664 世間ではスルー技術が重要視されます
柔らかな布団の温もりに幸福を感じながら、ゆっくりと意識が覚醒していく。
「……んんぅ」
暗い部屋の中、時間を知ろうとカーテンのある方向に顔を向けたらタンスがあって……あーそういえば、ココはレイグ叔父さんの部屋だったなーと思い出す。
ちなみにまだ光が漏れていないので、夜明け前だということはすぐに分かった。
「んー」
顔に触れる空気が冷たさに、思わず布団を引っ張り目を瞑る。 暖かい部屋で気持ちよく目を覚ますのもいいが、こうして外気の寒さを感じながら布団の中でぬくぬくダラダラしているのも悪くない。
……しかも、いい匂いがしてすごく落ち着く。
「はぁ」
すっぽりと潜り込んで横を向き、真っ暗な布団の中で大きなため息をひとつ。 するといい匂いをより強く感じられ、更に癒される。
昨夜風呂から上がり、ニヤニヤ顔のセラさんがそのまま部屋になだれ込もうとするのをなんとか押しのけて――ついでに念押しもした上で、そして今朝。 とても穏やかな目覚めだ。
セラさんもベッドに入るときは服を着ない主義の人なので、非常に心臓に悪いからなあ。
「ああんっ♪」
そう、こんなセクシーボイスも寝起きの心臓にはとてもよろしくない。
その上、目の前で真っ白な「ヴィーナス様の生誕」なんて見ちゃった日には――。
「ジャスちゃん、くすぐったぁいわ~」
「しんぞおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーッ!?」
な、なんでお袋がいるーーーーッ!? ちゃんと鍵閉めたぞ俺!
この部屋だけなぜか鍵が二つあるから、しっかりかけて確認したし!
と、聞こうとしたのだが。
「こうするの、久し振りね~♪」
「もが」
「あんっ」
……とある理由から、俺は喋るワケにはいかないのであった。
「んふふふふふー♪」
「うふふふふふ~♪」
「……なんなんだアイツ等」
台所に仲良く並ぶ、朝日のように輝くゴールデンな親娘の後ろ姿に、師匠はちょっと引いていた。
ちなみに俺のドーターちゃんは、ダイニングテーブルの上で太極拳の真っ最中。 寝起きにバタついたので、朝の体操を今やっているのであった。
「あちょー」
背丈よりも長い髪を強引に丸めて頭の両サイドでお団子にしているため、中華娘というよりは、まるで学校の理科室とかにあった水分子の模型みたいだ……。
が、それはそれで可愛いので問題はない。
「ま、ご機嫌なんだからいいじゃない」
「そうだけどよ……」
セラさんは昨夜の「念押し」、お袋は今朝の「朝ご飯の前のデザート」のおかげで、とても全身がツヤツヤしていらっしゃる。
そういえば、昨日はお袋にマッサージする日だったんだよなー。 忘れていた。
「……ジェドのヤツと戦るのも、久々だな」
握った拳をもう片手で包み、師匠が獰猛な笑みを浮かべる。 もちろん包拳礼ではない。 パキポキいってるし。
なお太極拳の終わったニアちゃんは、ちゃんと正当な包拳礼をしている。
「早く帰って来ねえかー!」
「あはは」
師匠、食後の運動をしたくてウズウズしているらしい。
昨夜はリソ君と一緒にローザさんのところで親孝行した親父だが、今日は向こうでご飯を食べてからまた戻ってきて、こっちのお父様に孝行する予定である。
孝行というか……たぶん、お互いに咆哮するんだろうけど。
「よしッ! じゃあ、その前にジャス坊戦るか!」
あー、やっぱり。
指でニアちゃんのお団子を解いてなでなでしながらお茶を飲んでいると、予想通りにこっちにも火の粉が飛んできた。
いやまあ、俺もやぶさかではないんだけどさー。
「だめよ? 洗い物が終わったら、ジャス君は私とローザさんの所へ行くんだから」
「はあー!?」
しかしキッチンから振り返ったセラさんに却下され、師匠は非難混じりの声を上げた。 ゴメンね師匠? 俺も俺で、今日は毎月のお仕事……つまりは出張エステに行かねばならんので。
親父とリソ君はこっちに帰ってくるけど、俺は逆に入れ替わりで向こうへ行くことになっているのだ。
ローザさんもクラお姉さんもそのために昨日今日と休みを取ってくれているし、しかも俺のために昼のおやつも作ってくれているそうなので、予定は変えられない。
……ところでセラさん? 昨夜アレをあげたばっかりなんだから、マッサージの方はいいよね?
