672 とてもいいお休みです
晴れてはいるけれど、ひんやりとした空気の流れる朝。
自室で書き物をしていると、我がラブリーシスターがお茶を持ってきてくれた。
「はい、どうぞ~♪」
「お、ありがと」
小さなテーブルに乗っけていた書類を絨毯に下ろし、いい香りの立ち上るティーカップを置いてもらう。
今日も可愛いセーレたんは俺の目を見、それからあぐらをかいた上に掛けていたひざ掛けをチラッと見ると、更なる満面の笑みを浮かべた。
「……ん、美味しい」
「えへへ~」
さっそく口をつけると、適温のお茶の香りと風味が口の中に広がり、吐息と共に鼻から抜けていく。
寒い冬の午前中も、この子の魔力で動いている暖炉と手編みのひざ掛け、そして淹れてくれたお茶に笑顔まで加わって、俺は身も心も芯までぽかぽかだ。 なんと幸せなことか。
自然と漏れた笑顔に、お盆を持ったハニーはちょっぴり目を伏せて照れた様子を見せると、金色の髪をふわりと浮かせて向きを変え、タンスに背中を預けて絨毯に横座りしているマールちゃんに声をかけた。
「マールちゃんもどうぞ~」
本来は火の日を休みにしているマールちゃんだが、道場の掃除に出てもらったので今日が振替休日。 なのでロングスカートで暖かそうな服を着ている。
それでも足元を冷やしちゃいけないと、適当に俺の上着を引っ張り出してひざに掛けてもらっている。
「あっ、ありがとうございます」
「……」
髪を下ろしたマールちゃんが、微笑んで両手を差し出す。
が、俺とアイコンタクトを交わしたセーレたんは、にこにこしたまま俺の側を離れない。
「……?」
マールちゃんは両手を出したまま、きょとんとした目をして小首を傾げる。
普段はお姉さん然とした彼女が見せる女の子らしい仕草に、可愛いなーと思いながらも。
「いや、こっちおいでよ」
「ですけど……」
俺の言葉に、休日のお姉さんはニットの膨らみに両手を当て、眉をハの字にした。
部屋に戻って来るなり本棚から書類の束を出し始めた俺を見て、ついてきたマールちゃんは俺から少し離れた壁際に腰を下ろしたのだ。
俺がよく絨毯に書類を広げるのを知っているので気を遣ってくれたんだろうけど、だったら硬いタンスじゃなく柔らかいベッドにでも座ればいいのに。 毛布もあるしな。
そう俺も言ったのだが、マールちゃんは首を振って今の場所に座ったのである。
……俺の仕事のことになると、彼女はことさらに気を遣う。
「ほら」
「……はい」
セーレたんがもう一つのカップをテーブルに置いて俺が呼んだところで、彼女はようやく重い腰を上げた。
俺が広げている書類がオド研究のものだけど、マールちゃんに見られて困るようなものは今の時点ではないからな。 ……そもそもマールちゃんには読めないし。
研究用ノートには独自の略語などに加えて、日本語や英語もごちゃ混ぜにしているのだ。
俺の研究ノートを読める人間など、この世界にいはしない。
「いただきます」
「は~い」
窓側に向いて座る俺の左側……というか、テーブルを囲んで九時の方向に座り直したマールちゃん。
風もなく暖かい部屋の中でかすかに湯気を立てるカップを両手で持ち、ゆっくりと口をつけた。
「……はぁ。 セーレ様、とても美味しいです」
「えへ~」
マールちゃんが微笑むと、ハニーは空になったお盆を抱えるように両手で持ち、嬉しそうに上半身を左右に揺らす。 とても可愛らしい。
それからぺこりとお辞儀をすると、金色の髪をきらめかせて部屋を出ていった。 またすぐに家の手伝いに戻るんだろう。
頭が下がるのはこっちだよ。
「ふー」
「はぁ……」
静かになった暖かい部屋で、俺とマールちゃんがお茶を飲んでは息をつく。
とても穏やかなひとときだ。
カップの中が半分くらいになったところで、俺はどことなく色っぽい雰囲気を漂わせる彼女に声をかけた。
「っていうかさー、マールちゃん」
「はい?」
「……せっかくの休みなのに、どこにも行かないの?」
「はあ」
いや、「はあ」じゃなくって……。
またマールちゃんはわずかに首を横にして、可愛らしいポーズを取った。
「つい先日、ジャス様に里帰りさせていただきましたよ?」
「いや」
それとこれとは……ま、いいや。
今日は寝ていた俺を優しく起こしてくれたのはマールちゃんで、俺が朝ご飯の後で気まぐれに「ジョギングでもすっかなー」と思い立ったときも付き合ってくれた。 で、帰ってきたからもこうして、この部屋で俺が仕事をしているのを何をするでもなくただ静かに眺めている。
なのに、さぞ退屈だろうと思って聞いてみると――。
「そんなこと、ありませんよ?」
こうして俺に、柔らかな笑顔を向けてくれる。
「いろいろと動いたり、表情を変えたりしているジャス様を見ていると楽しいです」
「うぐっ」
とてもキレイで温かな目差しと微笑みをたたえて見つめられ、かなりくすぐったい……。 俺、そんなに面白い百面相でもしてたんだろうか?
