666 ごゆるりとお休みください
住人の半減してしまった、とても静かな夜。
魔導の明かりが煌々と灯る部屋で小さな女の子がベッドに腰掛け、ほぅ、と小さく息を吐いた。
「……できた」
腰を捻ってふと見上げてみれば、壁の時計はベッドに入る時間をとうに過ぎている。 新記録だ、どうりで目がしぱしぱするはずである。
だが少女の小さな身体には、疲労感と共に満足感もいっぱいだった。 ついでに夜更かしもしてしまって、少しだけ大人になったような気になる。
少女は両手で優しく広げ、少しだけ大人になった自分の成果を確認してみる。
「うん」
理想にはほど遠いけれども、今の自分からしてみれば悪くない。 時間も……ずいぶんと押してしまったが、ギリギリ合格としておこう。
心の中でぽん、と赤いスタンプが押される。 難しい問題やたくさんの問題を解いたとき、彼がノートに押してくれる手作りのものだ。
でも、ノートでも答案用紙でもないときは、いったいどこに押してくれるんだろう?
小首を傾げて金色の髪を揺らすと、少女はベッドから下りてテーブルに向かい、置いてあるカバンの中へ丁寧にそれを入れた。
肩の力を抜いて大きなため息をつくと、追い払っていた睡魔が待ってましたとばかりに戻ってくる。
「ふあぁ~……ふ」
しっかりと両手でカバンを閉じるまで我慢し、それから今度は自分の口を手で隠して大きなあくび。
誰も見ていないからといって、はしたないことをしてはダメだ。
ふらふらと怪しい足取りで、少女はまたベッドへと戻っていく。
「ふはぁ……」
かつては自分のものでもあった、でも今はそうじゃないベッド。
昨日と今日だけは自分だけのものになったそこへ、少女は布団と毛布をめくって潜り込んだ。
心地良い眠気に身をゆだねながら、自然と笑みがこぼれる。
「おやすみなさい」
明日になれば、また会えるから。
朝一番、唄うような声で起こされた。
「はい、おはようー♪」
「……元気だね」
あごが外れそうなほどの特大あくびをひとつして、俺を見下ろすセラさんに挨拶をする。 まるで朝日のように輝く笑顔である。
まったく、俺はなかなか寝付けなかったというのに……。
「眠くないの?」
「全然?」
なぜそんな質問をされたのか分からない、といった顔で首を傾けるセラさん。
このレイグ叔父さんの部屋には時計がないので分からないが、窓の外を見るとまだ夜が明けて間もないといった感じ。 となれば、セラさんはほとんど寝てないハズなのだが……目の下にはクマの一匹も見当たらない。
今すぐマラソンでもできそうなくらいに元気ハツラツだ。 むしろクマーはこっちに居座っているのか。
思わず二回聞いてしまう。
「……元気だね」
「もっちろん!」
昨日、エドガー伯父さんの一家が帰って、ちょっと酒臭くなった親父も一人でローザさんの家に帰った後。
日が暮れると同時くらいに、やっとセラさんは帰ってきた。
ちなみに何で親父は一人で戻ったかというと、こっちには空いている寝室がないのと、親父にとっては向こうが実家だからだ。
つまりウチの王子様はこの家で寝たワケだが、「俺と寝るか!」と誘う師匠への返事は――。
『いやー! おくちくちゃーい!』
――であった。
どっかで聞いたことのあるようなフレーズに俺は噴き出し、お袋もニアちゃんも大ウケだったワケだが……師匠は撃沈。
リソ君は一日ぶりにお袋と、そしてニアちゃんも一緒に、お袋の部屋でぐっすりと三人仲良く一夜を過ごしたのでありましたとさ。
……はっはっはー。 どうせなら酒臭いどうし、親父と師匠で一緒に寝てもらった方がよかったか?
って、さすがにそれはないか。 セラさんだっているしなー。
なーんて思いながら夜、寝る前にベッドで一人で笑っていたら、セラさんがやってきて。
『ねえジャス君? あなたのせいで昼間、寝過ぎちゃって眠れないんだけど――。
責任、取ってくれるわよね?』
『……は?』
と、予想外の夜襲を食らわされたのであった。
狭いシングルベッドの中で抱き枕にされてドキドキしながら、セラさんに脱ぐなよ脱ぐなよと牽制球を放り続けて寝ろという方がムリな話である。
どうやらセラさんの方が先に起きてベッドを出たようだが、盗塁は阻止できたみたいでなによりだ。
……俺が覚えてなきゃ、それでいい。
「ところでジャス君」
「ん、なに?」
「もしかして、布団の中にショーツない?
