする素振りがない。 しかばねのようだ。
しかし、うまく問題が解けたときの、エミーちゃんの「よくできたわね」というお姉さんっぽい笑顔はとても優しく、端から見ていた俺も釣られて口元が緩んでしまうほどだ。 そりゃあ頑張るだろう。 だが、それでニコもえへへーと嬉しそうに笑った次の瞬間には「はい、じゃあ次ね♪」と、更なる応用問題を課せられる。 それの繰り返しだ。
うわー、容赦ないなーと思わなくもないけど……そういえば俺がつきっきりで教えていた幼児園くらいの頃も、エミーちゃんが苦労しながらも理解してくれるのがすごく嬉しくて、けっこうビシバシやっていたような気がする。
「今日は、特によく頑張ったわね。 やっぱり、ニコはやればできるのよ」
「そ、そう? え、えへへーっ♪」
突っ伏したまま首を回し、エミーちゃんの方を向くニコ。 俺からは見えないが、きっと「にへらー」と笑っているんだろう。
エミーちゃんはニコの背中を摩って、優しく労をねぎらっていた。
「……」
いつものことながら、見事な飴と鞭である。
楽しいおやつタイムの後、俺も肩を揉んでもらおうとマイシスターに声をかけたら、なぜかエミーちゃんやくりむちゃんやマリエルさんもやってきて、寄ってたかって腰や足の先までとことん揉まれまくって。
「――それでは、ジャス様」
「うん」
エミーちゃんも含めた幼なじみーズとセーレたんもが帰っていくのを見送ると、姿勢を正したマリエルさんの後に続き、再び階段へきびすを返す。
マールちゃんだけは待っていてくれるが、二階へは着いてこない。 許可されていないのだ。
「じゃ、行ってくるね」
「はい」
階段に脚をかける前に、俺はマールちゃんから資料の入ったカバンを受け取った。 今日は、オド研究の報告に指定された日でもあるのだ。
帰る頃にはとっくに日は暮れているだろうが、こっちに来る前に我が娘に迎えに来てくれるように頼んである。 だけど今日は当初の予定よりも早いので、ひょっとすると暮れる前に帰れるかもだけど。
本当は、俺がエスコートできればカッコイイんだがなあ……いかんせん、まだ子供だからな。
さすがに日が暮れると、俺達二人だけで、というのはよろしくない。 いくら二等区であっても。
「よう、旅行は楽しかったか?」
「おかげさまで」
壁に偽装された隠しドアがスライドすると、コの字に並んだソファーのひとつに部屋の主が寝そべっていた。
タイツに包まれたひざの片方を立て……ミニスカートの裾をギリギリまでめくり上げているが、どーせわざとやっているんだろうから指摘なんぞしてやらん。
それに、セスルームとの間を行き来する足を用意してくれたことについては、掛け値なしに感謝しているのだ。
「もしかして、ずっと待ってたのか?」
「いや? つい先程だ」
適当にデートの待ち合わせみたいな会話をしながら、俺はコの字のちょうど真ん中に横臥なさる聖母様に近づく。 そして、その頭の方にあるソファーへと腰掛けた。 無論、脚の方ではない。
ちなみにマリエルさんは、閉じたスライドドアの側で静かに控えている。
「それにしても、いつ見ても良い絵だな」
「そだねー」
俺も、アルヴィちゃんから見ると真正面――横の壁に掛かっている特大の絵へと目を向ける。
どこぞの碧髪ツインテールのメイド少女が「きゃるる~ん☆」と、やたらコケティッシュなポーズを取っているその絵は、モデルが誰かさえ考えなければ、確かに良い絵である。
美術の本にでも載っていそうなタッチで描かれた、萌え絵――。
いつ見ても圧巻である。
「おお! そう言えば、偶然にも此処に同じメイド服と――」
「断る」
わざとらしく手を叩いてみせる聖母様、 だがその手には乗らん。 つーか、この部屋には常に置いてあることを俺が知らないでか。 みんな知っているというのに。
なお、ココでいう「みんな」とは、この隠し部屋に入ることができる女性陣を指す。
ずーっと家のタンスに大事に封印していたというのに、いつの間にかココに移されていつでもスタンバイOKにされている。
「冗談でも乗ってくれれば良いのに、つれぬよな」
「冗談でも乗ったら着せるだろ?」
「当然だ」
「だよなー」
うんうん、そう言うヤツだよなーお前って。
何故かほっとしている自分に気づき……ちょっと悔しい。
「どうぞ」
「ああ、ありがと」
無意識に目の前のテーブルに目を向けると、そっと白魚のような手が伸びてきてティーカップが置かれた。
この部屋にはお湯を沸かせる魔導具のポットがあるので、水さえあればすぐに淹れられる。 さすがはマリエルさん、準備に抜かりがない。
にっこりと笑顔と共にお礼を言う。
「ところで――」
「さて、そろそろ本題に入ろうか」
「……え? あ、ああ」
いつもであれば、ダラダラと雑談が続くところなのだが……今回は、先に向こうから話を持ちかけられた。 返事をしようとしていたマリエルさんも、意外そうに目を丸くしている。
でもまあ、こっちにも特に異論はない。
俺はうなずくとマリエルさんも口を閉じ、しずしずと元の場所へ戻っていった。
「……?」
一瞬、マリエルさんが恨みがましげな視線をアルヴィちゃんに向けたように見えたが――気のせいか?