普通の勉強のときはともかく、ひとりで考察やら何やらしていると、やたら独り言を口にしたりガサゴソ動いたりしているのは自覚している。 我が娘がいたら手の中でもてあそんだり……特に行き詰まったときなど、あーうーと呻りながら絨毯を転げ回ることさえる。
ハニーがこの部屋で寝ていたときは自重していたが、このところは特にエスカレートしている気がする。
「……」
って、なんだか行動を列挙してみると、赤ん坊時代に戻ったみたいだな……。
この歳でもう幼児退行かよ。
「ふふふっ」
見えない苦虫――は気持ち悪いので梱包用の「プチプチ」を噛みつぶしていると、マールちゃんに笑われてしまった。 ま、まあ、本人が退屈していないって言うんなら、なによりである。
ごまかしてるんじゃないんだからね!
「……さーて」
ティーブレイクはこのくらいにしておいて、そろそろ仕事を再開しますか。 俺は里帰りのときに得たレポートを手に取り、データのまとめの続きを始めた。
俺のオドがみんなに与える影響。
俺にしかできない、貴重な研究である。
「あ、これ」
絨毯に置いた束から次に取ったのは、マールちゃんに書いてもらったレポートだった。
俺よりも視点が高いので、必然的に彼女の目にも多少は入る。
「えっ? ……うあぁぁぁ」
途端、顔を真っ赤にして身体をきゅううううっと縮み込ませた。
まさに「穴があったら入りたい」というお手本のようなリアクション。
「……」
お、俺も、かなり気まずい……。
レポートはいちおう無記名式になっているが、筆跡や文面などを見れば判る人には判ってしまう。
ましてや、書いた本人なら――。
「ぅぅぅぅ……!」
マールちゃんは身をよじって絨毯に倒れ、身体を胎児のように丸めてぷるぷると震えている。
その拍子に俺の上着が落ちて更にロングスカートもめくり上がって、太ももの裏側がちょっと見えているんだけど……とても指摘できる状況ではない。
「……」
ぶっちゃけコレ、内容だけ見たらエロ小説だもんなー。
しかも、具体的かつ詳細な体験談。
……さすがに面と向かっては訊けないので、こうして毎回書面で提出してもらっているワケだが。
そんな赤裸々レポートを書いてくれるんだから、俺としては申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいだ。 もちろん受け取る度に直接言葉で伝えているし、セスルームにいるセラさん達にもお礼の手紙を送っている。
「ふむふむ」
「ぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
ココで俺まで恥ずかしがってはいけないと、あくまでも平静を装って研究ノートにまとめていく。 無論、フィラスタ語で書けるハズもない。
独自の略語や英語、それから日本語を織り交ぜた暗号文。 コレを読める者など、この世界にいるハズもない。
とはいえ、提出用のレポートはちゃんと読めるように書かないといけないワケで――。
必要な部分だけを抽出し、お堅い専門用語などを駆使して、なんとかアカデミックに仕上げている。
生活――とりわけ保健体育の分野の教科書とかを書いている人って、マジで尊敬するよ。
並列思考をフル稼働させてまとめが終わったところで、俺は彼女に話しかける。
「大丈夫?」
「な、なんとか……」
マールちゃんはなんとか身体を起こすと、ハンカチで汗を拭き、お茶を一気に飲み干して深呼吸を繰り返した。
頬に張りついた髪がなんとも色っぽい。
「飲む?」
「……いただきます」
まだ水分が足りなさそうだったので俺のお茶もあげると、やがてなんとか落ち着いてきた。 髪やスカートも直し、姿勢を正す。
顔はまだ少し赤いけど、それは仕方ない。
「そういえば――」
彼女の気分転換を図るためにも、俺はペンを走らせながら雑談を始めた。 コレも並列思考のなせる技である。
そういや、ちょっとした時間にお喋りをすることはよくあれど、こうして二人でじっくりと話せる機会はそれほど多くない。
「レイグさんも、王都に来てからまだ向こうに帰ってないんだよね」
少し前になるけど、セラさんがこっちに来ていたときに言ってたな。
……実は「エロ小説」というフレーズで思い出したんだけど、それについては黙っておこう。
「そうでしたか?」
「うん、そうらしいよ」
俺の中でやや残念なイメージが定着しちゃった感があるものの、あの人は「努力の人」というよりは師匠並みに生粋の戦闘マニアだ。 なにせ、高校の職業研修では「実戦の空気を吸いたい」って理由で警備隊に飛び込んだらしいからなー。
警備隊には税関の仕事もあるので、そこの研修では苦労したみたいだけど。
その頃にはもうお袋は結婚してこっちに――俺もセーレたんもとっくに生まれていたので、その辺の話はセラさんが教えてくれた。
「……ああ! そういえば、私もお聞きしたことがあるような」
「でしょ?」
アレはいつ聞いたんだったか……何か見つけると突っ込んでいくので、指導役の人にロープをつけられた、なんてコトもあったらしい。
あんたはドーベルマンか、と内心でツッコんだよ。
「それ、危ないですねえ」
「だよねぇ」
「首が絞まったら、どうするんでしょう」
そう言って、マールちゃんは自分の首につけているチョーカーをいじる。
「え?」
え……そこなの?