ベッドの下には落ちてないんだけど」
「…………アッタヨー」
ホームスチールだった。
眠気が場外ホームランされた俺は、セラさんとお袋の作ってくれた朝食に舌鼓を打った。 師匠も酒が残ることはなく、朝から肉にかじりついている。
ま、最初から心配はしてなかったけど。
「おい、本当に大丈夫なのかそれ……?」
「うん」
テーブルの上の我が娘と一緒に、マイブラザーもお袋の隣でもぐもぐと食後のデザートを食べている。
師匠は触手が見えないらしいが、ジェスチャー以前にリソ君が「おにー、しょくしゅー!」なんておねだりすれば火を見るよりも明らかである。
「むしろ、このおかげで元気になったって説もあるくらい」
「おいおい、そりゃあねえだろ……あるのか?」
「ええ~♪」
威勢のいい食べっぷりを見て、お袋がにっこりと微笑む。
当時詳しく診断していたワケじゃないから断言はしかねるが、事実としてリソ君は元気になったんだし、お袋達もマッサージや飴などで摂取するようになってからはほとんど風邪も引いていない。
それなりの説得力があった。
「師匠も食べ――」
「いらん」
聞き終わる前にそっぽを向かれてしまった。 マイドーターは「なんでー?」と大きな頭を傾け、セラさんとお袋はくすくす笑っている。
貴重な臨床例になると思ったのに、残念だ。
「よおーっし、やるぞッ!」
「うぇーい」
王都の家よりもやや広い庭に出て、師匠が半袖の薄着で肩を回している。 アルコールだけでなくガーゼや包帯もすっかり取れて、やっぱりこの人にはオドなんてなくても大丈夫だと思った。
天気はくもり、外はそれなりに明るいけど寒い。 間違いなく気温は一ケタ台だろう。
俺も少し動きやすい服に着替えたので、けっこう寒い。 準備体操をするまでブルブル震えていた。
む、武者震いなんだからね! とツンデレ風に内心言い訳してみる。
「ママー、あったかくするー?」
「いや……いいよ」
庭の上空、ちょうど二階の窓ぐらいの高さに浮いている我が娘が気を利かせてくれるが、俺にも子供――風の子としてのプライドがある。
なお、ちょっとだけ気持ちが揺らいだのはヒミツ。
「ジャスちゃん、頑張って~♪」
「ジャス君、思いっきりやっちゃいなさい♪」
「おにー、がんわー!」
家の壁際――ウチの家にあったのを見て買ったらしいアウトドア用のテーブルを囲み、お袋達が応援の黄色い声をくれた。 金色の髪と笑顔が眩しい三人、これなら旅人もコートを脱いで全裸になるな……って、ストリーキングじゃねえか!
師匠は木刀を肩に乗せて笑っている。
「はっはっは! 味方いねぇなおい!」
「ししょーもガンバれー!」
「おう、ありがとよ!」
と思ったら、上空から可愛らしい応援の声がまさに飛んできた。 手前味噌っぽいが、とってもいい娘に育ってくれたなあ。
今日は親父とお袋が帰る日、つまりはセーレたんとメイドちゃんズが入れ替わりにやってくる日だ。 でもそれまで時間はけっこうあるので、ちょうどいいと師匠のお誘いに乗った。
親父も向こうの実家でお母さんと妹さんと家族団らんの時をのんびりと過ごし、それからまたこっちに来ることになっている。
……たぶん親父も、キズはほとんど治っているだろう。
「張るよー?」
「おーう」
俺が返事をすると、更に高く舞い上がった我が娘が薄いマーブル模様のドーム結界を張ってくれる。 朝っぱらからご近所さんの迷惑にならないように、音や流れ弾などを防ぐモノだ。
セラさんは「ご近所も慣れているから大丈夫よ」と笑いながら言ってたけど、たぶん今回は違うと思うので張ってもらう。
「そーら、来ぉいッ!」
「ほっ!」
木刀を担いだままの師匠へ、構わずダッシュ。 ムーンウォークじみた歩法「遷歩」でフェイントを入れた上で瞬間的な活性化を使い、まだ使えない「瞬動」を擬似的に発動。
一本だけ持った短い木刀で最速の突きを放つ。
「ハッ!」
……ま、通じないわなー。 半歩で躱された。
だが師匠本来の戦法を知ってしまった今となっては、この程度の突撃は師匠にとって屁でもないと解っている。
身体を捻って躱すと同時に落ちてくるゲンコツを、俺も地面を蹴りわずかに軌道を変えて回避する。
「ほっ」
地面を蹴った反動で身体を捻ると、俺は木刀を胸元に引き寄せ――師匠に向かって放つ。
投げたのではなく、柄に触手をつけて飛ばした「有線型ロケットパンチ」である。
木刀だけど。
「おおっとぉ……い!」
追撃の体勢を取っていた師匠は、それを見て即座にロケットパンチを叩き落とした。 木刀は地面にぶつかりバウンドする。
だが柔軟性を持たせた触手に衝撃は伝わらず、俺の手はノーダメージ。 すかさず操作して遠隔剣術で攻撃を再開しつつ、足にブレーキをかけて間合いと体勢を取り直す。
「ハッハー! お前もう、すっかり人間辞めてんなぁ!」
「辞めてないよ!?」
素振りのときに使って転がしておいたもう一本の木刀も拾い、小次郎破りの「リモート二刀流」にして攻撃するも笑いながらジョークを飛ばしてくる師匠。 ……ジョークだよ、な?