まさか、そんなこと……な?
まあとにかく、するべきコトを先に片付けるとしよう。
「――ふむ、可能性はあるな」
「あ、やっぱり」
脚を組んで身体を起こした聖母様が、俺のレポートに小さくうなずいた。 普段はふざけていても、伊達メガネをかけて真面目な顔をしていると仕事ができそうなヒトに見える。
見た目と服装が高校生っぽいので、キャリアウーマンというよりは委員長か生徒会長っぽいけど。
それはいいとして……今回俺が上げたレポートには、チャロちゃんからの報告で「ひょっとしたら」と思ったことだ。
――俺の触手マッサージは身体を活性化するだけではなく、魔力量を増やす効果があるかもしれない。
俺の魔力を擦り込んでいるのだから、いわば花に水をあげてるような成長促進の効果があるのではないか?
チャロちゃんが「最近、ほとんど魔力切れを気にしなくてもよくなったんですよねー」と言っていたのだ。
もちろん、昔に比べたら俺やセーレたんが手伝うようにもなったし、負担は減ったんだろうし……。
だが確かにいつの間にか、俺から見てもチャロちゃんとお袋との間に、ほとんど魔力量の差を感じられなくなった。
昔はもうちょっと、ハッキリと差があるように感じていたんだけど。
「そもそも、契約者と異性型の精霊との間には、そういった効果があることは古くから知られておるからな?」
「……知ってるよ」
前にも聞かされたから、そんなにニヤニヤしながら言わないでくれ。
「とある方法」でお互いのオドを循環させて、魔力が増えるのはむしろ副次的な効果だっていう。
――詳細については言えません。
「……」
少し顔を上げると、視界の隅でマリエルさんがさり気なく横を向いた。
俺も、目を向けないようにする。
「無論、単なる成長の範囲内だとも考えられるがな」
「ふーむ……」
一転して、きりりとマジメな表情になる聖母様。 ……だよなあー。
魔力量の増え方には個人差があるし、種族や年齢などによっても違う。 特に十代は伸びる時期らしいし。 それに訓練次第では、身体から発せられる魔力をかなりコントロールできるようにもなるしな。
「……」
まだ微妙に目を合わせてくれない、マリエルさんが良い例だ。
直接オドに触れて初めて判ったが、恐らくマリエルさんの魔力量は今の俺の倍――まではいかないまでも、一.何倍かはあると思う。
たぶん、セラさんとは同じかわずかに少ないくらいで、チャロちゃんよりは少し多い……というのも意外だったけど、それ以上に成長期前の我が妹様の方が、既に魔力量では上回っているだろうというコトに戦慄を禁じ得なかった。
ちなみにマイドーターと比較するのは無謀の極みである。 ……きっと、ゼロが二つか三つくらいは違う。
精霊の身体は全部がこっちにあるワケじゃないのもあって、俺のもの差しでは到底量りきれん。
俺が計測機だったら爆発している。
……と、聖母様の伊達メガネを見ながら考えていると、彼女から考察の続きを聞かされた。
「であれば、壮年期以降の被検体であれば解りやすかろうな」
「おお」
なるほどー。 聞くと、一般的に人間族の魔力量は三〇代あたりがピークで、四〇代以降からは逆に少しずつ減っていくらしい。
ということは、俺のマッサージを受けている中で言えば――。
「……えええええええー」
「セスルーム組」の、あの人達しかいないぞ……? アナさんでもギリギリ入ったばかりだ。
特にセラさん。 ドンピシャの「アラ」ではない「フォー」だなんて、知っていてもいまだに信じられないんですけど……。
でも今度から、ちょっと慎重に調べさせてもらう必要がありそうだな。
……関連性がハッキリするするには、早くても数年はかかりそうだけど。
「なに、我は気にせんさ」
さっすがー、年齢のゼロが二つか三つ違うヒトはスケールも違う。 ……とか、実際にそう口走ったところで本人はなんとも思わんだろうが。
仮にも年頃の女性の姿をしたヒトに対して、そんなことを言う気はサラサラない。
「今回はこんな所か?」
「だな」
新しい研究テーマも見つかって、今月はコレでお開きのようだ。 彼女の表情を見るに、ちゃんと補助金分の仕事は果たしたようでなにより。
せっかくほぐしてもらった肩がまたちょっと凝っていることに気づき、テーブルの上で書類をトントンしながら触手で自分の肩を揉む。 こういうときに、手が何本もあると便利だよなー。
書類をカバンに仕舞いながら、更に三本目の触手でお茶を飲む。
「んふふ、順調に人間の枠をはみ出しておるな」
「失敬な」
スラリとした脚をこれ見よがしに組み替え、俺の提出したレポートを手に笑う聖母様。
俺も脚を組んで対抗してみる。
「んっふっふっふっふ……!」
「……」
足が短くて、ぜんぜん格好がつかなかった……。
上に乗せた方のひざがほとんど曲がらん。 中途半端なあぐらみたいだ。 ちくしょー。
恨みがましげな視線を投げてみても、脚を組んだままのヤツは肩を震わせて笑うばかり。
完敗であった。
「――あ、あの」
こうなったら靴下を脱いで触手義足でも出そうかと思っていると、マリエルさんが俺のすぐ側までやってきた。
ソファーの後ろから身を乗り出すように、横から俺の顔を覗くように見てくる。
清流のような髪がキレイだ。
「終わりました、よね?」
「ん? ……うん」
まあ、ご覧の通りというか……終わりましたよ?