「ウフフ?」
「……」
ダメらしい。 恐らくセラさんが思っている以上に、連日の摂取は大変なコトになりやすいのに……。
俺がキチンと量をコントロールしているとはいえ、一日でほとんど消化できるリソ君やセーレたんが特殊なのだ。
「んじゃセフィ、お前はどうだ?」
「うふふ~、お昼の用意ができてからね~?」
「……そのときはそのときか」
「きゅふーん」
帰りは人数が減るかもなーと思いながら、俺は我が娘の頭をなで続けるのであった。
――結論から言うと、プラマイゼロだった。
「ああ……もうこれ、やめられないかも♪」
「あ、あははー」
昼をずいぶん回ってから。
頭に我が娘を乗っけ、俺が手を繋いでいるお相手はカステルミさん――親父のお兄さんの、奥さんに当たる人である。 ローザさんの家に来ていたのだ。
長い菱形の鹿耳をぴこぴこさせながらしきりに自分の頬をなでては、満面の笑顔を振りまいて俺の隣を歩いている。
「今度こそ、スカートを全部買い換えないといけないかも♪」
「よ、よかったですねー」
今は上着で見えないけど、今履いているスカートもベルトで締めないとずり落ちそうになるらしい。 ……コメントしづらいよ。
だが、さっきからカステさんが触りっぱなしのフェイスラインもシャープになってきていて、月に一度しか会わないとその変化がより際立って見える。
まあ……シェイプアップの効果はマッサージよりも、カステさん自身が以前よりも気遣うようになったんだろうなーとは思うけど。
そこまで俺の触手は万能ではない。
「それにしても……お義母さん、大丈夫かしらねぇ?」
カステさんの鹿耳が垂れ下がる。 セラさんはやはり、軽いショックみたいなものを起こした。
俺はやめた方がいいって言ったのに、「体力には自信あるから」「頑張って我慢するから」って聞かないんだもの……。
オドへの直接的な刺激は、身体や精神へのそれとは根本的に違うのに。
「たぶん、早くて夕方かな?」
「びっくんびっくんだったねー」
「そ、そうね……」
ニアちゃんは無邪気に言ってるけど、カステさんの手と声は微妙に震えていた。
ちなみにアレはいわば、知覚過敏になっている歯で銀紙を噛んじゃったようなもので……。 擦り込んだオドは微量だったし、やがてけろっと目を覚ますだろう。
過去に何度か見たことがあるので大丈夫だ。
「あ、こんにちはー」
近所さんを見かけたので、早くも黄色くなってきた空を見て「冬は暮れるのが早いわねー」なんて短い会話をしてまた歩き出す。
そして師匠の家が見えてきたところで、俺はちょっとばかり首を傾げた。
「……あれ?」
「どうかした?」
「うん、音がしないなーと思って」
「音……?」
カステさんの鹿耳が前方に向き、茶色い産毛の生えた先端がかすかに揺れる。
今朝の師匠のはしゃぎっぷりからして、てっきりもっと暗くなるまで親父と戦ってるに違いないと思ったんだけど。 衝撃音も爆発音も聞こえてこないところを見ると、もう終わっちゃったみたいだな。
壁とか、見たところ特に壊れていないようでなによりだ。
あーあ、バトル見たかったなあー。
「だよねー」
「だよなー」
頭上の我が娘とも意見が一致し、うんうんとうなずく。
きっと盛り上がったろうに。
「……やっぱりそっち方面なのね、この子も」
「んー?」
玄関のドアを叩く寸前、カステさんの呟きが耳に入ってきた。
なにがどっちって?