俺は定年まで勤め上げる所存だっての。
「ほーらァ!」
「うわっち」
あーやっぱり、触手を斬られた。 振り回していた木刀が片方なくなり、フラつきそうになる身体を踏ん張って支える。 吹っ飛んだ木刀は我が娘がキャッチしてくれ、ひと安心。
だがもう片方の木刀も素手でキャッチされ、師匠がすんごい笑顔で突っ込んできた!
ハッキリ言って怖い!
「ぐぬっ!」
「……おお?」
俺は接近されて緩んだ触手を地面に刺し、アンカーにして師匠の身体を引き止めに掛かる。
非力なハズの俺には出せない後ろからの張力に、目を丸くした師匠のスピードが大幅に落ちた。 さすがに完全に止めるのはムリか。
引っ張られた触手が伸び、更に掴んでいた木刀を手放されて師匠は自由に。
嬉々として木刀を振り下ろしてくる!
「ハァ!」
「南無三!」
風を切り裂き落ちてくる斬撃に対して、俺が出したのは――空いた方の手。
正気か!? と見開いた目で訴えかけてくる師匠の木刀に、しかし俺はその手のひらを――。
手のひらにつけた魔術符を、掌底のごとく突き上げる。
「なっ!?」
「……ふぅ」
ぴたりと止まった木刀に、冷や汗の流れるような思いでため息が漏れる。
ちゃんとテストはやってきたし、念のため手もスライムコーティングで守ってはいたけど……。
札に描いた魔法陣は防御系。 それも、武術試験に使われていたヘルメットのモノである。
頭への衝撃を防ぐのに使われていただけあって、手には発泡スチロールか何かが当たった程度の感触しかない。
「ふんっ!」
発動して魔法陣の形に穴の空いた札を破棄すると、俺は師匠の木刀を両手で掴み、高飛びのベリーロールで木刀を飛び越えるようにして蹴りを放つ。 マイシスターもよく使う技だ。
同時に、リモートの木刀で後ろからも挟み撃ち。
だが……。
「おっとぉ!」
俺の蹴りは腕でガードされ、木刀はハイキック――靴の裏で止められた。
コレで一本取れるかとも思ったんだけど、さすがは格闘も得意な師匠。 木刀もあっさり手放されて形勢逆転、俺の身体は空中で不安定、かつ無防備になる。
しかし俺もフリーになった方の手から再び触手を出し、高飛びから棒高跳びへと種目変更して上空へと逃れることに成功した。
「あっぶねー……」
リモート木刀も手放し、そちらの触手へ支えを変えることで、また触手を斬られて地面に落とされるリスクをなくす。
そして師匠のすぐそばにあった触手を遠ざけ、師匠から見ればどこから支えて浮いているのか分かりにくくする。
油断はできないが、なんとかひと息つける時間を確保できた。
「ふー」
二階の高さから見下ろすと、庭の隅で無邪気に俺に手を振っているブラザーが目に入った。 セラさんは見上げてやや引き攣ったような笑みを浮かべ、お袋もにこにこと皇族の人みたく上品に手を振り始めた。
眼下では、師匠が木刀を拾って「今度は何をする気だ?」と嬉しそうにニヤリと笑っている。
「……」
チラッと俺の木刀の位置を見てみるが……どっちに行っても師匠が待ち構えていそうだな。 ココから触手で拾って攻撃する手もあるけど、そのためには三本目の棒を立てないと身体が安定しない。
さすがにそこまで伸ばしまくるには俺の魔力総量が足りない可能性もあるし、それ以上に有効打を与えられるとは到底思えん。
と、なれば――。
「やりますか」
柱を一本に減らし、引き戻した一本で俺の周りに輪を描いた。 更にもう一本出し、まるで蛍光灯の照明みたく輪を二重に。
そして袖から、するすると次から次へと魔術符を取り出して輪に沿って並べていく。
「……お、おい?」
ビッシリと札を並べれば、師匠の目にも触手の輪の形がハッキリと解る。
下で師匠が口元をひくつかせているのをよそに、俺は近い高度で浮いている我が娘へ声をかけた。
「ニアちゃん、流れ弾よろしくー」
「おっけー♪」
結界内にいるお袋達の周りに、更に透明な膜が張られた。 当たっても害はないけど、コレでリソ君がビックリして泣くこともあるまい。
当たっても、むしろ喜びそうなが気がするが。
なお、今回俺が用意したのは……俺自身にも軌道が予想できない、フラヴリースの光球の札ばっかり数十発分。
「お、おい、マジかよ……!?」
「マジでーっす」
新年には、まだちょっと早いんだけど……。
はい、せーのーでっ!
「くす玉で、お祝いをしましょー!!」
「おおおおおおおおおおおオオオオオーーーーーーッ!?」
騒音による影響はなかったものの。
オリオールさん家に突如「光のドーム」が出現したと、ご近所でちょっとした話題になってしまった……らしい。
「師匠に当たったかどうか、サッパリ見えなかった……」
「はっはっは! 俺にも分からん!」
無効試合かな、コレ?