ツッコむの、そこ?
「や、ちゃんと腰だよ?」
「えっ? ……あ! そ、そうですよねー!」
両手でチョーカーと口元を押さえ、顔がみるみる赤くなっていく。
俺と似たような想像をしたらしい。
「おお、獲物発見――ぐえーっ」
「ぶぷっ!?」
ちょっとおどけて演技してみると、マールちゃんはうつむいてぷるぷる震え始めた。
前髪と、くくっていない長い髪が左右から落ちてきて顔を隠すけど、垣間見える顔の色は真っ赤だ。
……あんまり覗き見るのはかわいそうか。
「ぷぷぷ……あ、あまり、いじめないでくださぁい……」
「ははは、ごめんごめん」
たまーにちょっとズレたところがあるのが、マールちゃんの可愛いところだよなあ。
涙目の上目遣いで睨まれ、ついつい口元を緩ませてしまう俺だった。
――なんとか落ち着いたところで、セーレたんが再びお茶のお代わりを持ってきてくれた。 それを二人で飲み、リフレッシュ。
しかし、よく俺が「飲みたいなー」って思うタイミングが分かるよな……。
「へえ、そうなの?」
「はいっ」
初めは俺の方から始めたお喋りも、やがて主導権はマールちゃんの方へ。 里帰り中にこっちで留守番していたときの話とか、合流してからも別行動で孤児院に帰っていたときのこととか、他にもいろいろと。
チャロちゃんからもいろいろと聞いているけど、マールちゃんから聞くのも楽しい。 ちょうどいいところにハニーがお代わりのお茶を持ってきてくれたのもあって、話が弾んだ。
姿勢よく座っていたマールちゃんも、今は少し足を崩して楽にしている。
俺は仕事しながらで申し訳ないのだが、それを言うと「私の方こそお仕事中なのに……」と、同じ轍を踏んでしまうことが分かりきっている。 「お父っつあん、それは言わない約束でしょ」っていうヤツだな。
……時代劇か。
《ママー、ただいまー! おやつできたってー!》
「おっ」
「……はい?」
お喋り中に入ってきたテレパシーに顔を上げて振り返ると、時計はもうすぐお昼であることを示していた。
チャロちゃんと一緒に道場へ遊びに行った我が娘とリソ君も、帰ってきたようだ。
ドアの方に目を向けて、小首を傾げているマールちゃんにも教えてあげよう。
「うん。 ニアちゃん達が帰ってきて、おやつができたって」
「ああ、もうそんな時間に」
俺達を呼びに来たのだろう、廊下の方からチャロちゃんらしき気配にも気づいた。
仕事の続きは、また後でだな。
「ジャスさまー! ステイさんがいらっしゃいましたよー♪」
「……」
なんかもう、ステイさんがイコール「おやつ」と化している……。
確かに今日は水の日だし、そろそろ来る時間だろうなーとは思ってたけど。
「うん、すぐ行くよ」
ドアを開け、マールちゃんを見て「まだいたんだねー」と話しかけていたチャロちゃんに返事をし、俺はテーブルの上を片づけ始める。
アシスタントをしてくれている原稿の方はともかく、こっちの書類をマールちゃんが触ることはない。
だけど代わりに、二人分のティーカップを片付けてくれる。
「それで、おやつだって分かっちゃうんだもんなあ」
「あはははっ!」
ステイさんは普段から外食が多くて、昼も忙しいと通りかかった屋台で適当に買って食べながら先方に向かう……って話だから、ウチもなおさら家庭の味で「おもてなし」してあげたくなっちゃうんだけどな。
食べた後はこの部屋でステイさんと打ち合わせになるかもしれないため、キレイに片付けてから立ち上がった。
「……さて、おまたせ」
『はいっ』
喋っていた二人に声をかけると、まるで本当の姉妹のように返事をハモらせた。
私服のマールちゃんが片付けたティーカップは、メイド姿のチャロちゃんの手に渡っている。
「今日のおやつは何だろうなー」
「あははっ、何だと思いますー?」
ドアの足元でしゃがみ、自分の靴を履く。 順番を譲った二人は、俺の後ろだ。
履き終わって振り返ると、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
「ねえ、マールちゃん」
「はい?」
「今日はちゃんと、休みになってる?」
いきなり話を振られ、マールちゃんはきょとんとしていたが。
「はいっ。 今日はとても、いいお休みですっ♪」
「……そっか」
冬を忘れるようなその笑顔に、俺も温かい気分になる。
横で見ていたチャロちゃんも、ちょっとお姉さんみたいな笑みを浮かべていた。