やはり、今日のマリエルさんは明らかにちょっと変だ。 私服を忘れてくるなんて「うっかり」するし、気配の消し方だっていつものような「自然さ」に欠けている。
特に意識せずとも、「そこにいる」って分かるもの。
それに――。
「んふ♪」
斜め横に座っている聖母様が、ますますニヤニヤの度合いを深めていらっしゃる。 何もない方がオカシイ。
そして今一瞬、マリエルさんが明らかなジト目を聖母様に向けた。
そんなマリエルさん、初めて見た……。
「あ、あの……。
もう、よ、よろしいの、でしたら……」
「!?」
驚愕していると、更に!
な、なんと、あのマリエルさんが、もじもじしていた!
かすかに頬を赤らめ、目をしきりに泳がせ、口ごもっている。
普段の爽やかさから一変して、ミョーにアダルトな雰囲気が漂っているんですけど……。
対して聖母様はソファーの背もたれに身体を預け、悠々と事の次第を眺めていた。
「そ、そろそろ……」
「は、はあ」
「れ、例の、ああああああああ……」
お、落ち着いて!?
「……あ、『アレ』を、お願い、します……!」
「??」
あ、アレって一体――――あ。
……もしかして、アレっすか?
「……」
顔を真っ赤にし、蚊の鳴くような声でなんとか話しきったマリエルさん。
今はソファーの背もたれに両手を乗せ、俺から視線を逸らしてぷるぷると震えていた。
ひょっとすると、今日の違和感の正体って――。
「あれから、もう一ヶ月経ちました……。
ひ、日に日にお肌の調子が悪くなってきて……。
も、もう、耐えられません……っ!」
なんとか最後に絞り出すようにして告げると、マリエルさんはしゃがんでソファーの向こうへと隠れてしまった。
「……」
え、ええっと……。
どうやら、マッサージの効果が切れたらしい。
「もしかして、その化粧も」
「……!」
ソファーの向こうから覗く青い髪が、かくりと前後に揺れた。
特に周囲から「見られる」ことを意識しないといけないオルスターマイナの人は、TPOに応じて必要最小限のナチュラルメイクをしていることが多いらしい。
それが今日は妙に濃い――って言うと失礼なんだろうけど、明らかにそれと分かるくらい化粧していたから、ずっと疑問に思っていたのだ。 もちろん「ケバイ」と感じるほどじゃないし、ニコが見とれるほどキレイなんだけど。
もしや、体調が悪いのを隠しているのか……とも思ったが、それなら朝早くから道場に来る必要なんてなかったハズだし。
果たして人前で聞いて良いのかどうかも分からなかったから、みんながいたときには聞けなかったんだよ……。
「いっそのこと、トゥキ様から袋をお借りしようかと思ったくらいで……」
「いや、それはやめよう?」
謎のマスクメイドさん(緑)とか、ちょっとイヤすぎるから。 保安隊の人に職務質問されるよ?
というかあのお兄さん……セラさんに袋、返したよな?
まさか、自分で買ったんだろうか。
「ま、まさか、本当にこんな……!」
「……」
まーそれはまた、後で本人に聞くとして……。
マリエルさんがそろそろ限界っぽいので、なんとかしてあげよう。
なんか、背もたれの向こうでブツブツと呟き始めたし。
「えっと……借りるぞ」
「うむ、好きにするが良い」
この部屋には、聖母様の昼寝用に専用のベッドがある。 どうやって運び込んだかも分からん、天蓋付きのゴージャスなヤツが。
全体が目に優しい緑色のそれを使う許可をもらうと、持ち主は何やら満足げな表情で壁をすり抜けていった。 隣の休憩部屋に行ったかな?
ついでにヤツは部屋の明かりも落としていったようで、厚めのカーテンで窓を覆われた室内が薄暗くなった。 すると布の四方からうっすらと漏れてくるオレンジ色の光が際立ち、やたらにムーディーな間接照明と化して室内を彩る。
「……ということで、ベッドへどうぞ」
「……はい」
長い髪で横顔を隠し、うつむきがちにマリエルさんが立ち上がった。 自分で自分の肩を抱き締めている。
な、なんだろう、このシチュエーションは……。
「あ、あの……」
「あ、はい」
うん、しわになっちゃうからねー。
バイブと化しそうな心臓を服の上からきつく押さえ、俺は後ろを向いて衣擦れの音を聞いた。