「ただいまー」
「たっだいまー!」
見上げてもナチュラルにスルーされたので、まいっかと気を取り直してノック。 ケンナチャヨーである。
ニアちゃんと二人して大きな声で呼びかけると、中から間延びした癒し系ボイスが聞こえてきて、ひらひらのエプロンをつけたお袋がドアを開けてくれた。 手にお玉を持ってるところが「分かってるぅ~」って感じである。 ……何をだ。
なお、前面が車のエンジンルームのごとく突出している件については、今更指摘するまでもない。
ソコには愛情その他がイロイロと詰まっているのです。
「おかえりなさ~い♪」
相変わらず、お袋というよりは幼妻みたいな外見なのだが、若いお母さんというのは子供にとってステータスなのだ。
……と、思うことにしている。
この国って、成人してすぐに結婚する人もそれなりに多いらしいから、お袋くらいの歳の母親も特に珍しいワケじゃないんだけど。
「う、うわあ……」
が、カステさんから見ると、そうでもないらしい。
ウェーブがかった金髪をふわふわキラキラさせながら出てきたエプロン美少女の姿に、面食らっているようだ。
無論、お袋はまったく気にしない。 マイペンライであった。
「あらあ~! お義姉様、お久し振りですわ~♪」
「ええ……ああ、うん」
「きゃる~んっ☆」って効果音がしそうなくらいテンションの高いお袋に、カステさんは気圧され――実際にちょっとのけ反りながらもなんとか返事を返した。
「お義姉様、お変わりないですね~!」
「あなたは変わったわね……反則なくらいに」
「はい~?」
楽しそうに言葉を交わす二人。 お袋はセラさんに比べればそれほどカステさんとは付き合いはなかったらしいけど、仲は良いみたいだ。
ちなみにカステさんが向こうの家にいたのも、そしてこっちに連れてくるのは予定通りだったので、誰も驚きはしない。
「うふふふふ~」
「……」
談笑するお袋が小首を傾げながら、チラリと俺の目を見る。
それだけで、セラさんがなぜこの場にいないのか――どんな状態になっているのかは、伝わっただろう。
「ジャスちゃん、二人とも来ているわよ~」
「おおー」
あの姉弟が! つまり、カステさんのお子さんである、マティお姉さんとりっくんの鹿耳姉弟である。
こっちでもりっくん……俺より二歳上であるエリック君は既に年休みに入っているので、今日遊びに来ることになっていたのだ。 なお、エルネちゃんより一コ下であるマチルダお姉さんの方は、既に初学校を卒業している。
本当はセーレたんも一緒に会うハズだったんだけど、それはまたあの子が来てからだな。
「うふふ~。 それと――」
「ん?」
お袋に促されて中に入ろうとしたところ、ココでなにやら気になるフレーズがお袋の唇から飛び出した。
目元はいつものにこにこ女神様スマイルなのだが、口元がわずかに上向いているあたりは、しっかりとセラさんの血を受け継いでいることを思わせる。
「あの人も、来ているわよ~?」
「……どの人?」
お袋がもったいぶるとか、一体どこの何屋さんなんでしょーか?
一瞬、碧のお姉さん漆黒のお兄さんが頭に浮かんだが……もしそうだったら、カステさんがショックでどうなってしまうか予想できん。
(んなワケないか)
(うん、おにーさんはお仕事だよー?)
テレパシーで我が娘と話してみると、やはりである。 ふむふむ、今は王都の地下にある施設に――って、そこまで調べなくていいから!
なんとなくヤバイものを感じて必死にスルーし……そこでふと「カステさんは知っているのか?」と思いついて見上げてみると、なにやら温かな、それでいてちょっぴりイタズラっぽい笑みを浮かべていた。
「フフン」
「……」
あぁその表情、マティお姉さんもりっくんもたまにするよ……。
さすが親子だ。
「さあジャスちゃん、早く手を洗ってうがいをしましょうね~♪」
「へーい」
ま、国家機密とかに触れないんならどうにでもなるかー。
ビミョーに悟りの扉的なナニカを開いた気分になりながら、俺は背中を押されて廊下を歩いていった。




